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クリード 過去の逆襲

クリード 過去の逆襲

原題:CREED III
監督・制作:マイケル・B・ジョーダン
アメリカ映画 2023年
☆☆★

 

<ストーリー>
かつてロッキーが死闘を繰り広げた親友アポロの息子アドニスクリード。ロッキーの魂を引き継ぎ世界チャンピオンとなった彼の前に、刑務所から出所した幼なじみのデイムが現れる。2人はかつて家族同然の仲間であったが、デイムはクリードの少年時代のある過ちによって18年間の服役を強いられ、復讐心に燃えていた。クリードは封印してきた自らの過去に決着をつけるべく、デイムとの戦いに向けて猛トレーニングを開始する。

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「ロッキー」シリーズからのスピンオフ「クリード」3作目にしておそらく完結編。


ロッキーという作品に関しては、元々はスタローンの持ち込み企画から始まったという経緯があるものの、作品に対してやシリーズに対しての権利は一切スタローンには無いらしく、そこに関してまた異議申し立てをしたものの、結局はもっとこじれて、今回はロッキーの出番は一切無し。一応の名目上のプロデューサーの名前にスタローンもクレジットされてはいるものの、オリジナルシリーズの制作者という程度のもので、作中でもその存在すら匂わせないほど微妙な立ち位置になっている。

 

そこは前作のクリード2作目「炎の宿敵」がロッキーシリーズの4作目「炎の友情」での物語展開をガッツリと生かした話になっていたのとは対極的。個人的にはロッキーシリーズではなくあくまで「クリード」シリーズとして一人立ちする為にはロッキーの影を消すというのは賛成だし肯定したい。

 

が!今回の物語の展開としては師匠のロッキーは不要としても(というかクリード自身がもう引退済みで次世代を育てているという設定)流石にクリードのおばあちゃんが亡くなって、その葬式にも顔を出さないというのは不自然でした。カメオで1分くらいの出番でいいから、師匠として「お前も何度でも立ち上がる不屈の男だろう。俺はそう教えたはずだ」程度の普通の事でもね、一言あってそこからクリードも再起するきっかけになる、ぐらいの事はやってもバチは当たらなかった気がするなぁ。

カメオ出演出来ないほどに揉めてるって事なんでしょうけど。或いはロッキーはもう既に亡くなった設定にしておくとか。流石にそれは余計に怒らせちゃいますかね?

 

そもそもこの「クリード」というシリーズ。1作目の監督のライアン・クーグラーがスタローンの所に押し掛けて、自分にこういう続編を作らせてくれ!って持ち込んだ企画なんですよね。そこは「ロッキー」1作目の時に、自分で脚本を書いて無名だったスタローンが自ら持ち込んだ企画で、それが大ヒットした。ロッキーがアメリカンドリームの象徴とされるのは、映画内の話だけでなく、そういった部分も重なったからこそと言えます。

 

そんな1作目の立役者であり盟友ライアン・クーグラーですが、マーベルの「ブラックパンサー」に抜擢され、歴史的な大ヒット。クリードで組んだマイケル・B・ジョーダンも主役を食うほどの名悪役キルモンガーで存在感を見せつけました。・・・が!2作目の準備中、ブラックパンサー役のチャドウィック・ボーズマンさんが病気で亡くなられた。制作もストップし、あまりのショックにライアン・クーグラー監督ももう引退まで考えたそうですが、映画の中で彼を追悼するというまさしくメタフィクションな形で続編の「ワカンダフォーエバー」は撮りきりました。

 

特にコメントが出てるわけではありませんが、そちらのプロジェクトに数年費やしたので、「クリード」の方にまで深く関わる事は出来なかったのでしょう。そんな流れもあってか、クリード3作目は主演のマイケル・B・ジョーダン本人が初監督作品として作る事に。「ロッキー」だって2作目以降はスタローン自らが主演・脚本・監督を務めてきたじゃないか。ロッキーの意思を引き継ぐクリードもそれをやらずにどうする!ぐらい思ったのかどうかは定かではありませんが、またもやそんな、物語の世界と現実が重なるメタ展開が生まれます。

 

その気合や意気込みは良し!


でも・・・いきなりもう引退してるってとこから始まるのはどうなの?
確か前作でももう体がボロボロで戦える状態じゃ無い、みたいな状態にはあったような気がするし、そもそも過去のロッキーシリーズもそんな感じの話ばっかだった気もしますが(でそこから再起するっていう流れ)、そういう引退して数年(今回は引退してから3年)経って若い次の世代がもう台頭してるのに、そこに戦いを挑むっていう大きなファンタジーなわけですよね。

それ自体はフィクションの映画だし、それこそ「お話」だからこそそういう常識覆すのが面白味というものだろうというのはわかる。

 

でも、SFなんかでよく言われますが、お話として大きな嘘をつくなら、その分、回りを逆にリアルに描かなければならない。ガンダムという荒唐無稽な巨大ロボットが存在する嘘をつくなら、その分、ロボットを動かすには補給が必要だとか、敵も宇宙人だけど異星人じゃなく宇宙に移民した人間である、とかそういうの。一つの大きな嘘に更に小さい嘘を積み重ねるより、一つ大きい嘘をついたら小さなリアルを回りに置く事で、リアリティーラインの後退を防ぐ、みたいな感じですよね。

 

今回、ジョナサン・メジャース演じる敵役のディミアン。刑務所帰りでいきなりのプロデビュー戦がタイトルマッチ。う~んそれは無いだろうと思ってたら、今度はクリードの復帰戦もタイトルマッチ。えぇえぇぇぇ~っ?タイトル軽くねぇ???流石にそこはリアリティがさっぱりない感じです。それこそ旧ロッキーと同じ時代の80年代の映画ならともかく、良くも悪くもリアリティに関しては厳しい今の時代の話の作り方じゃ無いんじゃないかと。つーかエキシビジョンだけどガチで殴り合うとか、別にタイトル戦に絡めなくても良かったのでは?

 

奥さんや子供が聾唖者という辺りでポリコレ配慮の今風要素があるかと思えば、お話的にはそんなに重要な意味は無いし、暴力では何も解決しないみたいなテーマもなんか投げるだけ投げて、いやお互い全力で殴り会ったら和解できましたよ、これが暴力じゃ無くスポーツの素晴らしいとこですとか言いたいのかわかりませんが、なんか最初にディミアンが訪ねて来た時にまず謝っておけよと。そこはやっぱり気になりました。

 

過去を無かった事にしたかった、忘れたかったけれども、最後にそれを受け入れた事で一つまた成長しましたよ、っていう事なんだろうけど、それ引退してからなの?その前の成長でも良かったのではと思うし、そもそもこの映画がロッキーの事を無かった事にしてたりするのは気になるし(出て欲しいんじゃないんですよ。テーマ的に変に思うって話)銃を持ってたとして子供がモメごと程度で18年も刑務所入るものなの?延び延びになったとかは言ってたけど、そんな色々ある人がタイトルマッチやるという時に誰も身辺調査とかしなかったのか?とか、重箱の隅をつつくようで申し訳ないけど、色々と気になってしまう。

 

こまけーことは良いんだよ!面白かったからそれで十分!
・・・と言わせる程じゃなかったのが原因かも。前評判の悪さは聞いてたので、ハードルは低くして見た分、別につまんないとか言うほどでも無かったと思うのですが、やっぱり最後に謝るシーンが入るのがね、いやここで!?って印象になるのは大きく評価を下げた原因だよなと思う。

脚本上では多分そこが「オチ」として機能するんだろうけど、映画全体を俯瞰した時、え~?今更?そこは最初に謝っておきベきでは?みたいな普通の倫理観がついつい働いてしまいます。

 

アポロ・クリードロッキー・バルボアにチャンスを与えた。なら息子のお前はどうだ?みたいな部分は素直に面白かったんですけどねぇ。

 

あ、あと今回アマプラで見たんですけど、劇場で話題になったクレジット後のアニメパートがありませんでした。何故かクリードユニバースのその後として未来の火星を舞台にしたSFアニメになる、みたいな内容らしいんですけど、別に見たかったわけではないものの、興味本位ではそれ何?とは思ってたのでちょっと残念。劇場公開時はこうだったんだよね、という話についていけないという意味ではやっぱり映画は映画館で見るものだとは思います。

 

あとはもうフランチャイズとして大きくなりすぎたというのもあるんでしょうけど、今回のジョナサン・メジャースは征服者カーンだし、テッサ・トンプソンはヴァルキリー、そしてキルモンガーと、メイン3人がマーベル俳優。アメコミ好きとしては馴染みの人が出てるのは嬉しいけど、なんかそれはそれで狭いなとも思うぞ。

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