僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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由宇子の天秤

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監督・脚本・編集:春本雄二郎
日本映画 2021年
☆☆☆☆★

正しさとは 何なのか?

<ストーリー>
3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件を追うドキュメンタリーディレクターの由宇子は、テレビ局の方針と対立を繰返しながらも事件の真相に迫りつつあった。そんな時、学習塾を経営する父から思いもよらぬ〝衝撃の事実〞を聞かされる。大切なものを守りたい、しかし それは同時に自分の「正義」を揺るがすことになるー。果たして「〝正しさ〞とは何なのか?」。常に真実を明らかにしたいという信念に突き動かされてきた由宇子は、究極の選択を迫られる…ドキュメンタリーディレクターとしての自分と、一人の人間としての自分。その狭間 で激しく揺れ動き、迷い苦しみながらもドキュメンタリーを世に送り出すべく突き進む由宇子。彼女を最後に待ち受けていたものとはー?

 

映画ファンの間でとんでもない作品が来たぞ、今年のナンバーワン映画じゃないかと話になっていたこの作品。こちらでも上映がありましたので、これは見逃せないぞと見て来ました。

 

う~ん、モヤっと。

と言っても、勿論そこを狙った作品。


凄く簡単に言ってしまえば、メディア批判の映画なのですが、そこを外から偉そうに語ってんじゃねーぞと、もしお前が当事者ならどうするんだ?というのを突き付けてくる作品。

 

まず主人公の由宇子、この人はドキュメンタリーのディレクター(監督)です。森達也とかを知ってる人なら割とわかりやすい立場なのですが、あまりこういうの詳しくない人は知らないというか、気にかけた事すら無い人も多いのかなと思いますが、TV番組ってそのままTV局に所属してる人が作ってるものもあれば、外注の番組制作会社に頼んで制作してるものもあります。由宇子はその外注業者の方で、報道ドキュメンタリーを作っている人です。

 

まず注目したいのは、3年前の事件を追っているという部分。
この時点で「おっ!」と思わせてくれますね。この時点で結構骨太な人というのがわかります。ニュース番組、う~ん、そしてもう私が身の毛もよだつ程大嫌いな所謂「報道バラエティ」(お笑い芸人とかがしたり顔で報道にコメントしたりする奴です)とか、ああいうのって速報性、話題性みたいなのが大事なので、今起きている事件とかを扱うものです。何でそれが大事なのかと言えば、視聴率。視聴率が高いものにスポンサーがお金を出すから。で、視聴率が高いというのは、視聴者が興味を持っている事、になります。視聴者って誰か?あなたです。そして私です。

 

ニュースや報道の質が悪いというのは、TV局だけが悪いんじゃないのです。それを見ている私たちの質が悪いという事でもあります。くだらない番組を喜んでみているくだらない私達。くだらないのは番組だけじゃなく、お前だよ、お前。

っていう事だと私は理解してます。はい。

 

3年前に起きた事件のその後を報道してる番組なんて、実際はそうそう無いですよね。そこを追っているというだけでも骨太だなというのが伝わります。でも、やっぱりそこに伝えるべきものがあると思ってる人は世の中には居るし、由宇子もそんな中の一人で、正義感が強い人なのでしょう。

 

視聴者はそんなの求めて無いのかもしれない。でも、報道ってそういう事じゃ無いでしょう?って思ってる人も中には居ます。
私は「はりぼて」とか「さよならテレビ」、そして「私は金正男を殺してない」とか思い出しました。こういう人もちゃんと居るんだ、と思えるのは凄く嬉しいです。

 

そしてそんな3年前の事件ですが、実際に何がどう起こったのかは映画の中でも明かされません。残された遺族の証言のみ。そこから見えてくるのは、ネットリンチです。正義を掲げた社会的制裁。いや、そんな意識ももう無いのかな?被害者・加害者に関わらず住所がネット上に晒されて、村八分にされ、当事者では無く、そのただの家族が身をひそめて転々とするしかなくなっている現実。

 

森達也「虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?」の感想を書いた時にもちょっと引用して触れてますが、この「家族も責任を取れ」っていう論調、凄く日本的ですよね。海外では、例え加害者側の家族であっても、その家族に責任があるとは考えられず、のこされた家族にはむしろ同情の方が多く集まるようです。勿論、攻撃する人がゼロって事は無いでしょうけど、割合的には同情の方が多い。そこは個人主義みたいなのがあるからなのかな?

 

劇中でも、小さい小学生くらいの娘が、「血筋って何?お前は血筋が血筋だからな」的な事を言われたっていうシーンがあります。ああ~これ凄いわかる。こういう言い方って凄くしますよねぇ。なんか凄い所を突いてくる映画です。

 

で、そんな3年前の事件を追っている由宇子は、無くなった二組の家族に取材をする中で、やはりどこかおかしい所があると感じるも、事件の当事者でも無ければ、やはり本当の所はどうだったのか、というのはどこまで行っても藪の中でしかない。

 

その人柄、人間性みたいな所からやっぱり人は印象を持つものかと思います。例えばこの人は嘘がつけないタイプだな、とか判断したり。でもね、そこがやっぱり難しいし、問題でもある。どこまで行っても他人の心の奥にあるものなんか、わかんないもんですよ。人ってそんな簡単じゃあない。怖い人だな、と思ってみても、家族には優しい顔を見せたりもするわけで、どこまでも人は多面的です。

 

こんな人がまさかあんな事をするなんて、みたいなケースって、事件とか大きいものでなくても日常でもいくらでもありますよね。きちんとしてる人かと思ったら、意外な所でルーズな部分があるのを見つけたり、普段は温厚で怒らないタイプの人なんだけど、予想外の部分でスイッチが入ってしまったり。

 

事件の外に居て、あくまで部外者であるからこそ、他人って難しいな、と視聴者も、そして由宇子も思ってたりする。

 

で!そんな中でまた別の事件が起きる。
3年前の事件と、似たような事が今度は自分に降りかかってしまう。
この展開がなかなか凄い。

 

他人事だと思ってんじゃねえぞ、じゃあお前がまさに事件に巻き込まれたら何を考え、どう行動するんだ?お前の正義は自分にも突き付けられるのか?という問いかけ。

 

うん、エグイ。そこで描かれるのは、いかにも映画的な「正義と真実を求める正しいジャーナリストの姿」とは言えない、まさしくこれまで描かれてきた他の登場人物と同じく、多面的な描き方がされていました。ネタばれはしない方が良さそうな気がしますので、何がどうとは言いませんが、いや~この状況は辛い。信じていたものがガタガタと崩れ落ちて行く。由宇子の立場としても、父親の立場としても、いやこれは痛い。

 

なんとかそれなりに修羅場を潜り抜けてきた自分の経験とか人脈を生かして丸く収めようとするものの、人生そんなに上手く行く事ばっかじゃ無い。この辺の厳しさね。

 

誰しもね、厳しい状況だったけど、何とか乗り切る事が出来たっていう経験もあれば、そうは上手く行かなかったっていう経験も同時にあるでしょう。この辺のね、積み重ね方が凄いなと思います。なんつーシナリオだと。

 

2時間半の長尺ですが、あっという間だったとは言わないまでも、意外と時間は気になりませんでした。商業映画じゃ自分の撮りたいものが撮れないっていうので、今回は自主映画と同じ作りで自分で資金を集めて、みたいな事をやって作った作品ですし、一つ一つの溜めとか間が結構多くて、作り手側が伝えたい「間」と映画として必要な「間」ってまた別なものかなとかちょっと考えてしまったのですが(決してその間が悪いとかでは無いんですけど)大手広告代理店がついてたら、絶対これもう少し短くしてよって言われる奴だな、とか思いながら見てました。

 

で、面白いのはこの作品、徹底的に「由宇子」のシーンのみで繋いであるんですよね。勿論そこは意図的なもので、例えば事件の真相とか由宇子は知らないけど、観客だけが知っている、みたいな部分が無いように作ってある。由宇子が見ていないものは観客も見ていない。

普段、劇映画を見ていても、そんなに意識ってしてない部分なので、言われてみるとそうかっていう感覚くらいですが、例えば主人公と敵対している側のボスが、「あいつを消せ」みたいな主人公が感知してないシーンがあって、そこで見てる方が、うわ敵が本腰を入れ始めたぞ?これは主人公ピンチだ!っていうサスペンスになって物語って展開してたりするんですけど、この映画は意図的にそういうのを一切やらない、という手法。

 

そこも面白いですよね。一人の視点からでは、他人が何を考えているかはわからないという部分をきっちり映画全体を通して貫いてあるわけです。物語としては衝撃的な事象はおきたりするんだけど、そこを由宇子が目撃するわけでもないので、いわゆるビックリ演出的なものもない。

 

それゆえの「ああ~映画として面白かった」っていう他人事、視聴者はあくまで安全圏のカメラを通して話をただ見るだけではなく、由宇子本人でも無いんだけど、それに寄り添う形で、お前はどうなんだ?っていうのを突き付けてくるからこそ、うわ~なんかモヤモヤする、みたいな印象を持つのかなと。


探せば似たような手法をとっている映画もあるのかもしれませんが、私はあまりそういうの知らないのもあってか、ちょっと独特の映画体験でした。そういう意味では十分に「面白かった」とは言えます。スッキリはしないけど。

 

もう一つそれに近い感じで面白いのが、今回の映画、BGMが一切無いんですよね。そういう手法はBGMだけでなく自然光以外は一切使わないとかのドグマ映画とかも過去にありましたが、そういうリアリティを重視っていう面もあれば、今回はテーマとしてメディア批判もあるでしょうから、いわゆる音楽での感情操作もこの映画ではやらないよ、それやったら今のメディアと同じじゃん。いかにもおどろおどろしいBGMをつけて視聴者の不安を煽ったりしたら、それってメディア側の判断で印象を作ってるのと同じ事じゃん。そこを批判したいんだから、この作品ではそれはやりません、という潔さや信念がまた面白い。

 

これ、まったく別の編集をして、BGMとかを入れて商業映画として2時間に纏めて作っても十分に面白いと思うんですよ。商業作品でも社会派なもので評価受けてる作品も沢山ありますしね。でも、それやりたくないんだよ、自分が作りたいのはそこじゃないの!っていうのが凄く伝わる、なかなかこんな作品見た事無いなって言える作品になってました。

 

他人事じゃ無く、もし自分ならどうするんだ?っていうテーマの多層的な重ね方、そして、いやこの状況はキッツイな~っていう状況を上手く考えてきたな、と唸らされるし、媚びないからには徹底的に媚びない、自分の正義を押しつけたりもしないよ、っていうのも含めて、予想してた以上の物がありました。

凄い作品です。

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