僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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サウンドシアター ガイア・ギア CD-4

サウンドシアター ガイア・ギア CD-4

GAIA GEAR
脚本・シリーズ構成:遠藤明範
原作:富野由悠季
ラジオドラマ 全26話(全5巻)1992
☆☆☆☆

 

CD4巻。2枚組で19話「クリシュナの苦悩」から24話「バイエルンの風」までを収録。

 

クライマックス直前。連邦の首都であるパリを制圧したビジャン・ダーゴル。アフランシ達は体勢を立て直す前にと奇襲攻撃を仕掛けるも、パリはもぬけの殻だった。ドイツのノイシュヴァンシュタイン城へ移ったダーゴルを追い掛けるも、戦闘で互いの陣営に死者が出て疲弊していく。といった感じのとこまで。

 

いやぁ、前回に続いて昼ドラかってくらいに恋愛要素が表に出てくる。ウル、クリシュナ、ジョー周りが寝ただの俺の女になっただの、今この状況でやる必要あるか?とか思っちゃったりするんだけど、じゃあ同じようなパイロットの立場のジョーとケランを比べると、明らかにその辺のドラマがあるジョーの方がキャラが立って見えるんですよね。

今回、ケランが戦死して、敵側もレイラ・セイバーが死亡。いかにもな最後の見せ場があるタイプじゃ無く、一瞬であっさり撃破される系。

 

あ~、ガンダムで死亡シーンと言えば見せ場なのに、とか私思っちゃったんですけど、なんかそれはそれでちょっと感覚が麻痺しすぎてるのかな?ってちょっと今回考えてしまいました。

 

「オルフェンズ」とか「00」とかでもメインキャラ死んだりするじゃないですか。そりゃあガンダムだしそういうものって感覚で居たんですけど、あれ、ガンダム慣れしてない人にとっては、相当にショックを受けた人も居るようで、ガンダムみたいな人が死ぬアニメは苦手っていう層も今は一定数居るらしいというのを知りました。

 

う~ん、まあ確かにそういう人達の感覚も間違ってはいないのかも。いやだって、ガンダムにおけるメインキャラの死亡シーンは大切な見せ場でしょう、なんて考えるのも、よく考えたら結構怖い考え方なのかも?なんて自分でちょっと思ってしまった。それって泣けるアニメで感動しましたとか言ってる感動ポルノとかの類と言う程大した差なくね?みたいな気がしないでもない。

 

まあ。死をエンタテイメントとして消化してしまう危険がある半面、現実では描けないものを架空の形で疑似体験する事で命の大切さを実感する的な面も半分はあったりするわけで、何が正しいとかそういうものではないのだけど。


ウルの駆るブロン・テクスターに手ひどくやられたアフランシ一行。ガイアギアも中破するも、修理が完了。ここはパワーアップイベント的な流れで、ガイアギア改とまでは行かないものの、ここでウルのサイコミュ攻撃に対抗するため、ガイアギアもファンネルを装備。元々オプションとして持ってきてたものだった様子。つーかガイアギアの時代は地上の重力下でもファンネルが使える。

 

アフランシが復活したホンコンマハのジャンウェン・フーと戦いを繰り広げてる中で、ウルの苦悩は続き、そこに対して気持ちを重ねて行くクリシュナ。

伝説の活動家ジャック・ブルームも合流し、目指すはバイエルンでのダーゴルとの最終決戦!という辺りまで。

 

60年前から活動しているとジャックは言ってるので、若い頃のジャックとか、どっかでいずれ拾われるケースも出てくるのかな?Vガン時代なら出せそうだけど、長谷川先生が拾うかどうかだなぁ。「トビア=カーティスとしてのクロスボーンガンダム」は「X-13」で終わりつってるけど、フォントとかアッシュの物語としてまた別の話は描けそうですし。あの時代は「Gセイバー」含めて色々描けそうではある。最も、そこに需要があるのかは微妙な所ですが。

 

という事で次でガイアギアも最後です。

 

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