Tobishima
企画・製作・監督:大宮浩一 監督:田中圭
日本映画 2019年
☆☆☆
<イントロダクション>
日本海の沖合にぽっかりと浮かぶ山形県唯一の有人離島——飛島(とびしま)。酒田港から定期船で75分、島の面積は2.75㎢。本土を望めば雄大な鳥海山、豊かな自然をたたえた島は、その全域が国定公園に指定されている。かつて日本海側の海の交通の要所として栄え、島民の多くは漁業や農業で生計を立ててきた。「北は樺太、南は九州まで、いろいろな思い出があるけど、今はわびしいもんだ」と往時を懐かしむのは、漁師の和島十四男さん(80)。過疎と高齢化が進み、現在は140人ほどが暮らす。今年は、島でただ一人の中学生・渋谷新くん(15)が卒業の時を迎えようとしていた。高校進学が決まれば、新くんは島を離れ、飛島小中学校は休校となる。いっぽう、UターンやIターンで島に来た若い人たちがいる。島内に雇用を生み出そうとユニークな取り組みを続ける「合同会社とびしま」の共同代表・本間当さん(38)もその一人。「“漁師にだけはなるな”と育てられたけど、なぜか島に戻ってきた」と笑う。
人が人として、社会を営み、生きていくために本当に必要なものとは何か? 平成最期の一年間、飛島の人々の暮らしを記録した本作が映し出すのは、生活者たちのエピファニー、継承と再生の兆し、ある時代の終わりと始まり。
地元、山形映画と言う事で見て来ました。
同じ山形映画、大石田ロケの「コンプリシティ 優しい共犯」が予想以上にお客さんが沢山入っていたので、今回も割と居るんじゃないかなぁと思ってたのですが、客は何と私一人。一段落ついた感はあるものの、いまだコロナ禍は収まってはいませんし、まあ致し方無いか。
私は映画館無くなっても困るので(まちなかキネマ閉館しちゃいましたね)なるべく行こうとは思ってますが、密集の密ではなく、私だけの秘密の密でした!とかいう予想外のオチ。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」に続いて2度目のスクリーン一人占め状態でした。
山形県は酒田市の離島、飛島。幼少期の頃に一度くらいは行ったっけかな?今は縁の切れた父から網を借りて遊んでいると、いつのまにかそれを無くしてしまった、というのが確か飛島だった気がします。松島じゃないよな?かなり曖昧な記憶。
怒られたかどうかも憶えてませんが、申し訳ないな、という罪悪感は何故か今でも記憶の片隅に残っております。
私は今でも、自分のような無価値な人間が生きててすいません、でもなるべく世の中には迷惑かけないよう努力はしますので、どうかこのまま生きさせて下さい。あいにく私自身は楽しい事いっぱいありすぎて死にたくは無いから、みたいな事を普段から考えております。常に「生きててゴメンなさい」っていう罪悪感を抱えて生きているのは幼少期から変わって無いのかも。
そんな事はさておき、変わったのは飛島の今現在。私が子供の頃はまだ普通に観光名所みたいな印象ですが、かつては1800人程暮らしていた島も、今は140人。平均年齢70歳と、思いっきり過疎化していたようです。
Uターンしてきた家族の子供、学生はなんとたったひとり。小中一間の学校はあるものの、先生の方が人数が多い。その子が中学3年で、卒業までの一年間が描かれます。
この島を何とかしたいと、UターンやIターンで戻ってくる若者もいくらかは出てきたものの、子供達は基本的に中学を出ると進学の為に島を離れてしまう。
中学の授業なんかを見ていると、先生と生徒がマンツーマンで教えている。これってある意味物凄く贅沢な環境でもある。別に30人40人集めるのが良い事では無いとは思うけど、事情によって学校に行けなくなった子とか、こういう所で授業を受けられるような形にすると良いんじゃないか?とか素人ながらに思ってしまいました。
私は学生時代は全くと言ってよいほど勉強ってしてこなかったのですが、大人になってから大学とかそれに類する形のゼミとかに何度か参加させてもらって少人数で、わからない事とかもすぐに質問できたりする勉強の形ってもの凄くありがたいなと思った経験があります。
う~ん、でも子供が勝手に移住なんてできませんし、親の事情とかもあるでしょうから簡単には行かないとは思うし、何より若い子供自身が、生活も含めたこの環境に耐えられるかっていう疑問もある。
あと、基本的に村社会ってそのコミュニティに上手く溶け込めないと結局は地獄なんですよね。もし自分が、なんて考えてしまうと世間のわずらわしさから逃れて小さい世界に行っても、結局はその小さいコミュニティにまたわずらわしさを感じるような気がしてなりません。人間嫌いな人は、こういうのはこういうのでやっぱり難しい。
で、この映画もそうですし、上映前に似たタイプのドキュメンタリー映画の予告が何本かやってて、そのどれもがそうなんですけど、このタイプの映画って割と一様に、今を生きている人達への未来へのヒントがここにある、みたいなコピーをつけがちなんですよね。
確かにこういう作品が、気付きを与えてくれたりするケースはあるし、そういった所から自分の生き方を見直す人は居るのだろうとは思う。
でも、学校を卒業と共に島を出て行ってしまう子供達のように、世の中は無常である。気持ちはわかるが、現実はそうはいかない。みたいにどうしても思ってしまう所はある。
飛島と言えばトビウオです。飛魚と言えば、やはりCoccoの「強く儚い者たち」ですよ。
Cocco - 強く儚い者たち
美しい飛魚のアーチをくぐって宝島に着いたと思っていてもきっとその頃一方では・・・という無常感。きっとそれが現実だなと思ってしまう私が居る。
それでも、映画の中には「私は飛島から出た事無いよ」なんていうおばあちゃんも居た。使命をもって戻ってきたり、移住してくる人も中には居る。人の強さと儚さの両方が映画には描かれていた気がします。
戦中は疎開で人が溢れていたという飛島。しかも当時は義務教育じゃなかったからね、とサラリと出てくる話に少々ハッとさせられました。時代は変わる。常に同じなんてことはない。戦後の成長経済で島を捨て都会に出る。成長経済の終焉、大きな物語の終わり。そしてコロナ禍というさらなる時代の変化。
この映画に未来へのヒントがあったのかは私にはわからない。でも、きっと未来を変えていく事は誰にでも出来る。そんな風な事を私は考えました。
そして、山形県民な私は言葉についていけましたが、果たして全国公開になった時に、他県民がどれほどこれをヒアリング出来るのか。おまけでそんな事も考える一品でした。
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