僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

新機動戦記ガンダムW EPISODE ZERO

新機動戦記ガンダムW episode Zero (ピチコミックスデラックス Pocke)

GUNDAM W EPISODE ZERO
原作:矢立肇富野由悠季
脚本:隅沢克之
作画:かんべあきら
刊:Gakken ANIME V Comic Selection ピチコミックスDELUXEぽっけシリーズ
1997年
☆☆

 

ガンダムWのTVシリーズ本編前のエピソードを描いた短編集。
刊行時期は「EW」終了後に、その辺りの流れも踏まえた上で、プリクエル物として「月刊アニメV」というアニメ雑誌で9カ月程連載していたものに、エピローグとしてEW後の話も描き下ろしで1本収録。


脚本はW本編のシリーズ構成や続編「フローズンティアドロップ」の隅沢克之
エピローグ部分の「プリベンター5」はFTの過去編でもリメイクされ、そこからさらに先日からガンダムエースで連載の始まった「ガンダムW0.5(ポイントハーフ)プリベンターサンク」の大元のエピソードにもなっている。

 

過去編部分はガンダムパイロット5人+リリーナのTV本編前の話で、五飛が自分の機体の事を、本来の機体名であるシェンロンガンダムやアルトロンガンダムではなく「哪吒(ナタク)」と呼ぶ理由とか、カトルとマグアナック隊の関係とか、アニメの中では明かされなかった設定とかが明かされる部分は面白い。

 

「マックスウェルの惨劇」とかも確か単語としては出たけどその内容が語られたりはしてなかったはず。(間違ってたらゴメンなさい)

 

その辺りはまあ良い。でも個人的にはあのキャラとあのキャラが実は幼少期に出会っていたとか、ニアミスしていたとか、そういうのもやたら多いんですけど、私個人としてはそういうの凄く嫌いな路線。理由は世界観が狭く感じるから。
たかが10人とかそこらのメインキャラが、本人は意識していないだけで過去から何度も交錯していた!ってなるとこの世界の人口いくらだよ?たまたま万に一つの奇跡とかならこんな偶然があったのかと面白がれもするけど、それが何個もあると、とたんに安っぽくなる。

奇跡なんか安いものだ。特にガンダムWはな。と言いたくもなる。

 

私はねぇ、長期連載物の漫画やアニメなんかもそうなんだけど、終盤とかで特にフラグも立って無かったキャラ同士のカップルとか成立しちゃうのちょこちょこあるじゃないですか。あれが凄く苦手。画面に映っていない所でも人なんて何かしら動いてるものでしょうし、逆に今まで一度も出てきた事もない馬の骨とかと結婚しましたとかの方がずっとリアルに感じて好きなんですね。だって現実ってそうじゃないですか?

「フローズンティアドロップ」もまだ序盤しか読んで無いですけど、隅沢さん、自分で生み出したキャラがもう好きで好きで仕方ないのでしょう。それは結構なんだけど、そのせいで世界がメチャメチャ狭い印象。

 

そして今回のあとがきにも書いてありますが。今回漫画化した話は元々は池田監督から指示されて書いていた話だけど、池田監督が降板して高松監督になっちゃったからお蔵入りになってた話を漫画で復活させたという事らしい。うーん、「FT」の時も似たような事書いて無かったっけ?

とにかく監督の事が大好きでリスペクトしてるのは伝わるんだけど、実際のご本人を知らない私にとっては、1度ならず2度も3度も職場放棄する監督がそれでも干されず重宝されてる理由がわからず不思議で仕方ない。誰か業界内の事詳し人に教えてほしいです。

一般的な社会なら、たった一度でも信用を無くしてしまったら、それを取り戻すのって相当に難しいのに、それを何度も繰り返しても許されてる人って、何か特別な理由があるんでしょう。

 

で、そんな信用うんぬんに絡めれば、今回のお話の中でカトル君の話が一番面白かった。カトルは兄弟が多いの本編でも描かれてましたが、それは試験管ベビーというか今の世の中の人工授精とは違うガンダムWの世界の独特の技術、母親の胎内ではなく人工子宮的なもの?そういう機械で培養される形で生まれた存在。ああ、現実世界とはまた違う、ガンダム世界というかSF小説世界で言う方のクローン人間みたいな感じ(プルシリーズとかの)

この辺のね、現実世界で言う「試験管ベビー」とか「クローン」ってアニメや映画や小説だと違うじゃないですか。まぎらわしいというかわかりにくいです。

 

それはともかく、そんなカトル君は僕は母親から生んでもらった子供じゃないから、そもそも人間ですらないんだ!とか言いだしてヤサグレてるのです。

え~カトルきゅんは幼少の時からずっとやさしい子じゃなかったのか。こんな反抗期みたいなカトルきゅんの時期もあったのね。そんな自暴自棄になってる所を救ってくれたのがラシード達マグアナック隊。

 

話の中で、マグアナック隊の全員がカトルと同じように試験管出身である事が明かされ、だからこそ彼らは「マグアナック=家族」を形成しているのだと知る事になる。というのは素直に面白かった。

私はてっきりウィナー家の関連企業みたいな所でカトルもその跡取りだからフォローしてるものだと思ってました。

ガンダムパイロットの中でカトル君だけヒロインというかミューズ的な存在が居ないの、中の声優が一人だけ女性だからとか関係あるんだろうかとかちょっと思ってたけど、マグアナック隊って従者とか部下じゃ無く家族という関係で、カトル君にとっては戻るべき場所はそこなのね、という感じでちょっと嬉しい。

まあ実際はカトル君の場合上の兄弟達と違って、実母が出産して生まれてはいるんだけど、そこで無理した結果なくなってしまった。それをカトル君本人は知らないんだけど、知ったら知ったで自分が母親を殺したんだってまた闇落ちしそうですし、そこは知らないままの方が良さそう。

 

ところでこの本、なんか調べた所まだ電書化されていなく中古本でも1万円近くする
みたいです。でもサンライズ公式の奴ですし、待ってればそのうち来るでしょうからこういうのは焦らないのが無難。
30周年PVで五飛の嫁とかちょこっと出てたので、

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そこで後追いとかで知らなかった人がこの本が初出だ的な所で読んでみたくなって瞬間的にプレミア化しただけでしょうきっと。

「フローズンティアドロップ」の方も後半数巻はともかく、1巻なんて2~3か月前なら100円で売ってたのに、直前に調べたら2000円くらいまで値上がりしてました。どうせまた1~2年後には投げ売りされてるでしょと思う反面、現物の本の需要はもう見る見る無くなってきてるのもまた事実なのでタイミング的にはちょっと微妙なのも確かです。私もそろそろ終わりと思ってちょこちょこ色んなものを集めてる所ではありますし。

という事で「敗者達の栄光」を読む前に一通りW関係の漫画も感想書いて消化していければなと思います。

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新機動戦記ガンダムW フローズン・ティアドロップ 3・4 連鎖の鎮魂曲(レクイエム)

新機動戦記ガンダムW フローズン・ティアドロップ (3) 連鎖の鎮魂曲 (上) (角川コミックス・エース)

NEW MOBILE REPORT GUNDAM W Frozen Teardrop
著:隅沢克之
挿画:あさぎ桜カトキハジメ
原案:矢立肇富野由悠季
刊:角川書店 角川コミックス・エース 全13巻
2011-16(連載2010-16)
☆☆

ガンダムW続編小説「フローズンティアドロップ」3巻4巻。
1・2は実質TV版本編の過去編という感じでしたが、ようやくここからその後のストーリーが動く。

・・・ものの、話が進行している時間軸がありつつ、新キャラを順番に紹介して行く中で、そのキャラのここに至るまでの前日譚ストーリーがかなりの尺を使って紹介されて行くのでこれまたちょっと読みにくい。

 

アニメの5人のその後の戦いが直接描かれるというよりは、冷凍睡眠で若い容姿のまま眠っていたヒイロ以外は、次の世代の後継者が話のメインになっていくので、まずはその紹介。

前篇3巻はトロワ(現ドクトルT)の後継者のフォボス・トロワとカトル(現W教授)の後継者のカトリーヌ・ウード・ウィナー。そこにミリアルドとノインの間に生まれた双子ナイナとミル辺りが登場。

 

まずはフォボストロワ。身寄りのない子供でテロリストに手を貸しお金を稼いでいたが、仲間に裏切られ絶体絶命の時にトロワに拾われる。え?また名無しなの?という気がしないでもないが、まだそれは許そう。そこそこ腕は立つものの、かつてのガンダムパイロットのように強化された超人レベルとかではないので、しばらく修行する事に。暗殺のテクニックを教えてくれる師匠はキャスリン・ブルーム。

 

ん?まあトロワがキャスリンと一緒に居る事は理解出来るけど、キャスリンが暗殺者を鍛えるとかあるのか?かつての戦いのその後にトロワがキャスリンに事情を全部話して、その思想に共鳴して、そういう裏の世界みたいな所に足を踏み入れたとかか?

 

あとがきを読むと、TVシリーズの時は池田監督がキャスリンを物凄く拘って演出されていたらしい。一言のセリフに二桁のNGは出していたと。元の企画書の時は存在してなかったキャラだけど、出番を早めて出演回数も増やしたそう。
え?そんなキャスリンって重要なキャラだっけか?池田監督はこだわってたけど、多分そこは後任の高松監督は拾えて無い部分だし、その池田監督のこだわりを脚本の隅沢さんもTVシリーズで生かせなかったので、その特別な存在感をこっちの小説で表現したのだと。

 

う~ん、全くわからん。まあ作者が正しいんでしょうけど、見てる(読んでる)こっちとしてはこんなキャラだっけ?解釈違い???

 

と、TV版最終回やEWで綺麗に終わったガンダムWにまたも初期の頃のような「何を言ってるのかわからん」Wらしさがここに復活している。


そしてカトルの後継者のカトリーヌ。
ウィナー家はTVシリーズの時から歳の離れたお姉さんとか居ましたし、こっちもカトルの息子とかではなく、歳の離れた妹。
で、この子が今回やらかすんだけれど、そこはTVで言えばウイングゼロでの闇落ちカトル君の役割を引き継いでいるのでしょう。敵側にまわるというのは意外性はあるけど、EWの時の五飛みたいにラスボス的なポジションには流石にならなそう。革命を企てるピースクラフト子の方に合流、逆にそれを今度は五飛が止めに入るというのは面白い部分。

 

そこからの後編4巻。
こっちはデュオ編。
しかもデュオJrの方じゃ無く、今はファザー・マックスウェルを名乗っているあの昔の本物の方のデュオの話がメインで描かれる。

 

流石1番人気のデュオって感じだが・・・あれ?読み進めていくと、あのデュオの魅力がガンガン潰されて行く。もうわざとやってる感じで、デュオのこんな大人になった姿は見たくなかったというのが描かれる。

 

その後はヒルデと幸せに暮らしました。その愛の結晶がデュオJr.ですとかじゃないんですよ。この子は似てるけど孤児院に居た赤の他人です。ヒルデとももう喧嘩別れしました。今は暗殺者として汚れ仕事をやっています。

 

えぇえぇぇぇ~
デュオは一番人気だったからあえてカップリング成立させなかったのか?子供デュオも他人のはずだけど容姿は瓜二つってのは伏線?あたしの恋したデュオ君がこんな事に・・・ショックだ・・・ってなんないですかこれ?わざと嫌われるように描いてるんだろうか?


その辺りの紹介から話がメインの時間軸に進み、MSなんかも入る。

 

新型MS「プロメテウス」を奪い逃走したカトリーヌを「スノーホワイト」のヒイロと「ワーロック」のデュオ、そして「シェヘラザード」でトロワフォボスが追う。
マグアナックタイプやビルゴIVら多数のモビドールが立ちふさがるが、その中心には復活したガンダムエピオンの姿があった。
それを見た老師・張(五飛)は愛機のナタクで自ら再び戦場へ。五飛が今哪吒と呼ぶそのMSは白く塗られた三つ首の竜の姿の「エピオンパイ」だった。

 

とまあ4巻では一大決戦が描かれるのだけれど、流石にまだ序盤。
リリーナやゼクスの復活を経てますます混迷を極めていくという感じ。

 

で、こっちのあとがきも面白いのだけれど、一般視聴者は勿論、アニメおたくや雑誌編集者などが絶対についてこられない脚本を書けというのが池田監督から脚本の隅沢さんへの要望があったのだそうな。

え~っ!?ガンダムWのあのわけのわからなさって意図的なものだったのか。作り手はそれなりのロジックを持って作ってるんだけど、なんかそれを表現しきれてなくてああいう「わからない作風」になってるんだと思ってました。

 

いや待って、一般視聴者がついてこれない作風を意図的にやるってどういう事?
アニメおたくや雑誌編集者も理解出来ないものって、それなりのリテラシーがある人でも読み解けない物語って事だよね?
じゃあ、じゃあさ?誰に向かって作ってるのあのアニメって。誰にも理解出来ないものを作れってこと?
MSを活躍させないのはスポンサーや会社に対する嫌がらせも入ってるだろうなってちょっと思ってたけど、同時期にやってた「エヴァ」みたいに難解さを売りにしたい?それともトレーズが悲惨な戦争をする事で戦争を終わらせるみたいな目的があったのと同じく、意味不明でめちゃくちゃなものを作って、ガンダムバンダイサンライズも全部潰れてしまえって事なの?

 

私は今の時代のトレンドの考察系動画とか大っ嫌いなんですけど、それは8割9割的外れな事ばっか言っててバカバカしいのが半分と、実はあれって本当に当たる考察をしてはダメみたいな仕組みじゃないですか。だって本当に当たってたら作品の方をつまらなくしてしまうというジレンマがあるのでわざと外すしかないっていう。

 

なので私自身は個人の解釈や落とし所を感想と言う形で書くだけですが、なんかこの「FT」を読む事で、あとがき方面も含めて、あれ「W」ってこんな作品だっけ?っていうのがどんどん出てきて大変に困惑してます。それも狙いだよ、と言われるかもしれませんが先が見えない楽しみがあります。全体的な評価的には最低ランクなのは知ってますけども。

 

という感じで次。

新機動戦記ガンダムW フローズン・ティアドロップ (4) 連鎖の鎮魂曲 (下) (角川コミックス・エース)

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機動戦士ガンダム 第08MS小隊 ミラーズ・リポート

機動戦士ガンダム 第08MS小隊 ミラーズ・リポート [DVD]

Mobile Suit GUNDAM The 08th MS Team "Miller's Report"
監督:加瀬充子
脚本:北嶋博明
同時上映:『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz 特別篇』
日本映画 1998年
☆☆☆☆

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エンドレスワルツ特別編」ついでに同時上映作品だったこちらも。
勿論、初見とかではありません。DVD所持。

 

「08MS小隊」の劇場版ですが、この映画の公開時点ではまだOVA完結前。なので中盤の6~8話の総集編という風変わりな1作ながら、スパイ容疑がかけられたシローに対して、この映画用のオリジナルキャラである連邦情報官アリス・ミラーがシローと会話する中で過去の出来事を回想し、報告書を作って行くという、ただの総集編に別視点を加えてある面白い構成。

 

この当時の私はただの視野の狭いガンオタなだけで、まだ映画とか沢山見るようになる前だったと思う。なので、一風変わったこの作りに凄く新鮮さを感じました。

富野が「Vガン」で確か3回くらいあった総集編回をただのツギハギにせず、この映画と同じように一応は話を進めながら回想や報告みたいな形で8割くらいは過去の映像で繋ぐトリッキーな総集編みたいなのをやってたのと技術的には同じような作りですけど、08小隊のメンバーや上官ともまた違う視点で「08らしさ」をテーマとしてより浮き彫りにする作りなのが本当に凄いと思う。

 

しかもクライマックスになるのがOVA8話の「軍務と理想」というクッソ重たい話というのが、より深みを与えてるように感じる。MS同士のカッコいいバトルアクションとかじゃなく、MS対歩兵という実質のMS否定であり、戦争で人殺しをしてるのをエンタメとして楽しんでるお前ら何なの?というのを付きつけてくる。

 

ご存知の通り、OVA「08小隊」は初期の監督の神田武幸監督が途中で亡くなられ、その後に飯田馬之介監督が後任で入ったという流れ(今ではもう飯田監督も亡くなられたので08の監督は二人とも他界されてしまった)

初期の神田監督は、アメリカの戦争ドラマの「コンバット」みたいなものを目指して作っていたのだけれど、後任の飯田監督は戦争を面白半分で描いてしまうのは無責任すぎるとして、もう180度違う方向に作品のカラーを変えてしまった。

 

ここはそれこそ同時上映作品の「ガンダムW」も監督が前半と後半で交代してるけど、後半の高松監督は、前半の池田監督がやりたかったのはおそらくこんな感じであろうというのを想像しながら、流れで引き継いだ作り方でした。(自分が本当にやりたい路線は次作の「機動新世紀ガンダムX」でやった)同時期ながらこの辺りは対照的だなと。

 

私も勿論、MSやキャラクターも作品の魅力として大きいのは十分にわかるし、そういう部分も好きですが、そこを楽しみつつ、テーマ性やドラマの部分にもガンダムとして物凄い魅力を感じたし、どっちかというと後者の方が自分の好みの比重としては大きいと感じても居たので、やはり「08」は後半の飯田監督になってからの部分の方が前半よりも好きでした。

 

で、そこから劇場版はまた違う監督だったりします。「0083」の前半監督をやってた加瀬充子さんで、OVA「08」本編では5話と7話の演出で入ってる。本編の監督が変更になったのは6話のタイミング。両方の監督と演出としてやりとりをしてるはずで、いわば第3者みたいなポジションだと仮定すると一気にメタ要素も感じられて面白味が増しません?

 

本編最終話でシローが片足を失ったのは、飯田監督が世間に背を向けて自分だけ都合よくハッピーエンドというのは物語としてあまりに無責任。ハッピーエンドの物語を否定はしないけど、それなりのリスクは背負ってもらわないとという意味でシローの足を片方失わせたという感じだったと思います。

それこそエヴァ以降のセカイ系というのが世にはびこり始めた時期で、セカイ系って何かと言えば、他人が死のうが世界が滅びようがそんなのはどうでもいい、一番大切なのは自分、自分が幸せなら他の事なんて知らない!という無責任さです。私は何故そんなものに世間が理解を示したのかがわからない半面、いや実際今の世の中だってそうだよね、他人が不幸になろうが自分さえ良ければいいや、っていうのが世の中の9割くらいの人でしょう。

 

シロー・アマダだってそいういう文脈なんですよ。もう連邦だジオンだ戦争だなんかから逃げてしまってアイナと二人で幸せになるんだっていう選択をする。

物語としてそれは許そう、でもそこに何のリスクも無いっていうのもそれはフェアじゃないから、ああいうラストのキツイ演出にした。・・・のが飯田監督の最後の答えであって、この映画の監督は飯田監督じゃないし、まだその結末までは辿りついていない。

で、加瀬監督なのか脚本の北嶋博明さんなのかはわからないけど、その辺りの構造には気が付いているので、この時点では「お前が敵にしたのはこの世界そのものだぞ」とアリス・ミラーに言わせて、それを理解した上でその覚悟がお前には本当にあるのかと問う。

ただの50分の総集編映画、しかも始まりでも終わりでも無い物語で、「問いかけ」を描いた作品。でも・・・メッチャ面白くないですか?私はこれはこれで大好きな作品の一つです。

 

「08」は確か「0083」と同じく全13話の予定だったんだけど、監督の不幸で製作が長期中断。再開後は企画全体の見直しみたいな中で、ギリギリ11話で完結。エピローグの「ラスト・リゾート」と、こちらの「ミラーズ・リポート」を合わせて当初の予定の13本制作という形に結果としてなったはず。なのでミラーズリポートも1話分の予算として作れたので、ホントのツギハギだけでなく豊富な新規カットに話としても1エピソード(第8.5話)になるような作りになった感じか。

 

そしてスペシャルな部分としてEDが本編とは違う新曲がこれ用に作られた「永遠の扉」

www.youtube.com本編のOPやEDが人気なのもあってこの曲はマイナーな気がしますが昔から大好きな曲の一つです。「Gガン」を担当されていた鵜島仁文さんの作曲だったんですね。

こちらの「Trust You Forever」のカバーも良いなぁ

www.youtube.com

という事で改めての「ミラーズリポート」感想。
久々に見ると感慨深いし、そこから更にこうして感想を書くとまた見え方が変わってくるので面白いです。この作品に限らずどんな全ての作品にも言える事ですが、その時の自分の状況や世の中の環境とかによって、物事はいくらでも違う事が見えてくるものなので、我ながら今の時代のものより昔のものが多すぎるブログですが、私は楽しいので勘弁して下さい。

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新機動戦記ガンダムW Endless Waltz/特別編

新機動戦記ガンダム W Endless Waltz 特別篇 [DVD]

NEW MOBILE REPORT GUNDAM-W
監督:青木康直
脚本:隅沢克之
日本映画 1998年
☆☆☆☆

映画版「エンドレスワルツ特別編」
OVA全3話に追加シーンを加えて劇場公開。
ガンダム・ザ・ムービー」として「機動戦士ガンダム第08MS小隊 ミラーズリポート」との2本立て公開。どちらも追加パートがあるとは言え基本的には総集編映画でありつつも、2本も同時に公開しちゃえるんだっていう当時のアニメ界、いや日本の勢いや活気が感じられる部分です。確かガンダム20周年とかで、プラモもHGよりMGとかが主流だった時期のはず。

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今だとガンダムでさえ1クール作るのに精いっぱいでそれですら総集編回やプロモーション特番とかを組む時代ですしね。

 

確か「0080 ポケットの中の戦争」と「機動警察パトレイバー」辺りがOVA1話を5000円くらいの安価で売るっていうビジネスの嚆矢となって(その前のOVAは1本で1万円してた)、1時間OVAを劇場公開してその場でソフトも売ってしまうというのも「ガンダムUC」が最初のビジネスモデルとかだった気がする。

作品の内容だけでなく、そういう外の部分でもその時代その時代の特色、時代性が見えてきたりしてガンダムは色々な面で面白いです。

 

で、エンドレスワルツ特別編。
一番の違いと言えば、やっぱりドロシーの登場でしょうか?OVA版の時は一通りのレギュラーキャラが出ている中で、何故ドロシーだけ出さなかったんでしょうね?元々の構想や脚本にはあったけど、尺の都合でカットしたとかなのか、それとも意図的な何かがあったのかとかは、私は特にスタッフインタビューとかで読んだ事は無いかな?もし知ってる人が居たら教えてほしいです。

 

TV版の時は、トレーズ幽閉と共に池田監督が降板、変わりに高松監督が代理を務めて、そのタイミングでドロシーも出てきたので、本人では無いけどその思想を自分なりに代弁なり解釈して表現するというのは高松監督の立場とシンクロしてるのでは?という仮説を立てましたけど、OVA「エンドレスワルツ」は両監督も関わっていないし、TVシリーズでは各話演出で参加していた青木監督が3人目の監督として入ったので、トレーズもドロシーも出さずに、その後継人としてマリーメイアなりデキムなりが主軸となるのはそういう事なのかも?という解釈が出来なくもない。

 

あと前回のOVA版の方の時の感想で、30分×3を繋げただけでは「映画」にはならないよ、って事を話したのですが、ここが結構面白い処理をしていて、2話目のラスト、ウイングゼロ起動のとこが3話目への引きになってたんですけど、映画特別編だとそこを挿入歌演出にして盛り上げと時間経過効果を引き出してる作りになってる。おお~よく考えたなこれ。

 

とは言え、OVAのED曲「ホワイトリフレクション」をそのまま持ってきてるわけではなく、劇場版用の新曲「ラストインプレッション」を挿入歌とエンディングで2度使う、という処理をしている。

どうなんだろう?映画演出史における挿入歌の歴史とかは流石にちょっと私も詳しくないのでわかりませんが、同じ曲を2度使うって実は結構違和感がある。

そこって別々の曲を使った方が、劇中で印象に残る挿入歌と、エンディングの余韻に浸りながら聴くエンドロール曲とで役割が違うのでは?と思うけど、こと「ガンダム」の歴史に置いては、ガンダムF91の「エターナルウインド」が、本来は挿入歌のみだったけど、ラストにも合うからと元から用意していたEDの「キミを見つめて」を未使用にしてエンディングにも「エターナルウインド」の方に差し替えたっていうのは有名なエピソードですし、「めぐりあい宇宙」でも「ビギニング」が劇中とエンドクレジットで2度流れるからな。(クライマックスで「めぐりあい」が入るので混同しやすいけど)ガンダム史においては最初からやってる事だし、気にするような事では無いのかなとも思いますが、私の中では何故こうなってるんだろうと思う部分ではある。

 

あとは繋ぎの部分で話の整理とか、当然ガンダムですから見せ場のMS戦闘も増えている。

TV版の最後からOVA版EWと同じような事を書いてるけど、リアルタイム当時はそういうものだとさほど気にして無かったWという作品の雑な作りを、終わりよければ全てよしと思わせる良いまとめ方をしたのは「ガンダムW」という作品の上手くやりやがったなという部分だと思う。

 

今の時代だと、全体的な完成度なんかより、いかに話題になるかっていうのが重視される中で、ブームになってる時は面白かったけど、そのブームやトレンドが過ぎ去ってしまえば、ラストとかしょぼかったよね、みたいな流行アニメが沢山ある。そこに対する批判と言うより、そういう時代なんだっていう認識をしようという話。
逆にWとかは途中わけわかんなかったけど、最後カッコ良かったからその印象だけで、全体の印象までが良かった感覚で終われるというある種のマジック。まあ演出ってそういうものだけれど。

 

で、ガンダムシリーズのまた面白い部分として、その後はゲームとかプラモやフィギュアとかで、上澄みの良い部分だけを抽出して消費されて行くというのがあります。ガンダムWのイメージ=ウイングゼロの羽がカッコいい!が一番最初に来るという。

この辺は上手くやったなと思うし、逆にこうして久々に見返したりすると、そういえばこうだった!とか、当時は気にしてなかった新しい面も見えてきたりと、なかなか面白い感覚や経験が味わえて楽しい。

過去に何度も書いてますが、発表当時はあんなに酷評された「Z」が今や人気作として当たり前に受け入れられてるっていうね。

 

ああ、あと「フローズンティアドロップ」を読み始めて、最初の1巻2巻はトレーズ過去編で、今更ながらトレースが「13」という数字を背負ったキャラだったのを知り、13番目の星座である蛇遣い座=サーペントがトレーズの遺産として生きてくるというのはなかなか考えてあったんだなと思いました。

後に2000年になってからGジェネオリジナル機体として設定された「ガンダムアクエリアス」とかとか、EW発表当時はまだ未使用星座の空きが残ってた中でイレギュラーな星座という意味合いもあってなんでしょうけど蛇遣い座というのはなかなか面白い設定でした。


さてせっかくなので同時上映された「ミラーズリポート」も再観しておきますか。そっちも劇場版のみの主題歌がカッコいいんですよね。

 

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MOBILE SUIT GUNDAM SEED SUIT CD vol.3 LACUS × HARO

機動戦士ガンダムSEED SUIT CD vol.3 Lacus Clyne × HARO [通常盤] [CD]

歌:ラクス・クライン田中理恵
ドラマパート脚本:両澤千晶
音楽:佐橋俊彦
販売:ビクターエンターテインメント株式会社
2003年 キャラソン・ドラマ・サントラCD
☆☆☆

MBS・TBS系アニメーション
機動戦士ガンダムSEED
SUIT CD vol.3
LACUS × HARO
キャラクターSONG、ドラマ、
BGMの新しいミクスチャーパッケージ、
歌姫ラクス・クライン田中理恵)が歌う新挿入歌“水の証”収録。
『ハロ』にまつわるアスランとの秘話をショートドラマ化。

 


1.水の証:ラクス・クライン田中理恵
2.「ハロ」
3.嵐の予感
4.水の証(オリジナルカラオケ)
を収録。

 

ガンダムSEED」スーツCD3枚目。
親が勝手に決めた婚約で、初めて合うアスランラクスというなかなかレアなエピソードが描かれるドラマパート。

 

今となってはラクスはキラとのカップリングなので、逆に面白い部分ですけど、劇場版の「SEEDFREEDOM]の時にね、アスランが「俺の知ってるラクスはそんな事は言わない」みたいな事を言ったら、え?お前がそんな事を言う?みたいな空気になって笑えたみたいなのあったけど、私はあれって別に笑ったり茶化したりする場面じゃないと正直思いました。

 

まあでも映画自体が公式で種を茶化したような作りになってたので、私は感情的に大嫌いな映画になってしまいましたが、じゃあ元々そんなに自分はSEED好きだったか?と言われると別にそんな事も無いわけで、まあどうでも良いか、と今は思ってます。

 

出会った時点では不思議ちゃんで、そんなラクスとの距離を測りかねている中で、ラクスが子供の頃から持ってる機械の玩具をアスランが修理してあげた所、大層喜ばれ、新しいデバイスとしてハロをプレゼントする、みたいな話。

 

SEED以前のアナザー(いやオルタナティブか)G/W/Xや、非富野ガンダム「0080」「0083」「08」では使っていなかったハロという存在をガンダムシリーズのマスコットキャラとして臆することなく出してきたSEEDのセンスは褒めてあげたい。

 

確かハロの玩具も出てた気がするし、そういう方面から出して欲しいと要望があったのか、福田監督が最初から出そうとしてたのかはわかりませんが、「00」なんかでも別の役割をしたし、別シリーズであってもガンダムによく出てくるマスコットキャラみたいなのを根付かせる切っ掛けを作ったことに関してはSEEDを褒めてあげても良いと思う。

 


ラクスに関しては、序盤のほわわ~んとしてる所から、「アスラン、あなたが信じて戦うものは何ですか」みたいな事をいきなり言いだした所は、正直ラクスのバックボーンや思想が全く見えず、何でこの人にこんな事を言われなきゃいけないんだろう?何故ラクスはそんな事を言うんだろう?みたいな所に対しての納得感が全く感じられず、そこは最後の劇場版に至るまで同じ印象。

 

ガンダムに限らず、よく悪役とかでクライマックス時にそのバックボーンなんかが語られ、なるほど立場が違うけどこいつにはこいつなりの理由があったんだなみたいな部分を作る事で感情移入させるっていう定番の描き方があるじゃないですか。
あれが無いと言うか、あえてなのかそういう事をやらないのがSEEDの不思議脚本なきがします。多分、描いてる方キャラを動かしてる方は何かしらのロジックがあってやってるとは思うんだけど、見てる方はそこにちゃんと納得出来る説明がされていないので、不思議な印象にしかならないのかなって気がします。正直私はラクスの事が今でもよくわかんないです。

 

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新機動戦記ガンダムW フローズン・ティアドロップ 1・2 贖罪の輪舞(ロンド)

新機動戦記ガンダムW フローズン・ティアドロップ (1) 贖罪の輪舞 (上) (角川コミックス・エース)

NEW MOBILE REPORT GUNDAM W Frozen Teardrop
著:隅沢克之
挿画:あさぎ桜カトキハジメ
原案:矢立肇富野由悠季
刊:角川書店 角川コミックス・エース 全13巻
2011-16(連載2010-16)
☆☆☆

 

毎年、GW(ゴールデンウィーク)やお盆の時期は遠征で一人旅をするのが定番なのですが、ドライブ中に聞くCDや、朝方に読む本をいくつかピックアップして持って行く。今回は、先日丁度「W」アニメも見終わっていたので、せっかくなのでまだ読んで無かった続編小説の「フローズンティアドロップ」をチョイス。
掲載誌のガンダムエースは毎月買ってるのですが、基本的には単行本派なので、クロボンとかお気に入りの奴以外はサラッと目を通す程度。漫画でそれなので、小説だと更に薄くイラストや設定ページに目を通すぐらい。

そんな感じでダムエー連載でおおまかなあらすじ程度は知ってるけどきちんと読むのは今回が初みたいなもん。

 

AC(アフターコロニー)の時代が終わり、年号はMC(マーズセンチュリー)に変わって22年。老師・張(五飛)に呼ばれ、駆けつけるキャシィ・ポォ。
コールドスリープに入っていたヒイロと共に任務につくはずだったが、まずは過去を知る必要があると、表には出ていない裏の歴史のデータに身をゆだね、一般的に知られる歴史の裏側を辿って行く。それは、トレーズ・クシュリナーダの出生にまつわる話だった・・・。

 

という事で、新しい物語のセッティングだけは軽く見せつつ、実際はTVシリーズで描かれたAC195年より、さらに前の時代、「ガンダムW」という作品の後付け裏設定みたいなものから描かれ、最初の単行本2冊分はまるごとトレーズ編。

 

というか、トレーズ誕生から幼少期、ザクスらとスペシャルズを結成して成り上がって行く所が描かれる中で、いわゆるメインキャラのみならず、カーンズ、ツバロフ技師長、トラント技術特射とか、本編で脇役として出ていたキャラもほぼ総登場。

 

TVでは微塵もその存在を匂わせなかった、トレーズの弟のヴァン・クシュリナーダとか、指導者ヒイロ・ユイの右腕にして、トレーズの父アイン・ユイとか新キャラもどんどん出せば、外伝なんかで描かれていたキャラの掘り下げとか、同時期に展開していたリメイク漫画の「敗者達の栄光」と合わせて、過去のWシリーズを徹底的に再構成した、こちらも同じくリメイク作と言ってよいぐらいに、まずは過去の掘り下げからスタート。

 

元々Wのシリーズ構成をやってた人ですが、監督交代での後半や、続編のエンドレスワルツ(ここでもTV版と違う真のオペレーションメテオとかやってましたよね)とかで、なんとなく上手く纏めて、ファンも含めてみんなが割と納得して終わってた物に対して、本来の監督だった池田監督のテイストを改めて再挑戦みたいな感覚で始めたもののようです。

 

今回の作品には池田監督自身は関わって無いけど、TVシリーズ本編18話。ヒイロがデュオの名前を語って学校に潜入し、論文を読みあげるシーン。その論文の内容は元の脚本には書いておらず、コンテの段階で池田監督がいきなり足したものだったらしい。

人間とは?戦争とは?みたいな小難しい事を一気にまくし立て、何だこれ?ってなって先生にも止められる形になってるけど、隅沢さんにとっては、あれが池田監督のWの根幹を成す最も大切なものに思えたとのこと。

 

多分、エンドレスワルツで五飛がトレーズにずっと縛られ続けていたように、池田監督不在の中でも一応シリーズは綺麗に終わらせられたと思いつつ、ずっと本来描かれるべきだったものが本当は違ったんだろうなみたいに心残りだったんだろうなと。

 

綺麗に終わったものに対して、あえて泥を塗るような事になっても、それでも挑戦したい。サンライズ的にも、ガンダムエース編集部的にも、人気作の続編を元の作品に関わった作家が、新しく描くとか、それは大歓迎でしょう。連載はそれなりに続いたし、決して人気が無かったわけでは無いでしょうけど、終わってみたら結果的には意外と微妙な評価に。

 

メカデザやイラストのカトキハジメ氏的にも、「ガンダムUC」の時に小説用にデザインを起こしたものを、アニメ化の際には再度修正を加えた経験もあってか、今回の小説の時点ではマントで覆うなどしてデザインは誤魔化し、将来的にアニメ化された時に、きちんとしたものを公開するという試みのはずが・・・残念ながら結果はついてこなかった。

 

「敗者達の栄光」は追加装備などで順調に商品のバリーエーションを増やしておきつつ、結局こっちはWゼロのカラバリとして「スノーホワイトプレリュード」とかでお茶を濁す程度の事しか出来ず(プレリュード=前奏曲なので、ここから本当はもっと変えたちゃんとした新規のデザインを用意はしてあるという意味でしょう)

 

トレーズ=フランス語で13という数字らしいのだけど、そこにきちんと由来を与えたり、エレガントに振る舞う事やパーソナルカラーにも意味を持たせてある。ヒイロガンダムよりもやたらリーオーで活躍するシーンが多かった事に対しても、あれは偶然では無く、実はそれなりの意味があったとか、なんかもう病的なまでに今までのWの全ての描写を肯定しようとする。

 

う~ん、小説ってアニメとかと比べると作者は一人になるのでパーソナルなものが出やすくなるのはわかるけど(富野小説みたいに!)なんかやっぱり大衆無けエンタメからは外れたちょっと異質な気質がウイングにはあるんだなと思える。

 

30周年PVで部分的にこの作品も拾われてたけど、もし本当にアニメ化する時が来たら(現状はガンダム全体で何年先までもスケジュールが決まってるので、反響があったからと言って簡単にアニメ化にこぎつけるのは難しいらしい)絶対にこの作者は監修程度にして、他の人が再構成して脚本を書いた方が受ける物は作れると思う。

 

作り手の情念とかは凄く大切だけど、あまり過ぎると独りよがりになりがちなので(それこそ富野の「Gレコ」みたいに)そこは冷静に判断出来る監督なりプロデューサーが居た方が絶対良いです。

「W」って、正直TVシリーズもちゃんと理解しようとすると、少し難しい部分もあったと思うけど、ある意味ではこっちも同じで、必死に理解してついていかないと、何をやってるのかよくわからん、みたいな感じになりそうなスタートでした。

これは先を読んで行くのがなかなか大変そう。

 

全然関係無いけど「アドバンスオブZ 時に抗いし者」という同じく小説シリーズがあってね。(ヘイズルとか出てくるのともまた違う奴です)割とガンダムのテンプレをなぞった感は強いんだけど、そのあまり奇を衒ってない感じが面白くて個人的には凄く好きな外伝の一つ。

食べ物とかと同じで、大衆受けを見越したものの良さもありつつ、クセは強いけど、その分個性的で味わい深いものもあって、そういうのはやはりどれが正しいとかじゃなく、方向性や作品のカラーは様々だなと思う。「ガンダムW」はこれはこれで独特の感覚がやっぱりあるよね、と言えるのは決して悪い事じゃないし。

という事でまた次回。

新機動戦記ガンダムW フローズン・ティアドロップ (2) 贖罪の輪舞 (下) (角川コミックス・エース)

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富野由悠季論

富野由悠季論

ON TOMINO YOSHIYUKI
著:藤津亮太
刊:筑摩書房
2025年
☆☆☆☆

機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』『Gのレコンギスタ』……。なぜその作品には強烈な個性が宿るのか。日本を代表するアニメーション監督の謎を解き明かす!

 

アニメ評論家、藤津さんの新刊。タイトル通りの富野由悠季論です。
少し前に読んだ藤津さんの「アニメと戦争」でもそうでしたが、単純に例を羅列してその解説だけだと、論評にはなりにくいので、物事の見方、アプローチをはっきりさせて、この視点から見るとこうで、そこから導き出される答えはこうだ、というのを決めてやっているので、そういうとこは非常に参考になります。

 

今回は富野由悠季の作品と演出から見えてくる彼の表現や個性、みたいなアプローチ。作品に対しての本人の記録や関係者の言葉なんかは参考にしつつも、基本的には作品そのものから読み取れる事を軸に書いてある。

 

序章のとこにも書いてあるけど、富野ってある意味アニメ業界のご意見番みたいな部分も、メディアが面白がってはやし立てるけど、ああいう部分は一度全部シャットダウンして、作品そのものに向き合って見えてくる部分だけを追う形に。ああこれはなるほど、私もつい面白くって富野インタビューとかつい読んでしまうし、あそこでこう言ってたから富野の考えはこうなんだ!っていうのはついつい言いがちです。

 

あと素晴らしいのは富野由悠季の「映像の原則」というファンにとってはバイブルの一つみたいな本があるんですけど、その中で言ってる上座下座の概念は、世界の映像研究の分野で言うと、方向性の演出というのは基本としてあるけど、上座下座というのは日本固有のものなので、そこは本人の意図とは関係無く、世界の基準を軸に考えるというスタンスをとっている点。いやここはホントに素晴らしい。

 

youtubeガンダム系動画で今は「セリフと演出から読み解く機動戦士ガンダム」というチャンネルが結構幅を利かせてて、確かに面白い部分もあるんですけど、凄く富野信者でね、信者としての見方をしてるから、あまり客観視出来て無くて、ああ勿体無いな。視野が偏っている事で凄く薄っぺらくなってて残念だなっていう。私が富野信者嫌いな理由がそこだったりします。


シネフィルとかから見れば演出を読み解く事でその意図を知るっていうのは基本なんですけど、視野をフラットな位置に置くってやっぱり意識しないと少し難しい部分もあるんですよ。

絶対的な客観視なんて出来るはずもないんですけど、やっぱり好きや嫌いのフィルターってどうしてもかかるので、意識的にそこを外す努力をしないとどこかフェアな見方にはならなくなる。なので藤津さんの今回はこのスタンスで、その外野の部分は一度切り離します、っていう努力がとても好感が持てます。長年のファンなんだからいくら努力したって好き好きオーラなんか消せないのは百も承知で。

 

ファーストガンダム1話の方向性を意識した演出についてはアトロク出た時に語ってたので、そっちはそこで。

www.youtube.com

で、その後は以降の作品の分析で、富野がやりたかったのは身体性と機械によるその拡張というものではないか。という説はぶっちゃけ45年間誰もしてこなかった新しい論調じゃないですか?

私も長年の富野オタとしてそれなりに語れる自負はあるけれど、あ!新しい!藤津さん凄い!って素直に思っちゃった。

 

ある一時期、サイボーグとかは描いてみたいテーマとしてあると言ってた時期があったんですけど、「攻殻」とかに何かインスパイアされたか、どこかで「ダイターン」に対する心残りみたいなものでもあるのかなと思ってたけど、ああそういう事かと。

 

「Z」のラストの「カミーユはその意思を体現するマシンに乗っている」「身体を通して出る力だと?そんなものでMSを倒せると思うな」っていうオカルトパワーは私も正直ここまで行くとやりすぎでは?「ダンバイン」的なクセが出ちゃったのか?と思ってたけど、いやそうじゃない。そここそが富野が表現したかったものでは?という発想や分析が素晴らしい。

 

それこそ「オカルトかよ。はいダンバインダンバイン」っていう私が受け入れがたいものに対してフィルターをかけてしまったからこそ見えなくなっていた部分を改めて教えてもらった気分。

 

からの「逆襲のシャア」ここも「Z」と全く同じで、う~んもう少しわかりやすい最後でも良かったのでは?ってやっぱりずっと思ってはいたんだけど、今回の本で、いやそうじゃないあれは「わからないことをわからないように」描いた事に意味があるんだ。あれは誰も理解出来ない「奇跡」を意図して描いたものなんだよと。藤津さん凄い。親父が熱中するわけだ・・・。

 

ちょっと前のマクガイヤーチャンネルのジークアクス解説でゲストの安藤監督が、「逆襲のシャア」のあのサイコフレームが舞う演出は「イデオン」のメシアと類似しているので、本来はアムロベルトーチカの子供をメシア的な存在にして(Vガンでもマーベットさんの子供とか確かにあったし)描く予定だったものが、ヒーローのアムロも子供は出さないでという要望で出せなくなったから、サイコフレームそのものとして出すしかなかったのでは?という考察をされていて、面白いなと思った半面、やっぱりそれは信者的な考え方もあるし、メタ的な情報も知ってるからこその考察で、実際はちょっと強引な解釈かなと思ったりしました。

 

イデ、オーラマシン、バイオセンサー、サイコフレーム。あとこれは意図したもので無く結果論ではあるけれど、そもそもモビルスーツやロボット物しか描かない富野は、機械や技術が身体や精神の延長に位置するテクノロジーというテーマを持ってるからこそ、玩具を売る為のロボットでも自分の描きたい物は十分に描ける、というのが心のどこかにあったのかなという気もして来ます。

 

「Vガン」のエンジェルハイロゥだって、普通にあれバイオセンサーとかサイコフレームの延長で、その祈りを拡張する事で世界を変革できないか?っていう考えですよねきっと。シャクティも「祈りでは世界を変えることが出来ないのでしょうか」って言うし。

 

ニュータイプへの変革では無く、機械の拡張技術によって、普通の人へもその意思を繋げる。それは「イデ」のシステムが神では無く第6文明人の発明で生まれた物で、より良き種に変革していく為の技術だったのと同様。バイストン・ウェルが魂の修練の場として、転生して新たに生まれ変わる為のそれもある意味での世界の理。

 

ただ、宗教的なものって、ある意味寂しい人達の集まりになりがちで、それはブレンパワードのオルファンと同じ。今の状況、というか現世が辛すぎて、新たな次元へと飛翔する事を求めた人達の集まりですよよね。

 

視野が狭まる事で盲目的になってしまうというのはまさしくカテジナさんで、彼女が最後に視界を失ってしまったのはそういう事で、そんな彼女を引き継ぐクインシィ・イッサーこと伊佐未依衣子も飛翔を求めたけれど、それを繋ぎとめる勇。

からの「∀ガンダム」はディアナカウンターの地球への帰還。方向性で言えば下から上への飛翔では無く、上から下に降りてくる形。三度目のナベクミさんフラン・ドールは先遣隊として降りてくる人だし、新聞記者として広く物事を見ようとする(最初は調査目的もあったでしょうけど)

 


方向性で言えば「Gレコ」なんかはキャピタルタワーが物語の軸なので、そこもやっぱり方向性は左右ではなく上下のベクトルなんだけど、横長ワイド画面だと上下の幅が狭くなってしまうので、そこは斜め上とかで対処してるとか、なるほど面白いなと思える発見が沢山。そこまでは私も意識して見て無かったので、いつか再見する時は注意して見ておきたい。


正直、この本を読む前は「富野由悠季全仕事」みたいな作品の網羅と、それを一つ一つ丁寧に解説や読み解きをしていく事で、富野由悠季とはこうだ!みたいなのが私の想像と言うか、私のキャパや視野ではそれくらいの感覚で居たのですが、なるほどこう来たかという予想してたものとは全然違ってて、これは今までに無いアプローチの富野本だなと思えました。

 

方向性のベクトルや、視野をきちんと絞って一つの意見として纏める。ついつい自分も雑多にあれこれ広げて、結局何が言いたいのかわからない、みたいな形になりがちです。多分今書いてるこの感想ブログ記事もそうでしょう。いつも一発書きしてそのまま載せてるのでクオリティはたかが知れてるのを自覚してるのにね。個人ブログとしてそこは軽い気持ちで読んでやって下さい。いつかこれくらいちゃんとしたの自分でも書いてみたいなとは思うけれど。

 

多分、年季の入った濃い富野ファンでも、こんなの今まで散々言われてきたものをそれなりにまとめただけじゃん!ではなく、こういうアプローチで来たか!これは新しいって思えるタイプの本なので、読む価値は十分にある本ではないでしょうか。

 

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