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キャプテン・マーベル(MCUその21)

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原題:CAPTAIN MARVEL
監督:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック
原作:MARVEL COMICS
アメリカ映画 2019年
☆☆☆☆

 

MCUフェイズ3の8本目。「インフィニティ・ウォー」のラストで示唆されたキャプテン・マーベルの初登場作品。

 

原作でも今はマーベルユニバースの中核を担うキャラクターであるものの、「キャプテン・マーベル/キャロル・ダンバース」としては割と新しいキャラクター。いや、新しくて古いというか、キャプテンマーベルもキャロルもそれぞれは古参のキャラでありつつも、キャロルがキャプテンマーベルを引き継いだのが近年になってからという、ちょっと複雑な存在。

 

MCU映画としては21本目にしてやっと女性ヒーローが単独のピンタイトルを任される事になった、しかもクライマックスの「エンドゲーム」直前に、というのが割と映画界の最先端にあるようなMCUのイメージを考えると、結構保守的ですよね。(この辺は18作目にして初の黒人ピンヒーロータイトル「ブラックパンサー」にも通じる部分があります)

 

ライバルのDCが「ワンダーウーマン」を早々に大ヒットさせたのとは対照的です。それなりにヒットはしてるものの、やや煮え切らない作品内容が続いて、制作のゴタゴタも大きく表に出ちゃってるDCEUの中でも特筆すべき存在になった映画ワンダーウーマンですが、元々DCの中でもスーパーマンバットマンと並ぶBIG3(トリニティとも呼ばれる)的な存在。女性の社会進出とかフェミニズムを代表するアイコンとしての背景もそこにはあるわけですけども。

そこを考えると、マーベルって昔から女性ヒーローに関してはやや弱い部分。

 

90年代にね、「DC vs マーベル」っていう企画があってね、日本語版も出たんですけど、ワンダーウーマンに対抗するマーベル側はX-MENのストームでした。流石にそれはちょっと格差があるなぁと思いきや、何とストームが勝ってしまうという超超番狂わせがありました。人気投票で勝敗を決めてたんですが、いかに当時はX-MEN人気が高かったがわかる面白いエピソードです。

 

スーパーマンはハルクと戦って、バットマンキャプテン・アメリカと戦ってます。何とアイアンマンはスタメンにすら入れなかった、というのが当時の状況で今考えると面白いですよね。・・・いや、ぶっちゃけ話そのものは大して面白く無かったのですが。

 

その話はさておき(ブログ続いてたらいつかその本も取り上げる機会はあるかもね)負けはしましたが、誰もが番狂わせと思うくらいワンダーウーマンは歴史的にも特別な存在である事に異を唱える人は居ないくらいのキャラ。

 

そこ考えると、キャプテン・マーベル/キャロル・ダンバースって格の上ではちょっと落ちる部分もあるんですけど、キャプテン・マーベルとしてではなく、キャロル・ダンバースとしてはそれはそれで歴史のあるキャラなので、面白い部分はちゃんとあります。

 

キャロル・ダンバースってキャプテンの名前を受け継ぐ前までは、ミズ・マーベルという名前で30年近く歴史のあるキャラでした。その「ミズ」って何かと言うと、女性の敬称って既婚女性なら「Mrs.」(ミセス)で未婚だと「Miss」(ミス)というのが一般的です。

 

何で男なら「Mr」(ミスター)一つで済むのに女だけ既婚未婚で判別されるのよ?それっておかしくないか?という流れで使われるようになったのが「Ms」(ミズ)です。そういったフェミニズム文化を背負ってるのが「ミズ・マーベル」という名前で、ワンダーウーマン程では無いにせよ、ちゃんとそういう背景のあるフェミニズムキャラクターではあったりします。その辺、面白い部分ですよね。

そしてキャロルがミズ・マーベルからキャプテン・マーベルになった後は、ムスリムの少女カマラ・カーンがミズ・マーベルの名前を引き継いで2代目になったと。


映画でも漫画でも何でも良いんですけど、ただの娯楽でしょ?って言うよりもそういう社会背景みたいなものが見え隠れする方がより面白くなりますよね。

 

まあ、そのミズマーベル時代のキャロルも、X-MENのローグに能力を吸収されて、パワーを失っちゃった不遇キャラ、みたいな時代も長くて、どっちかというと私はその時代のイメージの方が強かったりするのですが。

 

それはともかく、満を持しての今をときめくMCUでのキャプテン・マーベルの登場となったわけです。遅くはなったけども、その分、逆に今風のガールズ・エンパワーメントを背負うキャラ&作品になってる辺りが流石はMCUです。

 

キャロルは元軍人ですし、それこそ「GIジェーン」みたいな訓練で男にバカにされるシーンもちょろっと出て来ますが、やっぱりこれ昔の価値観のままだったら、その悔しさをバネにしてまた苦しい鍛錬を積んで、男達を見返してやるわ!ってなるのが「一昔前の普通」でしたよね。

 

でもこの映画のクライマックスは「あんたに対して何かを証明する必要なんかない」と言い放つキャロル。これを持ってきたのはやっぱり凄い。

 

男を見かえしてやる為でも、男に認めてもらう為に頑張るとかでもない。それってやっぱり男が上に居て女が下っていう価値観ですし。


自分の価値や行動は自分で決める、それでいいんじゃないの?「男だから」「女だから」とかじゃないよ、っていうのを堂々と見せてくれる。そこがやっぱり素晴らしい。

 

少女の時から、何度倒れて地面に這いつくばっても、不屈の闘志で倒れる度に立ち上がってきた。それこそが彼女をヒーローたらしめている理由なんだ!っていう描き方は本当にカッコいい。

 

この映画、前半の構成が割と複雑なんですけど、そうなった原因はここまで何作もヒーローのオリジン話を1作目でやってきて、実はほとんど物語上の構成は同じなんだよね、というのをマーベルスタジオ側も自覚していて、それらとは違う形でオリジンストーリーを描こうってなったらしいです。

 

主人公が何らかの形でスーパーパワーを手に入れて、そこで一度は失敗を経験する。そこで自分は間違っていたのかと反省し、自分と同じようなネガ(影)の存在のヴィランと対峙する、みたいなのがヒーロー映画1作目のもうお約束ですよね。

 

キャプテン・マーベルの原作の持っていた複雑な設定と、そういうヒーロー映画のお約束をあえて外した構成なのもあって、前半はちょっと入りにくい映画だな、っていう印象もあるのですが、逆にそういうヒーロー映画が成熟しきった後に作られた映画だからこそ、定番では無い今現在の進行形の価値観を描けたのはこれはこれで良かったと思うし、ある種映画としてはポッと出の新参キャラながらキャプテン・マーベルとしてきちんと役割や位置付け、意味を持たせられたと。

 

ただ、MCU前作の「アントマン&ワスプ」にも書いたけど、リアルタイムで見てるとね、あの衝撃の「インフィニティウォー」の後の2本は、1本の映画として楽しみつつも、よし!この作品も見たぞ!さあ次の「エンドゲーム」を早く見せてくれ!みたいな消化試合みたいな気持もあったのは確かで、そこはちょっと勿体無かったかな?とは思わなくもないです。両作とも、あのエンドクレジット後映像で、さあ次だ!って気持ちばかりが早ってしまいます。今回見返して、ゆっくり見れて良かったなと思いつつも、リアルタイムじゃ無いのにまたもや次はいよいよだ!っていう気持ちが抑えられませんでした。まあそこもMCUの面白さですし、何時の日にか順番とか関係無く見た時にはまた違う印象も残る映画かもしれません。

 

とりあえず今は、さあ次はとうとうエンドゲーム!という事で。


映画『キャプテン・マーベル』本予告

「戦いはしない。終わらせるだけよ」っていうのやっぱいいですよね。ムキになって男と戦ったりせずに、無駄な言い争いを黙らせる事を自分はやるんだって考え方が素敵です。

 

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