僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて

映画スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて[DVD特装版]

STAR☆TWINKLE PRECURE -THE MOVIE- Wish Upon a Song of Stars
監督:田中裕太
日本映画 2019年
☆☆☆☆★


プリキュアTVシリーズ16作品目「スター☆トゥインクルプリキュア」単独秋映画。プリキュアシリーズ映画としては27作目。勿論、映画館で1度見てますが、ソフト購入で2回目の視聴になります。

 

公開時はとにかく大絶賛されてプリキュア知らない人が見ても面白いと評判になりました。が、実を言うと私はそこまで乗り切れなかったというのが正直な感想でした。いや、つまんなかったとかではないんですよ。良かったのは良かった、けど前年の秋映画「HUGプリ」単独映画にしてオールスター映画でもある「オールスターズメモリーズ」があまりにも良すぎて、ちょっと物足りなさを覚えてしまったのが一つ。

 

そして今回の監督がTVシリーズ「Goプリンセスプリキュア」と「魔法つかいプリキュア」秋映画「奇跡の変身キュアモフルン」での監督の他、それ以前のシリーズでも担当演出回で凄い話を相当に見せてくれた田中裕太という事で、こんなのもう名作確定じゃん!とあまりにも期待値が上がりすぎた状態で見て、というのが二つ目。

 

そして恐らく一番大きいと思われる3つ目の要素、ユーマの誕生から別離まで、子供の成長を描く物語であったが故に、ああこれ親がグッとくる話だと思ってしまったというのがあります。そう、私は子供も居なければ結婚もしておりません。いわゆる子供部屋プリキュア大好きおじさんなわけです。なのでちょっとこの物語に自分は入れないな、という微妙な疎外感を覚えてしまったというのがあります。

 

でも、そこはそれで良いのです。キモいおっさんのプリキュアファンが喜ぶような話をやってほしいとは微塵も思いません。プリキュアはあくまで子供達の為のものです。そこは絶対に外してはいけないし、オタクが喜ぶようなプリキュアが見たければ深夜アニメでやってる亜流プリキュアみたいなものを見れば良いだけの話です。

 

まどかマギカ」も私は大好きですし、そういうのが見たかったら「シンフォギア」もあれば「結城友奈は勇者である」でも「ファンタジスタドール」でも、何だったら「美男高校地球防衛部」だっていいのです。大人が楽しんでいるプリキュアみたいなものは他にいくらだってありますから。

 

プリキュアは子供達の為の作品であるべきで、そういった所も含めて私はプリキュアを楽しんで見ていて、今回は乗れなかったな、なんて思ってもそこはある意味当たり前の話でしか無くて、たまたま今回は自分がいつもよりは乗れなかっただけでしかない。それで十分でした。

 

でもこうやってソフトを購入して(映画は全部買ってます。もうそこはファンの義務)2度目の鑑賞をした所、最初に映画館で観た時とはまた違う印象を受けました。

 

あれ?ユーマってもしかしてプリキュアという作品、或いはこの映画そのものとも言える作りになってないか?冒頭、一つの星が終わりを告げ、超新星が起こってまた新しい星が生まれる。これって前のプリキュアが終わって、また新しいプリキュアが始まるっていうのと構造としては似てるんじゃないか?なんて思ってしまったのでした。

 

TVシリーズの「スター☆トゥインクルプリキュア」が先日最終回を迎え、新しく「ヒーリングっど♥プリキュア」がスタートしました。この作品は秋映画ですので、劇場公開時はまだシリーズの終盤に差し掛かった所でしたが、最終回を迎え、終わってしまった今だからこそそんな気持ちを重ねてしまったのかもしれません。

 

一つの「作品」というのは、制作者・クリエイターにしてみれば、自分が生みだした子供のようなものです。
「監督は、これまでの作品の中でどれが一番お気に入りですか?」
「いや作品は自分の子供みたいなものだから、その中でどの子が一番かなんて決められないよ」
なんてインタビューのやりとり、よく見ますよね。

 

そんな事を考えてこの作品に向き合った時、描かれている親と子の関係が一つの作品と作り手側の関係に思えてきて、ああこれ監督がプリキュアという作品に向き合って、そこに込めた想いとも読み取れるじゃないかと、プリキュアおじさんならではの視点で作品を見る事が出来ました。これは、メタ視点でのプリキュア論とも言える作品なのだと。

 

そう考えた時、これがもうメチャメチャ面白かった。
私は子供でもなければ親でもない、知らない事をわかった風に考えるより自分の視点で自分なりの見方をすればそれでいいじゃないかと。その人その人で、姿形はみんな違う、けれどもみんなそれぞれの星であってそれぞれの使命を持っている。そう教えてくれたのはプリキュアなのですから。あとは私なりの使命を全うするだけです。

 

一つの作品が終わり、また新しい何かを生み出す時、それはきっとゼロからは生まれません。誰しも、何かしら先人たちの生みだしてきたものの影響を受けているものです。そしてやがてはそれが一つの大きな星になり、世界になる。ユーマだって同じじゃないですか。

 

田中裕太監督、プリキュアの演出補からキャリアをスタートさせ、やがて各話の演出を一人で任されるようになり、そこで名を上げ、やがてはTVシリーズや映画の監督を任されるまでに至ります。プリキュア以外の東映作品にも参加はされていますが、大まかに言えばプリキュア生まれプリキュア育ちの演出家・監督さんです。

 

似たようなキャリアの先輩で去年ワンピース映画「ONE PIECE STAMPEDE」を大ヒットさせた大塚隆史(映画「プリキュアオールスターズDX」シリーズとTVシリーズ「スマイルプリキュア」監督)なんかもまたプリキュア生まれプリキュア育ちと言える人で、二人ともTVシリーズで挿入歌演出とかやりたがる人で、プリキュアシリーズ名エピソード的なものを選出すると、この二人のどちらかが物凄い確率で演出担当回だったりします。

 

それはともかく、そんな田中裕太監督が、何を受け継ぎ、何を願い、何をこの作品に託したのか。そしてどんな願いをこめたのか。ユーマを通してそんな事を考えながら作品を見るのも面白いんじゃないかと思います。

 

勿論、アニメは監督一人が作るものではありませんので、音楽、背景、そしてキャストも含め、制作側がこの作品へそれぞれの想いをこめて作られています。イマジネーションを膨らませ、そういった所を想像しながら作品に触れれば、もっともっと沢山のものが見えてくるでしょう。

 

そこで一つ思うのですが、どんなものでも作品は通過点でしかありません。この作品の主人公のひかるとララが、ユーマと出会い、そして別れ、またね、と言ったのと同じように、作り手も、見ている私達も作品と出会い、別れ、そしてまた歩いていきます。(その先にはヒープリも待ってるしね!)

 

初代「ふたりはプリキュア」のシリーズディレクターの西尾さんが「マックスハートビジュアルファンブック」でこんな感じの事を言ってます。ファンタジーの主人公は最後に現実に帰らないといけなくって、その冒険の中で培った勇気や経験を生かして実生活で生きていくというのが定石であり、自分もそうあるべきだと思っていると。(あくまで私の要約です)
でも作品にちょっと未練みたいなものがあってひかりが最後に「こんな事になっちゃいました」って戻ってくる。(このセリフの真意も語ってます)学校は卒業してもひかりを戻しちゃったからこそオールスターズみたいなものにも繋がって行く事が出来たのがプリキュアの面白さでもあったりはするのですが、現実に戻るべきであるというのは私も同意する所です。

 

そうプリキュアは卒業すべきものなのです。永遠に卒業しないプリキュアおじさんが言っても何の説得力もありませんが、プリキュアは卒業すべきものなのです(2度言った!)

 

プリキュアのメインターゲットは未就学児です。小学校に入ると基本的にプリキュアは卒業します。勿論、そうでない人もゼロではないでしょうし、マーケティングとしてもう少し卒業を遅らせて商業的な幅を広げようと数年前から思考錯誤してるような状況もあったりはします。

 

オタク的に言えば、ずっとこの世界に浸っていたい、ずっと繋がっていたいというモラトリアム的な気持ちでしょうか。作中、ララも言いますよね「ずっとユーマと居たい、別れたくないよ」って。でもひかるは少し戸惑いつつ、ユーマもそれを望んでいるのかな?って相手の立場に立って考えると言うスタプリならではのイマジネーションが描かれる。

 

ユーマはこれからもっともっと大きくなって、自分の世界を作り上げていく。そういう生き物なのです。

 

プリキュアを見ている子供達はどうでしょう?ずっとプリキュアを見ていたい、ずっと一緒に居たいと時には言うかもしれません。けれどきっと現実はもっともっと大きくなって、自分の世界を作り上げていくものではないでしょうか。

 

それでは作り手は?ずっとここに居たいと思ったりはしながらも、きっと次の仕事でまた新しい出会いや新しい世界を作って行くのでしょう。じゃあ声優さんとか演者は?見ている私達は?

 

だったら「作品」って一体何なんでしょうね?ただ消費して通過していくだけのもの?所詮は絵空事だけの現実逃避?

 

違うよね。だって、ひかるも、ララも、えれなさんも、まどかさんも、ユニもフワもプルンスも、勿論ユーマも星空刑事だってそうだ、そこに生きていたじゃないですか。
ファンタジーの中で体験した勇気や経験を生かして私達は現実に帰っていくけれどそこであった事は忘れないで生きていく。いやもしかしたら忘れてしまう事もあるかもしれない。でも心の奥深くのどこかにそれは残っている。
ユーマという宇宙の心の奥底でオルゴールの箱が開く。それは大切な宝物。

 

監督が、多くのスタッフが、キャストが、そこに残してくれた宝物。スタートゥインクルという流れ星に託した「星の歌の想い」

一番最初に発表されたキービジュアル

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うたを歌おう 道しるべとなるように

わたしたちはみんな、旅のとちゅう


人が生きていく長い旅路の中でほんの少しだけ立ち止まって見た小さな世界。それが「スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」
という作品だったのでしょう。

 

田中裕太監督がTVシリーズを手掛けた「Goプリンセスプリキュア」主人公のはるかは幼いころからの夢「プリンセスになりたい」をずっと心に抱えて生きています。ではそのプリンセスとは一体何だったのか?ホープキングダムの王子、カナタと結ばれて王妃になりプリンセスはるかと呼ばれる事でしょうか?


そんな物理的な事ではありませんよね?「強く、優しく、美しく」を心に、気高くそして凛々しく生きる事。それがプリンセスであり、そして何よりそれが「プリキュア」であるのだと。

 

変身するためのアイテム「ドレスアップキー」は最後に返還してしまいますが、大人になったはるか達は何故か透明なドレスアップキーを持っています。その経緯は全く語られません。それは心のドレスアップキーとも言えるものだからです。

 

プリキュアになりたいと無邪気に願う子供たち。それはもしかしたらキュアスターを演じたえいたそこと成瀬瑛美のように声優と言う立場でプリキュアになる事かもしれないし、着ぐるみショーの中の人になってプリキュアになると言う人も居るかもしれません。でもきっとそれだけじゃない普段の当たり前の生活や仕事であったとしても心にドレスアップキーを秘めているなら、強く優しく美しくありたいと願い、誰かを助けたい思った時に一歩踏み出す勇気があれば人は誰でもプリキュアに、プリンセスになれる。そう子供達に伝えたのです。それが「Goプリンセスプリキュア」という作品でした。

 

そういった作品を作ってきた人が、また新しい映画を作り、プリキュアとは何か?現実を歩んでいく旅の途中で出会う作品とは何か?「映画作品」という小さくも大きな一つのユニバースを通しこれから大きな宇宙へと成長していく子供たちに何を伝えたかったのか?

 

ブックレットに監督がコメントを寄せています。
「これは小さな星の小さな物語。夜空の星を見上げた時、その中のどこかで起きた、かもしれない物語」
以降もっと続きますが、知りたい人は是非ソフトを買って読んでください。

 

ここまで書いてきた事が私なりのこの作品へのとりあえずの返答としておきます。


映画のプロモーションで「キュア泣き」とか始まった時は正直どうなのかと思いました。泣けますよ、なんて押しつけられなくても私は泣きたいときはいつだって泣くし、プリキュアには今まで数えきれないほど涙してきました。
でもね、そういうプロモーションをする事はわかるんです。プリキュアは子供とその親が見るものであって、基本的に見る層は限られてきてしまっていると。
そういう厳しい状況の中で、映画「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」「名探偵コナン」みたいにTVは見てないけど映画だけでも見てみるかっていう層を取り込んでプリキュアというブランドをもう一つ上に変えていきたい、そういう意図はわかる。
でも、間違っても川村元気とかに関わらせては絶対にダメですよ。あの人が絡んだら絶対プリキュアというブランドが築き上げてきたものが失われる。幸い川村元気東宝なので、東映に関わる事は無さそうですが、プリキュア生まれのプリキュア育ちの人が作ってもこんなに凄い作品が作れるんだから少しづつでもね、もっと上を目指せるしそれだけのポテンシャルは絶対に持ってると改めてこの作品で確信出来ました。

 

微力ながら、これからも私はプリキュアを応援していきます。


映画『映画スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』予告編

 

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