僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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魔進戦隊キラメイジャー

スーパー戦隊シリーズ 魔進戦隊キラメイジャー Blu-ray COLLECTION 3

MASHIN SENTAI KIRAMAGER

監督:山口恭平、他  脚本:荒川稔久、他
日本 特撮テレビドラマ 2020-21 全45話+特別編5回
☆☆☆☆☆☆

キラメこうぜ!!

 

スーパー戦隊シリーズ44作目。
主演のキラメイレッド/熱田充瑠役の小宮璃央君が4月頃に新型コロナ感染、撮影も中断して、映画「エピソードZERO」のTV放送や特別編集編で中断期間をしのいで、その後は無事小宮君も復帰、最終回まで完走致しました。

 

いや~、キラメイジャー最高でした。メチャメチャ面白い作品になってました。戦隊って45年も続いてるのもあって、私も全作は見て無いのですが、それだけ長ければ時代と共に変化してきた部分ってのは当然ある。ただ、割と時代性に敏感なプリキュアなんかともちょっと違って、常にアップデートを気にしているというより割と緩やかな変化っていうイメージが強い。

 

キラメイジャーは、ここ数年は最初から9人の「キュウレンジャー」とか、2戦隊の対立を描いた「ルパンレンジャーVSパトレンジャー」とかと比べたら、毎週変なタイツ怪人と戦うと言う、割と古い戦隊スタイルを踏襲してオーソドックスな感じにやりつつ、逆にそのベーシックな形の中で、今風の価値観を入れて行く、というような形になってて、個人的にもその部分が一番面白い部分でした。見た目、いわゆるルックの部分を新しくするんじゃなくて、外見よりも中身の部分をアップデートしていく事で、ちゃんと今が見えてくる形になっているのが凄い。

 

リーダーのレッドが最年少なんだけど、そのリーダーが皆を引っ張っていくっていうのじゃなくて、仲間達の個々の能力を最大限に引き出してあげる事、それが今の時代の本当のリーダーのあるべき姿なんだ、っていうのがやっぱり今風でグッと来ました。

 

私もね、仕事ではそれなりの役職についていて、部下を動かさなきゃいけない立場です。そこってやっぱりとても難しい。部下と言ってもそこは一人の人間ですし、能力や個性はそれぞれに違う。自分より年上の人とかも動かさなきゃならないわけですが、やっぱり価値観が古かったり、歳下から指示されたりとか感情的にあまり良く思って無いとかはあったりします。残念ながら自分でも上手くは使えていないなぁと思うし、所属する会社自体や逆に私の上の立場の人なんかも凄く昔の価値観のまま今に至る感じで、上司の命令は例え間違っていたとしても絶対に聞け、みたいなタイプで苦労が絶えません。

 

で、私はキラメイジャー見ながら、本当にもう毎回思うのです。OPの歌詞とその前に入るナレーションに毎回毎回グッと来る。

 

「人が輝く時、そこに奇跡が生まれる!輝き、それは未来を変える戦士の証!キラメイGO!!」

♪キラキラ輝く為に僕らは巡りあったと思うから

 

そう、人はそれぞれ好きな事や得意な事は違う。それぞれの個性を生かし合えばもっともっと世の中って幸せになれるはずなのに。そしてその個々の個性はさらにさらに輝く事が出来るはずなのに。本当に目指すべき所はそこなんじゃないの?って私は本気で思ってます。その方が個人にとっても社会にとってもどちらも良い結果に繋がるのでは?私はそう思ってる人です。

 

なのにね、なかなか現実はそう上手くは行かない。全員に同じ事を求める。何でもそつなくこなせる人や、全体的に能力が高い人は良いかもしれませんよ、でも私は昔から、本当に子供の頃から他人より秀でたものなんか何もなくて、ついていくのに必死どころかついてさえ行けませんでした。周りに迷惑をかけるのが嫌だから、なるべく他人には関わらないようにしよう、自分はダメな人間なので、生きててゴメンなさいってずっと思ってきました。

 

今は一芸にだけ秀でて極めればそれを武器にして戦ってやろうとか思ってるのでそこまで辛くも無いですし、なんとかくらいついて生きてはいるけども。

なので私は一芸に秀でている人や、好きな物を極めるまで徹底している人の話を見たり聞いたりするのが好きで、そういう人を応援したくなってしまいますし、自分もそうなれたらな、と日頃から思ってます。

 

そんな考え方をしてる人なので「人が輝く時」っていうフレーズが、本当に心にグッと来るのです。

「キラキラ輝く為に 僕らは進化してくはずだから」
そう心から願わずにはいられません。

 

でね、そのコンセプトって戦隊に凄く合うというか、これこそが戦隊のあるべき姿だろうと思ったり。作品やその主張は様々あっても良いと思うし、戦隊でもリーダーがリーダーらしい作品もそれはそれで好きですよ。(「ボウケンジャー」とか私も好きだし)でも、足りないものを補い合うとか、それぞれが違う個性を持つっていう方が私は凄く戦隊らしくてより好みです。

 

でもって、そういう今風のリーダー論だけじゃなくて、予定に無かったけど思わず書いてしまった1~2話の感想でも触れましたが、2話で瀬名お嬢様がキラメイジャーより陸上を優先させるっていう話もそうですし(残ったメンバーが力や知恵を合わせれば良いっていうの素敵な考え方ですよね)

 

限界は超えるべきものじゃない、限界は守るべきものなんだっていう話も凄く今風で素晴らしい主張だなと思いました。ヒーローなんだし、限界のその先まで到達する事が成長なんだっていうのがこの手の作品のお約束ながら、身体を壊してまでそこまで行く必要は無いんじゃないの?もっと違う手段だってあるはず、という主張も新鮮でした。

 

魔進との入れ換わり回での、相手の間違いを正すんじゃなくて、ほめて伸ばす事が重要だってのも今風だなと思ったし、充瑠君が子供に絵を教える部分でも、ああなるほどこうくるのか、面白いなって思えた。

 

瀬名お嬢様が5人になる回でもネガティブな部分だって否定するだけが全てじゃ無い、があった上で充瑠君と柿原さんのエピソードなんかも微笑ましかった。(ちょっと「マジレン」の山崎さんみたいよね)柿原さんね、可愛いけどちょっと腹黒なとこもあって、でもそこも柿原さんの一部だしって良い方向に解釈して、それがあのエンディングに繋がると。

 

終盤の漫画家になったいかにもなオタクの話もそうで、それがクランチュラと同じクリエイターとして心を通わせて、結果的に一矢報いる形になったと。この辺りの構成も見事だし、淀みから生まれたヨドン皇帝が自分の弱さであるヨドンナを排除したっていうのとも対比になってる。

 

なんていうか、やっぱり人を輝かせる、人が輝く時っていう部分にホントーに心からグッと来ました。理想論かもしれないけれど、そういう世界こそが本当は幸せなんじゃないかって思わせてくれるのはね、見ていて嬉しくなるし、子供達に向けたヒーロー番組でそういう主張、メッセージを発信するって本当に素晴らしい事だと思います。今の時代にねヒーローかくあるべしって思えるものを作ってくれたのはとても価値のある事じゃないかと私は思うのでした。

 

ゲキレン回とかおもちゃ回とかも単純に面白かったし、キャストも声優さんも含めて、みんな輝いていたなぁと思います。

1年間の長編ドラマとしてはどうだったかな?みたいに不満点も無い事は無いんだけども、私はこの作品が伝えたかった事の部分だけでも、100点を通り越して120点です。


時代に合わせたアップデート感が面白いっていうのはちょっとプリキュアに近い面白さだったんですが、同期のヒープリがややシリアスで重めな作品だったのに対して、常にキラキラ感を忘れなかったキラメイジャーの作風って、大変な世の中なだけに、より輝いていたようにも思います。

 

いや~キラメイジャー、最高に面白かった。

さて、映画も観に行かなくちゃ。


【魔進戦隊キラメイジャー】<エピソードFINAL>2月28日(日)放送 予告動画

 

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トロピカル~ジュ!プリキュア 第1話「トロピカれ! やる気全開!キュアサマー!」


新番組『トロピカル~ジュ!プリキュア』ABCテレビ・テレビ朝日系列にて2月28日 日曜あさ8時30分~放送スタート!

Tropical-Rouge! Precure
シリーズディレクター:土田豊
シリーズ構成:横谷昌宏
TVアニメ 2021~
☆☆☆☆☆

メイクでチェンジ!ムテキのやる気!

 

ヒープリの熱も冷めやらぬまま、遂に始まりました「トロピカル~ジュ!プリキュア」です。TVシリーズ18作目、代数で言えば16代目です。(2年やったシリーズが初期に2つあるため)

 

いやよくよく考えると凄いね。高校生くらいの子まではプリキュアは自分が生まれる前からやってたシリーズになるのか。度々書いてますが、私はきっちりとリアルタイムでプリキュアにハマったのが9作目の「スマイル」からなので、そこがもう中間地点とは。

 

今回はメイクとかコスメを前面に押し出して、タイトル通りにトロピカルな南国のキラキラ感とか、私にはちょっと、いや大分程遠いモチーフがたっぷりなので、ビジュアルやテーマとしてはそんなにグッと来る感じでは無いのですが、監督が土田豊氏という部分にメチャメチャ期待してます。

 

土田さん、まほプリ春映画「プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法!」とプリアラ秋映画「キラキラ☆プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ!」の監督をされてる方です。TVシリーズも各話演出・絵コンテの形でスイート以降各シリーズ何本もやられている方で、シュールなギャグ回と言えばこの人、みたいなイメージがあります。勿論、普通のシリアス回やる事もあるけど。

 

私は各話の前情報まではそんなに入れないで見る方なので、TV見ながら、今回は○○が演出かな?作画監督は河野さんぽいな、青山さんぽいな?とか思いながら毎回EDでスタッフクレジットをチェックするわけですが(主に演出・コンテ・脚本・作監辺りを)今回のシュールさは土田さんか!っていうのは割と分かりやすかったので、自然に名前は憶えましたし、監督をやった映画2本も凄く面白かったので、いつかTVシリーズの方も監督やってほしいとずっと言い続けてきた人です。

 

で、映画2本目のプリアラ秋映画の時にインタビューで言ってたのですが、映画1本目の時に、言葉でのギャグとかは意外と子供達には伝わらないんだな、っていうのを反省したと。メインターゲットの未就学児ぐらいだと、まだ知らない言葉や概念も多いから、笑ってほしいと思った所であまり反応が無かったりした、みたいな事を言ってました。


だったらと動きや絵とか分かりやすさの方を重視しようと修正してきたのがプリアラ秋映画で、やっぱりこれがメチャメチャ面白い映画になってました。

 

ここ、実は凄くプリキュアにとって重要なポイントで、土田さんじゃなくもっと前のシリーズで誰かが言ってたのですが、やっぱり子供は話よりも絵を見ているものだと。だからストーリーやドラマの展開だけで話をひきつけるのじゃなくて、子供が見ていて飽きない絵作りをプリキュアはやっていて、それを秒数の単位できちんと意識してそこまで管理しながら作ってるんですよ的な事を言ってました。多分これ、プリキュアだけでなく、子供向けの作品全般として、おそらくはセオリー的なものがあるんじゃないかと
思います。

 

それ知った時、ああそうかだからプリキュアってギャグとかコメディーっぽい要素も大きいし、可愛い女の子キャラでも変顔とかコロコロ表情を変えるのかって、ものすご~~~~く納得した憶えがあります。

 

キュサマーの声優さんのファイルーズあいさん(凄いインパクトある名前ですよね)が短編映画でサマーがヒロインにあるまじき顔をしていたって言ってましたけど、あれは初代のオマージュだったりします。

 

プリキュア初心者の頃、スマイルは元々明るい作風なのもありましたけど、スマと並行で過去シリーズもレンタルとかでずっと見てたんですよね。そこで、プリキュアって意外と笑えるシーン多いんだな、っていうかこれ半分ジャンル的にはギャグとかコメディーに足突っ込んで無いか?とか思ったのですが、ちゃんとした理由が実はそんな所にありました。

 

その辺りの背景を知った上でトロプリ1話を見てみましょう。
物凄くそういうセオリーの上で作ってますよね?

 

だからプリキュアは面白いんです。面白くないわけがない。
私は今回のトロプリ、ビジュアル的にそんなに好みではないですよ。
でも面白いんだなこれが。

 

プリキュアに限らず、戦隊やライダーでもそうですけど、毎年新しいのが発表される度に、なんか新しい奴はちょっと違うな~って違和感を持たれつつも、終盤になるといつのまにか終わるのが寂しい、終わっちゃってロスだ~ってなるのもうお約束みたいなもんです。勿論、好みはありますし、私の場合だとライダーとかもう何年も全く面白くならないので思い入れは無いですが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の反対で、好きになってしまえば全部が許容できるようになっちゃうものですので、今回のトロプリもそこは心配してません。

 

だって1話の時点で、観る前は人魚かぁあんまり好きになれそうな感じしないなぁとか思ってたのに、ローラのキャラ面白いじゃんか、ってもう思っちゃってますもの。

 

そして何より1話のオチ!
敵側が、我らを邪魔する輩が現れました!って報告に行って、ボスキャラが、何だと!ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・と不穏な空気を醸し出した所で

 

「明日にするわ」

 

っていうオチに爆笑してしまいました。
いやもう最高。この辺が土田テイストです。

 


でも面白いけどわかるわ~、なんかもう私も疲れてついつい何でも後回しですよ。このブログもそうなんですけど、ゴメンなさい今は仕事が超忙しくて毎日帰ってくると夜の10時とかだから飯食って風呂入って少しネット見るくらいで後はもう何もやる気が出ない。

私は常日頃から時間が無い時間が無いっていっつも言ってるような人です。性格的にせっかちな方では無いとは思ってるけどやる事やりたい事がもう常に山積みで、そのくせに最初の一歩を踏み出すのがおっくうで逆にダラダラしがち、という感じ。

 

「メンドくさいですぞ」なハピチャのナマケルダさんも馬が合いそうな、あとまわしの魔女軍団にちょっと肩入れしそう。怪物もヤラネーダとか最高でした。

 

果たして私はトロプリ最終話までにプリキュアに感化されて「ムテキのヤル気!」に目覚めるのか!

 

プリキュアと共に生温かく見守ってあげて下さい。

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ヒーリングっど♥プリキュア

ヒーリングっどプリキュア Blu-ray vol.1

Healin' Good♥Precure
シリーズディレクター池田洋子
シリーズ構成:香村純子
TVアニメ 2020~21 全45話
☆☆☆☆★

手と手でキュン!ハートつないで地球をお手当て!

 

プリキュアTVシリーズ17作品目「ヒーリングっど♥プリキュア」遂に最終回を迎えました。今年は今までに例の無い新型コロナ禍というのもあり、ヒープリも一時は放送中断。9週程のリピート放送を経てようやく再開、通例より最終回を1カ月分伸ばして正規の話数だと45話、リピートを含めたヒープリの放送回数としては54週という大分変則的な形になりました。劇場版も春のクロスオーバー作品が秋になって、本来の予定の秋映画が春にスライドと色々な所に影響が出ました。

 

作品としては、こういうのは放送開始の1年前近くから準備はしてるので、狙ったものではないものの、「地球のお医者さん」というモチーフがあまりにリアルタイムなコロナ禍との同時代性を持ってしまったのが、幸か不幸かと言った所でしょうか。

 

スタッフ側は明確に「作品内のビョーゲンズと実際のコロナは別のもので、メタファー的に描く事は意図的に避けた」と言ってますが、時代の空気としては、そこをなんとなくでも重ねてしまう部分はどうしてもね、仕方ないとは思います。まさか歴史の教科書で習った疫病の流行でどうのこうの、っていうのが今現代の世の中に振ってかかろうとは思いもしませんでした。

 

そんなこんなでヒープリを見終わった直後の感想というか、思った事考えた事その他モロモロをとりとめもなく書き連ねて行こうかと思います。

 

あと、去年の「スタプリ」の時にも最終回直後の感想に書きましたが、見終わってる直後の熱を残すのが目的なので、多少は支離滅裂な部分があってもご容赦のほどを。少し時間をおいて冷静になってからのヒープリ総括みたいなものはコンプリートブックとか出てからでもまた書ければと思ってます。

※(スミマセン、書いてる途中で1万3千字超えてキリが無くなったので一度そのまま投降します。超絶雑文のままでよろしければ読んであげて下さい)

 

 

ええと、まずは終盤のダルイゼン消滅辺りでネット界隈が賛否両論結構賑わいました。「HUGプリ」の時も結構そうやって話題性が大きくなる事がありましたけど、そうなっていくと普段はプリキュア見て無いor語って無い所にまで飛び火しちゃうんですよね。それはそれで私は良い事だと思ってます。正直、ああちゃんと見て無い人の意見だなこれって思う物もあって結構イラっとする部分はあるんですけど、そりゃあ10数年分のシリーズ全部を見てるようなオタクとは見えてる物が違うのは当然だわな、と思います。

 

勿論それはどちらが正しいとかじゃ無い。例えば同じくシリーズを全部見てるようなオタクだったとしても、何をどう見てるかって全然違いますもの。同じものを見ても、そこから受け取るものって人によって全然違いますよね。1しか読み取れない人も居れば、10読みとる人も居る。しかもそれは違う物だったりしますしね。

 

これ、プリキュアっていうコンテンツの上でも結構重要で、プリキュアのメインターゲットは基本的には未就学女児です。小学校にすら入る前の女の子がメインの層です。過去作のスタッフインタビューとかでも「子供達はストーリーをきちんと理解して見ているわけではないんだけど」というのは何度も目にしてきました。そりゃそうだ。未就学児がプリキュアのテーマがどうのこうのなんて語るはずありません。その分、子供が見ていて飽きない絵作りっていうのは物凄く意識して作られています。だから一般向けとかオタク向けのアニメとは文法や方法論がちょっと違っていたりする。

 

例えば1年間の最後のクライマックス。プリキュアの最後の一か月ってオタク的には一番面白い所ですよ。でも子供達にとってはもう消化試合でしかなんですよね。次の新シリーズの予告が始まって、もうそっちの方に興味が移っちゃってる。

 

商業的にもクリスマス商戦が終わったらもう売るものがないので、1月って商品が出ない。例えばガチャガチャだってプリキュアは大体一か月に2つのペースで新しいガチャガチャが出てるんですけど、1月はもう出ません。この辺の割り切りがとても面白い。オタクだけがクソ盛り上がってるプリキュアのクライマックス!結構シュールじゃないですか。勿論、アニメを作ってる方も消化試合だとは思って無いのは見ていてわかりますし、怒涛の展開のラストひと月だけが大人が凄く盛り上がる形になってたりする。

 

私はオタクなので、そういった所まで含めてプリキュア面白いなと思って見てるし、ここまでブログでプリキュアの事をそういう視点で何十万字と語ってきてるわけですが、じゃあプリキュアオタクが皆そんな視点かつったら違いますもの。これは単純に私なりの視点っていうだけの話。他の人には他の人なりのその人ならではの視点ってあるはずなので、下手すりゃ間違っていると思える部分まで含めて色々な見方があって良いと思うし、それはそれで楽しい。

 

そんな前提ありきで、私が今回ヒープリに思った事を書き連ねていきます。
うん、ここまではただの前置きです。こっから本番。

 


やっぱり42話のダルイゼン浄化以降の賑わいがインパクト大きくて、今回は随分シビアな感じで来たな、と思ったのですが、その上ラス前の44話でのネオキングビョーゲン戦の「これは弱肉強食の生存競争だ」みたいな重ね方もあった。

 

「戦わなければ生き残れない!」というキャッチコピーを使ったのは私も好きな「仮面ライダー龍騎」ですけど、プリキュアで唐突な事をやってきたなという印象は正直持ちました。ただこれ、よくよく考えて行くと、ちゃんと最初から狙ってたというのは納得出来る作りになってる。

 

どの辺から話してこうかな~と思うんですけど、せっかくなので最初の印象と言う事で1話のみ書いてた自分の感想。

こちら

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当たらずとも遠からず、といった所でしょうか。
のどかちゃんがあまりにも良い子過ぎて逆に危うい、これは自己犠牲が後に描かれるんじゃないかって危惧してますね、私。でもプリキュアだからそれを良しとはしないで何かしらの捻りはあるでしょう、ってな事を書いてますが、まさにそんな感じの作品になりました。

 

しかもそんな素人予想を遥かに上回る、こうきたか!っていうちょっと驚かされる作りでした。いや流石はプリキュア。面白い。

 


フェミニズム文脈とロールモデルとしてのプリキュア

単純にダルイゼン周りだけを見ると、42話の「私はあなたの都合のよい時だけに利用される存在じゃないよ」的なのって、DV男と付き合ってる女性へのメッセージに受け取れたんですよね。もっとよく考えて自分を大切にした方がいいよっていう。この辺はスタッフもそういう感じの演出をしたって明言されてます。

 

ここはやっぱりフェミニズム文化としてのプリキュアっぽさが凄く出ていて、よくプリキュア素人が最近のプリキュアは子供番組でそういう大人のフェミニズム感を押しつけていて気持ち悪い、的に言われがちですが、そこは大きな間違いで、ジェンダーロールからの解放は初代プリキュアからずっと描かれているテーマの一つです。ネットで話題になったからそこだけ知ってるという人が多いんだろうなと思いますが、そういう人こそ一番最初のプリキュアから見直してみたら?と提言したい。

 

今回のシリーズ構成を務めた香村純子はプリキュアでは初のシリーズ構成役です。ゴープリから各話脚本では何作か入っていたものの、話の全体を総括する形では初です。香村さん、スーパー戦隊ファンで、スーパー戦隊の話を書きたいから脚本家になったという人なので(「ゴーオンジャー」でデビューしてその後「ジュウオウジャー」と「「ルパンレンジャーVSパトレンジャー」でメインライターに。そして新作の「ゼンカイジャー」も香村さんがメイン)プリキュアの方にはそんなに思い入れはなさそうですが、じゃあ自分がメイン脚本になったら何を軸にしようかってなった時に、恐らくは初代プリキュアでもジェンダーとかフェミニズム要素とか踏み込んでたし、そういう視点がプリキュアらしさかな、という感じになったのかなと勝手に想像してます。これはインタビューで言ってたとかじゃなくあくまで私の勝手な想像ですので、その辺はご注意を。

 

最終話のみ唐突に環境問題に切り込んできたり(そこはジュオウジャーでしたね)、モチーフの医療のみならず、生きるって何?とか詰め込み過ぎてちょっとゴチャゴチャになってしまった感は否めませんが、まあ最初の作品って大概はそういうものです。

 

これは同じく「HUGプリ」でシリーズ構成を務めた坪田文が、ずっとプリキュアやりたかったって言ってて、お仕事とかお母さんとかジェンダーとかやたらと要素を詰め込み過ぎて、いったいどこが軸なのこれ?っていうのと近いと思います。映画でも本でもそうですが、処女作にその人の全てが詰まってるって言われるのと、似たような感じで、とりあえず発表の場がいただけたんだから、自分の言いたい事を全部詰め込んでしまえと、そういうのが処女作の魅力でもあるし、逆に「ハピチャ」みたいに、前の作品があるのを踏まえて、「その次」の作品をやろうとした故の面白さって言うのもそれぞれにあったりします。

 

で、そういった所から出てきたジェンダー要素。申し訳ないですがそこら辺の問題にはさっぱり明るく無いので、なるほどなぁ女性はこんな風に感じてる部分があるんだなっていうくらいには思えても、私は男なのもあってか、身につまされる直面した問題って程には入り込めない要素でもある。


私は根っからのフェミニストって程の感覚は持ってないので、この手の問題だと、「もし自分がその立場に置かれていたら確かに嫌だな」ぐらいの感覚でいつも捉えています。実際にフェミニストの人達とかその手の活動をしているような人と会って話をしたりすると、え?そこもそうなの?的に思っていた以上の苦労を知るケースも多いのですが、それでもまだ親身になって考える所まではなかなか辿りつけてはいないのが正直な所。とりあえずはこれまで通り、まず相手の立場に立って考えてみる、というイマジネーションは大切にしていかなければ、くらいな所です。

 

なので今回のヒープリにおけるジェンダー論に関する部分に関しては、え?こんな感じで切り込んできたのか、と割と新鮮でした。初代からの引き継ぎ要素として今回はこんな部分を取り上げて描いたのか、これは見た事無いなっていう面白味が私は大きかったかな?

 

ただ、そこを軸に考えると、ここでまた私の1話感想に戻るのですが、のどかちゃん、優しくって良い子だな、シリーズでも随一くらいじゃない?なんて思ってしまったのが、まさしく脚本家の掌の上で弄ばされていたわけで、そんな女の子が最終的に変化を得る物語だったわけです。「私はそんなにいいこじゃないよ」っていう。ここに面白味があるし、1年間の積み重ねでそれを描いた。

 

ここね、フェミニズム要素とも重なるし、何だったらプリキュア文脈とも重なる部分です。「女の子だから、優しく全てを受け入れる存在でありなさい」だったり「プリキュアだから、全てを救う絶対的な慈愛の存在でありなさい」を求める世の中に対して、いやそれはロールモデルの押しつけでしょ?だってプリキュアって「女の子だって暴れたい」から始まったんだよ?女だからって、プリキュアだからって、全てを受け入れる女神さまなんかじゃあないんだよ、私だって私の人生を生きてる。決して「誰かの為の私」なんじゃないよ、という主張がここにあったと。

 

プリキュアっていう存在の根本にジェンダーロールからの解放があったとして、「女の子はこうでなければならない」という物に対しての異議申し立てであり、同時に「プリキュアはこうでなければならない」に対してもヒープリは向き合ったという事です。そこはとても面白いなと思う。

 


■敵幹部浄化の歴史
文脈という面では、今回、助けを求める敵を容赦なく・・・ではないな、「ちゃんと葛藤や煩悶があった上」で最終的に浄化した事で、その足りが賛否渦巻く形になりましたが、ここはシリーズの文脈を踏まえた上で見ると、より面白いものが見えてくる部分です。

 

そこだけで一つの記事にしても良いくらいですが、敵を倒せなくなる、というドラマは1作目「ふたりはプリキュア」の時点からもうやってました。言わずと知れたキリヤ君ですね。主人公の一人の雪城ほのかキュアホワイトと心を通わせていく内に、自分の出生という宿命に翻弄されるドラマが描かれた、初代プリキュアでも屈指の名エピソードです。

 

キリヤ君はどシリアスなキャラ&ストーリーですが、プリキュアは子供がメイン視聴者なので、敵側にもコミカルな要素がちょこちょこと描かれます。これが極まったのが3作目の「スプラッシュスター」で、敵幹部が割と面白キャラになっていって、プリキュア側だけでなく、そっちの描写も面白くなっていきます。それでもそこまでは敵を最終的に倒してはいたのですが、敵側に感情移入しちゃうと、倒しにくくなる、という問題が発覚します。

 

なのでその次の「プリキュア5」では、敵を名前で呼ばなくなるんですよね。色々な敵幹部が出てきても、そこはプリキュア側からはかたくなに個人名では無く「ナイトメア」とか「エターナル」とか相手の所属する組織名でしか言わなくなる。最終的には倒す存在だから、(本当は「敵」とか「倒す」って言葉も適切では無いけど今回は割愛)変に感情移入させちゃダメだろうと。

 

ただここも、敵幹部のブンビーさんが演じる高木渉のアドリブもあって、もの凄~~~く面白いキャラクターに成長してしまった。無印「5」のキャラだったのに、あまりにも良いキャラだったので続編の「5GOGO]にまで予定を変更して登場した上に、最後は遂に和解して、プリキュアに「ありがとう、ブンビーさん」と遂に固有名詞で呼ばれる所にまで繋がったと。

 

(便宜上の)プリキュア1期でもこんな流れがあった上で、2期(フレ~ハピ期)はいわゆるヤッターマン辺りから始まる「三幹部」みたいなスタイルが踏襲されて、敵側のわちゃわちゃがより面白おかしく描写されるようになり、ほとんどが敵にも事情があったり、元は人間あるいは妖精が操られていたみたいな形になって、最終的に敵幹部とも和解するというのが定番化したと。

 

ただこれ、今でもそうなんですけど、敵ってアニメだけを見てる分には面白いし、プリキュアの面白さの大きなポイントの一つになってますが、先ほども取り上げたように子供は敵の面白さなんてそもそも見て無いし、商業上でも商品に絡まない存在なので、本当はそんなに大きくしちゃいけない要素なんですよね。プリキュアは商業作品なんだから、まず商品を売る事を目的にしろと、敵はただ倒されるべき存在でいいんだと。敵に割く尺があるなら、もっとプリキュアを出せっていう根本的な部分です。

 

実際にそういった御達しがあったのかどうかはわかりませんが、便宜上のプリキュア第3期になる「ゴープリ」では、序盤の方のインタビューで監督が今回は和解じゃなくて、きっちり敵を倒すスタイルでやると答えてました。でもこれが・・・結果的に守られなかったのはご存知の通り。最初に散った敵幹部のクローズがあまりにも演技凄すぎて、一度は退場したものの、主役のフローラのライバルキャラとして、ラスボス戦後の最終戦までまかされるまでに成長。シャットとかロックも結果的に最後まで生き残る形になりました。挑戦は見事に失敗に終わったと。

 

で、次の「まほプリ」では、敵のデザイン的に瞳を入れずにクリーチャー感を強めて、ボスキャラも人外にしてお題目は何とか処理。更に次の「プリアラ」では最初の1クール目には敵幹部をそもそも出さない、という描き方をしてきます。

 

続く「HUGプリ」「スタプリ」では以前に戻った感じですが、プリキュアシリーズはそういう問題をずっと抱えてきていたわけです。

じゃあそこでヒープリはどうしたのか?敵幹部も設定上は別として、見た目はそんなに人間と変わらない容姿。・・・それを普通に倒す!というストロングスタイルで来ました。いやそもそも子供達は敵なんかどうでもいんだし別に普通に倒したらいんじゃね?

 

やってくれたな香村女史!流石は特撮畑出身。

 

というのは半分冗談で、実際は敵を擁護出来ないタイプの悪い奴にしてしまえば、倒されるのもやむなし、という感じで描いていたそうです。要所要所で敵のわちゃわちゃした面白い部分は確かにありましたが、基本はグアイワルとシンドイーネのターンですよね、そこ。ダルイゼンだけは逆に要所要所でこいつ酷い奴だって話をちゃんと入れてましたし、グレース/のどかがもしダルイゼンを受け入れていたらっていうのは28話のケダリーがおそらくシミュレーションというか、新しい敵幹部かと思いきや、1話のみで処理されたのは、ラストを想定した上で、またのどかが病気になったら本人も回りもこんなに苦しい思いをするんだよ、っていうのを計算して先に描いていたんだろうなと今なら理解出来ます。あの話見たら、再びのどかがダルイゼンを受け入れるとか無理なのわかるでしょ?っていう話だったのかと。

 

過去シリーズの文脈と、ヒープリ単作での役割や主張、それぞれに意味があってその辺りを踏まえてみると、また違った部分が見えてより面白く感じられました。

 


■「生きる事は戦う事」ゼロ年代のサバイバル文脈としてのプリキュア
でもって、そういうシビアさを、女性ならではのリアリスト感覚と一言で言ってしまえば簡単ですが、私はその背景にある常に抑圧されてきた女性としての気持ち、とか理解しきれないわからない部分もありますし、そこは単純にコロナ禍だから甘い事を言ってられない世の中って言う程に単純化するのも、それはそれで一つの形としては確かにアリだけど、それで全てを納得出来るかと言うと、まだちょっとモヤモヤが残るんですよね。

 

じゃあこのリアリズムって何だろう?と考えた時に、こういう厳しい時代に、まずは自分が生き残る道を選べって言う主張は、ゼロ年代以降のサバイバル文脈に凄く一致する要素だなと感じました。で、そういう文脈で考えてくと、ヒープリという作品が私はストンと腑に落ちたのでした。ああ、ヒープリでやっているのはこういう事だったのかと。

 

ゼロ年代以降のサバイバル文脈って何かと言うと、宇野常寛ゼロ年代の想像力早川書房という本で定義されて、そこから広がって行った文脈のようですが、私は肝心のその本は読んで無いので明確な定義付けみたいな所まではよく知りません。

 

ただ、アニメにしろ漫画にしろアニメにしろ、そういったカルチャーの潮流としては自分も勿論通ってきた所ですし、多少なりとも社会学に触れてきた身として、その流れとしては自然と理解できる文脈です。

 

要は、高度成長経済の終焉、バブルの終焉で夢や希望に満ちていた時代はもう終わってしまったのだと。そこから先はもう必死になって生き残る事だけを考えた生存競争、サバイバルしていかなければならない時代なんだぞ、というような事です。

 

元の本には「バトルロワイヤル」から始まって「デスノート」とか「コードギアス」辺りをサバイバル時代の決断主義の象徴的として取り上げているらしいのですが、まあ近代化のポストモダンと呼ばれるような時代になって、その後に「エヴァンゲリオン」とかのいわゆる「セカイ系」社会がどうなろうと知った事じゃ無い、大切なのは自分の世界で世の中の事なんか自分は関係無いんだ、っていう路線ですよね。「天気の子」はまさしくそれでした。で、その次の潮流になったのが「サヴァイブ系」という事のようです。因みにプリキュアはちゃんと世界と向き合うのでセカイ系とは文脈的には合わない。

 

そこで「戦わなければ、生き残れない」の「仮面ライダー龍騎」ですよ。まさしく生存競争の社会。

 

社会学でよく例に出されるのが「いすとりゲーム」なんですよね。中央に何個か椅子が置いてあって、そのまわりを人がぐるっと回っていて、音楽がとまった瞬間に椅子に座って、座れた人が勝者っていうあれです。

 

今の社会ってこういうのと同じ構造になっているんだよ、という例えです。高度成長経済の時代は、10人居ればちゃんと10個の椅子があった。お金に余裕がありますからね。でも今の社会は椅子が一つか二つしか無いのにそれを何十人で奪い合っていると。

 

勝ち残れる、生き残れるのはほんの一握りの人間だけなんですよね。だから生き残るに必死なんです。昔から世の中は弱肉強食だって言う人も居るけどさ、例えそうだとしても、昔は例え特筆した能力がなくたって、そこそこくらいの人でもちゃんと座る椅子を確保できるくらいの余裕があったんですよ。終身雇用なんて今もう無いじゃん。大した能力があるわけでもなく、長く会社に居るだけでそこそこの役職とかもらえて、会社も高度成長経済だからお金払えたんです。

 

その少なくなった椅子を奪い合っているから大変なのに、勝者になった人は自分は勝つ為の努力を何倍もしてきたから勝てた、椅子に座れなかった奴はテキトーに過ごしてた自堕落な奴だから、負け組は自己責任って言っちゃうんです。そういう事を言ってるんじゃない、昔と違って椅子が無いんだよって言ってるのにね。

だから上手く行かなくて、生きづらさを抱えている人達にも、それはあなたの自己責任とかじゃなく、社会の構造なんだよ、と言ってあげなきゃダメなのです。勝ち組の言う自己責任論なんて信じちゃダメですよ。


で、まあそんな世相、時代感が反映されているというのがサバイブ系なわけで、仮面ライダーバトルロワイアルをする、というのが「龍騎」という作品でした。で、その魔法少女版が「まどかマギカ」です。両方見てる人は知ってると思いますが、まどマギ龍騎のオマージュ作品になっていて、モロパクリじゃねーか!と思えるくらいのシーンなんかもあったりします。

 

そんな「魔法少女まどかマギカ」の主人公、鹿目まどかを演じていたのが悠木碧です。ピンクカラーで名前も「まどか」と「のどか」と似ていたので、ヒープリが発表になってすぐの頃は「のどかマギカ」とかよくネタにされましたよね。

 

でもさ、サバイブ文脈を背景に持つという意味では、ただのネタじゃあなくて、実際にヒープリで描かれたのは「のどかマギカ」と言っても良いくらいになってません?これ、作り手が意識したのかどうかはわかりません。多分そこまではしてないでしょう。でも、単純に視聴者としては、見た時に同じ文脈を重ねて見る事が出来るようになってる。私もヒープリの終盤見てて、え~っ!マジか!?意識はしてないのかもしれないけど、そこって凄く面白くない?と思った。

 

そしたら悠木碧本人も「ヒープリ感謝祭」で、これまでも私は世界を救ってきたけど、何かしらの犠牲を払う事だけが世界を救う事じゃ無いんだなって今回のプリキュアに教えられたって言ってました。

 

まどかマギカ」ってね、こんなクソみたいな勝ち目のないサバイバルを強要されるのは、そもそもが世の中の構造がおかしいからだ!だったらもう全てのシステムそののもの根本から作り変えなくちゃこの世界は変わらないよ、っていう話です。

 

じゃあヒープリは何を描いたのかつったら、確かに世の中は生存競争なのかもしれない、そこはわかった。じゃあその根本を正すうんぬんよりも、まずはこんな過酷な世の中を私たちは生きて行かなきゃならない、まずはそこを認識して、なんとか生き延びる術を探そう、目の前の大切な人達と手を取り合って、私たちは負けないように戦っていくよ、というような感じですよね。

 

これ、どっちが正しいとか、どっちが劣ってるとかそういう事を言いたいわけではなくて、世の中もうおかしいから変えちゃおうぜ!的な夢の中で、あったような・・・話が「まどマギ」だとすると、まずは現実を受け入れてその中でどうするか考えていこうよ、っていうのが「ヒープリ」で、そこはこういう事を言ってはいけないのかもしれないけど、夢見がちな男性的視点と、現実のリアリズムの女性的な観点の違い、みたいに感じられて面白いと思いません?

 

悠木碧を通して見る二つの価値観の違いって、私はとても面白い要素だな、と思いました。声優的な所で言えばさ、私の1話感想でもちょっと触れてますけど、テアティーヌ役の戸田恵子、私的にはやっぱり「イデオン」のカララですけど、そこは置いといて、「アンパンマン」の人ですよ。


子供向け番組で何を言ってんだって思う人も居るかもしれませんが、(プリキュアだって子供向けですし)アンパンマンって戦後の食糧難に喘いでいた時に、飢えた人に自分の食料を差し出す人が居て、こういう人こそが本物のヒーローなんだっていう所から生まれたキャラクターです。自分の身を削ってでも相手を助けてあげると言う、自己犠牲型ヒーローの典型で、特に日本におけるヒーロー感に物凄く大きな影響を与えている存在。

 

そんなテアティーヌ様=戸田恵子アンパンマンから引き継ぎをしたのがヒープリだったわけです。因みにバンダイ的にもターゲットが0~2歳なアンパンマンの次に3~6歳くらいがプリキュアなので、そこも実際に引き継ぎみたいな要素があったりするのが面白い所。


自分を捨てても他人を救うのがヒーローだっていう自己犠牲論は、プリキュアだとヒーロー要素が極まった2期(フレ~ハピまでの時期)でやり尽くした感もありますが、それだけがヒーローの全てじゃないよ、ちゃんと自分の事も大切にしてね、っていうのは同時期の「キラメイジャー」でも同じ要素が描かれてましたし、コロナ禍という明らかな時代の節目が、やっぱり時代の変化・同時代性的な部分でこういったものにもリンクしてくるんだな、というのが感じられて非常に面白い部分です。「鬼滅」とかは見て無いのでそっち方面は私は知らん。

 

決して声優さんが物語を作るわけではないけれど、そういうのを軸にして考えるっていうのも悪くないと思います。とか思ってたら、ヒープリ映画には「若おかみは小学生」の、おっこちゃん役の人を起用と、なかなかわかってらっしゃる。

 

プリキュア3期(ゴープリ~スタプリ)が自己実現の物語だったとすると、間違い無く「ヒープリ」は、今という時代にリンクさせたものがありましたし、次の「トロプリ」も、今を大切に生きよう、みたいな感じっぽいですよね、その変化の節目を感じられる作品になっていたかなぁと。

 


「生きてるって感じ」から、最終回は「生きてくって感じ」に変わったのも、明らかにそれを想定した上で描いてたのかって思いますし、悠木碧も言ってましたけど、のどかちゃんを語る時に必ず最初に出てくるのが「やさしい」子だっていうのが、のどかの最強の強さでもあり同時に危険性も孕む部分だなって言ってたのが確かにそうで、「やさしさの搾取」にそれが繋がってはいけないと、私は誰もが思うようなやさしい良い子じゃないよっていう変化がやっぱり面白かったし、その隣にいるパートナーのラビリンもね、「危険な事に巻き込んでしまってゴメンね」って謝るのが本当に素敵でした。

 

当たり前だけどさ、プリキュアだから世界を救うのが当然、とかじゃないんだよ。ダルイゼンの件も、プリキュアだから救わなきゃいけないのかな?ってのどかは悩むんですよね。それに対してラビリンがプリキュアという使命感がそう思わせているのなら、そんなもの背負わなくていい、のどかが考えた末に決断した答えなら、たとえそれが世界中を敵に回す事になってもラビリンがぶっとばしてやるって言いきった凄さ。そしてそう言ってくれる人が隣にいる事の素晴らしさ。いやもうここの下りも最高よね。

 

じゃあフォンテーヌとスパークルはどういう役回りだったかと言えば、フォンテーヌ/ちゆも夢を諦めるべきかどうか、という所で悩んで、よくばったっていい、やりたい事を全部叶えようよ、皆何かを諦めている時代だったとしても、諦めないんでいいんだよ、的な所を背負っていたと思うし、スパークルもまさしく時代的で、自己肯定感の薄い子がパートナーや仲間と出会って、自分はここにいて良いんだ、自分は自分で他人と比べる必要なんか無いんだってのを獲得するというか、そういう変化が描かれたキャラでした。すごーく時代を反映しているキャラですよね。その辺りもちゃんと全体的なテーマを踏まえた配置や物語になっていたと。凄くないですか?

 

ん~じゃあアースはどうだろう?個人的には初代2年目のシャイニールミナスとの違いが面白い部分かなと。攻撃特化型のアースと防御特化型のルミナスだと正反対ですけど、実際には人では無い精霊的な存在って部分では似てますよね。

 

で、最後に自分の力がラスボスを倒す切り札だってなった時に、アースはあっさり決断するんですよね。グレースの自己犠牲は否定するのにアースは良いのかよ!って突っ込まれてました。でもこれは私の決断ですからって。


で、ルミナスも決断はするんだけど、絵では泣いてるの。本当は皆と別れたくないけど、それが自分の使命だと受け入れて決断した。

 

初代プリキュア監督の西尾さんが言ってたんです。ファンタジーの物語というのは、最後は現実に戻ってくるべきだと。色々と冒険の中で経験したことを生かして、現実で生きていくべきだと。ファンタジーの閉じ方は今でもそうであるべきって自分の考えは変わって無いけど、プリキュアはなんだかこれまでの世界が続くよって戻しちゃったんだよね、って。

ひかり(ルミナス)も復活して、これまで通りの世界が続くようにしたと。そこ考えるとアースというか、ヒープリってやっぱりリアリズムな考え方が根底にあるのかもしれないなって思います。

またもそこを男性と女性の感覚的な違いかもね?なんて言っちゃうとそれはそれで安易な気もしますが。

 


■癒すと言うタイトルからの乖離によるギャップ

とまあここまで書いてきて思うのは、そもそも「ヒーリングっどプリキュア」というタイトルですよ。プリキュアっていう単語はプリティでキュアというのを合わせた造語ですけど、「ヒーリング」=「回復」で、「キュア」=「癒す」とか回復系の言葉が二つも入っていたら、なんとなくそういう作品だって先入観とかイメージとか持っちゃうじゃないですか。それに対して作品が突き付けるのは「生きる事は戦いだ」とかそういうリアリズム溢れる現実的なメッセージでしたので、結果的に、「え?思ってたのと違う」っていうギャップは結構大きかった気がします。

 

だって「ヒープリ」見て癒されようとか思ったら、現実を受け入れて戦え!って言われちゃうわけですよ。作品が求められる事と、作品のやってる事が乖離してるわけで、そこが賛否の分かれる所かなと思うし、逆に言えばそのギャップが魅力。

 

ヤル時ゃマジ!妙に強い ギャップが魅力って事ですかね?(いやそれまほプリ)

 

元々プリキュアは「戦う女の子」の話ですし、女性が求められるジェンダーロルからの解放っていうのは初代の時点で作品の根っことしてちゃんとあったわけです。

オタクが可愛い女の子に「甘えさせて~癒して~」ってすり寄ったら、「女もプリキュアもお前の都合のいい道具じゃねーよ」って突き返されると。あれ?それって「ヒープリ」の話のまんまじゃねーか!って思いません?おそらくはそこをきちんと意図して作ってある辺りが凄い。

 

いや~プリキュアってやっぱり面白いですね。
という辺りでひとます締めたいと思います。

 

果たしてこの雑文を最後まで読んでくれる人がどれほどいるのか?って気はしますが、もし読んでいただけたのならありがとうございました。共感してくれとは言いませんが、もし何か気付きが得られたのならこれ幸い。

 

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ヒーリングっど♥プリキュア感謝祭オンライン

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ネット配信イベント 2021.2.22開催
☆☆☆☆★

最終回の感想がまだまとまらないので、とりあえずこちらから。
最終回放送後の当日の内に開催となったイベント。

前年の「スタプリ」からスタートしたこちらの感謝祭イベント、今回は流石にリアルでは開催できないので、オンライン配信の形での開催。無料イベントとかではないので、ちょっとどうしようかな?とは思ったものの、最終回の熱も冷めやらぬままでこれは絶対に見たくなるだろうなと思ってチケット購入。ソフト化されるかも不明でしたし、まあ勢いで4000円くらいなら、プリキュアというコンテンツへのおひねりみたいなもんじゃないかと。

 

いや~、これがまた最高でした。朗読劇+着ぐるみショーという形ではありますが、
実質46話とも言える「ディスタンスをこえて ハートつないで すこやかな未来へ」というストーリーがオンラインイベントっていうのを踏まえた非常にこった作りになってて、よく考えてあるもんだなと感心。

 

「ヒーアニTV」もそうなんですけど、ただ嘆いていたって仕方ない、今できることを考えてやろうっていうのが凄くヒープリらしいなと感じました。

 

話数短縮で削られたと言われていたハロウィン回とお正月回とかにも作中内ではちゃんとあった事として触れられてて、色々あったけど全部無駄にはしないよっていうスタンスが素敵です。

 

前年の「スタプリ感謝祭」は朗読劇ストーリーも結構遊んだ作りになってたのですが、今回のヒープリはどこまでも作りが誠実な感じ。そこは作品のカラーの差だなと思いました。

 

散々ネットで話題にされたダルイゼンに関しても、ダルイゼン本人ではないですが、ビョーゲンズがダルイゼンの姿に化けて出てくる(何故か3人のダルイゼン)シーンなんかもあって、それに対するグレースとかラビリンの言葉や反応とか、かゆい所に手が届く作りになってました。

 

あとストーリー部分では無く監督からのメッセージとしてですが、ラテの仮病疑惑とかに対しての設定とか明かされててちょっと面白かった。ビョーゲンスが出現して具合悪くなるラテが、アースと変身する時だけ元気に走り回るのは、その時だけ風のエレメントボトルからパワーを分けてもらう形になってるので、決して仮病では無いそうです。個人的にもそこは正直気になってたので、設定が明かされてスッキリしました。

 

今回はプリキュア4人だけでなく、ヒーリングアニマルの4人も参加。ヒーアニTVで生アフレコにも慣れてる3人が生き生きとしていて素晴らしい。特にニャトラン役の金田アキさん、キャラが立ってて凄く良かった。

 

トーク部分は流石の悠木碧、座長と言うのもあるんでしょうけど、場馴れしてますし、コメントの内容も、もうメチャメチャ達者です。みもりんも流石にこういうイベントには慣れてるのでしょう。悠木碧も感極まって泣くかなと思いましたが、そこはグッとこらえていました。

 

スーパー戦隊」のファイナルライブツアーとかも私は好きで結構見てますが(生イベントじゃなくDVDでとかですが)、やっぱりね、彼等彼女らは基本的に新人なのが大半なので、最後は大概泣いちゃうんですよ。で、今回そんな感じだったのはやっぱりまだ新人のフォンテーヌの依田菜津とスパークル河野ひより。大号泣につられて私も大号泣でした。涙と鼻水でティッシュひと箱無くなるくらいに。

 

菜っちゃんの、ハグプリ・スタプリ含めてのね、プリキュアへの感謝。TVの前に置いてあるフォンテーヌのアクリルスタンドを見る度に、私はプリキュアになったんだって思えて毎日が本当に幸せだったっていう気持ち、ホントに夢のような世界だったと思うし、一応今回で一区切りはつくだろうけど、それでも彼女は絶対にプリキュアを胸に秘めて今後も生きて行くんだろうなって信じられるし、そこはやっぱり彼女を応援したくなります。

 

そしてスパークルのひよちゃん。いやこの子もリアルでスパークルだった。自分に自信が無くて、逃げてしまいたくなる気持ちを抱えてながらも、仲間に支えられてここまで来て、やっと自分を誇りに思えたって、もうひなたのキャラクターそのまま過ぎて私も大号泣です。

 

パートナーのヒーリングアニマルとも本当に支え合ってこの1年間頑張ってきたんだなっていうのも凄く伝わりましたし、本っっっっ当に良かった。

 

そして悠木碧は言う訳ですよ。メタ的な発言かもしれないけど、私はこれまでも何度も世界を救ってきた。ただそれと同時に演じてきた彼女達は何かしらの犠牲も払ってきたと。のどかを演じる事になった時に、この子もきっと何かを失う事にもなるんだろうなって正直思ったけども、それとは違う答えを彼女は導き出したと。

 

本編感想でも書きますけど、ここがやっぱりプリキュアらしいなと私も思いました。ああ、こう来るのか。やっぱりプリキュアすげぇなと改めて思い知らされました。

 

そして最後、ヒープリ映画エンディングテーマ「やくそく」を初公開でmachicoさんが歌ってくれたのですが、ここでももう号泣。


『映画ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』ヒープリありがとう編


何この超超超名曲。ヒープリが伝えたかった事がもう存分にこれでもかとギュッと詰まった物凄く良い歌詞で、ああこれもう間違いなく映画で最後に流れた時にも泣くわ、と涙がとまりませんでした。流石の悠木碧もグッと声を詰まらせてました。映画が本当に楽しみです。

 

いやぁ~、チケット買って良かった。最後にソフト化の告知も出ましたが、最終回の流れから今回そのままの熱で参加出来て本当に満足です。個人的にはもっと作品の振り返りみたいな所を期待してた所もあったのですが、今回はそこよりも、グランドフィナーレ的な感じで、それもまた良しでした。

 


ヒーリングっど❤プリキュア 感謝祭 オンライン CM

ヒーリングっど♥プリキュア『どようびも!ヒーリングアニマルTV』

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ネット配信 人形劇 全40話+特番2回 2020-21
☆☆☆☆


遂にヒープリ最終回を迎えました。
感想を書いてたんですけど、色々と書きたい事が多すぎてすぐに書き終わる気配が無いので、15分くらいでサクッと書いた繋ぎでこちら。

 

コロナ禍での中断リピート放送時に、新作エピソードが見れない代わりに、という感じでおそらく企画されたであろうこの番組。
ラビリン、ペギタン、ニャトランのぬいぐるみを動かしてそれに声を当てるという低予算短編番組ですが、実はこれが意外と面白くて、ヒープリ再開後もそのまま最終回まで並走する形で継続。

 

基本的には台本ありきなんでしょうけど、ペギタンの突っ込みとかは結構アドリブらしく、声優さんが勝手に暴走して遊んでるって程までには行かないまでも、間とか言い回しとかでギリギリ声優さんが遊んでる感じの非常に面白いバランスでした。

 

あくまでプリキュアに付随する番組ですので、決して声優さんが内輪で好き勝手やってる声優バラエティーみたいな所までは行かない所が逆に味。生放送のスペシャル会とかもあったんですけど、そこだとよりリアルタイム感のあるアドリブとかが、スレスレな感じで非常に面白かった。ニャトランのボケに対して「クセが強い!」ってつっこむラビリンに爆笑した思い出があります。

 


「知っているのか雷電」ならぬ、「知っているのかペギタン」というペギタンの博学っぷりと、ニャトランの斜め上を行くボケに、ラビリンが突っ込むという役回りが上手く出来ていて、実にこれが面白かった。前半はわりと手探り感があるんですけど、後半になるにつれて、結構声優さんが遊んでる感じがして段々と面白くなっていきます。

 

TVシリーズ本編でもペギタンは真面目に勉強して博学な部分とかはもちろんありましたけど、それを通り越してもはや何でも知ってるペギタンとか、ひたすらボケ倒すニャトランに、ドキドキしながら突っ込むラビリンと、要は個性がより強調されてるんですよね。

 

クッキング系だと、結局我慢できずにカップめんを食うニャトランとか天丼のボケも秀逸で、予想していた以上に面白く見れました。

 

おそらくトロプリで継続するようなコンテンツは無いと思うし、2020年だったからこそ、出来ることをやろうっていう部分があって、そういう意味ではこれもヒープリの一つの形にはなったのかなと個人的には思ってます。


◆「どようびも!ヒーリングアニマルTV」#1 やさいでしりとり!

絶対無敵スクイレルガール:けものがフレンド

絶対無敵スクイレルガール:けものがフレンド

THE UNBEATABLE SQUIRREL GIRL:SQUIRREL POWER
著:ライアン・ノース、スティーブ・ディッコ、ウィル・マレー(ライター)
 エリカ・ヘンダーソンスティーブ・ディッコ(アーティスト)
訳:御代しおり
刊:MARVEL ヴィレッジブックス
アメコミ 2017
収録:THE UNBEATABLE SQUIRREL GIRL #1-4(2015)
MARVEL SUPER HIROES v2 #8(1991)
☆☆☆☆


これがウワサのマーベル最強ヒロイン!
リスと喋る!ドングリを齧る!リスを着る!?

あのDr.ドゥームも、サノスも、ギャラクタスだってどーゆーワケか
敵わない、ナゾのマーベル最強ヒロインもいよいよ女子大生!寮に入った
のはいいけれど、カーテン開けたら即事件!女子トイレで着替えて出動だ!

リスなヤツはだいたい友達、元祖けもの娘、その名はスクイレルガール!

 

「マーベルライジング」ついでにせっかくだからこちらも。
「Ms.マーベル」「グウェンプール」と合わせて新世代マーベルヒロインとして連続刊行されて、3冊の応募券を合わせて送ると「ギャラクタ:パパは宇宙魔神」がもらえるというキャンペーンを当時はやっておりました。私も当然応募して貰ったので、それはいずれ。

 

本書にも収録されてるスクイレルガール初出は91年ですが、長らくマイナーキャラの位置にいた所が、2015年にこちらの独立誌を獲得、コメディーテイストの作風で一躍人気者に、というキャラクター。

 

日本語版は思いっきり表紙詐欺をやらかしてますが(そこもギャグなのでしょう)、作中のおたよりコーナーでも触れられているように、いかにもな美女という感じで描かれるキャラではないので、そう言う所が逆に親しみやすい、という部分もあるので、その辺りは結構貴重なキャラなのかも。別にルッキズムとかをテーマにした作品ではないけれども。

 

つーかアメコミってシリーズによって作者がコロコロ変わるのが普通なので、例え設定上が美男美女だったとしても、突然いかにもアメリカーンなむさ苦しい絵になったりする事もよくあるので、ビジュアルに関しては「今回はこういう絵なのね」で済ませちゃうので、そこはあまり気にはならないものだったり。いやそれでもデビュー誌のスティーブ・ディッコの絵はちょっとインパクトありますが。

 

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そのデビュー作。アイアンマンのサイドキックになりたい中学生の女の子、という話ですが、アイアンマンとリス娘というギャップが凄い。普通サイドキックつったら何かしら関連性のありそうなものにしそうなもんですが、鉄男とケモノ娘に何の繋がりが?という感じです。いや実際アイアンマンに嫌がられてサイドキックにはならない話だからそれでいいのか。

 

リスと女の子を組み合わせて、いわゆる「カワイイ」キャラを狙ったわけでは無く、あえてあまり強そうでないものをモチーフにする、といういかにもなマーベル文脈がある意味とっても「らしい」部分。

 

あのスパイダーマンだって、普通に考えたら蜘蛛なんて一般的には嫌われる生き物じゃないですか。だからこんなの人気が出るわけないよ、と一蹴されて、廃刊になる雑誌にひっそり1話目を忍ばせるという手法をとって、世に出しました。それが後にはマーベルで最も人気のあるキャラクターになるなんて、いかにもマーベルらしい部分と言えます。

 

これがリスじゃなくて、ライオンガールだとか、タイガーウーマンとかならやっぱりそれは強そうじゃないですか。でもそれってありがちでもある。女の子なら猫にしようとかだって、DCのキャットウーマンとか、マーベルならブラックキャットとかそれは居るわけで、リスの力を身に付けたヒーローってそれ一体強いのかどうかがさっぱりわからん。が、それゆえに自由に話が作れるのも面白味じゃないかと思いつつ、奇抜な設定があるだけで、それをさっぱり生かせず消えていくキャラもごまんと居るわけで、そこで生き残ったスクイレルガールは何気に凄い。

 

いきなりデビュー作でマーベルユニバースの超大物Dr.ドゥームを手玉に取るって、それこそ奇抜さ以外には何も無いわけで、多分、真面目に読んでた人にとってはふざけんな何だこの話はって怒った人も居るんじゃあないかと思います。でも逆にそこが面白味だしキャラクターの持ち味じゃあないか?と考えたのかどうかはわかりませんが、個人誌の今回の話では、何とあの宇宙魔神ギャラクタスをスクイレルガール一人で単独で追い返してしまうという。いや、一人じゃ無くて相棒リスのチッピトゥと二人でか。

 

1話目からして獣を狩るならあいつだとばかりに、初戦がスパイダーマンの宿敵、クレイブン・ザ・ハンターと戦う話になってる辺りがまた面白い。そしてその撃退の方法もまた最高です。パワーで勝つとかより、トンチで勝つ方がそりゃ強い。2戦目はあえてアイアンマン絡みで行こうと思ったのか、ウィップラッシュとか、コメディーながら色々と考えては作ってあるんだろうな、というのが面白かった。

 

ギャラクタス撃退までとキリの良い所までは収録されてますが、続刊が出た「Ms.マーベル」「グウェンプール」と違って2巻目は結局出ませんでした。はたしていつかMCU入りする時が来るのか!?流石にそっちで大物食いに期待はできそうにないですし、あんまり見たくはないですが、世界規模・宇宙規模の壮絶な戦いを繰り広げている裏で、ミニマムな戦いがあった!みたいなギャグ路線としてなら見たいかも。なんかアントマンみたいですが。

 

とりあえず、いつか続刊が出ることをお待ちしております。

 

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GUNDAM EXA

GUNDAM EXA(1) (角川コミックス・エース)

ガンダムエグザ
漫画:ときた洸一 
シナリオ:千葉智宏スタジオオルフェ
刊:角川書店 角川コミックス・エース 全7巻 2011-14年
☆★

 

わたしの大嫌いなときた×千葉のガンダム漫画。
ダムエーで連載が始まった時は、過去のガンダム世界が全てデータとして処理。○○の世界を次々と巡る、みたいな設定だけで、おいおい勘弁してくれよ、と正直思ったのですが、実はこれ、ゲームの「ガンダムVS」シリーズのコミカライズ版だった、というのが判明して、ああまあそういう事ならまあゲームだからデータだわな、と少しは納得出来ました。

 

ゲームの方は、おおまかな設定があるだけで、基本的には対戦ゲームなので、そこをベースに漫画になるようストーリーやキャラを作った、という感じでしょうか。

 

ガンダム版「ディケイド」的な事をやりたいんだろうなというのはわかったものの、各世界があまりにも薄っぺらでゲンナリするし、MSV的なきちんとした活躍が描かれていないモビルスーツ。例えば1.5(アイズ)ガンダムとかプロトマーク2とかそういうのの活躍が描かれるだけは見所と言えるかな?ぐらいに思ってた所、早々にゲームオリジナルのエクストリームガンダムが主人公機かつライバル機になってしまって面白味も半減。マイナーMSの出典元がちゃんと書いてあるのは良い部分でしたが。

 

あ、因みに私は元のゲーム一切やってません。ゲームをやってる人なら、自分が動かしてた機体がこうやって漫画でも活躍の姿が見れて嬉しい、みたいな感覚もあるとは思うので、あくまでゲームやってない人の視点としてです。

 

でもさ~、例えゲームやってて、プレイヤー=主人公のレオスなんだとしてさ、それが安易な感じのイケメンキャラになってて、ナビゲーター役のヒロインが可愛くってそれとイチャイチャするとかさ、それ楽しいのかな?私はそういうオタクの妄想みたいな奴、大嫌いなのです。

 

ゲームがゲームだけに、目的が最強のガンダムを目指すっていうのは話としてはわかる。ただ、理解は出来るけど、「最強のガンダム」とかもう私は恥ずかしいやら情けないやら、最強のガンダムとか下らなすぎて反吐が出そう。

 

その上、世界観の違う各ガンダムシリーズを「人類の進化」みたいな所を軸に繋げようとする始末。ニュータイプとかイノベイターとかを人類の進化として戦闘力が凄い奴が進化した人間なんだ、みたいに話が進むものだから、ひえぇ~勘弁してよ、という感じです。


本当のニュータイプというのは戦争なんかしないで済む人間だって言ってやりたくも
なりますわ。

 

ドモンとのバトルで格闘進化。ヒイロとのバトルで射撃モードに進化、とか、ああはいそうですか。

 

ただ、序盤から「00F」のフォン・スパークがちょっと不穏な動きを見せる。やっすいキャラクター付けで本編のフォンもそんなに好きにはなれなかったキャラクターですが、この作品で言えばジョーカー的なワイルドカードとして、ちょっと面白い存在として描かれます。


主人公のレオス、ヒロインのセシア、ライバルのイクスとこの漫画のオリジナルキャラに全く肩入れ出来ない状態でしたので、もしかしたらフォンがこの下らない世界をブチ壊してくれるのか?とちょっと期待してしまいました。

サブヒロインのピーニャは悪く無かったけど、結局はただの駒としてしか扱われなかったのが不憫です。

 

で、実際にフォンが本来は「00」世界のキャラにも関わらず、「EXA」世界をもかき回す部分は面白く読めました。フォンにはサポート役の874も居ますし、いわば裏主人公的な存在にもなりますしね。

 

メタ的な所で言えば、ときたはボンボン時代から色々なガンダムマンガを描いてきた人ですので、その人が改めて各作品を別視点で描くって言うのは勿論面白い要素ではあるんです。ガンダムアスクレプオスとか、過去作を読んできた人はわかるよねっていうネタは面白いし、まさかの「SDガンダム英雄伝」まで入れてくる辺りは予想外で面白い部分ではありました。

 

でも、そもそもときた洸一の漫画って話が1ミリも根本的に面白くないのよ。それは千葉と組んだ各外伝シリーズも同じ。肝心のバトルもきちんとしたロジックのある戦いとかは描いた事が無い人なので、ただカッコつけたポーズで「ナントカビームライフルだ!」とか叫ぶだけ。車田漫画かよ!って言いたくなるただのカッコつけバトル。いや私車田漫画好きですけども。ガンダムでそんな事やったって面白くないよ、という話です。

 

基本的にSDガンダム以外の奴はどのガンダムも全部私は見たり読んだりしてますよ。すでに終了した過去のシリーズが再度取り上げられるのは決して悪くない。ときたじゃなく千葉の方の「ブルーディスティニー」でマリオンのその後を千葉本人がこうして描くっていうのは確かに面白い要素です。でも、話が面白くないんだこれがまた。

 

読んでいて、お!今度はこの作品の世界か!という所だけが面白くて、読み終わるとその度に「う~ん・・・」みたいなのの繰り返しです。

 

そんな中で「クロスボーンガンダム」の世界が来た。
え?レオスはドゥガチ側につくの?ああ、なるほどバイオ脳を調べたかったのか、だったら「スカルハート」のアマクサ編の方がニュータイプの再現で話としてはそっちの方が合うのでは?ただいきなり外伝のスカルハートよりはまず本編のあくまで「クロスボーンガンダム」の世界でないと難しいか。


くらいに思ってたら、流石はトビアです。「僕はニュータイプが人類の進化だとは思いません」と、ちゃんとクロスボーンらしい事を言ってくれたのでした。え~っ!ちゃんと千葉わかってんじゃねーか。なんだよ面白いじゃねーかと。

 

更には何本か間に挟んで「∀ガンダム」の世界へ。闘争本能に従う者こそが!というギンガナムの主張がまさにこの「ガンダムEXA」の事のようで、メチャメチャ面白い。

 

いや、やっぱり富野なんだなぁと。(クロボンは実際の所富野成分より長谷川成分の方が強い作品ではあるけど)どの作品も似たりよったりな事をやってた中で、富野はこうやってみると、違う事をやっていたのだと再確認出来ました。

勿論それはガンダムの生みの親のオリジナルクリエイターだからであって、他の有象無象の作品はあくまでガンダムのフォロワー作品と言うか、子供とか孫みたいなものだからそこは仕方ないとは思う。でもこういう所に差がちゃんとあるんだなと。

 

欲を言えば今回のファーストは「オリジン」基準でやってるんだから、そこは安彦成分を出してほしかった。やっさん的なニュータイプもジオニズムもただの危険な選民思想。どっちも同じ穴の狢で気持ち悪いよ、っていうのをやってくれたらいいのに。そこら辺が出来ていないのがただの表層的な設定しか見て無くて、各作品ごとにある根っこの部分を上手く作品に絡められていたら本当に面白い作品になりえたのになぁと凄く残念です。

 

クロボンにしろターンエーにしろ、その作品の言葉とかに合わせただけであって思想性みたいな所まで本当に踏み込んだわけではなかった、というのがなんとなく見えました。戦後として「ガンダムX」とかは見事なくらいにカチっとハマったけど、そこはやっぱり設定なわけで。

 

で、結局オチとしてはやっぱりこの世界はゲーム世界でした、みたいな事が明かされて、次作の「EXA VS」に続く。

 

この作品はゲームじゃなく漫画ですので、流石に実はゲームを動かしていたのはあなた自身だったんだ、的なメタ方向には流石に振れず。プレイヤー=読者とかの話は流石に難しいか。面白くなりそうにもないし。

 

なんか続き読むのメンドくせーな、と思っちゃうけど、フォンの顛末は気になるので頑張って次も読みます。「AOZ」の世界には行くかな?ダムエーでの展開じゃなかったけど、個人的には2作目の「刻に抗いし者」とか正しくお約束をやるアップデートされたガンダム感が凄く好きだったりします。

GUNDAM EXA(7) (角川コミックス・エース)

 

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