原題:BATMAN v SUPERMAN: DAWN OF JUSTICE
監督:ザック・スナイダー
脚本:クリス・テリオ、デヴィッド・S・ゴイヤー
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2016年
☆☆☆
「マン・オブ・スティール」から続くDCEU(DCエクステンデッドユニバース)2作目。前作から続けてザック・スナイダーが監督。
原題だと「VS」じゃなく「V」の一文字だったり、「ジャスティスの誕生」という変な邦題ですが、ドーンオブジャスティス=正義の夜明けという言葉からアメコミファン的には当然「ジャスティスリーグ」前夜というのを期待させるタイトル。
前回、スーパーマンをこのトーンでやったらバットマンとの対比、緩急や落差が出せないんじゃないか?と危惧した通り、一応バットマンは夜のシーンが中心には描かれるものの、全体的に暗いトーンのまま続くし、そもそもの冒頭が前回のスーパーマンのラストバトル部分をたまたま近くに居たブルース・ウェインも巻き込まれており、大量の一般人が巻き込まれて凄まじい犠牲者が出た、というマイナスの感情からスタート。
このまま異星人を地球にのさばらせてはおけない、というブルース=バットマンの行動理念と対立軸を明確にするわけですけど、いやそこで何故バットマン?って話だわな。原作を知ってる人は良いですよ。ああ今回は「キングダムカム」みたいな話をやりたいのね、っていうのは察する事が出来る。
でも、一般層のバットマンのイメージって犯罪者と戦うイメージですよね。「ザ・フラッシュ」の時にも自分の感想で書いたけど、あっちのブルースもいきなり世界平和のために戦う存在に思え無くて、感情的に乗れなかった部分がありました。
原作ファンやジャスティスリーグを知ってるファンなら良いですよ。でも映画って考えると、一般的なイメージとしては90年代のティム・バートン版映画。あるいはこれの直前のゼロ年代のクリストファー・ノーラン版のダークナイト3部作の大ヒット高評価が記憶に新しい中、何でバットマンがスーパーマンを敵視するのか?という部分が話の都合で無理矢理やってる感じがどうしてもしてしまう。
全然、これは間違ってるとかそういう事じゃないんです。映画しか知らない人だと、バットマンは孤独のヒーロー(アルフレッドと言う味方は居る)というイメージが強いと思うけど、原作ファン的にはバットマンはファミリーの要素が強い。ロビンは何人も居るし、バットマン系列の仲間も山ほどいる。そう言うイメージの差みたいなものがあると私は思うし、今回の映画や次の「ジャスティスリーグ」でも、この要素を今回は映画化したのねと私は思えるけど、世間一般的には、結構ポカーンとしちゃう展開だったんじゃないかなぁと思う。
いや勝手な想像だけどさ、スーパーマンにしてもバットマンにしても、自分達が知ってるヒーローが激突なりチームアップしてるというワクワク感じゃなく、ただ演じてる俳優が今までの人と違うだけでなく、知らないスーパーマンと知らないバットマンがなんか戦ってるけどこれ何?みたいな印象になっちゃったんじゃないのかなぁと。
スーパーマンとバットマンが戦うとか言われても、そんなのまともに正面からやりあったら勝てるわけなくない?こんなの勝負になるのかな?
っていうのは逆に魅力や興味を惹く部分にもなりえると思うんだけど、なんかそこもあんまり生かし切れて無いというか、この世界この映画ではこうなのね、ぐらいの感覚しか持たせられないのは凄く勿体無い気がする。
当時の評価もそうだった気がするし、私も確かこう思った気がするんだけど、ワンダーウーマンの登場が一番盛り上がった部分だったり。昔のTVドラマ版とかはあるけど、スーパーマン/バットマンと違ってちゃんとした映画とかはこれまで無かったですしね、その二人と違って、自分の知ってるキャラと違うとかいう感覚は生まれにくいわけです。これが噂のワンダーウーマンなのか!カッコいい!もっと見たい!早くジャスティスリーグを!そしてワンダーウーマン単独作を!と、素直に思わせてくれました。
スーパーマン/バットマン/ワンダーウーマンのトリニティが集結!
その相手はドゥームズデイ!
ドゥームズデイと言えば原作でもスーパーマンを殺したヴィランとして有名。
けど・・・う~ん、なんかただハルクみたいにパワーで暴れるだけだし、あくまで今回のヴィランはレックス・ルーサーであって、ラストバトル用に無理矢理作らされただけの存在。しかも最後はスーパーマンが死んでね、はい原作にあるイベント消化しましたよ~感が凄い。
ホントにザック・スナイダーって原作コミック好きなんでしたっけ?と疑ってしまいたくなる。いや、当然好きに決まってます。
でも感覚的には「原作の面白さを映画で表現する事」が目的じゃ無く、「俺なら原作をアレンジしてこう作るぜ」という、自分の作家性を前面に押し出した形がこの一連の3部作になったのかなという気がします。
「マン・オブ・スティール」の時に書いたけど、アレンジはアレンジで面白いと思うんですよね。でもアレンジって、基本形や王道的な本筋があってこそ、そこからの変化を楽しむものだと思うんですよね。
今更言っても後の祭りでしかありませんが、まずそんな基本や王道を衒いなくやってほしかったかなぁという気がします。
要所要所に「ダークナイトリターンズ」と同じカットを入れて再現してて、DKR好きなのはわかるけどさぁ、何か違うくない?という違和感は拭えず。考えてみればザックの映画版「ウォッチメン」もそうだったなぁと思いますし、よくぞここまで再現してくれた!の半面、ラストとかこれ意味変わってこないか?という、あちらも同様に「良くも悪くも」な作品でした。
そういや母ちゃんマーサネタはマニア的には定番のネタなのかな?私が邦訳とか読んでる範囲では出た事無い気がするし(そこまでDCは読んで無いけど)言われてみればそうだ!と思った半面、重要な場面で使うにしてはネタっぽくてちょっと笑ってしまいました。
今後の新DC映画の中核を担うジェームズ・ガンは「ガーディアンズ」にしろ「新スーサイドスクワッド」にせよ、アウトローを描く作品でしたし、その前の「スーパー」もカウンター的な作品でした。そこ考えると、大丈夫なのかなって思ってしまう部分もあるけれど、ただ外せば良いだけでなく、ちゃんとその中に王道の良さにも帰結させてくる上手さのある人でしたし、その辺りは上手くやってくれると信じたい。スーパーマンからのスタートみたいですし、そっちではまず王道的なのを是非お願いしたい。
って、ジャスティスリーグ前になんか締めくくってしまいましたが、次は劇場公開版ジョス・ウェドン版「ジャスティスリーグ」を見ます。
流れ的にはザック・スナイダーカットの方が本来ザックがやりたかった3部作の形なのかなとも思うんですけど、実際別バージョンとして形になったのって、ザックが色々あった後の話ですからね。本来想定していたものの再現とか出なく、変化した気持ちも当然あると思うので、ここはあえて劇場版→ディレクターズカット版と見て違いを確認してみようかと思います。
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