僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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FAKEな平成史

FAKEな平成史

FAKE HISTORY,HEISEI
著:森達也
刊:KADOKAWA
2017年
☆☆☆☆


ドキュメンタリーとは、抗いである。平成という時代が終わる。しかし、報道をはじめ、表現の自粛と萎縮は終わることなく続いている。この三十年で、その波は高く、強くなったのか、それとも…。天皇放送禁止歌、オウム、オカルト、小人プロレスetc.撮影したいテーマはことごとくタブー視され、発表媒体が限られていく中でも、作品の力で“空気”を吹きはらってきたドキュメンタリー監督が、自粛と萎縮の正体を探る!森監督作品のテーマを軸に、時代の表現者たちと「平成」を斬るルポ&インタビュー。

 

 

森達也の少し前の単行本。映画「FAKE」の後ですが、それに絡めて出したルポルタージュというより、平成が終わる時代の変わり目として、丁度森さんが「放送禁止歌」でドキュメンタリー作家として注目されたのが平成の初期でしたので、自身のキャリアで手掛けてきた問題と平成の流れをリンクさせた、あくまで森達也の視点から見た平成史という感じで書かれている本です。

 

そう、この人は俯瞰で物事を見ない。自分から見たらこう見えたという一人称を明確にする。ドキュメンタリー映画の方も同じで、被写体やテーマのみでなく必ず自分も作品に入れる。それが彼の誠実さでもあり、その主語を無しで語る事の危険性は常に一貫してきた。

 

放送禁止歌」「ミゼットプロレス伝説」「天皇ドキュメンタリー」「A」「北朝鮮ドキュメンタリー」「FAKE」の6つのテーマについて、それぞれの分野に関連する人達との対談を軸に語られていきます。

 

私はNPOでゼミに参加させてもらってミニコミ誌とかを作ってる時にオウムのドキュメンタリー「A」を取り上げた時にこの人を知って、関連として「放送禁止歌」と「職業欄はエスパー」を読んで好きになりました。

 

特に「職業欄はエスパー」が物凄く面白くって、あまりに先が気になって確か徹夜で一気に読み終えたんだったかな?次の日が仕事にも関わらず。なのでその本に関しての項目が無いのがちょっと残念ですが、まあ超能力とかは昭和の遺物みたいな感じよね。

 

森さんは山形国際ドキュメンタリー映画祭とかにご自身が作られた作品が有る無しに関わらず大概来るので、実際にお会いした事もありました。「A3」くらいの頃だっけかな?映画祭の時にお声掛けして私が参加した「A」について書いたミニコミ誌をお渡しして、ファンですくらいの一言二言程度くらいだったかなと思います。あれ?でもそのミニコミ誌に書かせてもらった事を伝えたら、「読みました。立派な文章でしたありがとうございます」とか言われたような?(勿論それはリップサービスなんでしょうけど)そこ考えたら2回くらいお会いしたんだっけか?いつも黒いパーカー着てる人だなとか思った記憶もある。

 

まあそれはさておき、その後の著書も全てでは無いにせよ、割と読んでるので、そういった文脈と、単純に扱うテーマは違ってても、根っこにある部分は線できちんと繋がってるというのは知ってたぶん、ああこうやって「平成史」という形で表現しても、きちんと歴史として読めるんだなと非常に楽しく読めました。

 

で、そういった文脈から外れた所で言うと、「A」の項目では有田芳生と対談してるんだけど、ここで初めて知った事実。有田さんて「よしお」さんじゃなくて「よしふ」さんだったのね。オウム騒動の時は江川紹子さんと共にこの人朝から晩までずっと出てましたよね。その時はよしおさんって名前だと思ってたけど、まあ基本有田さんとしか呼ばれないし、気付かなかっただけかもしれないけど、まさかのスターリンからとられた名前だったとは今回初めて知った。(お父さんも社会主義の熱心な運動家だったそうで)

 

あの当時は「共産主義者の名前と同じの奴がTVでしゃべってるなんて許せん!抗議してやる」みたいなのって無かったのかな?今ならそういう人出て来そうで、放送禁止歌じゃないけど、勝手な自粛とかTVでやってそう。

 

当時の有田と江川は正義のジャーナリストで、オウムとかいう悪の組織を倒してくれ!みたいな風潮だった事は本人も語っていて、そこらへんも凄く面白いのだけれど、そこから何年も経って、今は議員(立憲)もやってるし、オウムに対してや、世間や時代の流れを踏まえてちゃんと今の視点で語ってくれてるのは凄く面白い。

 

私は95年当時は政治とかに全く関心が無かったし(今でもさほどある方では無いですが)共産党とか言われても、なんとなくのイメージでちょっと主流派から外れていて、過激な革命とか目論んでる人達なんでしょう?みたいなざっくりしたものしかなかった。今だと、自民とかよりよっぽどまともな事言ってるじゃんって思うけど、当時はね、興味が無い分そんなの全然わかってなかった。

 

でもってそんな流れで読む北朝鮮の項目でのよど号ハイジャック犯の人達の話がまた面白い。主体性の無い日本より、きちんと自分の考えを持ってる北朝鮮の方が国としてはずっとまともだよ、って言うのは確かにその通りだなぁと思う。

 

まあ北朝鮮が良い国だとは流石に思えないけど、人によって意見が違うって言うのは当たり前の事で、アメリカとの忖度、あとは間違いを認められない日本の風潮で外交さえまともに出来ずに的外れな事ばっかやってるというのは言い返せない事実だわな。ディベートって自分の主義主張がハッキリしてるから成立するのであって、単純に目先の言葉尻だけに右往左往する、付和雷同するのでは話にもならない。

 

で、先日見た「はりぼて」にも通じる問題だけど、結局それは「組織」という大きなものの中で忖度なんかを考える内に主体性を無くしてしまっているのが問題だっていうのが森達也の最近の(というかたどり着いた)主張。

 

大きなものに巻かれて、事無かれ主義が日本人の習性みたいなもん。そう、そのディベート出来ないって凄く問題だよねと改めて思った。アメリカの大統領選今やってるけど、価値感が違うから色々と考えるわけで、もし間違った道に進んでしまったのだとしても、その間違いを認めて反省・修正して次に進んでいけばいいという話。前はトランプを選んだ、でもちょっとおかしかったな、と思うなら次は違う人を選ぼうかなと。間違いは誰にでもあるし起こりえる。なら反省して次に生かそうって物凄く単純な話。

 

でも何故か日本はそれが出来ない。なんで日本は自民を選び続けるのか。こんな世の中にしたのは自民なのに。戦後の歴史で民主に傾いたのは2度だけ。これまた何のおぼしめしか丁度、阪神・淡路大震災北日本東北大震災に重なって結局は自民に戻ってしまう。そんなに耐えがたきを耐え、忍び難きをを忍びたいのか日本は。

 

選挙にしたって、忖度で選んでないか?っていうかそもそも選挙行かない方が多いのか。

デカダンス」じゃないけどさ、例えBUGと言われようと、自分はこう思うっていうちゃんと自分の考えは持ちたいよな、と思ってしまう秋の夜長でありましたとさ。

 

 

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