MOBILE SUIT GUNDAM 0083 STARDUST MEMORY
監督:加瀬充子、今西隆志
脚本:五武冬史、遠藤明範、大熊朝秀、高橋良輔
OVA 全13話 1991-92
☆☆☆★
ガンダム旧作再見の流れで「0083スターダストメモリー」
昔からジオン嫌いな私はこれも必然的にそんなに好きな方では無いシリーズですが、でも面白いよね、とは思う。
「F91」の前売り券で、BB戦士「F91」と、「0083」のOVA1話付き、の2パターンあったはず。確か私はBB戦士の奴を買って、友達がOVA1話付きの方を買ってそれで見せてもらったような記憶があるんだけど、その友達と一緒に観に行ったとかでは無かった気もするし、あんまり憶えて無い。前売り版のBB戦士は後から出た市販版と違ってヴェスバーのギミックが無いとかだった気がするけど違ったっけ?
それはともかく、廉価OVAの黎明期に「0080」がヒットした事で、じゃあ次もやろうという形で始まった企画のはず。
「0080」ね、ガンダムなのにMS戦が少ないという異色の路線でしたし、本編とも言える「Z」「ZZ」がオーラバトラーとか揶揄され、「逆襲のシャア」がカルトな作風に、「F91」も期待外れ。そんな中で、これこそがみんなの求めたガンダムでしょ?って感じで作ったものなので、そりゃあヒットするし人気も出る。
ただこの人気の中で何故か、プラモ展開の方であまり力を入れてもらえず、今でも伝説として語り継がれるレベルのガンプラ特級呪物と名高い「GP02A」のキットとか、あれは何だったんでしょうね?
たかが雑誌企画の外伝の分際で「Z」や「ZZ」は偽物のクソガンダム、俺たちがやってるものこそ本物だと啖呵を切った「ガンダムセンチネル」の流れを組み、カトキハジメ(センチネルでは「かときすなお」名義でした)のメカデザインも一部流用しつつ、新しいガンダムには「マクロス」の河森正二を起用というのが面白い所。
モビルスーツの基本は大河原氏が作ったものの流れであり、自分がやったのはそのアレンジであって、1から作り上げた物では無い、として「メカデザイン」ではなく「メカニカルスタイリング」という名義にしてほしいとしながら、コアファイターの推進機がMS状態で使われないのは機械的に無駄。なのでバックパックとコアファイターが直結している等。素人目にもわかりやすい発想がありつつ、その後のMSやプラモでは一切触れられない脚部の付け根の独特な構造とか、色々と面白い部分も多い。(おそらくはアシモとかの現実の2足歩行ロボットの構造をベースに考えてあるのだが、例外として漫画「アウターガンダム」が唯一近い発想をしてるのみで、何百体も居るガンダムのデザインの中でGP01独自の個性だったりする)
そして後半の主役機のGP03デンドロビウムはカトキ氏のデザインで、おそらくは「センチネル」のディープストライカーの発想の延長だと思われるが、そのインパクトから、後のガンダムシリーズでも「SEED」のミーティア、「00」のGNアームズ、「鉄血」のクタン参型とか、割と定番となって行く流れを作った一つと考えればその影響力の大きさは計り知れない。
ついでに言えばガンダムVSガンダムという流れもセンチネル経由で0083以降のスタンダードになったりしている。
今でこそデラーズフリートやガトーはただのテロリスト。それを美化して描く作風はいかがなものか、なんて風潮が昔と比べて大分幅を利かせている印象もあるけど、20年前とかはそんなの1ミリも無かった。これがなんで今みたいに変わったのかは謎。
たまに私書いてますが、「ガンダムUC」本編小説で、ジオン側の言う事もわかるけど、コロニー落として人類の半分を殺した人達の事を感情的には受け入れがたいなってバナージに言わせた福井晴敏以前は表向きのメディアでそんな意見を見た事、少なくとも私は一度も無かった。
とは言え!「Z」以降「Vガン」まで含めて富野を電波扱いして叩きまくっていたメディアもそうだし、ファンも富野ガンダムを楽しみつつ結果いつもモヤモヤした気持ちを抱えていた人達は多いでしょう。初の非富野ガンダムアニメだった「0080」も、いつになったらガンダム出てくるのこれ?と我慢して見せられた人が大半だったでしょう。そんな歴史の中でね、0083が最高!俺たちはこういうのが見たかったんだよ!と言う人の気持ちは十分に理解出来ます。
話も、アトミックバズーカ=星の屑と思わせておいて、コロニー落とし→いやそれを止めるソーラレイがある→しかし・・・みたいな二転三転する流れは、素人目にもサスペンスフルな展開で非常に良く出来ている。
この辺はね、他のシリーズも是非見習ってほしい所。チェンバロ作戦とかメールシュトローム作戦とか言われてもぶっちゃけ何やってるのか、その結果がどうなったのか全然わかんないじゃん。地球クリーン作戦とかは最高だったけど。
「ガルパン」なんかは特にこの辺の作りが上手くて、意外性と内容や結果がこうなるのかという面白味があるのがちゃんと見てる人に伝わる作りにしてある。
例えば富野作品は作品の強度を持たせる為にあえてわかりにくさを意図してやってたりもするのだけど、だからこそあの人の作品は絶対にヒットしない。エンタメの作り方として、よく読者や視聴者の半歩先を行くのがヒットの要因とか言われてるけど、富野は一歩どころか10歩も先なので誰もついてこれない電波に思われるし、逆に今の時代は半歩先でも理解されず、1から10まで全部説明する幼稚な作りこそがヒットに繋がる時代になってるはず。
そういう意味では元祖が富野というのもあってか、今の時代のガンダムも、一般的な大衆向けの割にはやや内容的にはまだ難しめな描き方をしてる印象もあるけど、そういう中では「0083」って割と万人にも理解しやすい面白さは含まれているような気がする。
うん、ただ1点、ヒロインのニナ・パープルトンを除けば。ガンダム三大悪女とか言われがちなニナさんですので(他は多分カテジナとフレイ)あえてあんまりくさすのも好きではないんですけど、今回も見てて思ったのは、恋愛要素とかあえて入れなくても良かったのでは?とはついつい思ってしまう。コウとガトーの間で揺れ動く三角関係のヒロインみたいなのをドラマ的に盛り上がると思って入れたんだろうなとは思うんだけど、前半のコウとのイチャイチャとかも正直ノイズに感じられるし、そもそも実質の主人公はガトーの方なので、これ作ってる方もニナに興味も無ければ魂も入って無いんじゃないの?と思えてしまう。
ニナってビジュアル的な見た目もそっくりなんですけど、元ネタは「トップガン」なんですよねこれ。じゃあコウはトム・クルーズなのかと言えば、トップガン劇中のトム・クルーズ演じるマーヴェリックは基本ヤンキー。ガンダム見てるようなオタクがヤンキーに感情移入はしないでしょ?ロボアニメ好きなオタクなんか女も知らない童貞でメカしか興味無いキモいおぼっちゃんでしょ?みたいな、完全に視聴者をバカにした作り。いや後の今西監督の作風を考えれば、ジオン側をカッコ良く描く為に、わざと連邦を下げる感じで描いたのかとも思う。
ただ、こういうオタク主人公って、今は世間に山ほど溢れてる感じがするけど、当時はまだ珍しかった気がします(個人的な感覚だけでエビデンスは無し)この直後の「Vガン」で富野はウッソを使ってマニアの危険性を語ったりしつつ、そっから何十年も経った後に裏Vガンとして始まった「クロスボーンガンダムゴースト」のフォントを通して今の時代の新世代オタクを新しい個性として描いた長谷川先生のセンスとか、色々と比べて観るのも面白いのではないでしょうか。
つーか「トップガン:マーヴェリック」があれだけヒットしたんだから「スターダストメモリー:ウラキ」をダムエーで夏元先生とかがやるべき。ギャグとかパロディーじゃなく、物語のベースを換骨奪胎した感じで是非。
まあガトーじゃないなら作家も興味は無いだろうなと思えてしまう辺りが微妙なとこですけども。
ああ、当時からシーマ様は好きでした。シーマが好きっていうより、コウにもガトーにも感情移入しにくいなと思っていた中で、裏切りとは言え、生き残るために信念とかそういうとこじゃない考え方をする姿がコウやガトーに比べると、対比として面白いキャラだなって唯一思えた存在で、何気に0083では最も印象的なキャラでした。
とりあえずこんなとこかなぁ?
ああ、この事件がティターンズ決起の引き金になったっていうのはこれも凄くわかりやすいと思うし、ジャミトフ、バスク、ハマーンがみんな一言くらいだけ、っていうバランスも面白いし、他の作品のキャラだから踏み込みはしないけどインパクトもあるしリンクとしても上手い、みたいな作り方はとても良いと思う。
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