僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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機動戦士ガンダム 水星の魔女

Mobile Suit Gundam THE WITCH FROM MERCURY
監督:小林寛
シリーズ構成:河内一楼
TVアニメ 2022-23 Season1 全12話
☆☆☆☆

 

「水星の魔女」シーズン1終了。シーズン2は4月からのようです。
最初に情報が出た時は、どんなもんかねぇ?くらいの感覚でしたが、先行公開された第0話的な「プロローグ」編が予想以上に面白く、これは結構楽しみ!と本放送がスタートしてからも、これが毎回面白い。

 

1シーズン観終わってみると、やはり最初の作品コンセプトでもあった、「今の世代の為のガンダム」というのが色濃く出てる作品だなぁと。ラストもそうでしたけど、Z(ゼット)世代向けっていう感じでしたよね。

 

恐らく、作ってる方はうるさがたの昔からのマニアには無視されようが低評価を受けようが、新しい世代や新しい層に受け入れられればそれで良い、みたいな覚悟の上で作ってるんだろうなと思います。

 

映画「閃光のハサウェイ」が、マニア向け路線で作ったものの、何故か知らないけれど、若い世代にまで予想外に受けて大ヒットを記録しました。
データ的な物があるわけではありませんが、ここはコンテンツの力だと思います。それだけパイが大きかったというより、有名コンテンツだから一度くらいは触れてみたい。シリーズ沢山ありすぎてよくわからないけど、わからないなりに新しい奴ちょっと見てみようみたいな人が多かった印象。多分、その流れを「水星の魔女」も引き継いでいた感じが凄くしました。

 

毎週のバズリ具合なんかも含めて、新しい層が「話題作」という感じできちんと見ている感じ。それこそ近年は「倍速視聴」みたいな事も問題になったりしますけど、要はそこってサブスクとかも含めたコンテンツ過多の中で、話題に乗り遅れないようにと、作品を楽しむと言うより、知識として入れたいから見るみたいな事が言われてるわけじゃないですか。要はそんな中の「話題作」の一つに「水星の魔女」も入れたんだろうなと思う。

 

過去にも色々な記事で何度も書いてますけど、どの作品も作り手はヒットさせたいと思って作ってるけど、大半はそう上手くは行きません。受け狙いだろうが、実際に受ける作品に仕上げてきたのは、それはそれで立派な事だと思います。
だってバンダイナムコグループの中でも、色々抱えてるコンテンツの中でも「ガンダム」がぶっちぎりのトップで規模が大きいんじゃなかったでしたっけ?何十億、何百億というビジネスなわけです。未だにエアリアルガンプラも買えないですし、ネットでのバズリ具合も含めて、話題性抜群の大ヒット作としてちゃんと結果を出せて良かったですね。


じゃあそんな新規層だけが楽しめるものなのかと言えば、昔ながらのガノタやってる私も十分に楽しませていただいています。

まずガンダムを「呪い」としたセンスが抜群に面白い。これもまた作品を作るきっかけにもなった、ガンダムというタイトルがついてるだけで観る気が失せる。それはおっさんの為の物にしか思えないから的な意見を反映させた、物凄くメタフィクションなネタでもあるからです。視聴者としてもそうですし、作る方も規模が大きすぎるが故の重荷にもなる。それは過去の遺物であり、遺産にもなりえるものの、同時にそれは呪いでもある。

 

と同時に、スレッタ、ミリオネ、グエル、シャディク、エランと学生の若いメインキャラクターと共に、その親を同時に描く。親の呪縛と、それをどう乗り越えて行くのかをちゃんとストレートにテーマとして描いている。

 

思えばファーストガンダムニュータイプ論だって、基本は単純な世代論だったはずです。前の世代を乗り越えて、自分達が新しい時代を切り開いて行くんだ!という物凄く単純な世代論。それを考えれば、水星の魔女の親子の描き方も、必然と言うかちゃんとガンダムの系譜に連なる物語でもありました。

 

特に12話の最終話。最後の最後に物凄くインパクトのあるシーンでクリフハンガーしてきましたが、そこに至るまでの話は、ミリオネもグエルも、親とどう対峙してどう乗り越えて行くのかが描かれる。特にグエルなんて、本人が意図した物では無いにせよ、父殺しというのは古の時代からある男性性の象徴みたいなもんです。

 

女性主人公の物語というのもあってか、グエルは途中はヒロインポジションみたいになってましたし、そこもまた面白かったんですけど、親殺しというトラウマを抱えながらも、それを通過儀礼として大人へと成長していくのでしょう。

 

そしてミリオネは和解の道を選ぶ中、スレッタは結局また親の言いなりになっているわけで、そこもまたグロテスクな関係であり、同時に子供の危うさでもある。そこら辺はちゃんとドラマとしても面白いなと思える部分。

 

12話ってやっぱり短いなぁと思いつつ、各々のキャラはきちんと個性やドラマが描かれてるなと感心しますし、見た目のインパクトがありつつ、ドラマとしてはまだ上手く描かれて無いのってチュチュくらいですよね?というかここの本筋は多分チュチュではなく、ニカ姉の方に軸があって、そこに対応していくキャラとしてのチュチュの配置かなとも思う。

 

ただのバズリワード連発だけでなく、そんな感じでキャラクターも興味を惹かれる描き方になってたのは素直に上手い。

 

そしてやっぱり12話を見たばっかりなので、あの最後を語りたくなりますが、ツイッターとかだとね、学園物に見せかけて最後はきっちりこれがガンダムだってやってきたな的な意見を沢山見書けるんですけど、少なくとも私にとってガンダムとグロテスクさはそんなには結びつくものではないです。

 

勿論、過去のガンダムでグロテスクなシーンはいくつもありましたし、残酷に人が死ぬリアリズムこそがガンダムなんだっていう言説が割と多いのも百も承知です。

 

でもね、基本的には「相手がザクなら人間じゃないんんだ」「コックピットだけを狙えるか?」とかやってきたのがガンダムなんですよ。大概のどのシリーズでも、ファーストキルみたいなシーンでの葛藤は入るケースは多い。でも基本的には「出てこなければやられなかったのに」とか「僕に人殺しをさせないでよ」程度で流しちゃうんですよね。じゃないと「不殺」どうのこうのと、つまんない話になっちゃうから。

 

と同時にね、ガンダムのもつ死のリアリズムや残酷性って、実は人を殺す事より、味方のレギュラーキャラとかがあっさり死ぬみたいな所にもあると私は思う。

 

作作品のインタビューとか読んでるとね、ガンダムなので自分がいつ死ぬかわからないので毎週台本をチェックする時にヒヤヒヤするみたいな話はよく目にします。

人が死ぬような重い話は見たくないっていう視聴者の悩みも、基本的には被害者視点なんですよね。

 

そんな中、あのラストは主人公を加害者に置く事でのグロテスクさの演出というのが面白い部分でした。あれね「ククルスドアンの島」でも同じ事やってましたよね。近い時期に同じような演出を続けてやるってどういう意味があるんだろうか?
実際にロシアが戦争を始めたりした事での時代の空気なのかなとも思うんですけど、アニメの準備期間とか考えるとそこを単純に結びつけるのって短絡的かなぁとも思いますし、私個人としてはそれこそもう10年も経ちますけど、ガンダム立像。いわゆる1/1のモビルスーツの大きさを今はもう体感出来たりする時代なので、これに踏みつぶされたらそりゃ生身の人間なんてペシャンコになるよなぁ。巨大ロボットってアニメで見るからカッコいいのであって、実際あったらそれはヤバい代物だよね、的な感覚が生まれたのかなぁと。

 

しかもね、菜園で育ててたトマトとか、人を救う技術としてのガンドアームとかもこれの為の前振りだったのか?とか考えると、行き当たりばったりではない1クールとしての構成とかも上手く作ってあるんだなと感心します。

 

ビジュアルのクオリティも申し分ないし、デザインとかも嫌いでは無いです。自分達に向けた作品では無いとは百も承知な上で、それでもね、面白いなと思うし、キャラクターに感情移入して見るとかでは無いので、逆に冷静に見てられるような部分もあって、セカンドシーズンも素直に楽しみです。

 

来週以降は「閃光のハサウェイ」「ガンダムNT」「サンダーボルト」のTVエディションみたいですが、そっちはそっちで楽しみ。全部オリジナルの方を観てますし「UC」や「オリジン」のTV版は、今更こんなの見てもなぁと思って結局飛び飛びでしか見なかったんですが、映画尺の分割だと3話か4話分くらいですよね。それくらいならモチベーションも保てますし、多分ですけど、そっちの方も随時感想は書いて行こうかなとは思ってます。

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