MOBILE SUIT GUNDAM SEED FREEDOM
監督・脚本:福田己津央
脚本:両澤千晶、後藤リウ
日本映画 2024年
☆☆★
作品は全部見てますが「ガンダムSEED」への思い入れは正直そんなに無い。なので、ずっと待ってた!とか期待してますとかそういうハードルは低く低く、とりあえずガンダムなら何でも見るよおじさんという感じで足を運んで来ました。
ああでも、今回は「ライジングフリーダム」「イモータルジャスティス」という映画オリジナル機体が予告でも解禁されてて、映画と同時にプラモも出てましたが、まあおそらく十中八九それだけでは終わらないだろう、少なくともキラのフリーダム系の最終機体はライジングとは別に出るだろうなとは予想できたので、雑誌とかで公開になる前に劇場のスクリーンで初解禁みたいな楽しみ方はしたいのでと思い、早めに見て来ました。そこは情報解禁前に見れて良かったです。
いやぁ・・・凄く、SEEDだった。
ガンダムSEEDが好きな人はもう感涙もの。恐らくはみんなが予想してる以上の物がこれでもかこれでもかと出てきて、20年待った甲斐があったと感じるものだと思います。
ただまあファンムービー的なものというか、一つの映画を作品として捉えるなら何これレベルだけど、いやSEEDの本質はこれなんだって思えるなら120点。思い入れの無い私は勿論、うわぁ~何これひどくね?感が半端無かった。
でもね、同時にこれで正しいんだとも思った。
リアルタイムでSEED見てた時はね、これが新しいガンダムなんだ、ガンダムの新シリーズなんだと思って期待して見てたわけですよ。だから怒った。ガンダムでこれはどうなの?過去のシリーズと比べてああじゃないこうじゃないと。
今のガンダムは作ってる方がもう住み分けを前提として作ってる。
「水星の魔女」は今の十代とか初心者に受ければそれで十分。古参のガノタがどうこう文句言っても、いやあなたたち向けに作ってるんじゃないんですよ、と最初から相手になんかしない。
老害ガンダムおじさんには宇宙世紀を別に作ってあげるから、あなたたちの餌はそっち。ちゃんと住み分けしましょうね、という戦略をバンダイナムコ、サンライズがやってるわけで、今回はその中間ぐらい、30代とかのSEED世代にピンポイントに向けた作品。老害おじさんが騒ぐ必要もないし、若い世代に見てもらおうとも思って無い。世代別にそれぞれ別のガンダムを用意しますよ、という戦略を今はとっている。
私もね、古参のガノタだからSEEDも文句言いながらリアルタイムで必死に見てました。良い所も悪い所も両方ある、みたいなね、すんげーつまんない普通の感想でした。いやバカですね。今になってようやくSEEDの本質、SEEDとは何かをやっと全て理解出来るようになりました。
SEEDってギャグアニメみたいなものだったんですね。そんなものを真面目に見てた自分が恥ずかしいです。バカですよね私。ようやく最近それに気がついたし、まさに今回の劇場版がこれがSEEDなんだっていう作品でした。私も頭悪い感じでしたが、作ってる方もそこは同じで、僕たちはメカとエロにしか興味無いんです、今まで深刻ぶった顔してゴメンね、ただ欲望にまみれたIQの低い薄っぺらいガンダムが僕たちのSEEDなんですよっていう主張を堂々としてきてくれたから、ああそういう事だったのかと。
そんな真面目な感覚でSEEDを見ないでくれと作品が側が象徴してくるとは、ここまで割り切ってやってくれたのは凄く良いと思いました。
今回の劇場版を観るにあたって復習でスペシャルエディションを全部見てきたわけですが、まず最初の発見がキラはノンポリであるのだというのが新しい発見。自分は政治の事はわからないから、全部ラクスにまかせて力の行使のみ担当する。キラは自分の力を生かしてラクスの剣になろうとしたわけです。
これがね、無印SEEDの方ならまだ良かった。世の中を知らない少年が初めて世の中と向き合うまでの物語ですから。問題なのはDESTINYに入ってから。そこでラクスの剣になる事を選択して、自分は思考停止してしまった。これが物語の基本になる部分。ぶっちゃけリアルタイムで見てた時は私もアホだったのでそこまでの理解はしてなかったです。今になって見返してそれが理解出来たのと、もう一つ大きなヒントというか答えがありました。
それがこちらのインタビュー
ああ、SEEDってこういう事だったのか、と目から鱗です。
シリーズ構成・脚本の両沢さんは実は「ガンダムっぽい部分」には関わって無い。両沢さんは少女漫画的なドラマ文脈を物語の縦軸として置いて、他は周りが勝手にガンダムっぽさを作っていったと。確かにそのバランスがまさしく「ガンダムSEED」だと思える。
メカや設定とかは既存のガンダムを知ってるスタッフが補強。そして「深そうな」テーマを適当に混ぜ込む事でそれっぽいものが出来る。
そうか、最初から深い事なんてやるつもりはサラサラ無くて、深刻そうなフリをよそおう事でガンダムっぽさを維持していたと。
はい、私は物語で一番重視するのは「テーマ」の人なので、SEEDでもそこを必死になって見てました。そんなの表層にまぶしただけの薄っぺらな要素なのにね。
今回の劇場版、第一報から十数年経ってるんですが、それは両沢さんが劇場版の脚本を書いてる最中に病気になられて、闘病の果てにお亡くなりになられたから。そこで企画は中断、いや凍結に近いか。
でもってそれが再開されたのは、先に触れたバンダイナムコの戦略によるもので、世代別戦略の中で再度SEEDの劇場版に白羽の矢が立ったと。
両沢さん、福田監督の奥様ですから、監督としても当然葛藤はあったでしょうけど、あれから時間も経過し、志半ばで中断していたものをきちんと形にすることがある種の供養と考えたんだろうなと思います。
だからこそ、今風にリニューアルして新しい世代にSEEDを届けるとかじゃなく、あの時代の、止まったものをそのまま再開させるという選択肢を選んだ。くすぶったままただ忘却に身を任せるんじゃなく、卒業式をちゃんとやろうよと。
DESTINYで新しい主人公を作ったのに、やっぱり前の主人公の方が好きだと無理矢理おかしな方向に話を捻じ曲げたのと同じように設定の変更や破綻なんかおかまいなし!戦争とか世界とか私は知らないし興味も無い、メロドラマこそが私の信じる、描きたいSEEDなんだっていう両沢テイストをきちんとやってますよね。
あとは他のスタッフが、物語とはまったく関係の無い所で、ひたすらメカ描写を延々とやりつづけるという、まさしくそこもまたガンダムSEED。
メカ描写は本当に見てて楽しかったし、出てくる機体の数も半端じゃない。劇場版ながら、これ1作で2年分くらいは継続してここからプラモ出し続けられるんじゃないでしょうか?そのくらいボリュームがあって本当に凄い。
そしてここが今回の映画の白眉とも言える部分で、おそらく両沢さんが御存命ならこうはしなかっただろうという一番面白い部分。
キラに自分がバカでしたって反省させた事。
これね、これまでのシリーズなら両沢さんがキラが好き過ぎて、そこを無理矢理正当しようとするから物語としておかしくなってたと思うんですよ。
そこは身内として福田監督があえて訂正させたのか、客観的な立場として小説版も担当してた後藤リウ氏が、こうさせた方が世間は納得しますよと脚本を書いたのかそこは不明ですが(TVシリーズの小説版もオリジナルにあった変な描写を客観性を持たせて修正してましたし、後者の可能性が高そうですが)
そして設定まで無理矢理に近い形で変更した事。TVシリーズのキラは、クルーゼが「君こそが人類の夢」みたいに言ってたように、スーパーコーディネイターという人類の頂点に立つ存在でした。人類史の中で最も優れた人間として調整されて生み出された存在。いやもう「僕が考えた最強のガンダム」とかと同じレベルですよ。これを最初からギャグとして捉えていればよかったんでしょうけど、一応は真面目な顔してそういう事をやってるので、この世界の中ではそういうものなんだろうな、そういう設定なんだから仕方ないと思って私は見てました。
キラの描写の幼稚さにこれはおかしい、なんだか納得できない。頭の良い人間のする行動ってこういう事なの?よくわからない。でも劇中で彼はこの世界の中で最も優れた人間って言ってるからそうなんだろう。ってモヤモヤし続けてました。
でも今回、コーディネイターを越える存在としてアコードという人種が作りだされ、それが今回の敵となるわけですが、キラはそいつらに出来そこない呼ばわりされる。(そしてラクスはそのアコードという存在だった事が明かされる)
おそらくはキラもアコードとして作られたけど能力を満たしていなかったみたいな意味での「出来そこない」ではなく、コーディネイターの上位種を目指して作られたスーパーコーディネイターとされる種なものの、アコードはもっと能力的に優れた存在。テレパシー的な能力まで備えていて、人間の思考さえ意のままに操ってたりしましたしね。
いや~、外伝の「アストレイ」ではSコーディネイターを生みだすために実験台になったキラのプロトタイプ的な存在のカナード・パルスってキャラが居てね、俺は出来そこないじゃない!つってキラを恨み続けるキャラだったんですけど、カナード君もきっと涙目です。キラも完成形じゃなかったと。
いやスッキリしました。キラを見てて、どこが優れた人間なのか私にはさっぱりわからなくて、設定上の部分と実際の描かれ方の乖離がモヤモヤの原因だったんですが、そもそもキラは戦闘とかは最強レベルだけど、別に人間として優れた存在とかじゃ無かった。そうだよね、うんうん。そこは物凄く納得できます。
多分ですけど、今回の映画の新キャラ。敵じゃ無くキラの副官みたいな存在で、巷ではルルーシュと呼ばれてる(声が福山なので)アルバート・ハインラインというキャラが居ましたが、多分彼のような天才こそが本来想定されていたスーパーコーディネイターなんだろうなと思えるキャラでした。
でも物語の途中まではね、キラが一人で悩んで、だってお前ら弱いじゃん。やめてよね、本気で戦ったら僕に敵う訳ないじゃないとばかりに、だって僕はこの世界で最も優れた存在のSコーディネイターなんだからとイキってるわけですが、そこでアスラン登場。
お前はバカか?と一人で深刻ぶって実際は何も出来て無いただの愚か者じゃん!と殴りかかる。ここはね、物凄く良かった。
間違ってる事を、お前それ変だぞって正面から言ってあげられるのは友達だからこそだし、この世界でキラに何か言えるのってきっとアスランと兄弟であるカガリだけですよね。
これまでのTV2シリーズだと、どっちかというとアスランの方がウジウジ悩んでそれにカガリが喝を入れたり、キラが僕はこう思うよ的な事を言ったりしてたけど、ようやくここに来てアスランの方からキラに対して、友達として言わせてもらうけどお前おかしいよと言ってくれた。ここは素直に、ああ今までSEED見てきて良かったよと思えるシーンでした。「逆襲のアスラン」的な内容じゃ無くて良かったよホントに。
そしてここから反撃が始まる、というターンになるんだけど、「ふっきれたキラ」と同時に、作品そのものがふっきれた作風に変化していく。
当たり前っちゃ当たり前だけど、ガンダムSEEDという作品とキラのメンタルは同義語だったんだと。今まで悩んだり深刻ぶった顔してたのは、全部ポーズでやってただけなんです、本当は僕らは社会や政治、戦争の事なんか1ミリも真剣に考えて無いし興味もありません。僕らが大事なのはメカとエロだけなんです。心の中で考えてる事はそれだけなんです、という作風に切り替えてくる。
その割り切りは素直に褒めたい。作家がやっとパンツを脱いで自分の本心をさらけ出してくれました。ある意味それこそが映画の面白味というものです。
が、同時に、メカとエロとか欲望だけに忠実なガンダムとか、ぶっちゃけくっだらねぇとしか思えませんでした。今まで真面目に見てたこっちが悪いんだろうなと思いつつ、こんな低俗な頭の中の奴につきあってきた自分がバカみたいだし、全部をひっくり返されてしまった気分。いや、メカは正直カッコいいですよ。でもエロとかギャグとか何これ、引くわ~ってレベルで興醒めも良いとこでした。
ここで一つ、勝手な妄想をして良いですか?
何の根拠もない私が勝手に考えたあくまで妄想話です。
今回、カガリ役がこれまで演じてきた進藤尚美さんから森ななこさんへ変更になったじゃないですか。公式発表の上では一方的なものではなく、監督と遠藤さんで話あった上で今回はこういう形になりました。というものでした。
ここからが私の妄想話。
「殺されたから殺して、殺したから殺されて、それで最後は本当に平和になるのかよ!」とか「逃げるな!生きる方が戦いだ!」とか私は本気で演じたんです。その先にあるのがこんなエロ妄想とかだったんですか?私は今回の脚本に納得できません。こんなのあんまりだと感じるので、今のままの脚本のならこの映画のカガリを演じたくないです。と遠藤さんが思ったとしましょう。何度も言うけどあくまで私の勝手な妄想。
納得してもらえないならそれは仕方ないです。今回は残念だけど他の人に演じてもらいます、みたいなやりとりが仮にあったのだとしたら、私は遠藤さんの考え方を支持する。
作り手はパンツ脱いで、これがガンダムSEEDなんだって本当に上手くやったと思う。深刻ぶって嘘をつくより、最後だから本音出してしまおうっていうのは良いと思う。でもやっぱり過去を真剣に見てた身としては、あ~あ結局SEEDってこんな程度のものだったんだ。これまで真面目に考えてきて損したなっていう気持ちにさせられました。
ただ、やっぱりガンダムですから、MS(プラモ)やキャラをただ消費するだけっていうのも商業作品としてはそれは一つの形だと思うし、それは「ビルド」シリーズがプラモのバリエーションを売る事だけに特化したのと同じで、ガンダムだからって高尚な顔をする必要は無いし、こうしてIQ低い物の方が受け入れやすい人は沢山居るだろうし、作品ごとの住み分けが求められる今の商品としては面白い事をやってきたなと素直に思います。
だって私、元々ズゴックとか大好きですから。ズゴックの魅力ってね、機械獣的なモンスター身と、一見して丸っこいコミカルさと、それで居て兵器が人型である必要は無いというロジック的なメカニカルさを併せ持つ所が魅力なんです。
流石にあの中にジャスティスは入らないでしょとは思いつつ、コミカルでありつつもカッコいい、しかも赤いズゴックの活躍とか、意外性とカッコよさの両面があって素直にそこは大好きです。元からアスラン押しでもありますし。
ギャンもカッコ良かったし、ラスボスはまさかのビギナ・ロナ。いや正確には白いブラックナイトなんですが、これビギナロナじゃん!って思いながら見てました。ガンダムじゃないけど素直にカッコいい。
他にも、あの機体が再び!みたいなのが、次から次へと出てくるし、かませポジション、リガズィポジションのライジングフリーダムも何気に普通にカッコ良くて、プラモ作りたくなる見せ方の上手さがありました。
そしてMSだけじゃなく、キャラもあの人が再登場!みたいなのが多くって、特に出す必要も無かったであろう旧ミネルバのクルーとか、シホ・ハーネンフースまで登場というサービス具合。シホさん出すなら玉置成実の曲も劇中で使ってやれよと思ったけども。
でね、そんなサービス大盛りなのに、外伝キャラとか一切出さない徹底ぶりがちょっとおかしかった。「Z」の劇場版に「AOZ」のヘイズルとか紛れ込ませたりかつてはあったじゃないですか。ああいうのありそうなもんだけど、福田監督、リマスターのOPでもアストレイ消したらしいですし、もう大嫌いであんなの眼中に入れたくもないんだろうなと。外伝の分際で本編を散々コケにしてましたし、目に余る酷さだったからなぁ。
フリーダムが日本刀みたいなのを持ってたのがアストレイ要素と言えなくもないけど、今回はビームも防ぐ敵でしたし、実剣装備は必須ではあったのでしょう。
私はガンダム全部見るおじさんなので、仮にこの先もあったとして結局見ると思いますが、一応は区切りとしてね、まだこの世界を見ていたいなとは思わせずに、もうSEEDはこれで終わりでいいやって気分で卒業させてくれたのはある意味ありがたいです。
上位概念を越える更に上位の存在とか、そういうインフレを始めるとそんなの無限に上が出るだけで作劇の手法としては低レベルだし、真面目に向きあうのもバカバカしい話なので作品として評価する部分は無いですが、商品としてはちゃんと魅力があったし、ガンダムでそれをやるのは間違って無いと思うので、まあこれはこれでという感じです。
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