僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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AKIRA

AKIRA 4Kリマスターセット (4K ULTRA HD Blu-ray & Blu-ray Disc) (特装限定版)

アキラ
監督・脚本・原作:大友克洋
日本映画 1988
☆☆☆★

 

4Kリマスター版再上映を見て来ました。「2020年東京オリンピックまであと○○日」みたいなキャプチャ画像がよく流れてて、子供の頃に見て以来だからいつか見返そうかなと思ってた所に再上映のお知らせが。これは丁度良い機会と思い、いつも通ってる映画館では無いのですが足を運んできました。

 

これ、実はリアルタイムで映画館で見てます。単純にアニメというだけで何も知らずにたまたま入った小学生の頃の私。ええ、思いっきりトラウマを植え付けられました。当時はPG-12なんてついてなかったよ。


同じくトラウマ映画館な「ロボコップ」もグロ部分が気持ち悪くてトラウマな半面、単純に特撮技術は面白かったしロボコップもカッコ良かった。流石にバーホーベンの皮肉たっぷりなアイロニーの面白さなんて大人になって見返すまで理解はできてませんでしたけども。

 

ただ、これが「AKIRA」の方になると気持ち悪い以上の感覚は全く無し。全然面白く無かったし、自分が見てはいけなかった作品を間違って見てしまった。アニメでも自分には知らない大人の世界(?)みたいなものがこの世にはあるんだな、という認識を得た事だけが特別な体験として残る。それが私にとってのAKIRAという作品でした。

 

大人になってから、という所ではアニメ史の歴史に残る傑作という事で、グロは今でも好きではないものの、耐性はもうついてますしいつか見返そうなんて時折思いつつも「トラウマ克服のため」みたいな変なハードルもあるのでなかなか手を出せず。

 

原作漫画の方も、漫画史的にイノベーションを起こした存在というのは知りつつも、アメコミファン的には大友=メビウスのフォロワーである事は先に知っちゃってたので、もし読むならまずメビウスから読まなきゃならないし、でもバンドデシネ私は苦手なんだよなぁみたいな所があって、結局は触れずに来ています。

 

そんな個人的な背景がありつつ、ついに向き合ってきた「AKIRA」ですが・・・う~ん、わけわからん。

 

ハイクオリティな映像は素晴らしいです。今更私が語る必要も無いですが、テールレンズの光が後を引くバイクチェイスとかやっぱりカッコいい。そしてもはや先日TV放送やってた「レディ・プレイヤー1」にも引用されたように「金田のバイク」(これ固有名詞は無いんですね)なんかも単純にカッコいい。

 

でも金田のバイクって何でここまで世界的に有名で愛されてるの?とちょっと疑問だったのですが、調べてみるとああなるほど、あのバイクって表面のデザインだけでなく、もうバイクとしての基礎構造の部分から唯一無二の誰も見た事が無い斬新なデザインだったのか。なるほどそれは凄い。

 

映画オタク的にはシド・ミードが「ブレードランナー」で世界観の構築デザインも含めた上での構造からデザインしたポリススピナーとかと同じような位置付けになるのか。それがあの金田のバイク。凄く納得しました。

 

というか「AKIRA」という作品自体が世界的に有名なのもブレードランナーと同じような位置付けの作品なのかなと思います。誰も見た事が無いビジュアルで描かれたディストピアな未来。なおかつ、大人向けに作られた超クオリティのアニメというのは世界的に珍しいので、そういう部分も含めた歴史に残る作品という事なのでしょう。うん、大人になってから見ると色々と理解出来ます。

 

で、そういう見た目の部分は理解出来たものの、話の方が一体これは何を描いているのかがよくわからん。アキラ君の力ってあれはそもそも何を伝えようとしてるのか。


最初はあれって単純に原爆と同じような爆発で、原子力のメタファーなのかなと。過ぎた力を人間は制御できるのか否か、みたいな話なのかなと思って見てたのですが、どうもしっくりこない。超能力はガンダムと同じニューエイジ思想みたいなもの?でもそれもあまり腑に落ちない。

 

映画館を出て、そもそもこれ何をやりたかったのか?が全然わからず悶々としてしまいました。


ここは先人の知恵を借りようと、この作品はどういう解釈をされ、どういう所が評価され、歴史的にどういう位置づけをされているのか。一つ調べてみようかと思った所、いきなりwikiに書いてありました。大友が語ってたのは変化していく東京の街を描きたかったと。戦後の焼け野原からここまで復興してきた街並みに惹かれて、そこを漫画のAKIRAに込めたという事のようです。東京オリンピックは復興の象徴という事らしい。


ああなるほど。それで一気に腑に落ちました。AKIRAという作品は大友なりの戦後史だったんですね。冒頭のアキラの暴走による大爆発が切っ掛けで第3次大戦が勃発という設定が文字のみで描かれて、その大戦の経緯とかは特に語られない。だって描きたいのは戦後の復興と、それを支えた(或いはその原動力となった)エネルギーは一体何なのか?の方なので。

 

だから一つの街を焼け野原にした原爆のような爆発は戦争の象徴として描かれる。で、面白いのはそこで原子力とは何なのか?を掘り下げて描くのではなく、そこに至るまでの「原動力」こそがエネルギーの本質であり、そのエネルギーってそもそも何なの?みたいな事を作品として描いてある。

 

あの焼け野原から人間は復興して、今や東京の魔天楼を築き上げるにまで至った。人間って凄くね?その人間の熱量ってすごくね?一体どこからその力が湧いてくるの?

実際の東京を見てそれを感じ、大友は漫画の中でそれの東京をネオ東京に置き換えて自分が生きてきた時代をシミュレートとして描きだす。


だから学生運動であり新興宗教であり、暴走族でありテクノロジーを描く。政治は多分そんなに興味が無い人なので、政治に関しては割とステレオタイプな描き方になる。そして現実と同じように復興の象徴として東京オリンピックを物語の集着地点にもってきてあると。

 

超能力というのもいかにも昭和史っぽい要素ですが、面白いのはそこで超能力を単純に「人間にはまだ解放されていない秘められた能力を持っているのだ」的なものとしては描いていない。

作中で金田とケイが話してましたけど、生物や植物は遺伝子で成長してきたっていうけど、宇宙の誕生から考えればそれ以前は生命以前の塵だったわけだよね?そこから進化してきたけど、そんなものにも遺伝子ってあるの?外的な物か内的なものかわからないけど、何かしらの力・エネルギーがそこには関与してるんじゃないかな?人間が橋を作ったりバイク作ったり、無から何かを作りだして街を復興させるくらいのエネルギーも、もしかしたらその力が関与してるんじゃない?

 

というのを「AKIRA」という作品は描いてある。

 

コンプレックスを爆発させ「力が欲しい」と望んだ鉄雄は偶然か必然かその人知を超えた「力」を呼び起こしてしまったと。序盤で力の象徴として描かれた金田のバイクですら制御できなかった鉄雄がその力を制御できるはずもなく、ただ力の暴走に飲み込まれていく。


人を動かす力は人間の持っている本来の力とか可能性ではなく、実は目に見えない別の外的なエネルギーなのかもしれない、という辺りが凄く大友らしい部分でしょうか。人間を信じて無いと言うか。まあラストで人間は目覚めつつあるわ、みたいなセリフもありましたけど、そこは正直とってつけた感は否めず。

 

今風に言えば「魔法少女まどかマギカ」ですよねこれ。少女が成長過程で発生させる負の感情エネルギーは宇宙の法則のエントロピーを凌駕するくらいの消費以上に発生量の方が多い特殊なエネルギーであるのだと。それを制御・管理しているのがインキュベーターであるきゅうべぇ。

 

大友はこの世界にはエントロピーを越えるエネルギーがある所までは発見したものの、それって制御できるの?という所で終わってますが、そこを制御してシステム化したのがきゅうべぇという事ですよね。

 

アニメ史に残る「AKIRA」という作品が「まどかマギカ」に繋がる面白さ。そこは改めて見た価値は十分にありました。

 

今見ると名前の通ったアニメーターの名前とかいっぱいあるんだろうな~と思ってスタッフロールも楽しみにしてたのですが、これ全部アルファベット表記なんですね。国際映画祭参加版として改訂した時に日本語から英語に変えたのだそう。そこはちょっと残念です。


AKIRA1988 特報予告編

 

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