原題:Dawn of the Planet of the Apes
監督:マット・リーヴス
脚本:リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー、マーク・ボンバック
原作:ピエール・ブール『猿の惑星』
アメリカ映画 2014年
☆☆☆☆★
シリーズ8本目。
物語的には前作の「猿の惑星:創世記」から続くリーブト版2作目で、前作から役10年後の世界を描く。
脚本は同じ人ながら、前作の監督はスケジュールの都合で降板。後任監督には「クローバーフィールド」「モールス」「ザ・バットマン」のマット・リーブスが就任。
前作のラストで描かれていたパンデミックが今回の冒頭でも描かれ、やはりこれがコロナ禍の初期を想像させて、強烈な印象。
歴史で習った「疫病の流行で経済が後退」みたいな事例をまさか今の時代で体験するとは思わなかったし、この映画みたいに人類が絶滅しかかるまでは行かなかったものの、経済的には大打撃を受け、コロナ前と後ではホントに世の中が変わってしまった。
今の70代とか80代の人とかになるのかな?戦後の高度成長経済の目まぐるしく進歩して行く世の中を見てきて、頂点まで極まった後からのバブルの崩壊で緩やかな後退、徐々に沈んで行く世の中の景色に対して何を思うんだろう?というのは気になる所です。
ちなみにおじいちゃん政治家が的外れな政治をするのは、そういう成長経済を見てきたから、またいずれ同じようになると思ってるからに他なりません。そして自分は金持ってるから今の世の中でも別に困って無い。
私ら中年くらいの世代だとそれなりに良い時期も見つつそこから下がってきてるのを経験してるので、危機感みたいなのはあるけど、そこから更に若い人たちは、良い時期の事も知らないわけで、世の中って言うのはズブズブと沈んで行く泥船で、この世界はそこに希望なんか見いだせない生き地獄だと思ってるわけですよね。だから現実逃避をしたがるっていう。
私は「ゾンビ」とかも大好きですし、ポストアポカリプス世界。荒廃した世界みたいなものには、どこかあこがれもあるんですよね。少し上の世代とかだと、第3次世界大戦が起きて核戦争で世界が終わってしまう、みたいな危機感やイメージが終末のイメージでした。それこそ「猿の惑星」の旧シリーズがそういうイメージで作られていたように。
私らの世代なんかだと、そこともちょっと違って、もうどうにもニッチもサッチも行かなくなった世の中に対して、一度リセットをかけてゼロから始めるとかじゃないとこの世界なんてもうどうにもならなんじゃないの?っていう感覚が強い。それこそ資本主義の終わり、成長する物語の破綻。システムに対して、そのシステムの根本から変えていかなければならないみたいな、まさしく「まどマギ」なんかはそういう話でした。ポストアポカリプスにどこか憧れを感じるのはそういう部分なのかなと思います。
じゃあやっぱり若い人はその辺りに関してどう思うんでしょうね?
そこも聞いてみたいとこではあります。
なんか「猿の惑星」からはちょっと話がずれている気がしないでもないけど、そうじゃない!猿の惑星は風刺劇こそが作品の本質なはず。セカイ系と対極にあるシャカイ系の作品。
前作から10年、免疫をもたない数多くの人達が命を落とし、かろうじて生き残った人もパニックと混乱で互いに殺し合いを始め、社会は崩壊し、極わずかな人のみがシェルター内でかろうじて生き残っていたという状態。
世界全体の比率とかは不明なものの、作品内では人間よりも猿の方に比重を置いて語られる事になり、より旧作の世界観に近づいて行っているように思える。
やはりここで面白いのは、人間は愚か、猿の方が規則を守って正しいという描き方をしない所。
前半は「猿は猿を殺さない。人間とは違う」を強調しておきながら、シーザーの右腕的存在であったコバが、人間と通じ合うシーザーに反旗を翻し、クーデターを企てるという物凄い展開。
そして言う、人も猿も同じだと。
結局は人間も猿も大した変わりはない。
人間ではなく「猿」を使って物語を描く事で「人間」を批判する。いわゆる隠喩(メタファー)だったり寓話(アレゴリー)みたいな「猿の惑星の」本質的な構造をこうして物語できっちり描く作りになってる。
前作は言うほどその辺りの「猿の惑星」の強みはそんなになく、そこに至るまでの序章的な話を展開していました。勿論、それはそれで別の魅力がちゃんとある作品だった。
それがこのパート2は、その序章をちゃんと生かしつつ、はいじゃあ「猿の惑星」本編スタートしますよ~!という感じがとても良い。
キングコングとかゴリラとかがヒーローで大人気なアメリカはともかく、エイプとモンキーの違いも普通はわからない日本人にとって「猿の惑星」ってまあ正直そんなに人気が無いのも当然というか、スター俳優とかが主役じゃない猿が主人公の映画を普通の人は敬遠しちゃうよねっていうのは凄くわかる話。
前作からの流れで、今回猿軍団は手話とカタコトの言葉で話をするんだけど、じゃあ仮に実際こういう世の中になったとして、手話を使う猿って本当にリアルなのかと言えば、よく考えると今生きてる猿だって手話なんか使わず猿同士でコミュニケーションとれてるんだろうし、こうはならんわなと正直思う。いやまあ劇中では薬で知能が上がったという設定にはなってるけども。
で、これって原語の英語版でも多分同じだと思うんですけど、手話とかにちゃんと字幕がつくんですよね。実はそうやって物語や会話を成立させている、いわば映画のマジックみたいな事をやってる作品なんですこれ。
これがね、ナレーションとかで説明だったら思いっきり萎えます。流暢な言葉を話すようになったら、それはそれで旧作風ではそうやってるので、そこに近くはなるんですけど、ここではまだそこまでに至っていないという所を描いている。
で、それがどういう効果を生むかと言うと、手話も含めた「セリフ」が猿側は最小限なのです。あとは表情や画面でそれを流暢に語る。
最近の流行り映画やTVの延長映画は1から10まで気持ちを全部セリフでしゃべって台無し、とかシネフィルの人はよく言うじゃないですか。映画って言うのはそこを読ませる所に面白味や価値がある芸術です。
小説が好きって言う人は、全部が自分の想像で補えるからですよね。逆にTV番組は老若男女、しかもTVだけに集中せずに、ながら見をしていても伝わるように1から10まで全部を説明するメディアです。映画はその中間ぐらいの特性だと思えばいい。
「悔しいです」なんて言葉にしなくても、その表情だけで、この人は悔しがっているんだな、それは自分も経験したあんな気持ちだろうか?みたいな含みが奥深さを出す。説明やセリフを入れてしまうのは客を信じていないという事ですし、直接的な説明を避けて画面で読みとらせるのが上等な映画というのが基本中の基本。
私ねぇ、映画史に残る傑作とされる「マッドマックス怒りのデスロード」って正直ピンとこなかったんですよ。でもあの映画の何が凄いのかを調べたりしてると、確か主人公のセリフが5つも無いんじゃなかったっけ?それで2時間まったくダレたりせずに勢いで乗り切る。そんな映画他にないよって言うのをみてそれはなるほどと目から鱗が落ちました。迫力ある画面やアクションが凄いとかそういう表面的なものじゃないんですよ。そういう構造が凄い。
この「猿の惑星:新世紀」もそういう所に挑戦してるわけです。手話と片言の言葉で、最低限の形にして、あとは画面で見てよと。それでもこんなに伝わるでしょ?というのがマジで凄い。
コバが銃を奪い、力を手にする事で下剋上を狙い、同じ種族を容赦なく殺し、監禁する。人間対猿が、いつの間にか猿対猿に変わり、太古の人間がそうであったかのように、雌雄をかけて決闘する。これは一体何を見せられているのか。
これをね、CGで作った変な猿を見せられてこっちは何を思えば良いのやら?っていう微妙な気持ちにさせない上手さですよね。
よく下手な絵の漫画みたいな話で「カイジ」の福本漫画とか、「ジョジョ」は画がキモくて苦手だったけど、実際に読んでみると話が面白くて画がどうのとか気にせずに読めたみたいなのあるじゃないですか。漫画は絵が上手とかそういう事では無いんだなっていう感じで。
それの映画版が「猿の惑星」みたいなものじゃないかなと。有名な俳優出て無いじゃん、こんな変な猿とか感情移入できないしこんなの本当に面白いの?って思ってる人は結構居るはず。
そういうのは初心者とかには当然あるだろうし、そういう意味では敷居は高いのかもしれないけれど、逆に言えばそこに踏み込む事で、一気にリテラシーが高まる非常に映画らしい映画だと思います。
という事で次は3作目「猿の惑星:聖戦記」です。
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