原題:SUPERMAN
監督・脚本:ジェームズ・ガン
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2025
☆☆☆☆☆☆
「ガーディアンズオブギャラクシー」シリーズ
「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」
のジェームズ・ガン指揮による新生DCユニバースの映画1作目。
ガンが過去の不謹慎な発言が原因でマーベルから解雇された後、DCの方から声をかけられて、じゃあウチの方でやらない?あなたなら自由に好きなキャラを使ってもらってもかまわないよ。なんだったらメインのスーパーマンとかどうですか?というオファーだったが、スーパーマンは自分の好きなキャラじゃないという事で、実際は一度公開され低評価に終わった「スーサイド・スクワッド」の続編を担当。興行成績的には、まだコロナの影響から回復しきっておらず、そこそこの売り上げで終わったものの、作品としての評価は十分。そのままスピンオフドラマの「ピースメイカー」も本人が手掛けた。
一度マーベルに戻り、「ガーディアンズ3」を完結させた後は、そこで区切りをつけて、今度はDC映画の総括プロデューサーに着任。
そしてかつては自分のカラーには合わないと一蹴した「スーパーマン」を自分の監督作としてやることに。全てのスーパーヒーローの祖でもあり、DCの中心はやっぱりスーパーマンなので、まずは根っこというか土台作りを自分できちんとしておかないと、広がった枝葉や他人が勝手に装飾した重みで全体が崩壊しかねないから、自分の色では無いにせよまずはちゃんとしたスーパーマンを作っておかねばという判断だったのかなと思います。
ガンはコミックオタクですから、決して自分の好みでは無いにせよ、スーパーマンとはこういうもので、何が魅力で何が長所なのかとかは十分に熟知してるはず。決してスーパーマンを嫌っているけど仕方なく自分で作ったとかではないと思います。
ただ、ジェームズ・ガンのメジャーデビュー作は「スーパー」というヒーロー物のパロディ映画でしたし、自分で監督こそしていないものの、邪悪なスーパーマンというこっちもパロディだった「ブライトバーン」なんて作品も、原案・企画はジェームズ・ガンです。そんな作品を作ってきた自分が本物スーパーマンを?という気持ちはあったでしょうし、それはファンとしても思う所。
「スーパーマン」の映画としては、やはりこちらもコミックと同じようにスーパーヒーロー映画の最初の一歩であり、礎にもなったリチャード・ドナー監督クリストファー・リーブ主演の1978年「スーパーマン」とそこからのシリーズ。そして2000年代にその最初の映画の精神を受け継ぐ形で1本だけ製作されたブライアン・シンガーの「スーパーマンリターンズ」(勿論ヒットすればここからのシリーズ化も目論んではいただろうけど)があり、スーパーヒーロー映画全盛期にMCUに対抗してユニバース物として広げた、ザック・スナイダーの「マン・オブ・スティール」からの「ジャスティスリーグ」なわけですが、他にもTVシリーズやアニメ版など多数。
そして元となるコミック版でも、最初のオリジナル原作者であるショー・シャスター&ジェリー・シーゲルの手を離れ、その時代時代に合わせて何度もリブートされたり、果ては設定も違うif物(エルスワールド)や作家ごとの個性で自由に再創作され続けてきたのがスーパーマン。今回の映画も、一応はグラント・モリソンの「オールスター:スーパーマン」がイメージソースという扱いになってるようです。
そう、そこを考えたら今回もあくまでジェームズ・ガン版のスーパーマンと考えればOK。
スーパーマンと、あとバットマンなんかもそうですが、歴史も長いしある程度の基本設定やイメージは共通されてるので、そこから作家がどうアレンジするか、何を見せたいか・何をテーマにしたいかは作品や作家の自由で良いわけで、変にパブリックイメージを集約したみんなが納得するスーパーマンを作りましたっていう作品をお出しする必要なんかないのです。
バットマンなんかで特に感じましたが、ティム・バートン版やクリストファー・ノーラン版がなまじヒットしたが故に、そこから入ってそれを基本だと思った人が、今回のバットマンは自分の持ってるイメージと違う、とか言いがちです。そりゃそうだ、最初に入った物をそのまま基本として受け止めてしまうのはある程度仕方ないとは思う。本来はそういうものでさえ数あるアレンジ版の一つでしか無いというのは、濃いファンじゃないんだからそりゃあわからない。
スーパーマンは陽のヒーローなんだから、DCEU版の暗くてシリアスなザック版スーパーマンはイメージと違う、と言う人が居るのもわかるけれど、それはあくまでザック・スナイダーが俺はこういうアレンジで描くぜ、というだけの話なので、別にあれも間違ってるとかそういうのではない。
からの、今回のジェームズ・ガン版。
凄くガン映画っぽい部分もあるし、そこはMCUの「ガーディアンズ」でもそれなりにTPOを考えた作りにしてあったのと同様、そこここにガンのカラーは見えつつ、自分が考えるスーパーマンの魅力はこうだっていうのをきっちり描いてました。単純に露悪的なスーパーマンが見たいならそれこそ「ブライトバーン」を見れば良いわけですし。
まず面白いのは、スーパーマンよりSNSの方が強いという事。ここが現代的で面白かった。仮にスーパーマンが現実に存在したとしても、多分人間がそれれを潰して終わりだと思います。
スーパーマンはクリプトナイトが弱点というのは有名で、今回も劇中でそのシークエンスが出てきますが、コミックだと昔から魔法も耐性が無い分、弱点として描かれがちだった中で、それをSNSに置き替えて、腕力でスーパーマンを殺せないけれど、言葉でスーパーマンを殺す事が出来る、そういうのはアイロニーが効いてて面白い部分でした。
MCUですが「ファルコン&ウィンターソルジャー」で、政治家に対してあなた達はサノスと同等かそれより強いかもしれない。ストーンなんかなくてもクリックボタン一つで世界を変える力を持っている。その責任を考えて欲しいみたいな演説ありましたよね、私はそういうの大好きだし、そういうのを見たいが為にアメコミヒーローが好きだったりします。
そしてその流れで言えば、今回はスーパーマンが戦争に介入するという部分が描かれる。現実のウクライナとかそういうのを重ねているという声もありますが、確かにそういう部分はありつつ、スーパーマン或いはアメコミは何十年も昔からそういう部分を描き続けて来ました。
私はスーパーマンのコミックで一番好きなのがアレックス・ロスの「スーパーマン:ピースオンアース」で、その作品でも戦争に介入するシーンが描かれるし、世間的にはクソ映画扱いの「スーパーマン4」を私は昔から擁護してきてるのですが、あの映画の冒頭、スーパーマンが勝手に地球の核兵器を全て宇宙に捨ててしまうというシーンがあって、そこが私は昔から大好きなんですよ。
「スーパーマン4」も「ピースオンアース」も、割とアメコミにハマりたての時期に触れて「ウォッチメン」なんかもそうですけど、アメコミのヒーローは戦争や政治の問題にも介入するし、社会問題を扱ったりするのが日本のヒーローとの違いでそこが面白いなと感じた部分だし、マニア的には日本のヒーローだって探せばそういう物もなくはないのですが、「ドラゴンボール」のゴクウとかただインフレの強さを競い合ってるだけで幼稚でバカバカしいよな、という風に単純に思ってしまって、アメコミって凄いじゃんと、どんどん沼に足を踏み入れる事になって今に至るわけですが、今回の映画もいきなり戦争介入してて、お~!流石ガン、わかってるじゃないかと嬉しくなったのでした。
そしてコミックファンとしてはウルトラマンの存在。円谷のじゃなくて、それより先に出ていた、スーパーマンのネガとしての存在のウルトラマンの方。反転世界の別アースから来た悪のスーパーマンというのがこれまでの基本設定で、スーパーマンのクローンとしては本来はビザロというキャラが存在します。
あれ?今回はクローンだけどビザロじゃないんだ?DCのウルトラマンも昔から居るけど、日本だとウルトラマンと言えば円谷の方だから、アレンジせずにビザロで行ってほしかったかなぁ、とか思いながら見てました。
そしたら、あのクリプトンの両親ですよ。まあフェイクニュースとか都合のよい解釈や切り取りみたいな今風の問題を重ねて考えても面白い部分ですが、一応劇中でもクリプトン人が地球に行けば神に等しい存在になれるからそうしなさいという両親のメッセージは「本物」とはされていた。
スーパーマンはカル=エルなのかクラーク・ケントなのかっていうのは作家アレンジとしては何度も過去に色々語られてきた部分で、今回もまさしく、出自が何であろうと、人はその人がどう生きるか、何を考えて何を選択するかが重要、それは環境の影響も大きい、っていうのが作品を通したメインテーマでありメッセージでした。
あ!だからスーパーマンのクローンがビザロじゃなくウルトラマン本人なのか。
ざっくり言ってしまえば今回の話は本来は人間を支配する悪のウルトラマン=スーパーマンが生まれるアース3みたいな世界だったんだけど、地球の両親・ケント夫妻の育て方や教え方によりウルトラマンではなく善人になったのが今回のスーパーマンという。
悪のスーパーマンであるブライトバーンを作っていた本来はそっち側に居たジェームズ・ガンが、環境や状況によって、今描くべきスーパーマンはそれじゃないと。そして今作が誕生した。なんかメタで面白い。
本当は力で支配してハーレム作りたいんだろう?みたいな部分は、う~んガンさんそういうのが誤解を生むのではと思ってしまったし、ジャスティスリーグ(JLA)かジャスティスソサエティオブアメリカ(JSA)の前身みたいなジャスティスギャングの、嫌な奴らなんだけど根はいいやつみたいなのはガンらしくて面白い部分でしたし、レックス・ルーサーの根本は人間としてのコンプレックスが一番の原動力だった、みたいなのは良かったです。そして実写とかでは使いにくそうなスーパードッグのクリプトをこうやってちゃんとストーリーに組み込む上手さ。
あと、ルーサーのとこに居たあの女、劇中で特にフルネームは出て無かったと思ったけど、調べたらイブ・テシュマッカーっていうのか。まさかのテシュマッカー姓とはマニアックで流石はガンです。
いや~、スーパーマンのここが良いんだよねっていうツボを押さえた作りと、それでいてガンらしい部分も残りつつ、決して今後の為のセッティングとしてやりたくない事を仕方なくやった感も無かったし、100点を超えた120点の作品でした。
別に今後全部の作品をガンが監督するわけではないし(企画の指揮はとるものの)同等のクオリティを毎回維持して行けるわけではないでしょうけど、今後に期待の持てる良いスタートだったと思います。

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