![なぜあなたの感想はふつうなのか 独自の視点で語る技術 (単行本) / 大島育宙 (著)+[販売店ノベルティー]2026年06月17日発売 感想文 書き方 独自の視点 なぜあなたの感想はふつうなのか 独自の視点で語る技術 (単行本) / 大島育宙 (著)+[販売店ノベルティー]2026年06月17日発売 感想文 書き方 独自の視点](https://m.media-amazon.com/images/I/41vD9Rm1ImL._SL500_.jpg)
著:大島育宙
刊:大和書房
2026年
☆☆☆☆
「なんかよかった」
という感想を、
一緒に抜け出そう。
簡単ではないけれど、
簡単にできることの
積み重ねだ。
アトロクとかでも語ってましたし
www.youtube.com大島育宙はそんなに嫌いでもない。
一応こうやって細々とでもブログで感想を常に上げてる身としてはね、参考になる部分も多少なりともあるだろうと本を手にする。
私はねぇ、自分の世代が古いのもあって、youtubeに上げてる若い人の感想とか、正直薄っぺらく感じるものばかりで、楽しみに聞いてる人、参考になる人って世代としては上の人が大半なんですよね。
そんな中でね、若い世代で唯一評価できるのは大島さんだけだなという印象です。多分、ジャガモンド斉藤さん当たりの流れでこの人も視野に入るようになったんですが、最初はドラマとかメインでやってる人だから方向性としては違うかなと思ってたんですけど、映画もそれなりに語るし、時事評論・社会評論みたいな所が特色の人でもあるので、その視点がある人は面白いし信用できるなと。
私、若めのレビュアーとかの何が嫌いかっていうと、自分の好き嫌いとか面白かったつまらなかったを芯にして語ってるのが薄っぺらく感じられて一番嫌な部分なんですよ。
好き嫌いと、良し悪しの軸は別のものとして捉えていない人は私にとっては正直論外です。
それは作品だけでなく、レビュアーに関してもそれこそ上記のように「こういう人嫌い、論外」とは言っても、良し悪しとは別の軸の考え方なので、嫌いだけど良いもあれば、その反対の好きだけど駄目だよねっていうものをちゃんと立体的にというか多角的に捉えないと駄目だなっていう事で、正直それすら出来てない人が多すぎる気がします。
それこそ大島さんも宇多丸の影響下にあるって言ってますが、そのライムスター宇多丸だって、自分が最高だと感じた「アポカリプト」という映画を町山智浩がボロクソにこき下ろしていた、そこに対して何クソ、じゃあ自分の言葉であの映画の何が素晴らしいかを語ってやるよ、みたいなのが映画評論の原点にあるわけです。
そんな町山さんにしたって、上の世代の評論家はブルース・リーの映画とか、その時代の娯楽映画を下に見過ぎだけど、そういうものの面白さや価値もあるんじゃね?芸術だけが映画じゃないぞっていう気持ちがあったから「映画秘宝」なんていう雑誌を自分たちで立ち上げたわけで、こういうのは映画や評論の世界に関わらず、世の中の常としてあるものです。
私だって、最初にブログとかホームページ立ち上げた時って、世の中の奴らはガンダムの事をちゃんと理解してなくないか?雑誌の記事もネットの語り口とかもレベル低すぎて話にならんから自分で記録を残してやるぜ!っていうモチベーションで始めたの今でも覚えてますし。
今思えば当時の私も世間知らずではずかしい限りですけど。
こういう系譜が続いてるので、下の若い世代には「ホンっとにロートルはわかってねぇな、俺の方がお前らより100倍頭良いし、ジジイどもを黙らせられる凄いものを見せてやるぜ!」っていうのを期待してるんですが、それが正直見つけられない。かつてはみんな上の世代はわかってねぇなって言ってきたんだから、今の若い人だって同じように思ってる人は居るはずなんです。
だってネット世代ってだけでもデータベースの量が昔と比べたら天と地ほども違うわけで、鍛錬・錬成できる機会も十分すぎるほどある。なのになんでこんな薄いんだろうなて不思議に思う。しかも今は出鱈目なAIですけど、そこも数年後にはまともに使えるようになるんでしょう?そこら辺は考えてほしいし、絶対に時代の変化はあるはずなんですけども。
いや今の世代の方が優れている、お前がそれを知らないだけだって言われたらその通りかもしれないので、是非教えてほしいのだけれど。
さて前置きが長くなりましたが、ここからが本の感想。
ここまでは本とか作者、テーマに対してのインスピレーションですただの。
まず一番最初。
この本を手に取って、え?何これ?って思ったのは、なんと2ページごとに別枠のオビ部分で、その2ページの内容の要約が最初から最後まで書いてある。
章ごとにとかじゃないんですよ。2ページごと全部。流石に今の時代の人が今の人に向けて書いた本だなって思います。ファスト文化というか、ここまでしないと今の人は本を読めないのか?とビックリしてしまう反面、そこをただ嘆くんじゃなくてそこの文脈に合わせた作りをするってのが大島さんらしいなと。
勿論、内容を読んでいくと、本の2ページ読みみたいなテクニックももっていらっしゃって、その実践的な意味合いもあるんでしょうし、なんならその帯まとめ文章だけ読んでもらっても構いません、というスタンスがある意味面白いです。私はツイッターの短文とかとてもじゃないけど耐えられないもの。
あとは「言語化」ブームへの疑問とか、中身も勿論面白い。
そうね、私も「言語化」って何だ?ってぶっちゃけ思いますもの。言語化出来て凄いですね、みたいな言い方は確かによく目にする耳にするけれど、それが凄いのか?って私は不思議です。
私としては論理とか視点に対しては良く出来てると凄いと関心するけれど、言語化って頭の中で考えてるものを文章化するだけじゃね?ぐらいにしか思わない。「その考えが凄い」とは思うけど「言語化出来て凄い」というのは正直そんな風に思ったことが無い。でも最近よく言いますよね。
あとは「考察」ブームに対してとか、ネットでのバズり。みたいな同じく今の時代ならではのものとかに対しての大島氏のスタンスみたいなのをちゃんと記してある。
「評論家って何の価値があるの?小難しく考えすぎて単純に楽しめなくて可哀そうだね」みたいなあるあるにもちゃんと自身の考え方を表明なさっていてそこはわかりみが深い。
大島さんは単純に映像に没頭する一人と、それを客観視する幽体離脱の二人に自分を分けているって言ってますけど、そこは私も昔から自分を何人にも分けて観てるので、そうだよね感がありました。
単純に楽しんでる自分も居れば違う視点で見てる自分も居るし、そこは沢山の視点を持ってるだけです。別に粗探しの視点だけで見てるわけじゃなく、普通に楽しんでますよ。
あと他には「1年間新作を見ないで旧作だけを見る」みたいなのも面白くて、話題性という波に乗って楽しむのも勿論ありですけど、逆にそれが義務感とかめんどくささにも繋がったりはするので、あえてそこから距離をおいてみるっていうのもそれはそれで面白い試みですよね。
私みたいに世間の流れに我関せずを貫いて、アーカイブに頼り切ってるとそりゃあ新しい読者なんて入ってこないよ、みたいなのはありますけども。まあ普通の人は友達との会話についていけるようにみたいなのもあるんだろうから良し悪しはあるでしょうけど。
あとは色々、読書会とか自分で小説を書いてみるとかを定期的にやっておられるようで、そういうのが視点を増やす、鍛えるものになっていくみたいな話もありますが、その辺りはちょっと一般読者には敷居が高くなっている部分でしょうか。
でもそんな中で、続けていく為のルール作りは必要だけど、それはハードルを下げて自分の都合の良いように設定するっていうのはわかりやすくて良いです。最近は身体がなまってるから筋トレしよう、走り込みをしよう!とかいざやってみてもいきなりハードすぎて逆に体を壊したり、毎日朝5時に起きて!とか厳しいと結局続けられないとかよくあるパターンですしね。
私もブログ更新は厳密では無いけどざっくりっしたルールと言うか指標みたいなのはあってやってますしね。作品の選び方とかもなんとなく次はこれ系がくるかなとか多少読める人も居ると思いますし。私のブログは常に表示されてるのが10記事なので、そこをある程度のローテーションで回してるだけです。
帯や本文中に「感想検索病の時代」を生き抜く為に。
って書いてあるんですけど、私はこうやって自分の感想を書いてる人なので、比較や参考にやっぱり検索する時もありますが、影響を受けてパクリみたいになるのは嫌なので、この視点ではあまり語られていないな、みたいなとこが一番重要視する部分です。
全部が全部は無理でしょうけど、他人と同じ感想なんてつまんないじゃないですか。わざわざ私の感想を読んでもらう意味もなくなるし。中身が実質同じ内容だったら、もっと綺麗にまとめたブログなり動画の方が良いですからね。
わざわざこのブログを読んでもらえるだけの他との差は一応意識はしてるつもりなのですけど、実際どうでしょうね?
私の感想が「ふつう」なのかどうかはこれを読んでいる読者・あなたに判断していただければ。
「ふつう」だったら嫌だなぁ。
かと言って派手なバズりワードだけのPV稼ぎみたいなのはもっと嫌ですが。