金正男暗殺事件の真実に迫るドキュメンタリー 映画『わたしは金正男(キム・ジョンナム)を殺してない』予告編
原題:Assassins
監督・制作:ライアン・ホワイト
アメリカ映画 2020年
☆☆☆☆☆
<ストーリー>
2017年2月、マレーシアのクアラルンプール国際空港で一人の男が突然倒れた。神経猛毒剤VXを 顔に塗られて殺された男は、北朝鮮・朝鮮労働党委員長、金正恩(キム・ジョンウン)の実兄・金正男 (キム・ジョンナム)。そして殺したのは二人の若い普通の女性、ベトナム人のドアン・ティ・フォンとインドネ シア人のシティ・アイシャだった。暗殺の様子は空港の監視カメラにすべて納められ、そのいたずらのよ うな“ドッキリ”映像は世界を駆け巡ることとなる――。 なぜ彼女たちは北朝鮮の重要人物を暗殺したのか?そもそも彼女たちはプロの殺し屋なのか?分 かってきたのは、貧しい二人がそれぞれの人生を夢見、そこに付け込んでSNSを通して巧妙に罠をしか けてきた北朝鮮の工作員たちの姿だった。巨大な国を相手に彼女たちの無罪を信じ、証拠を積み上げ ていく弁護団の渾身の調査は、やがてある真実に行きつく…。
という事でドキュメンタリー映画「私は金正男(キム・ジョンナム)を殺してない」を見て来ました。
ヤバイ。メチャメチャ面白かった。これはもう圧倒的にノンフィクションの面白味です。まさに「事実は小説より奇なり」っていうのを体現してる感じで、ドキュメンタリー映画としての面白さというよりは、事件のあらましをこうやって追っていくと、こんなに複雑怪奇な背景があったのか!とその事実に圧倒されました。
金正男が暗殺された、くらいまでは知ってましたが、その背景とか、その後がどうなったかなんかは私は全く知りませんでした。
金正男っていうとね、「さよなら絶望先生」でネタにされてて、あの時は東京ディズニーランドに来るために偽造パスポートで入国しようとしたら捕まって、みたいな時期でした。そんなんがあって、ある種の面白キャラみたいなイメージがちょっとありましたが、こうして見ると、当然ながら色々な背景がある人だったんだなと。
まずは北朝鮮。世襲制故のしがらみというか、単純に世襲制ってやっぱこういう問題が起きるもんなんだよなと改めて思う。金正日(キム・ジョンイル)の時代ならともかく、ボンボンのドラ息子の金正恩(キム・ジョンウン)が最高指導者を引き継いでも、所詮は若造だし、そんなの国としてやっていけるもんなの?とか思ってしまうけど、なるほどこうやって自分に従わない存在は次々に排除してきたと。
北朝鮮じゃなくても、普通の会社とかでも親から引き継いだボンボンの2代目とかは大概は会社をつぶしてしまうとかよく言われますけど、そこを上手くやるにはこういった手口が必要になってくるわけか。自分に従わないものは全て排除。自分の王国にしてしまえと。当然、身近な中に経験豊富なブレイン的存在は居るんだろうけど、その人もきっと自分が上手い汁を吸いたいからこそ、例え若造だろうとそこにつき従って、もし何かあった時には自分だって排除されてしまうだろう事を知ってるから、じゃあ一番おいしいとこはどこかな?みたいな打算がきっとあるんだろうなと想像してしまう。結局一番可愛いのは自分、みたいな人のどうしようもない業を感じます。
で、犯人に仕立て上げられた二人の女性。搾取されるのはいつだって彼女らみたいな社会的弱者だ。単純にお金であったり、或いは名声を求めてしまう浅はかさ。ただこれが単純に、大金の為に政敵を排除する過酷な任務につく、という単純な形で無いのが何とも恐ろしい。
自分達が一体何をしたのか?捕まった時に、いや捕まった時点でさえまだわかっていない。裁判にかけられ、死刑が目の前に差し迫って初めて自分が何をしたのかやっと気づく。というか教えられる。
え?ただのドッキリビデオでしょ?違うの?しかもこれまで何度も撮影してきた事実があるのに、何故か暗殺者になっていた。普通に誰もが想像する「暗殺の訓練」とは程遠い訓練がそこにはあった。
なるほど、要人の暗殺って、スナイパーがビルの上からつけ狙うとかじゃあないのね。こんな風な仕込まれ方をするのか。今時の世の中だなぁと。
そして今時の世の中と言えば、SNSとかにしっかり痕跡が残ってる、というのが本当に現代的でした。
私はSNSとかどうなの?とどちらかと言えば思っちゃう方ですが、そこでしっかりタイムラインとして証拠が残って、あの裁判の結果に繋がるんだからそこはやっぱり良し悪しなんだなぁと。
でもってその裁判。国や国籍でその忖度が見えてくる検事や裁判長の態度の中、ただ事実を探し求め、その正当性をどこまでも自分の仕事としてやりとげる弁護士の姿は本当に凄いと思いました。
一介の弁護士が、その背後にある北朝鮮やら自国の忖度を知りつつも、いやいや証拠はちゃんと提示してるでしょ?そこは理屈があってないじゃん、と戦い続けるのは本当に凄い。映画の中では触れられてないけど、弁護士だって身の危険を感じる部分だってきっとあっただろうに。
更にはそれを追うジャーナリズム。ここは結果的にだろうけど、即時性の無い映画って、あまりジャーナリズムとは相性が良く無さそうなイメージですが、これをきちんとカメラに収めて、物凄くわかりやすくこういった形でドキュメンタリーにしてあるのが本当にお見事。
映画としては「貧困層の搾取」みたいな所をメッセージとして籠めたんだろうなっていう感じはしましたが、あまり自分の主張だけにこだわらず、この事件をなるべく正確に残したいっていう誠意がすごく感じられたし、それはもしかして、弁護士の誠意であったり、取材する記者から感じられるジャーナリズムのあり方だったり、そういったものを見ていく中でドキュメンタリーのディレクションの影響は受けたからこういった形になったのでは?と想像してしまいます。うん、凄く面白い。
更に言えば、そういうメディアの使い方という面では、ここまで事実が明らかになって尚、北朝鮮側に逮捕者がゼロだったり、目的は十分に達したし、逆に言えば北朝鮮からしたら、あの二人が死刑になろうとどうでも良いのと同じく、別に無罪になって釈放されようが、痛くも痒くもないどうでもいい事だったりもするわけで、ある意味、損害ゼロの完全勝利を成し遂げた上に、自分の力をアピールして自分に逆らえば誰でもこう出来るよ、と睨みをきかせる事が出来たという最高の結果とも言えなくもない。
youtubeというメディアを利用しての暗殺手段。ドキュメンタリーという形でメディアを使って真実を公表する。しかし、何のリスクも背負う事無く、白昼堂々空港のカメラに残す形で犯行を成し遂げ、自分の力を世界に知らしめる。本当の勝利者は一体誰かな?と考えると末恐ろしいです。
う~ん、本当に世の中は複雑怪奇だ。これは凄い作品を見せられた。