僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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生たまご ゆでたまごのキン肉マン青春録

生たまご ゆでたまごのキン肉マン青春録

著:ゆでたまご嶋田隆司中井義則
刊:エンターブレイン
2009年
☆☆☆★

 

2009年に出たキン肉マン作者の自伝本。
時代的には「キン肉マンII世」が軌道にのって再び注目され始めた辺りまでの時期。
今はそんなキン肉マンII世の連載も区切りをつけ、初代の方の直接の続きを書いて更に好評を博している、という感じの状況。

 

今でこそ、昔に人気があった漫画のパート2やそれこそ二世物とか相当に増えてますが、当時はまだそこまで多くは無かった時期のはず。私は「キン肉マンII世」も連載されてしばらくは知らなくて、結構経ってからへぇそんなのやってるんだって知った気がします。で、丁度その辺から他でもリバイバルというか復刻というか昔の続き物が増えてきたな、という印象を当時持った事を覚えてます。

 

この「キン肉マンII世」が上手く行ったから、他の作家もそれに習ったというのは多少はあるかもしれませんが、どっちかというと出版業界の落ち込みから、全くの新しい物より、ある程度知名度があれば最低限の読者は見込める、という編集側の都合も結構大きいと思います。最近はアメコミに習ってか、人気作のスピンオフもよく行われてますけど、それも同じ理由ですよね。知名度ゼロの新しい漫画よりは最初からある程度の数が読める方が出しやすい、というのが漫画業界の流れになってるはずです。

 

作者の新しい話とかよりも、そのコンテンツを重視。キャラクターが同じなら作者が違っていてもさほど気にしない、それがキャラクタービジネスだから、みたいなのは凄く今の時代かなと思いますし。

 

そんな考え方に対する良し悪しはあるかもしれませんが、例えば昔の作家ってね、何か一つ人気が出たけど、いずれ話に終わりはあるわけで。完結後にまた別のヒット作を生みださなきゃならない。それが当たり前でした。
鳥山明は「ドクタースランプ」をヒットさせて、今度は「ドラゴンボール」。
ジャンプ系じゃないけれど、「うる星やつら」があって「らんま1/2」があって「犬夜叉」と高橋留美子は何本もヒットを出す。「めぞん一刻」だってありますし。
それを出来る凄い作家もいますけど、じゃあそれをみんな出来るかと言えばそれはやっぱり難しい。

 

ゆでたまごは「キン肉マン」を生みだしたけど、その後に描いた「ゆうれい小僧がやってきた」とか「スクラップ三太夫」とか「キックボクサーマモル」とか全然ヒットしなかったわけです。私は全部単行本買ってた気がする(残してはいない)
で、結局「キン肉マン」に戻ってきてるわけですけど、いやそんでも社会現象レベルのヒットを一度でも生みだしたらそれで十分なんじゃないの?と、今なら思う。

 

それはアーティストとかお笑いとかもそうですよね。一発屋とかバカにされるケースも多いけど、いやその一発すら当てられないのが世の中なわけで、一回でも当てたらそれは十分に成功でしょうと。それで一生食っていけるかどうかはそりゃ規模にもよるでしょうけど、名前を残しただけでもね、何も残せない人と比べたら、何とラッキーなんだと思うわけで。

 


そんなゆでたまごの幼少期から遡り、嶋田・中井二人それぞれの語りが交互に描かれて行く。(ただ微妙に時代がズレてるとこもあって、そこは編集の人がもうちょい仕事してほしかった感もアリ)

 

二人の漫画好きの少年が出会い、お互いの漫画の見せっこをしている中で生まれたキン肉マンというキャラクター。「まんが道」の如く、二人で漫画家を目指した二人が編集への持ち込み、連載への勝負をかけたのがそのキン肉マン。高校の卒業と共にジャンプでの連載が決まっているという、傍から見れば順風満帆な漫画家人生に見えて、人気作家になるにはそこからの一押しが更に必要。連載まではこぎつけても、思った以上に伸び悩んだ人気だったが、ギャグ物から自分達の得意分野である「プロレス」漫画に路線変更する事で人気が爆発。

 

アニメ化も決まり、大成功に思われたものの、当時は言うほどもうかって無いそうな。「キャプテン翼」の高橋陽一と共に、長者番付ランキングに入ったりしたそうですが(確かに昔そういうのニュースでやってた気がする)ほぼ税金でとられて、大豪邸とかを建てられる程の利益はあの時代の人は残らなかったかったそうです。その後の鳥山明からが税金対策をきちんとやってお金持ちになったんだよね、と、やや恨み節的に言ってるのが面白かった。きっと法人会社化して版権管理とかそういうのきちんとやんないとダメなんでしょうね。

 

脚本=嶋田、絵=中井で分業として上手くやってきたのかと思えば、スランプもあれば、性格的に互いに合わない部分もあったそう。大人になった今ならね、そりゃあまあ色々あるだろうね、とそこは逆に面白い。かといって、一時期は分かれて別々の仕事をやったりしたわけでもないので、解散の危機なんかはありつつ、それでも二人で組んで「ゆでたまご」であり、どちらか片方だけが描いたものがキン肉マンではないという感じは素晴らしい。ああでも、昔から今に至るまで、ある程度の距離はとって仕事場はお互いに別々の場所でやってるそうですが。

 

で、そんなキン肉マンも王位争奪編でクライマックスを迎える。この時に体を壊して休載したりもしてましたし、そこらが限界ではあったし、まだ人気のある内に終わりたいというのがあったそう。それは人気が落ちて巻末でもう誰も読んで無いような状況での打ち切りエンドは嫌だったと。
集英社に新しいビルを建てたとされる車田正美の「リングにかけろ」が人気絶頂のまま最終回を巻頭カラーでやって終わらせたのが伝説になり、自分達もそうありたいと。

 

まだまだアンケートは上位だったものの、そこで最終回を迎え、その直後にはすぐに次作「ゆうれい小僧がやってきた」の連載を始める。というかキン肉マンがまだ連載してた時にその読み切りを、連載のためのプロトタイプとしてもう先に描いてたりした。

 

その読み切りの反応は良かったものの、連載では苦戦。1年持たずに終了。次の「スクラップ三太夫」「キックボクサーマモル」も同様。更に次の連載の準備をした「ライオンハート」は編集部から何度もボツを喰らい、連載に結びつかない。

 

そんな状況の中、上がる事はあっても下がる事は無いと言われたジャンプの独占契約金も、何故か下げられるような話になってしまった。
「○○先生の漫画が読めるのは少年ジャンプだけ」でお馴染みの独占契約ですが、連載とか無い時期でもちゃんと食べていけるのに困らないぐらいのお金は入ってくるそうです。ただ、他社・他誌では連載が出来ないという名目通りの独占契約。そうなると頑張って本人が連載の準備をしようが、編集部からゴーサインが出なければ連載は始まらない。1年間自分の作品が表に出なくてもお金はもらえる。でも描いてるのは何本もの没原稿という形になってしまったと。

 

そこでゆでたまごが選んだのは集英社から出る道だった。独占契約金はそこで終了。でも他社から沢山声はかけてもらっていたし、漫画を世に出さずして、何が漫画家なのか?というアイデンティティーが揺らぐ形になっていたからこその決断をする。契約金で食べて行くのではなく、自分の漫画で稼いで食べて行く。そんなの漫画家なら当たり前の話じゃないか?と自分を奮い立たせて。

 


が!現実はそんなに甘くなかった。


出版部門を立ち上げたばかりのエニックスに声をかけてもらい、少年ガンガンで結局ジャンプでは表に出る事の無かった「ライオンハート」を連載。講談社なら少年読者が自分達には一番合うだろうとデラックスボンボンで「トタールファイターK」を同時に連載。漫画家として第2の人生がスタート・・・するはずだったが、どちらもさほど人気が得られず、長くは持たずに終了。


角川にも声をかけられ、今度同じくジャンプから飛び出した車田正美と共に二枚看板で新しい雑誌の「少年エース」を立ち上げると。車田も「聖闘士星矢」以降は短期打ち切りが続き、独占契約から飛び出したそんな二人に、じゃあウチで連載して下さい!大先生に描いてもらえるならもう成功が保障されてるようなものですよ!という目論見だったわけだ。そんな車田の「ビートエックス」こそ、アニメ化もされそこそこは売れたが、ゆでの方の「クルマンくん」は最初から割と軽めのものを狙ったのもあってさほど続かず。車田の方も、結局は雑誌のカラーとは合わずにさほど長くは続かなかった。(少年エースつったらそりゃ「エヴァ」ですから。私的には「クロスボーンガンダム」もあるけど)

 

またしても路頭に迷うゆでたまごの二人。
少し前に格闘技ブームにより出た角川の格闘系のムック本か何かで依頼されて描いたキン肉マンの特別読み切り「マッスルリターンズ」は話題になった。自分達も手ごたえがあったし、今なら一度区切りをつけたはずのキン肉マンをもう少し違う形で描けるのでは?自分達を一番生かせるのはやはりキン肉マンなんじゃないか?

 

そんな中、集英社から再び声がかかる。でもそれは少年ジャンプじゃない。グラビア誌の週刊プレイボーイだった。こっちでもまた「キン肉マン」の読み切り描いてほしい。キン肉マンの息子が出る話とかどうでしょう?という、2世のアイデアは編集部発のものだったという。
本人たちは「年をとってヨボヨボになったキン肉マンなんか描きたくない!」最初はそう思った。けれど、読者も、自分達もあれから十年数年も時は過ぎた。ジャンプからのオファーではなく、プレイボーイからのオファーだったのも、つまりはそういう事だ。かつてのキン肉マンの読者は、「週刊少年ジャンプ」ではなく、「週刊プレイボーイ」を読んでいる。少年だった読者は時の流れとともに大人になっていた。それならは!かつてのキン肉マンの意思を受け継ぐ、キン肉マンII世・・・いけんじゃね?

 

これが見事に旧ファンが食いついた。募集なんかしてないのに、勝手に「僕が考えた超人」のハガキを送ってくる。「今はトラックの運転手をしています。でも週刊プレイボーイで「キン肉マンII世」を読んでる時だけは、あの少年の頃のワクワクした気持ちに戻れるんですよね。」そんなコメントをもらったらさ、そりゃあこういうものにだってちゃんと価値はあるよね、と思わせられるわな。

 

少年ジャンプを飛び出して、各社に自分達の居場所を作ろうとしたけれど、結局は上手く行かなかった。それは大ヒット作家の看板・名声を求めてだったが、それが出来ないと見るとすぐに冷たい関係になる大人。あるいは今の子供達が楽しめる者を作りたいと思っても、予想以上にギャップがあってなかなかうけいれられるまでには至らなかった。そんな中でね、ちゃんと自分達の読者は、自分達が作って、育ててきたじゃないか?って目の前にそんな人が居た。面白いですよね、それ。

 

おっさん向けコンテンツって言い方をしちゃうと、多少ネガティブな印象もなきにしもあらずですけど、私はそれって世代世代であって良いと思ってるんですよね。
富野由悠季が「Gのレコンギスタ」で若い世代に向けて作った、っていうのもね、それはそれで良いとは思うんですけど、今の若い人はガンダムと言ってもそこじゃなく「鉄血のオルフェンズ」であったり「水星の魔女」であったりを楽しんでるわけじゃないですか。そんなのけしからん、富野を見なさい!と言いたい気持ちもわかるけどさ、私だってぶっちゃけ「ヤマト」観た事無いし、勝手にあの右翼っぽいの嫌だなぁと思っちゃってるもの。その世代その世代に合った作品や作家ってきっといるはず。

 

それこそ私は知らないけど、今の人には「藤本タツキ」とかが俺達の作家なんでしょ?ちゃんと50年後も世界に認められてる存在なんだよね?それはそれで結構な事だし、自分が当事者としてそういうのにハマれるとは思わないけど、今のはこういのなんだね程度の興味は私にだってありますし、それは評論家とかに頼るんじゃなくて、自分達の世代が自分達の言葉でちゃんと自分達のロジックでそこを語れば良いのにってすっごく思うもの。

 

それはプリキュアだって同じでしょう?自分達の世代のプリキュアが特別なのは当たり前だと思うもの。時代が変われば価値観だって変わるし、それは人も世の中も同じ。変わらないものもあれば、変わるものもある。その両方です。

 

不思議とね、「キン肉マン」に関しては面白いから今の子も読んだ方がいいよ!とは私は思わないんですよね。当時の世代の人には、今やってるやつも面白いんだよね、とは言えたりするんですけど。

これがねぇ、「ザンボット3」とか「イデオン」とかは今からでも履修しておいた方がいいよ!とかついつい言いたくなっちゃうんですけど。この差は何でしょうか。

 

文庫化して増補版とかもうちょい今のシリーズまで背景を語ってほしい所ではありますが、それでも十分に面白かった。作者の下半身事情とかそんなの別に知りたくもねぇ~!みたいな部分もありますけど、そうやってね、人は大人になっていくものなんだよという部分では必要な部分なのかもね。

 

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