僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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戦争は女の顔をしていない 2

戦争は女の顔をしていない 2 (単行本コミックス)

著:小梅けいと
原作:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
監修:速水螺旋人
刊:KADOKAWA
2020年(連載2019-) 既刊2巻(続刊)
☆☆☆☆★

 

1巻に続いて2巻読了。お?ちょっと1巻と展開というか方向性が変わってきてますます面白い。

 

基本的にはインタビューで聞いた内容を漫画化する、という部分では変わらないのですが、1巻と違って原作者というか、インタビュアーのスヴェトラーナさん本人の話にもなってくる。

 

こういった取材をしていく中で、少しづつ有名になっていき、自分の話も聞いてほしいという依頼が山ほど舞い込んでくるようになる。それら全てを取材するにはもう物理的に不可能な数になってしまった。じゃあその中で、何を、誰を選んでいくべきなのか?という作者の葛藤が描かれるようになる。

 

そうなると、ただのリアルな戦争体験を残すというだけでなく、意図的なテーマを考えていかなければならない。自分はどういった目的の為にこの取材をしていくのか?或いは何を聞き出すべきなのか?作者自身の葛藤と言うメタ要素が入ってくるのが抜群に面白い。

 

そして、語る側も、こういった事を伝えていかなければ、戦争はこう語られるべきだ、と半ば無意識的に、そこに作為が生まれる。

 

口伝=オーラル・ヒストリーって、いわば歴史として記される公的な記録とはまた違った部分が見えてくるというのが特徴や魅力、価値でもあるわけですが、そもそもが戦争の語り口そのものがフォーマット化されては意味が無くなる。そこは語り手が事実を捻じ曲げているとかそういう事では無くて、変な話、空気を読んでしまうというか、世相に合わせた思考回路に自然になってしまう、という部分は確かにあると思える。

 

そこはインタビュアーの腕の見せ所というか、私もドキュメンタリーとかは割と好きで見る方だし、ドキュメンタリー作家の森達也とかも好きでそれなりの冊数読んできたりしましたが、やっぱりドキュメンタリーとかインタビューって、話す側と聞く側の関係性によって引き出せる物が全然違ってきたりするもの。

 

例えば、もし自分が取材を受ける側だったら?なんて考えた時に、カメラやレコーダーの前で普段と何一つ変わらない自然さを振る舞えるかといったらそりゃあ難しい話です。

 

変な話、一人で誰も居ないところで自然にふるまってたらさ、オナラとかしたくなったら普通にプーってやるじゃん。でもそこにカメラがあったら我慢するよね普通。ドキュメンタリーで普段と何一つ変わらない自然な姿なんて、隠し撮りでもなければそうそう映るものじゃあない。それは語り口とか言葉だってそう。

 

知らない人にいきなり本音で語る人なんてそうそう居ません。ある程度関係性を作って、少し油断した所でついポロっと本音が漏れてしまう、みたいな所にこそ本質が含まれていたりするわけで、この本でもスヴェトラーナさんが、ああこれは表向きの言葉だな、本音を聞き出せているわけじゃないなって葛藤したりする場面があったりして、ええ~そんな所まで描いちゃうんだって思えて凄く面白かった。

 

ここは多分、原作本そのものには含まれていない部分ですよね?(違うかな?)そういう所を描いてくる構成が凄い。

 

ここまで来ると、もう単純に戦争の悲惨さであるとか、戦争のリアルという部分を超越してきて、戦争という現実とどう向き合うべきか?あの戦争の本質はどこにあったのか?そもそも人間とは何か?みたいな所に踏み込んできて、非常に面白く読めました。

 

取材に向かう先での列車の中で、女性では無く男性も含めた中でたまたま話になったエピソードなんかも、すごく男性的な話になってて、「戦争の中の女」からより視点が広がっていく感じも良かった。

 

これ、ただのエピソード集じゃなくて、物語としての終わりみたいなものちゃんとある話なのかな?次巻も楽しみです。

 

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