原題:BLADE:TRINITY
監督・脚本・制作:デヴィッド・S・ゴイヤー
原作:MARVEL COMICS
アメリカ映画 2004年
☆☆☆
シリーズ3作目にして完結編。
オープニングにマーベルパラパラも入ってますし、この作品はアメコミヒーロー物と認識した上で映画館でちゃんと見た記憶がある。(前2作はまだマーベルの知名度が低かったのもあってか、「マーベル映画」という宣伝は日本ではして無いはず)
今作から人間側のバンパイアハンターが登場、ナイトウォーカーという集団で、一人はブレイドの相棒のウィスラーの娘、アビゲイル(ジェシカ・ビール)で、もう一人が元ヴバンパイアながら治療で人間に戻れたハンニバル・キング。こちらが今なら言わすと知れたライアン・レイノルズ。
寡黙なブレイドに対して、おしゃべり野郎のハンニバルキング。ウェズリーには嫌な顔をされたという話ですが、監督には君のその性格を見越してキャスティングしたんだから、アドリブでしゃべりまくって良いよ、と言われたそう。
で、撮影終了後に監督から、おしゃべりな君なら将来デッドプール役が出来るかもしれないね、と言われたそうな。その当時はキャラを知らなかったライアンはそこからデッドプールに興味を持ち、そんな中でにたまたまコミックの劇中で自分の名前と遭遇。そのマスクの下は若手俳優ライアン・レイノルズの顔を引き延ばした顔みたいな感じの事が書いてあった。(日本語版でも「ケーブル&デッドプール:青の洗礼」というのでその話読めます)そこで物凄く運命的なものを感じ取り、デッドプールの映像化にこだわるようになったと。
で、また面白いのがこのブレイド3の時のエピソード。ライアンがウェズリーに声をかけても無視されるも、ブレイドさんと呼ぶと話をしてくれるという本人のなりきりぶりが強烈な印象だったと言う。
ウェズリーも相当に拘ってたようで、そもそもはブラックパンサーを演じたいという所から始まって、権利的に不可だったのでそんな話が巡り巡ってブレイドになったらしい。刀とか手裏剣とかもウェズリーのアイデアから映画に導入したらしいし、まだ映画界にマーベル旋風が吹き荒れる前からかなりこだわってやってたんだなと。それが巡り巡って「スパイダーマン」や「X-MEN」にも繋がり、果ては「アベンジャーズ」からのブームで、その延長として「デッドプール&ウルヴァリン」での再演に繋がるというんだから、何気に物凄い功労者であるのは間違いない。
で、そんなブレイドの完結編となる「3」(原題はトリニティ)、一応数々のバンパイア伝説の元ともなった原初の存在、始祖ドラキュラを今回の敵として持ってきたわけですが、設定上は由緒ある敵で最終作にふさわしい存在でありつつ、映画としては3部作のクライマックスというほどの特別感は全く無い感じで、普通に1と2から続く第3話目ぐらいの感じでしか作って無いのが今見ると凄く残念。
まあ大コケしたという感じでも無いし、1や2と同じくスマッシュヒットくらいはしてたと思いますが、スパイダーマンやX-MENのヒットが大きすぎて、目標や最低ラインのハードルが高くなってしまったんでしょう。他のアメコミヒーロー映画が沢山作られるようになって、1本か2本で終わるものが同時期は沢山ありましたしね。普通に作った3でそのままフェードアウトしてしまったという感じ。
アメコミヒーロー映画というジャンルが次のフェイズに進んだという感じでしょうか。3の監督は、1と2では脚本を担当していたデヴィッド・S・ゴイヤーが監督も兼任しているのですが、この人「ダークナイト」とかの脚本もやってますしね。まさしく求められるものが次のステップに突入したという所でしょう。
邦訳がほとんど出て無いので、私もブレイドって全然詳しくないのですが、映画史におけるブレイドの重要さに比べたら、単純にキャラクターとしてはマーベルユニバース内での重要ポジションとかって程の存在では無いはず。MCU版ブレイドは制作が発表された後もゴタゴタが続いて、未だに撮影もスタート出来ないでいる。歴史ある「ブレイド」という存在を現代版としてどういう形にしてくるのかなというのはそれはそれでやはり興味が湧く部分ですし、とりあえず形になるのを待ちたいと思います。
マーベル映画の嚆矢としての「1」
ギレルモ・デル・トロの映画としての面白さの「2」
後の歴史に繋がるライアンとの出会いの「3」
それぞれに価値があるという感じでしょうか。
私はやっぱり単純に2のビジュアルとかに面白味を感じたかな。
と言う事で次のマーベルレガシー映画は何を見ようかまだ決めておらず検討中。
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