著:河野真太郎
刊:集英社 集英社新書1193B
2023年
☆☆☆★
「多様性」の
時代の
ヒーローとは
新しいヒーローたちを描いた23作品!
『トップガン マーヴェリック』 『オビ=ワン・ケノービ』
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』 『LOGAN/ローガン』
『アイアンマン』 『ウルトラマン』
『アベンジャーズ/エンドゲーム』 『水戸黄門』
『エターナルズ』 『必殺仕事人』
『ブラックパンサー/ 『仮面ライダー龍騎』
ワカンダ・フォーエバー』 『HUGっと!プリキュア』
『ザ・ボーイズ』 『風の谷のナウシカ』
『ダークナイト』 『僕のヒーローアカデミア』
『ジョーカー』 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
『マトリックス』 『シン・仮面ライダー』
『V フォー・ヴェンデッタ』 『チェンソーマン』
世界を救う、「正義」の象徴たるヒーローは、圧倒的な“マジョリティ”として表象されてきた。しかし21世紀を迎え、ジェンダー、加齢、障害、新自由主義といった様々な観点への理解・変化から、留保なしでその存在は認められなくなった。では、ヒーローたちはどのように「多様性」と向き合うのか?そして、「ポスト真実の時代」とどう対峙していくのか?
本書は、ヒーローの誕生から発展までの歴史的視座を参照し、アメリカと日本のポップカルチャーに登場、活躍する《新しいヒーロー像》を縦横無尽に論じる。ヒーローを考えることは社会を考えることだ!
私の好きなテーマだったのと、帯にも「HUGプリ」が入ってるように、パラパラと中身をめくってプリキュアについても多少は触れてるっぽかったので、まあ大半は見た事ある作品でしたしせっかくなので読んでみる事に。
一つ心配だったのは刊行が2023年の末なので、そこまで古くは無いものの、反ポリコレ、反リベラルの象徴であるトランプの大統領の再任みたいな昨今の流れを考えると、「現代のヒーローはこんなに多様性を重視してるんだよ」程度の主張・結論しか書いて無い本ならちょっとお寒い感じになってしまうかな?というのを心配だったのですが、作者がちゃんとした社会学者っぽいですし、そこら辺の流れはちゃんと想定した構成になっていて、そこは流石だなと感じました。
ただし、一つ一つの作品やジャンルに関しての掘り下げは正直浅い。私はそれなりには詳しいと自認しているプリオタなので、まずプリキュアを取り上げる中で「HUG」をピックアップして選んでるのは正直そんなに詳しい人では無いんだろうなと思ったけど、他の著書でもジェンダー論として触れた事があるらしいから今回も書いてるのと、「スーパー戦隊」にも触れて無いし、仮面ライダーも取り上げるのは「龍騎」と古い作品ですし、この辺りに関しては作者も全部を見てるわけではないし、詳しい研究は他にあるだろうからそこは専門家に任せるので、今回の本で取り上げる部分は話の切っ掛け程度にと、謙虚さというよりちょっと逃げ道を残してある感じなので、まあそこはこちらが語る部分として投げたボールを受け止めましょう。
ただ、割とプリキュアは本の後半に回してあるし、最終章で今の時代を最も表しているのは「チェンソーマン」だというような結論にはなるのですが、ここまで論じてきた中で最も先鋭的でお手本となるヒーロー像は「プリキュア」シリーズなのだ!的な論が出てきた時は、読んでる椅子から転げ落ちそうになった。
いや私も普段から社会学的な視点でプリキュアがいかに特異な作品であるかは散々語ってきたつもりではあるけど、この手の本でプリキュアこそが至高の存在であるとか実際に言われると、驚きと共にぶっちゃけ変な笑いが出てしまった。
別に私の日頃の主張がこういった本とかと同列に見られる事は無いでしょうけど、傍から見たら私がこの本を読んで感じたように「何言ってんだこいつ」と思う人も居るんだろうなというのは肝に銘じておきたい。本人としてはそれらしくロジックとしてはこれで理屈が通るはずと思って書いてはいても、ある程度のリテラシーと言うかバックボーンや知識の前提とかにも関わってくる部分なので、なかなか難しい所ではある。
ただ、プリキュアに関しても正しさの指標という面では完璧ながら、逆にその完璧であるが故に、そこに窮屈さを感じたり、正しいジェンダー像の押しつけに感じるのがネックで、その上で正しさだけじゃない部分まで描いている「チェンソーマン」こそが時代の最先端のヒーローであるという結論になるわけですが、チェンソーマンに関しては私は知識無いのでどうこうは言いません。
でもプリキュアの表現や主張が理想すぎるが故に、これを押しつけられたらたまったものじゃないという反応が出てくるはずという部分に関しては、最初に触れた反ポリコレ、反リベラルのトランプ主義の台頭をちゃんと予見させるものですし、この本の刊行より更にリアルタイムの今、本では当然触れられていない「プリンセッションオーケストラ」という作品がニチアサにケンカをふっかけてきた。私も1~2話しかまだ見て無いんだけど、これがもう見事なくらいの反リベラルを掲げた作品でね。見る前はどんな作品になるのか想像つきにくかったですが、なるほどこう来たかと。
「プリンセッション~」は3つのバックボーンを背負ってて、一つは深夜アニメ版プリキュアみたいな作品だった「戦姫絶唱シンフォギア」というシリーズを手掛けたスタッフが作っていて、ライブイベントで利益を出す為に深夜アニメを作ると言う、新しいビジネスモデルを自分達で生み出したパイオニアでもある。深夜アニメ版プリキュアと揶揄されるような存在ですが、単純に1回こっきりのパロディーで終わらせずにそこを継続して5期までシリーズを重ねた凄い実績を持つ。私は1期だけ完走してそれ以降は見ておらず、シリーズとしても完結では無く以降の企画も進行中。
そこがね、俺らは深夜版プリキュアじゃねーぞ、じゃあ実際に日曜の朝にカチコミをかけて、本家を潰しちゃうよという野心を持った作品。いやこの喧嘩の吹っ掛け方が凄くトランプ主義っぽい。ただきちんと新しいビジネスモデルとして自分達で作り上げたロジックがあるし、逆にこの血気盛んな感じは無気力全盛な今の時代では珍しい感じで面白いですよね。
もう一つのバックボーン、或いは3つ目も合わせてになるかな?ニチアサのスポンサーのバンダイのライバルであるタカラトミーが仕掛けた「ガールズ×戦士」シリーズという実写特撮版プリキュアみたいなシリーズが6年ほど続いた後に終了。6年も続いたんだから十分な人気シリーズですが、こちらもイベントなどを積極的にやっていたものの、コロナ禍に重なりイベントが開催出来なくなったのがあだとなって苦戦した理由として挙げられているのをどこかの記事で読みました。
私は2作目の「マジマジョピュアーズ」を半くらい見た程度で、ここも語れるほどそんなに詳しくは無いですが、最終作となった「リズスタ」はメインキャラが女の子だけでなく男の子も含まれてました。おそらくは人気や売り上げがしりつぼみになってきた中で、女の子だけでなく視聴者の拡大を狙ったものと思われるが、結果としてそこで終了。何が多様性だよ、と反発心が生まれたのではと邪推してしまいます。いやこれは私の勝手な想像ですあくまで。
タカラトミーという視点で言えば、もう一つの柱であるアニメの方の「プリティーシリーズ」は好評で、今も「ひみつのアイプリ」が放送中。ただここもカードゲーム筺体が本体というか柱だったので、プリティーシリーズもコロナ禍では苦戦、若干だけシリーズが途絶えた瞬間もあったくらいでした。
いわゆるニチアサというのは「プリキュア」「ライダー」「戦隊」の一連の流れです。正確には一時期ニチアサキッズタイムという枠組みでプロモーションした時期があったというだけで、今正式に枠組みとして残ってるのはライダー×戦隊の「スーパーヒーロータイム」と特撮ヒーローがセットになってるだけなのですが、昔からの伝統的な流れやプリキュアもほぼ近いフォーマットでやってるヒーローものみたいなものなので継続して括られて語られる事が多いという話。
で、面白いのはプリンセッション~をプリキュアの裏番組として持ってくるのでは無く、その後の時間を狙ってきた。プリキュア→ライダー→戦隊のニチアサではなくプリキュア→プリオケ→アイプリの方を女の子は見てね、というライバルであるプリキュアを導入・導線として利用してやるという手法を使ってきました。(まあここはガールズ×戦士の時からのやり方ですが)
バンダイがプリキュアに男子キュアを入れたり、ライダーも女の子の視聴者も取り込もうとしたり、万年の不況や少子化での売上減対策もあるんでしょうが、そういう多様性を掲げる時代に、女の子だけの時間を作ろうとしてきた。ビジネス的な戦略としては普通だし正しいものだとは思うけれど、多様性の時代とされた先に、男と女は違うもの、そこを混ぜる必要無しみたいなトランプ的な古いジェンダー感の復活をちゃんとこうやって時代がリンクして表に出てくるって面白いと思いません?
じゃあプリキュアの専門家として(あえて今回に関しては作者がそう投げかけてるので)この作者が全然見えていない部分言わせてもらうと、そのコロナ禍でプリキュアは何を表現していたのか?っていう事なんだけど、そこは後半に回します。あとまわしにするな~っ!って感じですが、この本で触れている他の部分にも関わってくる部分なので、そこを踏まえて。
ええとまずはアメコミヒーロー物に関して。群れや大衆から外れて、個人として独自の価値観や行動をとれるものが結果としてヒーローになれるし、それが時代を変える切っ掛けにもなるという、ヒーロー物以前からある物語の型を重ねて論じられていて、そこも結構面白い部分ではあるのですが、流石にアメリカンコミックスのバックボーン無しで語ってるのは、そこまで含めて見てるこちらとしては、凄く薄っぺらく感じます。
原作読めよ!というような事を言いたいわけじゃなく、メジャーな「映画」というフィールドのみで語るのは別に悪い事では無いのですが、「ヒーロー映画論」ではなく「ヒーロー像」そのものを語りたいのなら、そのキャラクターを生みだした人がユダヤ系でうんぬんとか、そういうバックボーン無しでアメコミヒーローを語るのは、どうしても片手落ち感が出てしまうというか、ちょっと本質からは遠いように感じてしまいます。
映画に関しては「トップガンマーヴェリック」を、映画を観終わった直後は流石は俺達のトム!やってくれたぜと思ったけど、後々考えるとこれを見た中高年がエンパワメントされて、若い奴らには負けないぜとか影響されたらヤバくね?と気付いたってだけいくらかはマシ。私はドラマのオビワン見て無いけど、そっちは順当に歳をとってしまいその残酷さをつきつけてくる作品だけど、トップガンのトムが異例なケースなのであって、カタルシスは無いけどオビワンの方が描き方としては誠実なのでは?という論調。トップガンはバカ映画だって認識してくれるだけでもまあ良しとしておきましょう。
逆に映画でなるほどと思えたのは「マトリックス」で、こっちは4作目の「レザレクション」に全く触れて無いのがどうかと思うけど、マトリックスって山田玲司先生もヤンサンとかで語ってたけど、現実に目覚めよ系の話なんですけど、最初の完結である3作目の「レボリューションズ」で、お互い干渉しない感じの交渉を結んで終わりみたいな形になる。そこってやっぱり私も「あれ?こういうものなの?」ってちょっと不思議に思った部分でした。
なんか私らの古い時代の感覚だと真実に辿りつく事こそが正しさであって、どちらか一方が間違っているならその間違いを正すのが正義みたいな考えは確かにあったけど、お互い干渉しないならそれでOKという結論、眠り続けて虚構の世界に生きたいならそれもまた一つの選択である考え方は、まあ確かに現代的かも。
この本では触れて無いけど、それこそ異世界転生だって、私の感覚ならやっぱり最後は戻って現実と向き合わなきゃ、虚構の中で得た物を現実に生かすのが物語の役割だよ、みたいな感覚あったけど、どうせ現実なんか上手く行かないし、現実の方が地獄みたいなものなんだから空想を逃げ場として残しておくのも一つの手、みたいなのは凄く現代的な考え方だなと思う。
でもってそんな客観性という意味では、「仮面ライダー龍騎」をサバイバル時代のデスゲーム路線の代表として挙げてるけれど、龍騎は2003年ともう20年以上前。(マトリックスも1999年だけど)私も好きな作品なので、すごくエポックメイキングなのはわかるけど、その派生作品である「魔法少女まどかマギカ」に一切触れて無いし、原稿を書いてる時点で間に合って無いのかただ見て無いだけなのかはよくわかりませんが、2022-23年の「仮面ライダーギーツ」がまさに龍騎の後継作としてデスゲーム物としてやってたのに、そこにも触れて無い辺りが、これは作者はあんまり詳しくねーなと判断せざるを得ない部分。
龍騎とギーツなんてやってる事はほぼ同じようなものだけど、20年の差を考えると、龍騎ってまだ当事者意識、今の時代に俺達の社会もこういう時代なんだってのがあったと思うけど、そこからの時代を更に重ねたギーツは、それを冷ややかに見る観客っていうのが龍騎にはない部分として描かれてるのが違いで、そこってかなり大きい部分に私は思う。
その観客性と言う部分では「龍騎」→「まどマギ」→「鎧武」→「ギーツ」と系譜立てて考えた時に見える、神様の力でも無ければこの世界なんて変えられないんだよっていう流れととるか、或いは単純に格差社会の象徴として富裕層と貧困層の話として捉えるか、更には異世界転生の逃げ場うんぬんと同じく、もう諦めモードになってしまった若者の心象風景、龍騎みたいに俺らはこの世界をサバイブして行かなければならない、ではなくそこをもう無理っしょと諦めてデスゲームを傍観者として見るだけの俺ら、はいはい熱い人は頑張ってねという冷笑主義の風景にも見えるものがありました。
龍騎のタイトルを出しておきながらこういう部分に触れない浅さが、まあこっちの分野に専門的な知識があるとかの人では無いんだろうなと思ってしまう部分。ここはプリキュアについて触れてる部分とやはり同様の印象。同じ流れにある「スーパー戦隊」なんか一切触れて無いし。
「ウルトラマン」は私も知識が無く語れない部分なので、詳しくは触れないけど、この作者の考えた物では無く批評家の宇野常寛『リトルピープルの時代』という本からの引用という形で触れてある部分は、逆に私の知識が無いからかちょっと面白かったので少し触れておきましょう。
ウルトラマン=大きな存在の象徴で、ベースに科学特捜隊みたいなチームありきで動く、特捜隊=国や自衛隊の象徴で、どうにもならない怪獣を倒してくれるのは宇宙人=外国人=アメリカの暗喩であるという読み解きは昔からあったし、ファンの間では常識。
対する仮面ライダーは、組織の裏切り物、国はもう信用できない。チームではなく個人で組織を崩壊させる為に戦いを挑む孤独の戦士だと。
ここに対してウルトラマンは「水戸黄門」型。ここにおわすは水戸光圀公なるぞ!と国や権力の威光を背景にその力を発揮し、逆に仮面ライダーは「必殺仕事人」型で、汚職を私刑執行で裁く形になっていて、それぞれ系譜があるという説明。ああ、リベラルな私が何でウルトラマンに興味持てないかちょっとわかりました。
そしてそこともまた違う部分で、これもまたこの作者が考えたものではないのですが道徳の授業なんかでも使われているらしい「ハインツのジレンマ」という理論が紹介されていて、これは私も初耳だったので、凄く勉強になったのと同時に面白い部分でした。
まあヒーロー物を語る上でよく使われる「トロッコ問題」みたいなもので、そこに関しては私は「フェイトゼロ」で描かれた奴が面白くて印象に残ってますが、まあAとBの選択のどちらを選ぶべきかっていう問題で、提示されていないCの選択肢を勝手に答えるのは、今までの心理学なんかではアスペルガー扱いされてきたし、議論やロジックの上ではやはりちょっとそれは反則みたいなものなのは確か。
でも今のどちらを選んでも幸せが得られないような世の中なら、既存の選択肢には無い第3のCの道を探すのもアリなのではと考え方が変わってきている部分もあるという話。
いや確かに!聞いてる方はAかBかを問うてるのに、そこで選択肢に無い答えを出されたら、ふざけんなよって正直思うけど、そこは頭をやわらかくして、こんなやり方もあるのではと考える事は決して間違ってはいないと思える。そこは目から鱗の部分でした。私はこの本で一番得られたものはこの部分です。
あともう一つ、私は日頃からちょこちょこ書いてるし、アメコミ大好きプリキュア大好きな時点でわかるとは思いますが、思想としては思いっきりリベラル方向です。
じゃあネットって何でこんなに反ポリコレの声が強いのか正直わかんない部分もあったんですけど、この本読んで気付いたのは、そっち側の人って要はゼロサムゲーム理論で語ってるんですね。私がよく説明で使う椅子取りゲームでも可。
誰かに席を与えたら、自分の席が無くなってしまうと思って怯えている。
誰かに富を与えたら、自分の取り分が減ると思って憤慨している。
誰かに幸せを与えたら、自分がその分不幸になるじゃないかと不安になってる。
何かを犠牲にしないと幸せは得られない、富や幸せは有限。
自分の分を削ってまで他人に分け与えようなんて、ただの理想論じゃないか。お前らは綺麗事を並べてるだけで、自分は不幸になんかなりたくないんだよ、という感じなんだろうなと。
アベンジャーズの出演者が共和党のカマラ・ハリスを応援してエンタメを政治利用するなとか怒ったり、結果負けた中で、サノスには勝てるけどトランプには勝てないとかバカにした人達、今のトランプの暴虐を見てどう思ってるのでしょう?彼はまさにゼロサムゲーム的な思想で、アメリカが何で他国の事まで考えなきゃいけないんだ?自国でさえ大変な状況なんだから、これからはアメリカファーストでいかせてもらう、他は排除するから勝手にやれと。世界は弱肉強食なんだから、力の無いものは生き残れないサバイバルな世界であり、それこそがこの世界の真理なんだと、早速日本にも厳しく当たってきましたよね。
まとめ、結論としてまたプリキュアに話を持って行きましょう。「HUGプリ」がピックアップされてるのはケア理論という文脈で評価してるからなんだけど、まあHUGは多方面で世間に届く形の話題になったので、そこで注目されて入口になったのはわかるし、それは全然良い事ですが、他にプリキュアへの語り口として、やっぱりお馴染みの「女の子だって暴れたい」が初代のテーマとしてあった事や、「ひろプリ」の発表会見でのプリキュアはヒロインではなくヒーローという語り口の方がしっくりくると思ったので今回はヒーローをテーマにしました的な所を主な理由・根拠としてこの本ではとりあげている。あと「スタプリ」の多様性テーマにもちょっとだけ触れてるか。
私が勝手にカテゴライズして作った、コロナ禍の作品「ヒープリ」「トロプリ」「デパプリ」のアライブプリキュア3部作でプリキュアは果たして何を描いたのか?そこは過去記事でも各々触れていただければ幸いですけど、ここではデパプリこと「デリシャスパーティプリキュア」を専門家としてピックアップして語らせていただきましょう。
デパプリが描いたのは「シェアする喜び」
幸せを独り占めするんじゃなくて、みんなで分け合おうよ、そうすれば一人で味わうより、もっともっと幸せは増えていくんだよっていう考え方です。デパプリの最終評価の時とかに共産党プリキュアだったとか書きましたが、まさしくリベラルの極致だと思います。共産党っていう言葉にあまり良いイメージを持ってな人が居るのは理解した上であえて書いてます。
ゼロサムゲーム的に奪い合う中で、右か左かだけの選択肢だけじゃなく、幸せはシェアする事でより多く増えていくんだよっていう考え方はそれこそ「ハインツのジレンマ」「トロッコ問題」の中の第3の選択じゃないですか?
奪い合うだけじゃない、ちゃんとありがとうを伝える事で、そこから生まれるものがあるんだよって主張は凄く素敵じゃない?
いやそれはファン心理の感情であって、贔屓目で見てるだけじゃないかって言われるとそりゃあ否定しきれない所はあるけども、あながちロジックに穴があって間違ってるとかでもないような。
実際にヒーロー論を中心に置いた「ひろがるスカイプリキュア」ではどういった結論を出したのか?更にはそこを踏まえて、主演声優がこの作品を世界中の人が見てくれれば世界はもっと良い方向に変われるんじゃないかと自分は本気で思ってると言わしめた「わんだふるぷりきゅあ」が描いたものとは?
とまあそこら辺は自分の目で確かめていただければ。
で、見終わったらコメントとかいつでも待ってるのでお気軽にどうぞ。
そんな感じで、自分も詳しい分野に関しては結構な物足りなさも感じつつ、いくつか新しい価値観や知識も得られたので、決して読んで損はしなかったです。オススメとかはしませんが本人も書いてるように、ここから自分なりの考えを導き出す切っ掛けとしては決して悪くは無いと思います。
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