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ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット

ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット(字幕版)

原題:Zack Snyder's Justice League
監督:ザック・スナイダー
脚本:クリス・テリオ
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2021年
☆☆☆☆★

 

劇場公開版完成間近に家族の不幸により企画から降板。そちらはジョス・ウェドンが引き継いで完成させたものの、興行成績・評価共に振るわず、ファンからはザック・スナイダーの復帰を望まれるも、スタジオもそう簡単には首を縦に振らなかったが、後にHBOの配信映画の目玉企画として、劇場公開版2時間の倍の4時間映画として作り直される。

 

劇場公開版より10分長いディレクターズカット版とかよくあるじゃないですか。今まで見た事の無いシーンが追加されてて、じゃあそれで作品の印象が劇的に変わる程なのかと言えば、ファンの人はバージョン違いを楽しんでね程度が大半。個人的な感覚では今回もそんな感じかなと思いつつも、もはや別物という声も多かったので、半信半疑でこれも見てみたいなと思ってました。

 

いやこれは凄い。2時間映画が4時間映画になったんだから、尺的には2本分です。元と違って、章立てになっており、配信用に作られたというのもあって、ドラマに近い感じになってるのかと思ったら、思った以上にちゃんとした映画になってました。

 

本筋そのものは大差無いものの、一つ一つの描写を丁寧にやっていく事で、色々な部分に深みが出る。

 

例えば冒頭のワンダーウーマンの故郷のセミッシラの描写が単純に長い。ここは尺を調整するに当たっては短く切るのは当然だなと思う所だけど、結構なアクションシーンだったのにそれを切ったのは勿体無いというのもあるけど、メインヴィランであるステッペンウルフの強さの描写と、キューブの説明なんかも兼ねていたので、劇場公開版との差はその辺りに出る。

 

そしてもう一つ、サイボーグのオリジンやテーマの丁寧な描写。アクアマンも描写は結構増えているものの、どちらかと言えば設定の説明や単品作品への布石みたいな描写が多い。フラッシュは二人と比べるとそこまで出番は増えてないけど、やはり設定面や自作への布石が多少追加されてる。

 

アクアマンとフラッシュはそうやって次の作品も企画されてたからまだ良いけど、サイボーグは元々単品映画の企画が無かったんだから、ここで描写するほかない。なのにそこを劇場公開版では切っちゃったので、ややどういうキャラなのかがわかりにくかった。そこが補強されるのは作品として深みが増します。

 

いやね、サイボーグってジャスティスリーグにおいては他の5人と違って決して古参じゃないのよ。アニメとかだとティーンタイタンズの方に入ってたキャラだし。恐らくは黒人枠。コンプラ的に人種バランスを考えた上でのJLへの起用だったはず。昔からの馴染みじゃ無い分、今のジャスティスリーグには彼が重要なポジションとして必要なんですよっていうのを、より丁寧に描かなきゃならなかった。劇場公開版では切られて、スナイダーカットでは深く描かれてるという、一番大きな差かもしれません。

 

あとはJL側じゃなくヴィランのステッペンウルフ。ここも何気に濃くなってる。劇場公開版だと一つのセリフと一つのイメージカットで処理されたダークサイドが今回はちゃんと出てくる。そこはマーベルで言えばサノス的な、今後出てくるラスボス的なポジションですよというのを認知させるのと同時に、ステッペンウルフは先兵でしかない。一人でもこんなに強くて倒せない敵をなんとか退けたとしても、その先にもっと強い奴が背後に居るんだよという描写。だからこそスーパーマン無しではキツくないか?と自然と思わせる作りになってるのが何気に上手い。

 

ここ、ジョス・ウェドンザック・スナイダーの考え方の違いが如実に表れてる部分じゃないですか?スーパーマンを神に見立てるのはどちらにも共通しているんだけど、まず劇場公開版(ジョス・ウェドン版)は前作「ジャスティスの誕生」で地球に神は必要無いとしてバットマンがスーパーマン不要論を唱えていたが、それは自分の(人間の)エゴだったと過ちを認め、この暗い世界を明るく照らす良き神の存在が必要なんだと気持ちを改めたから、バットマンはスーパーマンを復活させようとする。それが劇場公開版のジャスティスリーグ

 

対する今回のザック版。そこが何気に変わっていて、ヴィランの深堀りがされると同時に、ヒーロー側も一人一人の個人の力で立ち向かう為だけじゃダメなんだ、今こそ手をとりあい、同盟を結ぶ時なんだ、というチーム物として必然性のあるテーマになってるし、その中にスーパーマンも必要なんだという作りになってる。

 

要するにジョス・ウェドン版は、人類を導く神としてのスーパーマンの位置付けなのに対して、ザック・スナイダー版は神であるスーパーマンでさえも、人種や性別、立場を超えて共に戦う仲間、共に寄り添う存在として描いてある。

 

ここの差ってメチャメチャ大きくないですか?
あ、ザック・スナイダーすげぇ!って思ってしまった。

 

ぶっちゃけ、私はザックの事舐めてました。「ドーンオブザデッド」にせよ「ウォッチメン」にせよ、どの作品も楽しませてもらったけど、その解釈じゃないんだよな~って思う人でした。でも今回は素直にザックの言ってる事は正しいと思えた。

 

スーパーマンは神にも等しい存在である。けれど、上(空)から人間を見下ろし導く
存在なんかではなく、人の横に立ち、肩を並べ共に手を取り合い、寄り添う存在なんだと。このスーパーマンの解釈は本当に良いと思うし、ジャスティスリーグ=正義の同盟という作品で扱うには完璧なテーマなんじゃないかと。だって今回はあくまでチームを描く作品なんですから。

 

ヴィラン側、ステッペンウルフが縦社会、上下の立場ありきなのに対して、ジャスティスリーグはテーブルは円卓にしようという言葉の通りに、上下関係の無い横並びの共同体=ユニオンを結成する。時代性もバッチリじゃないですかこれ。

 


凄い。見事なくらいにブラッシュアップされてますね・・・というか元からそうだったものが色々とそぎ落とされちゃったという事なのか。

 

実際の二人の政治的思想がどうなのかはわかりませんが、ジョス版が保守で、ザック版がリベラル的な考え方の差があるように思えて、そこはメチャメチャ面白い部分でした。

 


今回、4時間一気に見れて全然ダレる所も無く、4時間が面長に感じなかったくらいに密度は濃かったんですが、じゃあバットマンの悪夢部分(エピローグも含め)とか必要か?と言われたらぶっちゃけいらなかったし、今更「もし」の事を言っても仕方無いとは思うけど、これをベースに短くして3時間ぐらいの映画にして当時に元から公開していたら歴史が変わっていたのでは?とか思わなくもありません。

 

こっちにしか出番のないマーシャン・マンハンターとかジャレット・レト版ジョーカーとか、顔見せや今後の展開の為の布石なだけで、今回の物語的には特に必要無いキャラでした。ダークサイドも含め、そこはザックなりの今後のプランがあったのでしょう。黒いスーパーマンを含めて、私個人としてはそれを見たいかと言えば、そこまでは・・・というのが本音ではありますが、「ジャスティス・リーグザック・スナイダーカット」という単品で見る分には、或いは劇場公開版として比較してみる分にはメチャメチャ良かったとだけは言っておきます。

 

前にも触れた「ペットセメタリー」ネタとか、真実の投げ縄でアクアマンが本音をしゃべったりとかああいうコミカルで可愛いシーンは一切無し。あの辺はやっぱりマーベル的なコミカル要素も受ける要因としてDCにもねじ込んだ感じだったんでしょうね。あれはあれで私は好きなんですが。

 

2時間と4時間では流石に違うの当たり前ですし、ただのロングバージョンという違いではない、同じ素材でありながら違う監督の違う編集による別のアプローチによって作られた稀有な存在としても面白いケースでした。

 

DCEUは実験みたいなものとして、次のフェイズはもっと上手くやってくれればと思います。考えてみると、矛盾は承知の上で設定変更をしながらも一つの継続した世界としてずっと続けているマーベルと、定期的にリセットをかけてやり直すDCという、コミックの歴史でやってきた事が、映画ユニバースでも作風の違いとしてそのまま引き継いでるの面白いですよね。

 

ザック・スナイダーカット、一見の価値はあるんじゃないかと。

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