僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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ザ・ピーナッツバター・ファルコン


シャイア・ラブーフ主演の全米ヒット作『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』予告編

原題:the Peanut Butter Falcon
監督:タイラー・ニルソン、マイケル・シュワルツ
アメリカ映画 2019年
☆☆☆☆★


<ストーリー>
老人の養護施設で暮らすダウン症のザックは、子どもの頃から憧れていたプロレスラーの養成学校に入ることを夢見て、ある日施設を脱走する。同じく、しっかり者の兄を亡くし孤独な毎日を送っていた漁師・タイラーは、他人の獲物を盗んでいたのがバレて、ボートに乗って逃げ出す。ノースカロライナ州郊外を舞台に、偶然にも出会った二人の旅の辿り着く先は……? やがて、ザックを探してやってきた施設の看護師エレノアも加わって、知らない世界との新たな出会いに導かれ、彼らの旅は想像をもしていなかった冒険へと変化していく。

 

ようやく映画館も営業再開しました。リスクはあると思うし、自粛してしばらくはどうしても絶対にこれは見たいって作品以外は様子見ようかなとも思いましたが、それで映画館が潰れてしまってはどうしようもない。

 

私が普段から一番良く利用してるのは「フォーラム東根」なのですが(家から10分、会社から3分くらい)他に行く何軒かの近い映画館と比べても普段からお客さんの数は圧倒的に少ない感じですし、やっぱり今こそ好きな事にお金を落として経済を回さないと、という事で映画館に足を運びました。

 

前回観たのは4月頭の「人生をしまう時間」だったかな?ひと月半ぶりくらいです。まだ時間短縮でレイトショーの時間はやってないのが残念ですが、普段は一切使わない売店とかにもなるべくお金落として行こうかなと思います。

 

予告なんかを見てて、気にはなってたものの、絶対に見るとかではなかったこちらの作品。でも見て良かった!見逃さなくて良かった!ピーナッツ・バター・ファルコン最高!年間ベストに入りそうなくらいに素晴らしかった。そう、映画館はやっぱりこういう出会いが最高なのです。

 

映画館は1年に1~2本とかイベント的に映画を見る人と違って、映画館に行く事が普通に生活の一部になってるような映画ファンにとっては、やっぱり映画は映画館で見るもの。暗い中でスクリーンに映し出される世界と一人で向き合う。ここで描かれたものとお前はどう向き合うんだ?とスクリーンは問いかけてくる。そこで見たものと自問自答する。私にとってはそれが映画。まず相手が何を伝えたいのかよく見てよく聞く、そこから全ては始まるので、集中出来る環境で無いと、作品と真摯に向き合えない。

 

映画オタクのめんどくさい戯言ではありますが、映画館で見たものだけが本当はちゃんと「映画を見た」と言えるんだ、とかつい言いたくなってしまいます。いや、レンタルとかでも見てはいるんですけどね。なので「ゾンビ日本公開復元版」で初めてスクリーンで「ゾンビ」を見れたのはこの上ない喜びだったのです。やっと本当の意味で映画を見れた、的な。

 

前書きはこれくらいにして、「ザ・ピーナッツバター・ファルコン」
ダウン症の子という時点で、正直に言えば私は苦手意識があります。こういう人達をバカにするような偏見を持ってる人を見ると、差別意識のある嫌な人だなと思います。でも、じゃあお前はどうなんだ?と問われると、「可愛そうな人達だな」みたいに思ったりして、結局はそれも偏見でしかないですし、どう接したらいいのかもわからない、そういう所から来る苦手意識です。

 

ダウン症に限らずですが、よく母がTVで障害者が映し出される度に、「こういう人達は別の特別な能力があって」みたいな事を昔からよく言うんですね。映画で言えば「レインマン」なんて作品もありましたし、もしかしたらそういう物の影響なのかなとも思うのですが、全員が全員そんな特別な能力を持ってるはずがないんですよね。

 

障害を持っていながら名を残すくらいの事をしたから、美談として受け取る側も印象に残りやすいのと、何かしら欠落したものがあるからこそ他の部分での努力を実らせた結果でしかないと思うんです。

 

以前、ミニコミ誌に山形ドキュメンタリー映画祭関連の記事を書くことになって、色々調べたり、アーカイブを観に行ったりした事があったのですが、タイトルは忘れましたが、そのアーカイブ作品の中に、障害者が心は奇麗だとか言うのは幻想なんだよ、的な作品がありました。障害者である本人が撮ったドキュメンタリーです。ああその通りだよな、と思いました。

 

世の中には良い人と悪い人が居ます。心が綺麗な人も居れば、邪悪な人も居ます。それは障害者であるか否かはまったく関係の無い話です。特別な能力があるか無いかは障害の有り無しとは全くの別問題。

 

何かしら障害があるから、他の人には無い別の能力を与えてあげよう、よりピュアな心を持たせよう、なんて神様のお恵みがあるような世界じゃないのです。現実の世の中はそんなシステムで作られいません。不条理だろうが何だろうが、ただそこに有るか無いか以上のものはない。

 

そんな不条理なこの世の中、世界に対して、じゃあ自分はどう向き合って生きていくか。ただそれ以上でも以下でもない。

 

ザ・ピーナッツバター・ファルコン」はそんなお話でした。親にも捨てられ、国も近くに専門の施設が無い為、老人介護施設に主人公のザックは閉じ込められています。でもそこはザックにとっては監獄でしかない。文字と通り、折をこじあけ、ザックは世界と裸一貫で向き合います。

 

そこで出会ったのがタイラー。運に見放され、不条理の中で何とか自分の力で生きていこうとする男。最初はザックに対しても、自分の力で生き抜けと相手にしないものの、無き兄が頭によぎったのか、やがては心を通わせていく。「友達は自分で選べる家族だ。」という言葉が胸に残る。

 

そう、世の中は不条理だらけだけど、自分の生き方は自分で決めるしかない、お前の価値を決めるのは世界じゃない、お前が世界の価値を決めるんだ!的な主張が、もう私の心に響いて泣けて泣けて仕方なかった。

 

人は誰だって色々抱えて生きている。それはもしかして自分が望んで抱えたものではないかもしれない。でもそれが何だ?他人にバカにされようが構うものか、お前の生き方は自分で決めろ!って言われてるようでね、物凄く響きました。

 

そしてそれを支え応援する、友達と言う名の家族。孤独な魂を抱える人達が出会って疑似家族になっていく。

 

「魔進戦隊キラメイジャー」が物凄く面白くて、毎週楽しみなのですが(残念ながらコロナで放送中断になってしまいましたが)「人が輝く時」っていうオープニングのナレーションから毎回私は泣きそうになるんですよね。みんな同じで無くていい、その人その人にそれぞれに輝く瞬間がある、そういうのを肯定している作品で、そこが現代的で凄く良い。何か「ピーナッツバターファルコン」もそれに通じるものがありました。

 

ええと、私はもう子供の頃にもう「普通」っていう価値観を捨てちゃった人です。普通なんてつまらない、普通じゃない方がずっと特別な価値がある、って割り切って生きてます(勿論それは「普通」になりたくてもなれなかったっていうコンプレックスがあった上でしたが)

 

でもやっぱり「普通」から外れる事が怖い人って世の中にいっぱい居ますよね?そういう人にこそこういう作品に触れてほしいなって思います。

 

最後のプロレスのシーンも凄く良かった。村プロレスみたいな感じで、観客なんて20人くらいしか居ない。引退したソルトウォーターを始め、もはや趣味でやってるだけの、世間から見たら落ちぶれた人達の集団。(おそらくは観客の多くもそっち側の人達なのでしょう)でも、楽しくやってるんだからそれでいいじゃん。

 

タナダユキの「タカダワタル的」だったっけかな?フォークシンガー高田渡ドキュメンタリー映画を昔観ました。50人くらいしか入らないライブハウスを拠点に活動してる人ですが、好きな音楽をやって、それで最低限食べていけるくらいで丁度良い。そんな生き方をしてる人でした。ミュージシャンだからと言って100万人に何かを届ける必要なんかない。身の丈にあった幸せがそこにあるのならそれ以上なんて望んで居ない。そういうのを思い出します。

 

ピーナッツバターファルコン、そしてそれを支えるタイラー。とても輝いていました。世間は彼らをあざ笑うかもしれない。でも世間が何だ、彼らの輝きは私の心にちゃんと響いた。そして何より、彼らの輝きは彼らの中にこそある。それで良い。

 

世の中の見方をちょっとだけ変えてくれる、そんな素晴らしい作品でした。

ピーナッツバターファルコン!ピーナッツバターファルコン!
心よりエールを送りたい。


ちなみにこの映画、もっと早く完成していたものの、トラブル連発お騒がせ俳優シャイア・ラブーフがまたも飲酒で問題をおこして公開が危ぶまれてしまったのだとか。リアルでダウン症であるザックが自分をスターにしてほしいという願いから始まったのがこの企画。そんな中での逮捕劇に「君はもう有名だけど、この映画がぼくのチャンスなんだ。それを台無しにした」とザックに活を入れられ、本気でアルコール依存から抜け出すセラピーに通い始め、映画の中の二人の関係のように、友達になれたのだとか。良いエピソードですよね。

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