ON TOMINO YOSHIYUKI
著:藤津亮太
刊:筑摩書房
2025年
☆☆☆☆
『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』『Gのレコンギスタ』……。なぜその作品には強烈な個性が宿るのか。日本を代表するアニメーション監督の謎を解き明かす!
アニメ評論家、藤津さんの新刊。タイトル通りの富野由悠季論です。
少し前に読んだ藤津さんの「アニメと戦争」でもそうでしたが、単純に例を羅列してその解説だけだと、論評にはなりにくいので、物事の見方、アプローチをはっきりさせて、この視点から見るとこうで、そこから導き出される答えはこうだ、というのを決めてやっているので、そういうとこは非常に参考になります。
今回は富野由悠季の作品と演出から見えてくる彼の表現や個性、みたいなアプローチ。作品に対しての本人の記録や関係者の言葉なんかは参考にしつつも、基本的には作品そのものから読み取れる事を軸に書いてある。
序章のとこにも書いてあるけど、富野ってある意味アニメ業界のご意見番みたいな部分も、メディアが面白がってはやし立てるけど、ああいう部分は一度全部シャットダウンして、作品そのものに向き合って見えてくる部分だけを追う形に。ああこれはなるほど、私もつい面白くって富野インタビューとかつい読んでしまうし、あそこでこう言ってたから富野の考えはこうなんだ!っていうのはついつい言いがちです。
あと素晴らしいのは富野由悠季の「映像の原則」というファンにとってはバイブルの一つみたいな本があるんですけど、その中で言ってる上座下座の概念は、世界の映像研究の分野で言うと、方向性の演出というのは基本としてあるけど、上座下座というのは日本固有のものなので、そこは本人の意図とは関係無く、世界の基準を軸に考えるというスタンスをとっている点。いやここはホントに素晴らしい。
youtubeでガンダム系動画で今は「セリフと演出から読み解く機動戦士ガンダム」というチャンネルが結構幅を利かせてて、確かに面白い部分もあるんですけど、凄く富野信者でね、信者としての見方をしてるから、あまり客観視出来て無くて、ああ勿体無いな。視野が偏っている事で凄く薄っぺらくなってて残念だなっていう。私が富野信者嫌いな理由がそこだったりします。
シネフィルとかから見れば演出を読み解く事でその意図を知るっていうのは基本なんですけど、視野をフラットな位置に置くってやっぱり意識しないと少し難しい部分もあるんですよ。
絶対的な客観視なんて出来るはずもないんですけど、やっぱり好きや嫌いのフィルターってどうしてもかかるので、意識的にそこを外す努力をしないとどこかフェアな見方にはならなくなる。なので藤津さんの今回はこのスタンスで、その外野の部分は一度切り離します、っていう努力がとても好感が持てます。長年のファンなんだからいくら努力したって好き好きオーラなんか消せないのは百も承知で。
ファーストガンダム1話の方向性を意識した演出についてはアトロク出た時に語ってたので、そっちはそこで。
で、その後は以降の作品の分析で、富野がやりたかったのは身体性と機械によるその拡張というものではないか。という説はぶっちゃけ45年間誰もしてこなかった新しい論調じゃないですか?
私も長年の富野オタとしてそれなりに語れる自負はあるけれど、あ!新しい!藤津さん凄い!って素直に思っちゃった。
ある一時期、サイボーグとかは描いてみたいテーマとしてあると言ってた時期があったんですけど、「攻殻」とかに何かインスパイアされたか、どこかで「ダイターン」に対する心残りみたいなものでもあるのかなと思ってたけど、ああそういう事かと。
「Z」のラストの「カミーユはその意思を体現するマシンに乗っている」「身体を通して出る力だと?そんなものでMSを倒せると思うな」っていうオカルトパワーは私も正直ここまで行くとやりすぎでは?「ダンバイン」的なクセが出ちゃったのか?と思ってたけど、いやそうじゃない。そここそが富野が表現したかったものでは?という発想や分析が素晴らしい。
それこそ「オカルトかよ。はいダンバインダンバイン」っていう私が受け入れがたいものに対してフィルターをかけてしまったからこそ見えなくなっていた部分を改めて教えてもらった気分。
からの「逆襲のシャア」ここも「Z」と全く同じで、う~んもう少しわかりやすい最後でも良かったのでは?ってやっぱりずっと思ってはいたんだけど、今回の本で、いやそうじゃないあれは「わからないことをわからないように」描いた事に意味があるんだ。あれは誰も理解出来ない「奇跡」を意図して描いたものなんだよと。藤津さん凄い。親父が熱中するわけだ・・・。
ちょっと前のマクガイヤーチャンネルのジークアクス解説でゲストの安藤監督が、「逆襲のシャア」のあのサイコフレームが舞う演出は「イデオン」のメシアと類似しているので、本来はアムロとベルトーチカの子供をメシア的な存在にして(Vガンでもマーベットさんの子供とか確かにあったし)描く予定だったものが、ヒーローのアムロも子供は出さないでという要望で出せなくなったから、サイコフレームそのものとして出すしかなかったのでは?という考察をされていて、面白いなと思った半面、やっぱりそれは信者的な考え方もあるし、メタ的な情報も知ってるからこその考察で、実際はちょっと強引な解釈かなと思ったりしました。
イデ、オーラマシン、バイオセンサー、サイコフレーム。あとこれは意図したもので無く結果論ではあるけれど、そもそもモビルスーツやロボット物しか描かない富野は、機械や技術が身体や精神の延長に位置するテクノロジーというテーマを持ってるからこそ、玩具を売る為のロボットでも自分の描きたい物は十分に描ける、というのが心のどこかにあったのかなという気もして来ます。
「Vガン」のエンジェルハイロゥだって、普通にあれバイオセンサーとかサイコフレームの延長で、その祈りを拡張する事で世界を変革できないか?っていう考えですよねきっと。シャクティも「祈りでは世界を変えることが出来ないのでしょうか」って言うし。
ニュータイプへの変革では無く、機械の拡張技術によって、普通の人へもその意思を繋げる。それは「イデ」のシステムが神では無く第6文明人の発明で生まれた物で、より良き種に変革していく為の技術だったのと同様。バイストン・ウェルが魂の修練の場として、転生して新たに生まれ変わる為のそれもある意味での世界の理。
ただ、宗教的なものって、ある意味寂しい人達の集まりになりがちで、それはブレンパワードのオルファンと同じ。今の状況、というか現世が辛すぎて、新たな次元へと飛翔する事を求めた人達の集まりですよよね。
視野が狭まる事で盲目的になってしまうというのはまさしくカテジナさんで、彼女が最後に視界を失ってしまったのはそういう事で、そんな彼女を引き継ぐクインシィ・イッサーこと伊佐未依衣子も飛翔を求めたけれど、それを繋ぎとめる勇。
からの「∀ガンダム」はディアナカウンターの地球への帰還。方向性で言えば下から上への飛翔では無く、上から下に降りてくる形。三度目のナベクミさんフラン・ドールは先遣隊として降りてくる人だし、新聞記者として広く物事を見ようとする(最初は調査目的もあったでしょうけど)
方向性で言えば「Gレコ」なんかはキャピタルタワーが物語の軸なので、そこもやっぱり方向性は左右ではなく上下のベクトルなんだけど、横長ワイド画面だと上下の幅が狭くなってしまうので、そこは斜め上とかで対処してるとか、なるほど面白いなと思える発見が沢山。そこまでは私も意識して見て無かったので、いつか再見する時は注意して見ておきたい。
正直、この本を読む前は「富野由悠季全仕事」みたいな作品の網羅と、それを一つ一つ丁寧に解説や読み解きをしていく事で、富野由悠季とはこうだ!みたいなのが私の想像と言うか、私のキャパや視野ではそれくらいの感覚で居たのですが、なるほどこう来たかという予想してたものとは全然違ってて、これは今までに無いアプローチの富野本だなと思えました。
方向性のベクトルや、視野をきちんと絞って一つの意見として纏める。ついつい自分も雑多にあれこれ広げて、結局何が言いたいのかわからない、みたいな形になりがちです。多分今書いてるこの感想ブログ記事もそうでしょう。いつも一発書きしてそのまま載せてるのでクオリティはたかが知れてるのを自覚してるのにね。個人ブログとしてそこは軽い気持ちで読んでやって下さい。いつかこれくらいちゃんとしたの自分でも書いてみたいなとは思うけれど。
多分、年季の入った濃い富野ファンでも、こんなの今まで散々言われてきたものをそれなりにまとめただけじゃん!ではなく、こういうアプローチで来たか!これは新しいって思えるタイプの本なので、読む価値は十分にある本ではないでしょうか。
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