MOBILE SUIT GUNDAM
総監督・原作:富野喜幸
日本映画 1981年
☆☆☆☆☆☆
ファースト3部作+逆シャア+閃ハサの5本をスクリーンで再上映するガンダムシネマフェスという企画。
地元の山形で上映された時は、日替わりで1本づつやる程度のスケジュールで、結局「逆シャア」と「哀戦士」の2本しか見れず。
じゃあ次のスケジュールになってるおとなり秋田まで遠征するかと思ってそっちの上映時間を見てたら、仕事休みの日に見れる奴無しで、これは困ったぞ、宮城県の方のタイムスケジュールに期待するしか・・・と思って先日、無事イオンシネマ新利府で、1作目とめぐりあい宇宙をはしごして見る事が出来ました。
休日にもかかわらず、朝から順に全5作を順番に上映してくれるという好待遇で本当にありがたい。「ガルパン最終章」4話もここに遠征して見てきたとこです。(1月遅れで地元でもまた観に行ったけど)
宮城県のまた別の映画館でしたが、「Gレコ」も3までは地元でもやってたのに、4と5の上映が無く、それもまた遠征して観に行った思い出。山形から隣の宮城までなら、気合入れて遠征というほどでもなく、気軽に行ける距離なのです。
で、劇場版1本目。「哀戦士」の時にも書いたけど、本命は「めぐりあい宇宙」が目的で、最悪それだけ見れれば良いかなとも思ってたのですが、どうせ見る機会があるなら1作目もセットで見ておこうと。
哀戦士を先に感想書いてたのもあってか、今回は何を頭に置いて見たのかと言うと、富野由悠季(当時は「喜幸」)の実質的なメジャーデビュー的な観点で見ました。
勿論!「鉄腕アトム」時代からのコンテ1000本切りがあって、「海のトリトン」「ライディーン」「ザンボット」「ダイターン」があってのTV版ガンダムというのは百も承知です。私は30年も富野マニアやってるので。アニメ業界にあってはそうでしょう。でも、世間に対して自分の名前を刻み込んでやるぞ、というのは実質的にこの劇場版1作目ではないでしょうか。
それが「映画」という枠組みの意味性ですので。
とは言っても、私は富野マニアなだけで、アニメ全般に詳しいわけではありません。「宇宙戦艦ヤマト」観て無いです。ヤマトや999とかでのアニメブームの流れがあっての劇場版ガンダムへの道筋というのがあるのはなんとなく知っては居るのですが、富野以前のアニメを私はほぼ知らない。
なのでアニメーションディレクターである安彦良和の言葉を信じれば、という話ではありますが、「富野由悠季以前にアニメで芝居をやろうとした人間には会った事が無い」と、やっさんは言ってました。アニメでこんな事を考える人が居るのかと驚いたと共に、絵を描く自分からしてみれば、それは絵を信用しているという事だし自分への挑戦でもある。だからやってやろうじゃないかっていう気になったというような話をしてます。
これ、どういう意味なのかわかります?アニメって、簡略化された絵を動かす技術なので、根本的には記号なんです。脚本に基づき、お話を表現するためのある意味ストーリーの補助線。物語を視覚的に伝える為の絵であって、絵から直接何かを伝える事を目的とはしていない。小説の挿絵みたいなのに近いかもしれない。
ただ逆に、絵を動かす技術の面白さ、絵がなめらかに動く事に気持ち良さや感動を与えるというのもアニメーションの魅力の一つで、ジブリなんかはそこを軸に作っていたりはします。ジブリの流れはディズニーの秒間24コマのフルアニメーションの系譜(絵の動きを楽しんでもらう)だったりするわけですが、日本の「TVアニメ」は予算や制作期間の関係で、動かない絵で話を作る「リミテッドアニメ」という手法で進化してきた部分もある。
富野由悠季というのは後者の流れから生まれた作家。絵が動かせないなら、じゃあアニメーションは何を見せるものなの?という発想から、じゃあ絵では無くストーリーを楽しんでもらおうと。ではストーリーって何?という掘り下げがドラマやテーマ性にも繋がる。
画作りに予算が使えないなら、他の物を強化しようというのもありますし、富野は絵にコンプレックスがあったし、元々が映画志望であった為、そっちの方向に舵を切って、そこを極めていく人になる。
よく富野は言いますよね、映画監督にはなれなかったけど、アニメでもこれくらいのものは出来るんだぞ、というのを見せつけたかったと。
目的、見据えている最終ポイントというか目標が、他のアニメーションを作っている人とは、全然別の所にあったというのが富野作品で、それをアニメ界隈の中だけでなく、世間・世界に打って出たのがこの「機動戦士ガンダム」劇場版1作目になります。
そういう視点で見るとねぇ、ドラマやディテーィール、演出の圧倒的豊かさ。これがもうフィルム全編に散りばめられてて、今見ると声優陣の若い演技も含めて、パッションの塊みたいな魅力があって、正直圧倒されてしまいました。
今まで何十回とソフトでは見てるし、話や単純な絵とかは「めぐりあい宇宙」の方が勿論好きなんですけど、そことは違うベクトルの面白さを今回感じられて、正直1作目が一番感動しました。最初から、自分が体験していないあの当時に脳内をタイムスリップさせる感覚で見てたのもあって、その感動もひとしお。
フィルムの横長画面じゃ無い、TVと同じ画角だったりするので、いやこれむしろアイマックスの縦長画角みたいじゃね?とか思えてしまう面白さがありました。
言葉にしない感情、目を背けるとかそんなしぐさ一つででちゃんとドラマを作ってるんですよね。キャラクターに演技をさせるというのはそういう事。
そして世界観やディティールも多分、初見ではわかりにくい。でもそれが良い。そこに関しては何故そういう作りをしてるのかというのは「Gレコ」の時に書いたけど、キューブリックの「2001年宇宙の旅」が原点としてあるので、あの方法論の模倣やあこがれ故にです。一度見ただけではわからないから何十年という作品の耐久度を持たせられるという考え方です。
画角がアイマックスに見えたというのでまた考えるポイントが一つ。近年のヒット映画、アニメに関わらず全般ですけど、一から十まで口に出して説明するという傾向があります。だから従来の映画オタクはこんなの映画とも呼べないレベルじゃんっていうけど、興行的には大ヒットして、映画評論家とか信用できないとか言いだす奴ありますよね。
まさにガンダム1作目って、アニメにおいては、あえてわかりにくさを導入した最初の1歩目なんじゃないかって思う。
怒った時は怒った顔をする。悲しい時は悲しい顔をする。暑い時は暑いって言うし、冷たい時は冷たいと言う。それって普通じゃね?と思う人は普段から何も考えて無い人です。人間は、そんな単純なものではありません。それをストレートに描くことで、単純で浅く薄っぺらい作品と言われ、逆に曖昧に描くことで分かりにくさを生む半面、その奥にあるものを自分で掘り下げなければならないので、深い作品となって消費される強度も増す。
え?そんなまどろっこしいのメンドくさいし、娯楽なんだから単純な楽しさを提供してよ、っていう人と、いや娯楽を超えた作品なんだからそんな薄っぺらいものを提示されても、TVじゃないんだからさ、っていう話です。
まるで作品とか言う方が偉そうじゃん!むかつくわ~って人も中には居ると思うんですけど、勿論デメリットもあって、映画と言うのは基本的にそういうリテラシー(教養)が必要な文化なんですけど、民度が低くリテラシーが全体的に下がってる今では、逆に受け入れられる人も減るので、間口が狭くなって映画業界全体が沈んでしまうのです。それが今の現状。だから興行成績と評価が全く噛み合わない今があります。
でもさ、哀戦士の時にも触れたけど、富野がメジャーな人に主題歌お願いしたいって谷村新二のとこに言ったけど、いやガキ向けの低俗な漫画映画で自分が歌うのはちょっと・・・仕事として曲だけは作ってあげてもいいけど、と他の人が歌う事になり、そのやしきたかじんからも、最大限に嫌われて仕事だけらやるけどそれ以上はノータッチって嫌われたというのが当時のアニメというものの現状。
でも本人は、いや自分達がこの世界を変えていくんだって、劇場版ガンダムの時に新世紀宣言をして、これからは自分たちが世界を引っ張っていくニュータイプになるんだと夢見たものの、そこから40年経って、結局世界なんか変えられなかったじゃん。悪い方にしか進められなかったっていう敗北と絶望、反省が残ってるわけですよね。
そこを踏まえた「逆シャア」「Vガン」「∀」「Gレコ」を読み説くのがメチャメチャ面白いんですけど、まあそこは私がそこを通り過ぎてきた世代だからというのもあるのでしょう。読み解きこそが面白さだと感じてるわけですしね。答えはネットのどこかに落ちているものではなく、自分で生み出すものでしょという考え方の人ですし。
それを踏まえて聞えてくるエンディングのライリーライリーが何と染みわたる事かと。
あなたたちの洞察力に期待します、と言われたらこんな感想にもなりましょう。ストーリー解説やそこについての感想なんて今まで百万人が語っていくらでも世に溢れてるはずなので、それとは違うものを提示したつもりですがいかがでしょう?こういうものを面白がってくれる人が少しでも世の中に居るならありがたいのですが。
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