僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

女優霊

女優霊 [DVD]

監督・原案:中田秀夫
日本映画 1996年
☆☆☆★

 

<ストーリー>
舞台はとある映画スタジオ。映画監督である村井(柳ユーレイ)は、自身の初監督作品に意欲的に取り組んでいた。しかしテスト・フィルムを撮影し、それを上映していみるたところ全く別の映画の映像が混じっていたという事態が発生。調べてみるとそのフィルムは端尺フィルムではなく未現像のフィルムだという。このスタジオで過去に撮影され、ボツになったNGカットだろうと皆は言うものの、村田はどこかでその映像を見た気がしてならなかった。
やがて撮影は順調に進んで行くものの、スタジオ内に髪の長い謎の女を何度も目にする村田。そしてある時、ついに新人女優の沙織(石橋けい)が誤って舞台から落下し・・・
MIHOシネマさんより引用

 

いわゆる「Jホラー」と呼ばれる作品群の原点とされる一本。中田秀夫の初監督作品であり、本作の脚本を担当した高橋洋と共に、後の「リング」へ繋がるオリジナル作品。

 

いわゆる小中理論と呼ばれるJホラーの手法はイギリス映画の「回転」(1961)辺りを祖とする、ぐらいの事しか知らないのですが、私はそっちも見て無い。いずれ見ておきたいとは思ってるんだけど、そこまで古いとなかなかレンタル店とかには置いて無くってね。配信サービスとかだと普通に見れるんでしょうか。

 

今回の「女優霊」も初めて観ました。Jホラーはね、やっぱ怖いです。私はホラー映画って好きなジャンルではあるのですが、洋物ホラーって怖いけど、どこか他人事として見ちゃってるから、そんなに後を引く感じでは無い。でもJホラーって、やっぱり舞台が日本だと、身につまされると言うか、日常でももしかしたらこんな事が起きるかもしれない、とか思っちゃってより怖く感じてしまう。なので本気で怖くて意外と手が出しにくい。

 

小中理論って私も実際にそれを解説してる本を読んではいないのですが、要はハッキリ見せないからこそ、自分の想像の中でより恐怖を倍増させてしまう、みたいな感じですよね。絶対に幽霊とか怪物側からの視点を入れない事で、その存在が「得体のしれない何か」である事を維持させる、みたいなテクニックも含まれる。

 

今回、最後に幽霊側の視点が入ってたり、最後はハッキリ姿を見せてしまっていたりと、その演出テクニックがまだ完成されていない感じですが、終盤まではきちんと小中理論で示すようなテクニックで描かれてある。

 

で、今回見てて思ったのですが、そういう演出で作ると、実際には結果的に何も起こらなかった、出てこなかったシーンも怖く見えるんですよね。そこがとても面白いなぁと。

 

この辺りはJホラーに関わらず、ヒッチコック辺りから続くサスペンスのテクニックで、この先何かが起きてしまうのでは?という不安と恐怖、或いは不安とその緩和みたいな所にも通じる部分。荒木飛呂彦も映画や漫画の面白さはサスペンス描写だって言ってましたが、これって実は受け手側がどう感じるのか、っていうのを計算して描いているという事です。

 

ただこれね、画面で起きた事をただ受け身で見ている人には通じないテクニックなんですよね。映画とか映像ってそもそもモンタージュ理論で作られてるもので、断片的な画面の情報を見る方が汲み取る・読み取るという仕組みになってる。一つ目のカットでは部屋の中に居た人物が、次のカットで海に居る画面になったとする。画面には映っていないけど、じゃあその人物は部屋のドアを開けて、靴を履いて、徒歩か電車か車かはわからないけど、部屋から海まで移動したんだな、というのを自分の頭の中で組み立てて話を理解するわけですよね。時間経過なんかもそうです。

 

例えば刑事が犯人を探している中で、最初のカットでは昼間なのに、次のカットで夜になってたら、何時間も経ってしまったのか、という画面に描かれていないものを自分の中で組み立てて理解する、というような感じ。

 

そこまで細かく意識して見ていなくとも、そこを感覚で見ているのが映画なり映像なわけですが、映画って集中して見ることを前提に作られているので、言葉で語らずに、観ている人に読ませる事こそが映画的手法とされている半面、TVなんかは片手間で見る事も前提としているので、きちんと画面を集中して見ていなくとも伝わるようにと、いちいち言葉で状況や感情まで説明したりする。映画好きな人にとっては、そんなの説明しなくてもわかるよ、言葉で言ったら台無しじゃん!画とか表情だけで見せてよ、組み立てるのは自分の頭の中でするから!ってなる。

 

映画とTVの違いってそこにある。映画オタクがTV的な演出とかにゲンナリしたり、バカにしがちなのはそういう部分。

 

ただ、そうやって自分で組み立てる作業なので、個人の受け取り方や情報の読み取り方で解釈に差が出てしまうものでもあるので、通好みの映画をそんなに映像に造詣の無い人が観ると、よくわかんなかった、とかになるのはよくある話。

 

Jホラー、あるいは小中理論っていうのはその辺りを理解した手法で、あれ?今画面に何か映って無かった?え?マジ怖いんだけど。あれ何なの?っていう不安を自分の中でより(ある意味勝手に)増幅させてしまう。だからとてつもなく怖い。

 

「リング」のヒットの後に山ほどその手法を表向きだけ真似した大量の亜流作品が生まれましたが、あえてその「見せない怖さ」の真逆を意図してやったのが「呪怨」だったわけです。「呪怨」は怖い物をもうガンガンストレートに見せてくる作風。


そこを考えると「貞子VS伽椰子」って、そういう映画手法のイデオロギー闘争にもなりえたはずなんだけど・・・まあ誰もそんなの求めて無かったのかもしれない。その辺りはいずれ語るかなぁ?あえて2回目観て感想とか書く気は今の所は無いので今回無理矢理触れておいた感じかも。そこは気分しだいで。

 

今回の「女優霊」もね、最後にハッキリ姿の見える女優霊が出てきてしまいます。私はそれでも十分に怖かったのですが、心のどこかで、ああこれが正体なのか、みたいな安心感もほんの少し感じてしまったし、女優さん、どんな気持ちでこれ演じてるのかなぁ?とかね、そういう余計な想像まで入ってしまったのは事実かも。


怖いけどほっとした、みたいな。いや、そろそろラストっぽいし、やっとこの怖い映画から解放されるっていう気持ちもまたホラー映画ならではなのかも。その辺も色々考えてみると面白いもんです。

 

そんなのが私の「女優霊」感想。作品単体のみならず、文脈としての面白さもありました。

 

ああ、そうそう妹役の子、石橋けいさんって「有言実行三姉妹シュシュトリアン」だったのね。「バトロワ2」と言い、オタク的にも見所のある作品かも。


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