僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

ウエポンX

ウエポンX (マーヴルスーパーコミックス)

MARVEL SUPER COMICS SPECIAL ISSUE WEAPON X
著:バリー・ウィンザー=スミス
訳:矢口悟
刊:MARVEL 小学館プロダクション マーヴルスーパーコミックスNo.015
アメコミ 1995
収録:WEAPON X(1993)(MARVEL COMICS PRESENTS #72-84(1991))
☆☆☆☆☆

 

これこそ真の仕事というものだ。

 

という事で唐突に古いアメコミをひっぱり出してくる。
私がアメコミにハマった最初の時期の90年代に出ていた小プロ版「X-MEN」シリーズの中で特別編として出た一冊で、超人兵士計画の一環でウエポンXとして改造されたウルヴァリンを描く、非常に思い出深い一冊。

 

ってまあ唐突でも無くて、先日読んだ「ウルヴァリン:ブラック、ホワイト&ブラッド」でもこれをベースにした話も入ってたので、無性に読み返したくなってきたという所です。

 

カプコン格闘ゲームから入り、原作はどんなんなんだろうと興味を持ち始め、当時はX-MENの1巻から読み始めましたが、勿論そこの時点で面白かったのは面白かったんですけど、最初は「へぇ~アメコミってこういうのなんだ」的な感覚で居たんですけど、そんな流れの中で出たウルヴァリンの過去が明かされる1冊がこちらで、アメコミってすげぇ!と心から思わされた特別な1冊。

 

本編のジム・リー作画、クリス・クレアモント脚本の連続ドラマ的な流れも、今まで体験した事の無いアメコミの世界って感じだったんですけど、1冊完結のこちらの話、衝撃的なアートも素晴らしんですけど、短いモノローグを絵に重ねて、更にその彩色まで含めて、それが絵であり物語でもあるっていう物凄く凝った絵作りにいたく感心したんですね。

 

これより少し後に触れる事になる、アラン・ムーアなんかもそうなんですけど、絵を中心に見せる日本の漫画の文法と明らかに違いがあって、絵と文字が同列にあって、それをいかに融合させて一つの形にするのか?っていう部分に対しての模索を感じられるというか、手塚治虫とかも変なコマ割とか、読み順とかはたまにやってたりしたんですけど、手塚漫画にしても、そこに習った一般的な漫画にしても、結局はわかりやすさを重視したのか、日本の漫画は基本的な普通の形に収束していった感はあります。

 

でも当然ながらアメコミはまた日本の漫画とは違う歴史や文脈って言うのがあって、そっちの歴史はそっちの歴史で面白かったりするんですけど、私はまだこれを最初に読んだ時にはそれこそ初心者だったので、そこまで知ってるはずもなく、もう単純に、なにこれ凄い。こんなの今まで見た事無いっていう衝撃でした。

 

単純に描き込みが細かいとかそういう事じゃ無いんですよこれが。カラーリングや吹き出しの配置とかも含めて、新しいアートスタイルを模索して作っている感が物凄かった。

 

この辺からね、小プロの邦訳アメコミはマーベル(当時は「マーヴル」表記)DCを問わず、色々な作家が紹介されて行って、アレックス・ロスビル・シンケビッチデイブ・マッキーンポール・ディニサイモン・ビズリー、マイク・ミニョーラ等々、挙げればキリが無い程個性的な作家が紹介されていく形になります。

 

で、もうそこで私は見事なくらいにアメコミ沼にハマる事になる。そんな「絵」の部分だけでなく、元々好きだったスーパーヒーロー物という文脈に政治性や社会要素もストーリーに組み込んであるアメコミと言う世界が、「所詮ヒーローなんてガキ向けじゃん」とは言わせない説得力があって、これは面白いなと、こういうものこそ自分が望んでいた世界じゃないかと、今に至るまでアメコミを読み続けるという結果に繋がる。

 

まあでもマニアックなものだよね、という自覚は当然あった中で、スーパーヒーロー映画の隆盛があったりして、まさかのマーベルが映画界、エンタメ界の頂点に立つまでになろうとは、当時は思いもしませんでした。よもや、よもやだ!ってこっちが言いたいくらい。

 

「これこそ真の仕事というものだ。」って劇中のセリフでもなければ、帯の煽り文句でも無く、巻末の解説の見出しなんですけど、もう正しく私は、これこそが本当のプロの仕事なんだって、物凄く感銘を受けた言葉です。

 

頭の中までいじられて、記憶が改変されて何が本当の自分なのかが曖昧になってわからないというのが当時のウルヴァリンなわけですが、まさしくそこをストーリーにも組み込んであって、時系列とか描かれている事が、要所要所で飛び飛びになってたり、話が二転三転したりするのも、まさしくウルヴァリン気分にさせられたりと、話の筋立ても非常に巧妙。

 

これって、誰が読んでも楽しめる名作なのかと問われると、必ずしもそうでは無いかなって思ってしまうんだけど、でも私は単純明快でわかりやすく万人が楽しめるものだけが全てじゃ無い、「わかりにくさ」を否定して切り捨ててしまうのは、非常に勿体無いなと感じてしまう方。まあその辺がオールドオタクの性分みたいなものと思ってもらっても一向に構わない。

 

ちょっとした断片の一つ一つが想像力をかき立てられて非常に愛おしい。「THE END」の後のエピローグの切なさ。そして多くは語らない&描かないからこその「粋」を物凄く感じられて、改めて今読み返してみても、本当に素晴らしい。

 

これこそ、真の仕事というものなのだ。

 

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シン・ウルトラマン

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ULTRAMAN
監督:樋口真嗣
脚本・企画・制作・総監修:庵野秀明
日本映画 2022年
☆☆☆★

 

まず一番最初に私のスタンスから説明しておきます。
ウルトラマン」に関して、昔から今まで特に思い入れはありません。
シン・ゴジラ」も「エヴァ」も「庵野秀明」に対しても全く思い入れはありません。

 

まあそこは初週とかに観に行ったりしてない辺りで察していただければ。最初に情報が出た時点では、へぇ~そんなのやるんだ。逆に私はウルトラマンあんまよく知らないし、せっかくだから一応見ておくかな?程度。でも、予告編を見た感じだと、ちょっと怪獣がエヴァの使途っぽくてちょっと面白そうかも?くらいの感じはありました。

 

例えば同日に他に興味のある作品とかがあったら優先してこっちを見る事はないけど、タイミングが合えば。見れなかったら見れなかったで後からソフトなり配信でも別にいいかな?ぐらいの期待値でした。

 

そのぐらいのスタンスの人の感想と思ってもらっても結構です。少なくとも、ウルトラマン或いは庵野のファンとかそういうのでは無いですので、「大怪獣のあとしまつ」と同じくらいには面白かったよ、とか平気で言っちゃうくらいの感じです。

 

まず一番最初に観終わって思った事。この狭くてものすごく閉じた世界が、いかにも日本的なガラパゴス的な感じでとても面白いなと感じました。
それこそ「アベンジャーズ」とかハリウッド大作とかは、ポリコレだ何だ一部で反発の声もありつつ、凄くグローバル化、多様化とかを意識して作ってるのに、それとまるっきり対極にある感じがむしろ面白いなと。

 

オタクだけの狭い狭い、わかる人だけわかってね感が凄く面白い。
あのね、私は邦画の大作の無理してる感がすっごい苦手と言うか、嫌なんです。たまたま今回予告編でやってた「キングダム」とか、実際の内容はわかりませんし、例えば樋口真嗣なら「進撃の巨人」もそうだったけど、邦画でもハリウッド大作に負けないぜ的なスケール感とかをやろうとしてる感じが、なんだか物凄く見苦しい感じがして、そこって張り合うようなとこなの?無理しなきゃいいのにって物凄く思ってしまう。なんか逆に憐れに感じちゃって、あの雰囲気結構苦手なんですよね。

 

そこいくと今回の「シンウルトラマン」は無理して無い感じが凄く面白かった。今回、別にハリウッド大作に対抗して、日本には日本の誇るべきヒーローのウルトラマンが居る。アメコミヒーローなんかに負けないものを作ってやる!みたいな変な気負いは多分無いですよね?これ。

 

世間には通用しないガラパゴス文化だろうと何だろうと、俺らは本当はこういう奴が好きなんすよね、的な感じがむしろ面白かった。

 

長澤まさみの扱いに関して、時代遅れのセクハラ的な視点なんじゃないかってちょっと炎上してますけど、私もそこの流れは、クソみたいな事やってるなと呆れるしかありませんでしたが、そもそもあれも元ネタありきなんですよね。
私はウルトラマンはほとんど知らないので、なんか巨大女フェチみたいな所を臆面もなく入れちゃったのかなと思いましたけど、観終わってから調べてみると元のウルトラマンでも女性隊員が巨大化するという話があっての事のようでした。

それにしても、別にスカートでやる事じゃないし、普通にパンツ(ズボン)スタイルとかで良いんじゃないの?そもそもあの人のキャラクター造形とかも何?こういうのを面白がってるんだろうかと疑問は残りますけど、なんかそういう事はわからないor気にしない人達が作ってるんだろうな、みたいに思えて、そこに目くじらを立ててもね、仕方ないのかなって気がします。

 

考えてみれば「ヴァイオレットエヴァーガーデン」とかもそうでした。狭い世界のガラパゴス文化を喜んでる層もそれなりに居て、それはそれで一つの形になってるのかなと。

 

濃いウルトラマンのファンの人にはそんなんじゃねーぞって怒られそうですが、その狭さって特撮文化の上では文脈としてそれなりの流れがあって、そもそもウルトラマンって、TVで毎週怪獣が見れるという所も売りの一つだったっていう面もあるじゃないですか。

 

それこそ東宝が「ゴジラ」で怪獣ブームを作って、でもゴジラは映画だから年に1本とかしか見れない。でもウルトラマンは毎週新しい怪獣が出てくる。内容的な部分はともかく、単純に怪獣が見たいって言う子供達にとってそういう魅力があったという話は聞いた事があります。ただ所詮はTVじゃないかと、円谷特撮は映画よりも下だと見下す人も居て、東映特撮なんかそこの更に下、陳腐な子供騙しをやっているという見方もされていたと。

 

でも、今は特撮界隈って東映の一人勝ちですよね。昔は一番下の下劣なものと言われていた東映が、シリーズを途絶する事もなく、2本もTVで常に放送して、スクリーンでも年に何本も上映する。戦隊は苦戦しつつも、ライダーなんて濃いオタクからは内容的に非難されつつも何百億もの売り上げを維持してる。

 

シンゴジラ」で庵野が世間をあっと言わせて、次は「シンウルトラマン」をやると。でもスケールダウンはしますよ。だってそれがウルトラマンなんだから。という流れも実は結構意図的なものなのかな?という気がしますし、その次の「シン仮面ライダー」はウルトラマンよりもさらに狭い世界へ行くんじゃないでしょうか?いやだって仮面ライダーってそういうものだったでしょ?っていう。

 

世界に向けた「アベンジャーズ」とは正反対の方向に進むって、それはそれで面白いなという気がします。だって真似したって勝てるわけ無いし。だったら独自路線を貫いた方が、それはそれで一つの個性なんじゃないかと。

 

私はウルトラマンのオリジナルの方を知らないので、詳しくはわかりませんが、色々な解説を見たり読んだりしてると、とことんまでマニアなネタを拾ったり再見したりしてるっぽいじゃないですか。それこそ怪獣がでてくる順番にまで、全てに元ネタがある。

 

そもそも「エヴァ」がウルトラマンへのオマージュに溢れた作品だったわけで、庵野本人も自分はコピー世代でオリジナルは生み出せない的な事は常々発言してきた人じゃないですか。それでもエヴァ私小説的な側面が出た事で、十年越しの完結とか、見事なくらいの誰もやって無いような事は成し得たんですし、「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」を順番にリメイクしていくとか、それはそれで誰もやった事無い面白い展開だぞ?というのはあるわけで、そんな流れがむしろ庵野にしか出来ないオリジナルになったりする。そこは正直見ていて楽しいです。

 

映画として、作品単体の評価としては、まあ私はファンじゃないのもあって、よくわからないなりに面白い、くらいの事しか言えませんし、それこそ「大怪獣のあとしまつ」みたいに、ある面では面白いんじゃないの?みたいな感覚になってしまう感じです。岩松了が同じような役柄で出てるのも可笑しかったし。

 

あと、ここからは凄く個人的な話になるのですが、私は子供の頃から「怪獣」って特別好きになった記憶が無い。「帰ってきたウルトラマン」は子供の頃に再放送で見ていて、結構好きだった記憶はあるんですけど、その後は特にウルトラシリーズにハマる事もなく、大人になってからも、何か1本くらいウルトラマンも見てみようか?と「ウルトラマンジード」は見たんですけど、へぇ~今のウルトラマンはこんな風になってるのかっていう面白がり方以上は特になかった。

 

で、今回シンウルトラマンを見ていて、何で私は怪獣とか子供ながらにワクワクしなかったんだろうな?って考えたんですけど、普通のモンスターとかならともかく、あれだけの巨大怪獣って、そもそも現実味、リアリティを感じ無かったのかな?という気がしてきました。

 

もし巨大怪獣が出てきたら?っていうのは、もし世間にゾンビが溢れたら?というのと同様に、物凄くワクワクする要素ではあるんですけど、ただそれは本当に空想の中の出来事以上のものではないな?と、心のどこかで思っちゃうのかなと。しかもウルトラマンとなると、その怪獣と対峙する異星人。怪獣と言う嘘の上に、更にもう一つ嘘を重ねないといけない。そこって結構ハードル高いのかも?という気がしてきました。

 

シン・ゴジラ」も前半は凄く面白かったんですよ。もし実際に巨大怪獣が現れた時のシミュレーション的な感じで。ただ後半のいかにもフィクション的な感じで凄く萎えてしまったんですけど(キャッチコピーの「現実VS虚構」で虚構の方が勝ってしまうのが嫌だった)今回の「シン・ウルトラマン」もよくよく現実味が無い話だなって思ってしまうんですけど、でもここまで来たらこの話に現実味を求める方が流石に間違って無いか?という気がしてくる。

 

メフィラス星人との居酒屋での会話とかメチャメチャ面白いんですよ。逆にケレン味がきいてて、すげぇSF的な面白味を感じました。ただ最後のペンシル爆弾?を開発する時に、そこだけ世界中の科学者の知恵を集結とか、え?今まで外国なんて通用しない兵器譲ってもらっただけで、居ないも同然だったじゃん。だったらそこも日本の科学力だけで解決したで良くない?なんでそこだけ世界が団結しましたみたいになってんの?と、変なとこが気になる。

 

リアリティラインをどこに置くか。それは作り手にしてもそうですし、見る側もそうだと思うんですけど、そこら辺のさじ加減によって、見え方って結構変わってくるものなんだなという気がします。

 

次の「シン・仮面ライダー」にしても、庵野「シン」ユニバース化?にしても、次はどんなのになるだろうか?あれこれをやってほしいとか、そういうのは特に無いし期待もしてませんが、変な事やってるなという部分では面白かったりもするので、緩くつきあっていくのも悪く無いかなとは思います。

 

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アベンジャーズ・メカニカル・ストライク

アベンジャーズ・メカニカル・ストライク

AVENGERS: MECH STRIKE
著:ジェド・マッケイ(作)
 カルロス・マグノ(画)
訳:秋友克也
刊:MARVEL 小学館集英社プロダクション ShoProBooks
アメコミ 2022年
収録:AVENGERS: MECH STRIKE #1-5(2021)
☆☆☆★

 

アベンジャーズ×巨大ロボ
最強ヒーローの
ロボットバトル、
ここに開戦!

史上最大のバトルに
刮目せよ!!!!
地球最強のヒーローチーム、アベンジャーズ!突如として来襲した新たな脅威”バイオメカノイド”に対抗するため、彼らはハイテクアーマーに乗りこみ、史上最大の戦いに挑むことに。大いなる危機を前に、まさかの助っ人も参戦!!地球の運命やいかに!?

 

という事で、突如出ました何だこれ?感満載の巨大ロボ化したアベンジャーズ
解説書には時系列とかは書いてないけど、正史世界の話なのかこれ?セレスティアルの遺体をアベンジャーズ・マウンテンとして拠点にしてある設定はオリジナルでもある奴なのか?私は原書は読んで無い人なので、その辺はよくわからぬ。

 

表紙を見る限りは、アベンジャーズトランスフォーマー版みたいな感じなのかなと思って読み始めたら、そこまで大きくは無くて、ハルクバスター・アーマー的なものを各アベンジャーズ用に作った、という感じでした。

 

スパイダーマン曰く「クローネンバーグ版ゴジラ」的な存在が突如出現し、物質とエネルギーを吸収してどんどん大きくなって行って、攻撃も全て吸収するもんだから、流石のアベンジャーズでも手に負えない。闘いの中、ブラックパンサーの決死の覚悟により、ビブラニウムだけは吸収できない事を突きとめる(ビブニウムも衝撃を吸収するという特性の金属ですし)

そこでアベンジャーズメンバー全員に巨大ロボ風のアーマーを開発。ようやくいくらかは戦えるようになる、という展開。

 

今回のアベンジャーズメンバーは、アイアンマン、キャップ、ソー、ハルク、スパイダーマン、キャプテンマーベル、ブラックウィドウ、キャプテンマーベルという面子。

 

日本の感覚で言えば、ハルクバスターの基本フレームがあって、そこを各キャラの特性に合わせた形で多少のカスタマイズでアレンジ、みたいになりそうな所を、各キャラ形がバラバラです。

キャップがカラーリング的にちょっとオプティマスっぽいのが面白い。

 

本編の絵だとそうでもないですけど、表紙絵だとキャプマのアーマーがちょっと流線型だったりウイングバインダー的なものもついてて、日本っぽい感じもしますね。

 

そして、意外や意外。ただのネタ作品っぽそうで、これがなかなか熱い王道ストーリーになってて、後半はまさかのゲストや展開もありつつ、これぞスーパーヒーローアベンジャーズだ!っていう感じで、予想してた以上に面白く読めました。

 

アメコミらしい捻りの効いた極上のドラマっていう感じでは無いにせよ、こういうのはこういうので面白いじゃねーか、と、実はアメコミ初心者向けとしても良かったりしないかこれ?という感じで楽しい。

 

意外と、珍妙な一冊とあなどれない面白さがありました。

 

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ハケンアニメ!

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監督:吉野耕平
原作:辻村深月
日本映画 2022年
☆☆☆

<ストーリー>
連続アニメ『サウンドバック 奏の石 』で夢の監督デビューが決定した斎藤瞳。だが、気合いが空回りして制作現場には早くも暗雲が…。瞳を大抜擢してくれたはずのプロデューサー・行城理は、ビジネス最優先で瞳にとって最大のストレスメーカー。「なんで分かってくれないの!」だけど日本中に最高のアニメを届けたい! そんなワケで目下大奮闘中。最大のライバルは『運命戦線リデルライト』。瞳も憧れる天才・王子千晴監督の復帰作だ。王子復活に懸けるのはその才能に惚れ抜いたプロデューサーの有科香屋子…しかし、彼女も王子の超ワガママ、気まぐれに振り回され「お前、ほんっとーに、ふざけんな!」と、大大悪戦苦闘中だった。瞳は一筋縄じゃいかないスタッフや声優たちも巻き込んで、熱い“想い”をぶつけ合いながら “ハケン=覇権” を争う戦いを繰り広げる!!
その勝負の行方は!? アニメの仕事人たちを待つのは栄冠か? 果たして、瞳の想いは人々の胸に刺さるのか? 

 

予告の時点では、ん~ちょっとどうかなとは思いつつ、りえりーこと高橋李依が頑張ってプロモーション活動をしてくれていましたので、興味のある題材でしたし、じゃあ見ておくかと足を運ぶ。プリオタとしては東映アニメーションも全面協力してましたしね。劇中アニメの監督は大塚隆史とか、そりゃあ気にはなるし。

 

監督の過去作品、原作の辻村深月の方も私は全く触れた事がありません。序盤は、お?これは「SHIROBAKO」の実写版的な感じかな?とワクワクしたのですが、新人監督VS天才監督の対立軸が出て来た辺りから、んんん~?これは一体リアルな話なのか?というのが怪しくなってくる。

 

ええと、ここは正直、私が中途半端なオタクだからっていうのが結構大きい。私はプリオタでガノタですから、アニメには全く抵抗がありません。けど私がアニメファンなのか?と言えば、ちょっとそんな風に自分から言ってしまうのはおこがましい部分が。たまに話題作や気になってるものを見たりはするけど、クール毎に、色々ある中でこれが楽しみ!みたいな感じでアニメには接して無い。

 

声優に関しても、プリキュア声優は応援してたりしますけど、例えば今回、お話の中で一人クローズアップされる新人声優が一人居ましたが、え?この子誰だろう立石晴香だっけ?とか思ってエンドクレジットを見て、ああ高野麻理佳だったのか、「それが声優」見てたよ。イヤホンズのまりんかね、くらい。りえりーとか藩めぐは顔見てすぐにわかったのですが・・・。とまあ割と中途半端に知ってて、全般的に詳しいわけではない。

 

アニメ全般に関しても、この天才監督って庵野なのか?普段アニメを見ない人にも刺さって、一億総オタク化みたいな流れを作ったのって、エヴァくらいしかないよね?それをお話的に面白い対立軸を作る為に、イケメン天才監督とかにしたのかな?でも実際のアニメ業界でそんな風に持ちあげられる人なんて実際に居なく無い?これってどこの世界線なんだ?

 

しかも土曜5時で裏表かぶり?昔ガンダムとかギアスとかやってた枠だろうけど、そんな枠で深夜アニメみたいに1クールなんてあったっけ?しかもそんな1クールアニメに社運をかける???

 

リアリティがありそうで、なんか現実とは違う感じが物凄く不思議に感じてしまって、ああこれはアニメ人気みたいなものに興味を持って、それを題材に話を作ろうと、一生懸命取材とかしたんだけど、当の本人はアニメになんか大して愛情も無い人が書いた話なんだろうなって、ちょっと醒めた視点で見てしまいました。

 

せいぜい、エヴァにハマった程度で、そこから少し広げてみましたって程度なんだろうなと。その過程でね、百万人に喜んでもらう事より、ほんの一人や二人かもしれないけど、これは自分の話なんだって思ってもらえるように「刺さる人にだけ本当に心から深く刺さるもの」を生みだしたい、それもクリエイティブとして一つの形だし、それはアニメに限らず「小説」や「映画」でもきっと同じ事だから、そこをテーマにした小説や映画だって作れるはず!みたいな気持ちが原作小説であったり、今回の映画でもきっと描けるはずだと信じて作った作品なのかなと感じた。

 

ただ問題なのは、そこがどうしても借り物っぽく感じてしまうのが難点。どうしても比べてしまうんだけど、「SHIROBAKO」が面白かったのは、実際にアニメ業界に居る人がアニメの事を描くので、借り物じゃないリアリティがあったし、その中での自分達の思いみたいなのも物凄く伝わってくるものがありました。

 

例えば今回の劇中アニメ2本もね。ああこれ本気で作ってる奴だ、っていうのが凄く伝わるんですよ。ただの劇中劇だから、それっぽいものがあれば良いだろうじゃなく、本当にこの世界の中でやってるアニメと思わせるくらいに凄い事をやってやろうぜ!みたいな気合が物凄く伝わってくる。いやメカデザイン柳瀬なのかよ!結構これカッコ良くね?実際にこのアニメ見たくなるぞ!と思わせてくれるし、大塚隆史も演出で見せてやるぜっていう気持ちが凄い。

 

なんかそういうのと比べてしまうとね、頑張って取材をしてこの題材を描いたのはわかるけど、なんだか「上手く作ろう」みたいな所が見えてきてしまって、がむしゃらに突っ走ったこの熱意を見てくれ!感がさっぱり無かった。

 

いや、結構上手いんですよ。私はこの映画が駄作だとは決して思わないし、むしろ上手く作ってるなぁと感心した方なんですけど、その上手さが逆にあだとなった感もなきにしもあらず。

 

最初は、嫌なプロデューサーだなぁと思ってた人が、実は結構良い人だったリ、天才と呼ばれる人も、ただの嫌な奴にせず、その人なりの葛藤もあるんだよって描いたり、そういう映画としての作りの上手さが、凄く作り物っぽい、いかにも頭で考えました的な感じで、なんかパッションを感じられないというかね。

 

面白いんだけど、そこが凄く勿体無いと感じたなぁ。最終回で主人公を殺しますよって言ってニヤッとする天才監督と、そこで慌てるスポンサーとかさ、それ何十年前のアニメ?キャラを殺して話題性を取るとか、天才じゃ無くいかにも凡人の考え方じゃないの?「皆殺しの富野」みたいなのを半端に勉強したんだろうか?とか気になってしまう。

 

ただこれ、見終わって色々調べてたら知ったんだけど、天才監督の方は磯原邦彦。新人監督の方は松本理恵をモデルにして作ったキャラクターなんですってね。
セーラームーン」「ウテナ」「ピングドラム」の磯原監督は、私は全然触れた事が無い人。これ、劇中アニメのロボット物と魔法少女物それぞれ逆の方が良かったんじゃ?と思ったけど、磯原だから天才の方を女の子物にしたのか。
松本理恵は勿論「映画ハトプリ」で、その後見てはいないけど東映を離れて「京騒戯画」とかやってたのは知ってます。でも何でそっちがロボット物?

 

う~ん、この辺も私の中途半端な知識が邪魔してしまいます。アニメの監督って、いきなり無名の人がやれるわけ無いし、劇中でも一応演出上がりってのは一言だけセリフありましたよね?無名監督とか言われてたけど、そこでの演出が評価されたから監督やってるわけで、例え初監督作品でも、○○で演出をやってたとか、普通はその前のキャリアも出てきても良いはず。そこが語られないのは凄く不自然だったなぁ。勿論、私の中途半端な知識が邪魔してしまったっていうのは大きいとは思うけど。

 

話としては全然面白いし、上手く出来てるなとも思える作品なんだけど、初監督作品って映画でも小説でも漫画でも何でもそうですけど、初期衝動があってこそじゃないですか。なんかそこが描かれないのは変だよなってやっぱり思ってしまう。

 

誰かに刺さるものを作りたい、それは凄くわかるんだけど、じゃああなたは何を伝えたいの?あなたの気持の何を、誰に伝えたいの?君はきっと一人なんかじゃ無いって事を伝えたいのはわかるんだけど、そこをさらに踏み込んでほしかった気がする。なんか借り物っぽいなぁと感じたのはその辺かも。

 


あ、ここからちょっと映画とは離れた話をします。
私は創作と呼べる程の事はしていませんが、一応こういう「ブログ」という形で、自分の考えや気持ちをアウトプットする作業をしているという面では、同じとは言わないまでも、多少なりとも重なる部分はある。なので「誰かに刺され」っていう気持ちも実際にあるんですよ。

 

実はこれ、最近になってようやっと気づいたんですけど、私はブログのキャリアもあるので(このブログ以前にも10年前くらいに同じようなブログやってたので。その時は仕事が忙しすぎてフェードアウトしましたが)こうやって気持ちを書くのはそんなに苦じゃありません。いやたまに苦労して書いてる記事もあるけれど。でも、こんな風に気持ちを文字にするのが難しいと感じる人もそれなりに居るんですよね。

 

だからそう言う人にとっては、自分ではボンヤリしてた気持ちや感情をこの人はちゃんと文章にしてる!みたいな所に共感する人も中には居るんだなぁ、というのに最近ようやく気付きました。そういうのが「刺さった」って言うのかなと。

 

ただそこ、私の感覚だと「刺さってくれたら嬉しい」のは確かだけど、あんまりそこだけを重視はして無い。だってこんだけやってても全然刺さんないし。いやそれはお前のブログがつまんねーだけの話だろって言われたら全くその通りなのですが、刺さってくれたら嬉しい気持ちは持ちつつも、どっちかというと、これは自分には無かった視点だな、みたいな方を喜んでもらえた方が嬉しい。私自身も、人のブログとか読んでて、これは面白いなと思うのは、そういう部分だったりする。

 

だからこそ、この映画の伝えたい「誰かの胸に刺され」は、半分はわかるけど、残り半分は、う~ん私的にはそこだけじゃないのになぁという中途半端な気持ちになっちゃってるのはある。

 

この映画の中で、物凄く面白いなと思ったシーンが一つあって、外注アニメ会社のエースの女の子が「リア充め!」的な事を言ったら、そのリア充の人が「リアルしか充実して無い、空想の世界とかを楽しめない薄っぺらな人間って事ですよね?オタクの人はそこも充実してて羨ましいなって思います」っていうとこがね、半分コメディー的な要素でありつつ、もしかしたらこういう視点もあるのかもしれないな、って凄く面白かったし印象に残りました。いや言葉や意味としては実際間違ってるけれども。そこだけでもこの作品を見た価値はあったな、と思った。

 

中途半端なオタク的にはね、わ~い、りえりーだ!堀江さんの声も聞ける!これって実質「まほプリ」じゃん!はやみんも居たけどそれ速水奨の方!

とかそんなんだけでも楽しめましたし、色々あったけど結果良しとしとこう!みたいな作品でした。

 

 

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一時ブログ休止のお知らせ(追記あり)

しばらくブログ更新お休みします


理由は入院&手術の為です。
ひと月前くらいから、ちょくちょく体調を崩して的な事を記事の中で書く事があったのですが、病院に行ってみたら手術が必要って事で、今月末には入院の予定です。

 

命に関わる程の大病とかそんなんではないので、心配は御無用。
あ、コロナでもありません。ヘルニアとかそっち系。

 

明日に精密検査を受けてから入院&手術の日取りは決まるのですが、日程的には9日間の予定との事でしたので、しばらくブログは更新されませんのでご理解の程を。
コメント返しとかも出来なくなるので、その点はご了承下さい。

 


私はこれまで大きい病気は経験した事が無いので、入院&手術は多分初めてだったはず。なので、その点はちょっと心配もしてますが、多分、朝から晩までずっと何か検査とかあるんじゃないだろうし、これって仕事も休めて、朝から晩までいっぱい本とか読めんじゃね?とか、もう何を持って行こうか、ある意味楽しみにしてます。

 

実際の所はどうなるか知る由もありませんが、またいずれ復帰しますので、もし忘れて無かったらまたブログ覗いてやって下さい。

 

ん、ここはあれだ!
ラクルライトを振って応援してほしいキュア~っ!
持ってない人は心のミラクルライトで応援してほしいゼ~ット!

 

※追記

本日、入院前の検査を済ませてきましたが、
入院日は6月1日~10日に決まりました。

なので、今月中はあといくつかはブログ投稿出来そうです。

PCの持ち込みも不可っぽかったので、6月に入ってからはお知らせの通り休止になるのでご理解いただければと思います。

ふたりはプリキュアMaxHeart 総集編 ありがとう&あいしてる 〜2021edition〜

ふたりはプリキュアMaxHeart総集編 ~ありがとう&あいしてる 2021edition~ Blu-ray(特典なし)

総集編ディレクター:中村紗弥加
シリーズディレクター西尾大介
シリーズ構成:川崎良
日本 TVアニメ総集編 2021
☆☆☆☆


先日ようやく手に入れた「MH総集編」です。
無印の時は新品で普通に買ったんですけど、実際に見て、う~んまあこんなもんかな感が割とあったので、MHの時はスルーしてしまいました。TVシリーズのDVD-BOXは持ってますし。

 

前回の無印の時は、全49話分を260分に編集という形でしたが、今回は無印よりTVシリーズの話数は少ない全47話ながら、310分と、より長尺に。そのおかげか、え?このエピソードも拾うんだ?的な意外な話も結構入ってました。

 

ただその分、5時間10分というのは一気に見るには長い。ディスク2枚なので私は2日間に分けてみましたけれど。

でも、前回の時もそうなんですが、基本的にプリキュアは1話完結。毎回、怪物が出てきて変身してそれを倒してって言う基本フォーマットがある上で、細かい積み重ねだとか、一気にストーリーが動く回とかで全体の話を進めるという作り方なので、いくら編集しても時間の一本の映画(或いは2時間半の前後編)みたいな感じにはなりようがないので、その辺はどうしても微妙になってしまうのは仕方の無い所です。
逆に全体的なストーリーの軸が薄い分、いかにもツギハギで飛び飛びの総集編映画的な違和感も無かったりはするのですが。

 

無印「ふたりはプリキュア」から地続きの2年目としての「マックスハート」なので、TVシリーズは2度目の誕生日とか、2度目の文化祭だとか、そういう2年目らしいエピソードが豊富だった印象なんですけど、総集編的にはその辺りはあまり重視されておらず、序盤はひかり/シャイニールミナスの登場に軸を置いて編集してあって、後半はパワーアップからの最終決戦的な大枠で編集。その中に細かいエピソードを重ねて行くという感じだったかな?

 

MHって、一応の目的として12のハーティエルを集めて行くというストーリーラインが一応あるんですよね。勿論、玩具連動になってて、そこは玩具会社からの要望で入った要素なんですけど、12って何かと言えば、当然1年間って事ですよね。1ヶ月毎に新しい妖精(ハーティエル)が出てくると言う計算でしょうから、そうやって見ている子供達を開きさせない工夫なんだろうなと、大人の視点で考えるとそこに色々と見えて来ちゃうんですけど、プリキュアってね、仮面ライダーとかと違って、アイテム収集要素はあんまりストーリーの核には持ってこないんですよね。そこはこの後も続くシリーズとして引き継いでる特徴。

 

プリキュアは日常を守るヒーローなのであって、正義の味方で悪を倒す事を目的としたヒーローにはしたくないとして、そこは初代からずっと続いているコンセプトの一つです。勿論、シリーズによっては多少の揺れ幅や描き方の変化はしていたりもするので、そこはシリーズを俯瞰して見た時に別の面白さがある部分です。(その辺は過去記事でも色々と書いてきたので、興味ある方は適当に過去のプリキュア記事を読んでみていただければ)

 

ただ、スポンサーですから玩具会社の要望も勿論汲み取りつつの展開になるので、基本的にプリキュアはどのシリーズも、自分からアイテムを集めに行くというより、話が進むと自然に手元に集まってくるという状況が多い。

 

こと、MHに関しては、最初はちょっと謎めいたミステリアスな存在である九条ひかりシャイニールミナスが、光のクイーンの生まれ変わりであり、クイーンの命がルミナスで、心がクイーンチェアレクト、12の志がハーティエルというのが最初に明かされる。なので、前半は心の無いひかりが、ハーティエル(志)を一つずつ取り戻していく事で、徐々に人間として成長していく、という話になってるし、ハーティエルの一つ一つに、

シークン=探求
パション=情熱
ハーモニン=調和
インテリジェン=知性
ピュアン=純真
ウィシュン=真実
ホープン=希望
ブレイブン=勇敢
プロスン=繁栄
ハピネン=幸福
ラブラン=愛
エターナルン=永遠

という性格付け、テーマが設定されてると。


これね、逆に脚本家の方にも、こういうテーマで話を1本作ってねって言える分、意外と良い方向に作用するものだったんじゃないかな~って私は思ってたりします。

 

ひかりが一つ一つこういう心を学んで成長していくんだよ、という話になるかと思いきや、後半の方は割とひかり個人ではなく、プリキュアサイド全体の話になっちゃってましたけど。そりゃあ知性はほのかと相性が良いですし、恋愛話は藤P先輩となぎさだよねって感じではありますが。総集編では唯一回想扱いされてたブレイブンとかちょっと不憫でしたが。

ああでも、なぎさの夜空の告白とかちゃんと総集編でも入ってるので、そこはやっぱり見所です。

 

ハーティエルの最後の一人がエターナルン=永遠ってのも割と意味深で面白い部分なんじゃないかと。

 

エピソード的には、「かんたんルミナス」で有名な11話もちゃんと残ってました。作画崩壊の事例で取り上げられる事が多いんですけど、あの話は作画を簡素化して、動きの方に振ってる形になってるからなんですよね、あれ。勿論、作画が良いに越した事は無いですけど、そこをおちょくってる人が居たらそういう人はプリキュア見ないで取り上げてるだけなので、無視して良いです。MHって、OPからしてそうなんですけど、簡素な線にして、動き重視にしてある所が何箇所かあって、動きとして見る分には逆にクオリティが高いっていう所、何箇所かあるんですよね。実際これスケジュールがキツかったんだろうなってとこもあったりはするんですけど。

 

あと意外な所では、修学旅行先にルミナスが行ってしまう話もちゃんと残ってました。洋館の少年とひかりが会うシーンがあるので、流れとしては必要なんでしょうけど、私はあの話は流石に無理が無いか?と感じてしまった話でした。

 

でも、そういうのも含めて「MH」なんだよって言われてる気がして、変な所を隠してしまわずに、みんな一生懸命作ったものを安易に否定してくれるなって言われてるような気がして、そこは今回良かったと思える部分でした。総集編ですから、丸々カットされてる話もいっぱいありますしね。

 

あ、個人的な所では、ひかりの友達として奈緒と美羽が出てくる15話が残ってたのが嬉しかったなぁ。私この話凄く好きなので。高校生とバスケット勝負をする中で、ほのかのアドバイス一つでガラッと展開が変わるっていうのが面白くってね。「凄い・・・」「みんな凄いよね」「ううん、雪城先輩が」「ん?」っていうのがとても好き。

 

ああ、ほのかで言えば、なぎさとキャッチボールをするとこも、今回総集編で改めて、ゆかなの芝居・声の出し方がメチャメチャ良いなって思いました。

 

「MH」ってね、正直を言えば、2年目だけあって、2年間の集大成のラストが本当に凄くて大好きな半面、1年目よりはちょっと退屈に感じてしまう作品でもあって、今回の総集編を見てても、中盤はちょっとそんな風に感じてしまう部分は無きにしも非ずでしたが、やっぱり最後は大号泣ですよ。

 

最終決戦もちょっと短く編集されてたのかな?サーキュラスビブリスウラガノスの最後って、あのまま次の涙のシーンに繋がってましたっけ?なんかその後にバルデスとの1戦があってからのあの涙のシーンだった記憶が?逆に短縮された事で3幹部の矜持みたいなのがプリキュアをそこまで追い詰めた感じに見えて、良い編集だったように感じました。いや元からそうだったらただの勘違いですが。

 


最終決戦のね、「心は何物からも自由だわ」っていうの、もしかしたら若干宗教じみた説教に聞こえる人も居るのかな?と昔から気にしてるんですが、そこって実はプリキュアの根っこにある考え方で、そこは初代から通して「ふたりはプリキュア」のテーマ的な部分でもある。

 

「女の子が自分の足で凛々しく立つ事」そこさえ外さなければプリキュアは何を描いても、どんな方向に行っても構わないというのが鷲尾Pのプリキュアに対するスタンスですけど、そうそう、やっぱりプリキュアってこうだよね。愛や平和の使者がプリキュアなんじゃない。

 

ちゃんと自分の頭で考えて、自分の力で立ち上がる強さ。そこを各々が持って欲しい、そういう願いが込められたのがプリキュアなんだなって改めて感じさせてくれました。私がプリキュア好きなのは、その部分にも共感してるからというのもあるんだろうなって、今回見て思わせてくれた。

 

クイーンは光と闇の調和っていうけれど、ルミナスはルミナス、九条ひかりとしてこの世界に存在していて良いんだ、っていう落とし所もね、ああ、プリキュアって良いなと。

 

まさしく「ありがとう&あいしてる」の言葉を作品に返してあげたい。

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