僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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機動戦士Gundam GQuuuuuuX

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)

GQuuuuuuX 
機動戦士Gundam ジークアクス
監督:鶴巻和哉
シリーズ構成:榎戸洋司
TVアニメ 2025年 全12話
☆★

機動戦士ガンダム ジークアクス」とは令和に甦ったサイバーコミックスだったというお話。

 

ガンダム最新TVシリーズ「ジークアクス」完結。
分割クールとか、劇場版に続くとかではなく、普通に12話完結っぽそうでした。

 

先行公開劇場版、ビジュアルのクオリティ凄っ!ってなりましたが、私はファーストガンダムの劣悪なパロディ部分は苦笑する以上のものは無かった。(いやむしろ好き嫌いで言えば嫌いです)
まあそこは導入部分や話題作り、本編が始まってしまえば旧作要素は背景程度で、マチュ・ニャアン・シュウジの新しい世代の話を普通にやるんだろうなと思ってましたし、そこが面白ければね、嫌な気分にさせられた部分は目をつぶろうかと思ってました。

 

そしたら・・・思ってたのと全然違った。旧作のパラレル部分だけで引っ張って、主人公かと思ってたマチュとかが逆におまけ程度。何これ。

 

前半は話がどう進むかわからなかったし、どうなるんだろ?と思って見てましたが、何話だっけ?中盤くらいの「シュウちゃんの事好きなの?」みたいな話が出てきた所で完全に興味がつきて、あとはもう完全に気持ちが離れました。

 

ガンダムはSD以外は全部見てる身としては惰性で最後まで見ましたが、最終回まで終わって、ああなるほどこれは令和版「サイバーコミックス」だったのかと、納得は出来ました。
最終回に山下いくと版サザビーをちょろっと出してたので、そこが答え合わせだったように思います。(いくと版サザビーはサイバーコミックスが初出なので)

 

「サイバーコミックス」と言われたって、流石にもう古本屋でもほとんどみなくなってしまいましたし、電子書籍化されて復刻される可能性も間違い無くゼロですので、一応説明しておきましょう。
今で言うガンダム専門誌の「ガンダムエース」に近いもので、バンダイの出版課から出ていたアンソロジーコミックです。初期はスタジオカラーの前身のガイナックスのさらに前身のゼネラルプロダクツが編集を担当。「エヴァ」とか以前の山下いくと氏とかはここでオリジナルの漫画を連載したりで活躍していました。そんな流れの中でピンナップとして描かれたいくと版νガンダンダムvsサザビージークアクス最終回に出てた奴の元ネタです。

 

「サイバーコミックス」自体が、ガンダムシリーズ前門の漫画雑誌を作りたいというゼネプロの企画が発端だったようですが、バンダイの出版課から出ていたのもあってか、ガンダム以外のバンダイが版権とか持ってるものとかも掲載されてました。「ダンバイン」の外伝とか。他にも「ヴィルガスト」とか「トライダーG7」とか「シャリバン」まであった。

ただ、じゃあその「サイバーコミックス」という雑誌(実際は単行本形式の雑誌みたいな形です)を代表する作品・タイトルって何?と言われると困ってしまうんだなこれが。全部で50号近く出たのですが、正直これといったものは無い。

 

以前に取り上げた、中原れい版「ガンダムF90」とか、長谷川裕一ガンダムVS伝説巨神」なんかはサイバーコミックスでの連載でしたし、末期にスタートし、1・2話くらいだけサイバーに載って、後継誌に流れた近藤和久ガンダム0079」やすだひろし「シルエットフォーミュラ91」なんかがありつつ、個人的には松浦まさふみ「アウターガンダム」が大傑作として思い出深いですが、知名度的には今川監督が「Gガンダム」への影響も公言している、こやま基夫「Gの影忍」辺りが何度も再販されて知名度的にはいくらかある程度でしょうか。

 

表向きバンダイという名前こそついてあったので、権利的にはクリアしていたんでしょうけど、同人誌に毛が生えた程度のものがほとんどで、きちんと商業誌である事を意識して描いていた作家さんも中には居るでしょうが、自己満足の俺ガンダムみたいな読み切りや短編が大半でした。

私は1冊100円とかで集められた時期に全冊コンプリートしてますけど、果たしてこれに資料的価値なんかあるのか?というのが正直な所。勿論、各作家としては、俺はこんなのがやりたいんだ、これが楽しいんだっていうものの結晶なんでしょうけど、同人誌的なパッション以外の部分で果たして評価に値するものがどれほどあったのかと。

 

で、思ったんですよ。ジークアクス最終回のいくと版サザビーが一瞬映った時に、ああジークアクスってサイバーコミックスに載ってる有象無象の自己満足だけで描いてる掲載作品の1本みたいだなと。

 

だってイオマグヌッソ=イデオンのガンドロワだし、シュウジの巨大ガンダムだってダンバインのハイパー化が元ネタでしょ?ガイナからの伝統の最終話タイトル引用も「だから僕は」ってそこから持ってくるのかよと。「魔法の少尉ブラスターマリ」は狙ったわけではなさそうな気もしますが、エンディミオンシステムの元ネタはあきらかにセーラームーンですよね。バンダイの名前を背負って好き勝手パロディーしてるだけなんて、腹が立つより笑えるじゃないか?

 

唯一、きちんと線引きしてあったというか、かろうじて私が怒りを押さえられたのは、ファーストガンダム風のシーンは、あくまで似ているだけでオリジナルそのものの世界では無いですよ、っていう謙虚さは残しておいてくれた所。

 

シャロンの薔薇うんぬん、オリジナルのララァがうんぬんの説明の所でも出てましたが、そもそもがシャアがアムロに殺される歴史なんか今までのガンダムには全く無い世界だったじゃないですか。何だこれっていう感じでしたし、少なくともジークアクスの世界は「機動戦士ガンダム」TVアニメ本編からの改変ではなく、少なくともあれの改変からの改変、原点とは一切ジークアクスは関係ありません、としてくれたのは感情的にありがたいし、その謙虚さは良かったと思います。

 

私は「機動戦士ガンダムUCユニコーン)」も大嫌いなのですが、その理由の一つとして、フル・フロンタルが最初に発表された小説の時点ではただの自分がシャアだと思わされている強化人間の傀儡という設定で終わってたんですよ。その時点ではユニコーンも全然許せた。外伝だからね、本家の設定にまで揺らぎが生じるような作りにしない謙虚さは素晴らしいと。
でもこれがね、アニメ化した時に池田秀一本人にやってもらっちゃったから、ただのインチキ偽物君でしたって言えなくなってしまって、作られた存在だけどそこにシャアの魂の一部が入った存在みたく設定が変えられてしまった。シャア本人ではないけれど、その本物の魂を受け継ぐ存在ですよ、と。そこからもうふざけんなって気持ちにしか思え無くなりました。謙虚さがあった時は許せたし認めたけど、踏み越えてはいけないラインを超えてきたら、いやそれは違うんじゃない?部外者が本物ヅラしてんじゃねーよと。

 

なので今回のジークアクスのファースト世界「風」の人達、決して本物ではありませんよと念を押してくれたのはありがたいと思う反面、「池田秀一潘恵子古谷徹」を使った事に喜んでる世間は何?こんな偽物キャラに本家の人を使わないでもらえます?って怒るべきじゃないの?似て事なる人にするんだったら、それこそ若井おさむとかに頼めばいいのに。パロディでしかないんだから。
「SDガンダム」のOVAとかでもSDキャラに本家の人が声を当ててたりするのあったけど、あれ私大っ嫌いなんですよ。SDガンダムというコンテンツ自体は好きなんですが(私はガンダムそこから入ったし)パロディーは凄く苦手(だからアニメの「ガンダムさん」とかも一切見てません)そこに本物を持ってきてしまうのは・・・僕は嫌だ。

 


あとは、映画版の時にも書いたけど、鶴巻・庵野・榎戸さんたち「ギレンの野望」やった事あるのかだけ凄く気になる。
勿論、ギレンの野望ジークアクスのシナリオを自分で再現できるかと言えばそれは出来ないんだけど、やっぱりあの作品の面白さ、自分でガンダムの歴史を自由に改変して行く面白さにジークアクスは凄く近いなと感じたんですけど、スタッフは「ギレンの野望」をプレイして、シャアが乗る赤いガンダムビグザム量産、ゲルググの代わりにギャンがコンペに勝つ、そしてそもそもジオン勝利の歴史。この面白さをアニメでも再現出来たら面白いよね、と考えたのか、あるいはそういうものを知らずに俺たちのやってる事は斬新で面白いでしょ?と思ってやってたのかは凄く気になる。

 

ガンダム初心者は楽しいのかもしれないけど、40年もガノタやってる人はどこかで見たアイデアばっかり並べられて、なんかそれでドヤ顔してる感じが、う~ん正直勉強不足なのではと思う反面、我々はコピー世代のコピー作家だからそういうのをわざとやってるんですよ、というのもスタジオのそれこそカラーでもあるので、そこら辺の判断はちょっと私にはわからない。

 

私は鶴巻さんの作品ほぼ知らないし、庵野さん「シン」路線のエヴァゴジラウルトラマン仮面ライダーも、そもそものファンではなかったから、そこでのマニアック要素とか元を知らずに、へぇそういう元ネタがあるんですねぐらいで済んだけど、「ガンダム」はねぇ、自分でも相当に詳しいと自負するくらいにはマニアなので、なんかいちいちああこれね、これは他の○○でもう先にやってるよね、みたいなものばかりで、そういう部分が作品のちょっとしたスパイスや面白味では無く、軽薄さに感じで私にはむしろマイナス要素に感じてしまった。

 

鶴巻さん的にはマルチバースというよりは架空戦記のイメージで作った的な事を言っていたらしいのですが、その違いが私にはわからなかったし、マチュたちよりも旧キャラをこんなに中心に置いたら軸がぶれるのではと感じました。ジークアクスオリキャラがもっとストーリーの軸になっていてくれたらなと残念でなりません。

 

「水星の魔女」なんかも意図してバズワードを入れて興味を引く作りにした的な事を言ってたけど、やはり「ジークアクス」も同じ感じの売り方をしてたものの、そのバズリらせ方がね、3連星だティターンズララァだとか、そういう元ネタありきの要素ばかり。

考察界隈とかも、このキャラはジークアクス世界の○○だ!みたいなものばっかで、普通の物語にあるべき、マチュの行動はこうでこのセリフの本当の意味はこうでとかではなく、既存のガンダム知識に絡めたものばかりになってしまっていた印象。

 

これを機にファーストガンダムみてみました、しかもシャリアブルが出ているのは映画の方じゃ無くTV版なのでそっちを!みたいな人も多く見かけましたし、今の時代にファーストへの導線、しかも軽視されがちなTV版とかをフューチャーしてくれたのは凄く面白いし評価したい部分だなと思う反面、そうやって旧作依存の要素を作ってしまえば、そりゃあまあ新作要素は薄まっちゃうよなというのもわかる話。

劇場版を見た時は、旧作要素が庵野担当で、新作部分が鶴巻監督担当みたいになるのかと思ったら、結局全部旧作要素で引っ張る作り。

 

「水星の魔女」の時からそうでしたが、おっさんの私は正直、若い人の感覚なんてもうわかんないですし、感情移入もそもそも出来ないけれど、どうなの?10代せめて20代とかの若者はマチュとかニャアンに自分を重ねたりそもそも出来るんでしょうか?

 

最終話まで見終われば、EDの「もうどうなってもいいや」が最終話後の和解した二人なのかな?とも思えるけど、ああいうシスターフッドみたいなものをきちんと本編で描けてればなぁと残念に思う。一度対立させた後の和解とか、それはドラマの作劇論としてわかる話だけど、雑にやりすぎというか、そのドラマを丁寧にやってこそ面白さや深みが出るんじゃないかなぁ?と思えてなりません。この展開の早さも、ある意味では今時なのかな?ファスト映画だとか、早送りでアニメや映画を見る人みたいに、過程なんかどうでもよくて、結末だけ知れば作品を見た事になる、みたいな。

 

ネットの反応を見ている感じだと、ライブ感で毎週楽しめたのだからそれでジークアクスは十分すぎる名作みたいな声も結構あって、そういうとこもね、内容以前に体験に価値を見出すとか、物よりも時間、全12話でタイパも良かったとかそういう感覚なのでしょうか?

 

考えてみればジークアクスってまだ映像ソフトとしては出てませんよね。勿論、今はアニメは円盤を売る商売とかではなくなっていますし、そこは時代の変化でもあるんでしょうけど、考えてみるとTVアニメがソフトを売る商売にシフトしたのって、「エヴァンゲリン」からなんですよね。TVアニメなのにOVAくらいの高クオリティで作ったのは、TVでの放送はあくまで後でソフトを売って利益を回収する為のCMでありプロモーションというパラダイムシフトでアニメビジネスに変革をもたらした。

で、そこから30年、今はソフト販売のビジネス形態がほぼ終わっていて、今の時代だと作品をIPやコンテンツとして売る、という時代なので、エヴァを作ったガイナックスの後継であるカラーがIPビジネスとはこうやって新作のプラモも売れば、新規の客を旧作に導くのが今のアニメビジネスですよ、って考えて作ってあるのはね、凄く現代的だなぁと思う。

 

そしてそれを利用して、ジークアクス最終回から2日後くらいに「閃光のハサウェイ 第2部 キルケーの魔女」の予告編をお出ししてくるビジネススケジュール。あ~ジークアクスつまんなかったな、とか思ってる私も「この瞬間を待っていたんだ!」ってニンマリですよ。

ジークアクスも一応まだ今の所は後からソフトは出るでしょうけど、その時は是非サイバーコミックス風のパッケージデザインでお願いしたい。

 

後は何だろう?シュウジって結局何?ガノタが今まで誰も見た事の無い歴史の「シャアがアムロに殺される時間軸」を繰り返し見ているララァ。いやそのララァ自体私は知らないララァさんですが、その人が歴史改変マルチバースを延々と作り続ける???それが鶴巻の考えるニュータイプなんだとして、そんなララァを不憫に思って同じくマルチバースを転々として一つ一つ終わらせているシュウジ君?あなた何者?鶴巻監督自身なの?それとも新しいガンダム世界を無限に見せられ続けている我々ファンやオタクの代表みたいなもの?そういうメタ要素も、ああそういう事だったのねと納得できるなら良かったのだけど、なんか全部が雑と言うか中途半端と言うか薄っぺらいというかで、残念以上の感想が出ない。

 

う~んそうだなぁ、逆に言えば最終回後、まだ安定もしていないし自分の立場も危うい中、動乱の時代を持ち前のバイタリティとシスターフッド力で生き抜いていくマチュとニャアンの「テルマ&ルイーズ」。あるいは「ハーレイ&アイビー」みたいな感じで。ああそれこそカラーらしく元ネタありきのパロディで宇宙世紀版「ダーディペア」みたいなのとかもアリな気がします。

初体験の暗喩みたいなシーンもありましたし、喪失と失恋を経験して二人は一つ大人になったのだ的な終わり方なんでしょうけど、人生ってそこからが面白いわけで、日本のアニメの悪いとこだけど、「少女」にしか価値を見出さない歪んだ感性の中でね、そこに風穴をあける・・・というかここから10年後とかの時系列でガラスの天井をぶち破る二人の活躍とかを描いてくれたらその時は評価します。

 

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