HennaRonbun
著:サンキュータツオ
刊:KADOKAWA 角川学芸出版
2015年
☆☆☆★
おっぱいの揺れ、
不倫男の頭の中、
古今東西の湯たんぽ、
猫カフェの効果……
こんな研究アリですか?
最高に無駄な
知的興奮!
ぷらすと司会者、月刊文字数と熱量主催、国語辞典マニア、BL論といった所で私的にはお馴染みのサンキュータツオ氏。ゴメン、本業のお笑いは観た事無いです。
たまたまブックオフで見かけてパラパラとページをめくってみると、要所要所に鉛筆でアンダーラインが引いてある。あら、これは要点とかをまとめるのに書き込みとかした本なんだな、とか思ったらちょっとそこも面白そうだったのでそのまま購入。
こんなご時世ですし、作者も中古本とか読まれても喜ばないだろうなとは思いつつも、貧乏人にはやっぱり中古ってありがたいです。昔に、何か手紙みたいなのが挟んである本に巡り合ったり、たまたま買った中古本が大槻ケンヂのサイン本とかだったりした事もあったな。そういえば私が持ってる初代プリキュアのムック本も、おそらくは子供が落書きとかした奴だったりもして、こういう本との出会いも面白かったりしますね。
で、珍論文コレクターでもあるらしいサンキュータツオ氏、論文誌とかを捲っていると、たまに変な論文に出くわす事があって、そういったものの紹介本です。
論文、皆さまは書いた経験はあるでしょうか?大学生だと卒業論文とかがありますし、それに向けたゼミなんかもやってるものかと思われますが、私は大学は出て無いので、学生時代は書いた事はありません。論文なんて小難しいものなんでしょう?自分とは特に縁も無いものだなとか昔は思ってました。
ただ私、大人になってからとある地方のNPO活動なんかに参加してて、そこでは大学に直接入学しなくても、そこに比類するくらいの勉強は個人でも出来る、みたいな事をやってて、そこで小論文を書くゼミに参加したりしました。
で、その一環で実際の大学生のゼミ合宿とかにも参加したりと、良い経験が出来ました。「大槻ケンヂの歌詞から見える時代背景と社会の変化」みたいな感じのテーマで私は書いた記憶があります。もう原稿データとか残って無いですし、小論文だったので400字詰め原稿用紙20枚だっけかな?8000字?いや1万字だったかな?それとも5千字だったか?
ブログ記事で長くて5000字、もっと長いので1万字とか超えてるのもあるので、今考えると全然少ないですよね。ただ感想書いてるだけでもそれくらいになっちゃうで、
短くても論文の形にするには仮定とそれを証明する論証みたいなものが必要になってくるので、1万字程度だと多分大したことは書けない。
そして何より一つの答えを出すにはその何十倍も時間をかけなきゃいけないのでそもそも時間が無い。時間が無限にあれば私はプリキュアの論文とか凄く書きたいんですけども。
書評とかもそうですよね。その一冊だけでなくその周辺も何冊も読まなきゃいけなかったりするものなので、凝縮された文字数には、物凄い時間がかかってたりする。
その辺の視点を手に入れた後だとね、書評とか小論文みたいなものって、凝縮されたものがまとまっているものなわけで、それって物凄くありがたい事だと思う。他人の努力の結晶ですよ。テキトーなネットのまとめサイトとかとはわけが違う。
勿論、1万字だろうが1日2日程度で勢いに任せて書くだけの私のブログ記事なんかよりも、はるかに濃いものがそこにはあるわけです。(そのくらいの事は自分もやりたいけど時間が~っていっつも私は葛藤してるのです)
論文というのはそんなものでありつつも、中には緩い論文誌に掲載された中では、何でこんな研究をしてるのよ?というものもいくつもある。そんな所に突っ込みを入れてるのがこの本です。
勿論、安易にバカにしたりとか、そんなスタンスは一切ありませんのでそこはご安心下さい。え?何これ、ふむふむ面白いじゃん。でもこれどういう発想なんだ?とかこんな実験するのか?等々、面白おかしくは書きつつも、ちゃんとリスペクトがある。そこは流石です。
タツオさんの動画とか見てて面白いなって思ってた部分がちゃんとこの本にも感じられて、大変面白く読めました。
「なぞかけ」の法則という論文に触れてる中でも、これはという部分がありました。
「面白さ度」とは?いくつかの謎かけに対しての反応の「面白い」或いは「つまらない」と思った理由を分析してある研究で、例えば「つまらない」なら、
1「わからない」
2「当たり前」
3「異議あり」
という3項目にその理由を分類する。
逆に「おもしろい」の方は
1「そうそう!と共感できる」
2「なるほど!と納得する」
3「うまい!とうなる」
4「おしい!と思い色々手を加えたくなる」
という項目に分けて分類する。
「おもしろい」という言葉は安易に使われがちだけど、その「おもしろさ」の中には
実はいろいろな種類がある。
これ、すげー当たり前じゃんと思う反面、それをきちんと意識してるかと言えば、必ずしもそうではない人の方がずっと多いはず。
私は全ての物事をロジカルに考えたいタイプなので、そうそう!と共感。「なぞかけ」だけでなくそれはこうやって書いてるブログだって同じなのだ。
面白いと思ってもらいたいとは常々思ってる。じゃあその面白いって何だ?どういう種類の面白さなのか?というのは分析が必要だろうと。
例えば映画の感想を書いたとしましょう。「そうそう、それわかる」って思ってもらいたいのか、それとも「なるほど、こんな視点があったのか」と思ってもらいたいのか、ただ「いいね」が欲しいだけなのか。
私は基本的に文章が長い。それは、そう思った「理由」をきちんと書きたいから。ツイッターが苦手なのはその為です。あんな少ない文字数でその理由なんて詳しく書けるわけないじゃん!っていっつも思ってます。
「面白い」と思ったら、それはどういう種類の面白さなのか?そしてその理由はどこにあるのか?その辺が曖昧な言葉に果たして意味があるのでしょうか?
私は論文に関して自分の経験を重ね合わせているから、そこに面白味も感じるし、その中で「わかるわかる」という共感だったり「こんな視点もあるのか」という発見があるからこの本が面白いのでしょう。
帯に「最高に無駄な知的興奮!」って書いてありますけど、知的興奮ってわかります?知的探究心とか言われて、「ああ、あれね!」って素直に思う人も居れば、ピンと来ない人も中には居ると思うんですよね。
逆に私はスポーツの面白さ(見る方にしてもやる方にしても)とかが全然わかってなかったりします。
ああ、学校の勉強なんかもそうですよね。勉強が面白いと感じてるような成績優秀な子も居ましたよね。私は学生時代はさっぱり勉強の面白さなんてわかりませんでしたが、大人になってからする勉強って、趣味で興味のある分野に限るからか、面白かったりするんですよね。
そこに「なるほど」っていう理解や新しい視野が開けたりすると、その発見が「面白い」だったりするのでしょう。娯楽エンターテインメント映画ではなく、社会派の重苦しい映画なんかに対しても「面白い」と感じたりもする。
それってどういう事なんだろう?と思った瞬間から研究は始まります。それはもしかしてこういう事かな?とぼんやりとした仮説を立ててみる。そこまでは意識こそしていないまでも、結構みんなやってる事だと思うんですよね。で、そのぼんやりと思った事に対して、その証拠となるもの、納得出来る理由を探り出し、立証できれば、それは十分な論文になると言えましょう。いや「十分」は言い過ぎか。それっぽい論文なんか結構書けちゃうものです。
え?そんなの誰も手つけてねーよ!という題材であれば、それはまさしく「ヘンな論文」と思ってくれるでしょう。
へぇ~「論文」なんて堅苦しいものかと思ってたけど、こうして話を聞いてみるとちょっと面白いかも?なんて思ってくれたらこれ幸い。
・・・という事も作者が書いてたりしますが、そこは私も同じ気持ちです。
調べてみると、文庫化もされてるし、続編の「もっとヘンな論文」という続編もあるのか!機会があればまた是非。
ところで、最初に触れたように中古本で買って、要所要所にアンダーラインが引いてあったと最初に触れました。ここがこの本の要点なんだな、とわかりやすく理解が深まる・・・かと思ったら、何だこれ?それっぽい部分もいくつかあるにせよ、難しい単語や漢字にラインが引いてあるだけだったりするし、いやそこはギャグ的に書いてる部分であって内容的に重要なとこじゃないだろう!ってとこにまでラインが引いてあったりして困惑。先に誰かの手が触れた謎のアンダーラインのおかげで、これどういう発想でライン引いてるんだよ!という知らない誰かを身近に感じながら読む形になりました。
私は「ヘンな論文」という本と同時に、「ヘンなアンダーライン」を読んだ。