僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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虐殺器官

虐殺器官 [レンタル落ち]

監督・脚本:村瀬修功
原作:伊藤計劃
日本映画 2017年
☆☆☆★

 

<ストーリー>
9.11以降、テロとの戦いを経験した先進諸国は、自由と引き換えに徹底的なセキュリティ管理体制に移行することを選択し、その恐怖を一掃。一方で後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加。世界は大きく二分されつつあった。

ラヴィス・シェパード大尉率いるアメリカ情報軍特殊検索群i分遣隊は、暗殺を請け負う唯一の部隊。戦闘に適した心理状態を維持するための医療措置として「感情適応調整」「痛覚マスキング」等を施し、更には暗殺対象の心理チャートを読み込んで瞬時の対応を可能にする精鋭チームとして世界各地で紛争の首謀者暗殺ミッションに従事していた。

そんな中、浮かび上がる一人の名前。ジョン・ポール。数々のミッションで暗殺対象リストに名前が掲載される謎のアメリカ人言語学者だ。彼が訪れた国では必ず混沌の兆しが見られ、そして半年も待たずに内戦、大量虐殺が始まる。そしてジョンは忽然と姿を消してしまう。彼が、世界各地で虐殺の種をばら撒いているのだとしたら…。ラヴィスらは、ジョンが最後に目撃されたというプラハで潜入捜査を開始。ジョンが接触したとされる元教え子ルツィアに近づき、彼の糸口を探ろうとする。

 

ルツィアからジョンの面影を聞くにつれ、次第にルツィアに惹かれていくクラヴィス母国アメリカを敵に回し、追跡を逃れ続けている“虐殺の王”ジョン・ポールの目的は一体何なのか。対峙の瞬間、クラヴィスはジョンから「虐殺を引き起こす器官」の真実を聞かされることになる。
(公式HPより引用)


閃光のハサウェイ」の予習として。
村瀬修功と言えば私の中ではやっぱり「ガンダムW」のキャラデザと、「F91」の作画監督のイメージ。(確か「あれ、セシリーの花なんだよ」辺りからの安彦オマージュっぽいラストカット部分は村瀬さんの原画だったような記憶が)後は「ウィッチハンターロビン」で、へぇ~監督もやるんだって思ったくらいで、近年のキャリアとかほとんど知りませんでした。

 

軽く調べてみると、割とリアル志向の方に流れて行ったって感じなのかな?今回の作品は監督だけでなく脚本もやってるし、テロの話なので、ああなるほどこの作品があった上で「閃ハサ」も任せられたのか、と納得行く感じでした。先行15分だけでも雰囲気が凄く似てますね。ここまで洋画っぽい感じは過去のガンダムでもあまり無いので、映画好きな私には割と合ってそう。アクションもリアル志向っぽいので、ガンダム的なMS戦とかどうなるのかはわからないけども。

 

ガンダムの話はここまでにして、虐殺器官の話に戻る。
私がいつも楽しみに見てる&参加してるニコ生のマクガイヤーチャンネルでも伊藤計劃って以前にも何度か話題になってた気がするのですが、伊藤計劃に関しては完全に知識ゼロの状態で観ました。

あ、前半無料部分だけですが閃ハサ予習回もyoutubeで無料で見れるんで是非。私も結構コメント拾えてもらって楽しかった。

 

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で、「虐殺器官
凄く頭でっかちな理論と、リアリズム重視のSF要素とかガジェットとか、なるほど確かにこれオタク界隈では人気が出るのも頷ける感じ。

 

言語学って私は全くのド素人なのですが、ドゥニ・ヴィルヌーヴの「メッセージ」とか、凄く新鮮に見られてとても面白かった。言葉にはロジックがきちんとあって、その秘密と言うか本質を理解すれば、言語で世界を動かせるっていう設定が面白い。

 

虐殺の歴史を繰り返してきた人間には本質的にその性質が備わっていて、そこ=虐殺器官を刺激してあげれば、戦争なんか簡単に起きると。兵士として痛覚をマスキング(コントロール)してるのとそれは大差無いし、兵士がナノマシンでやってる事を自分は言葉のロジックでやってるだけだよ、という対比や発想は面白い。

 

で、多分なんですけど、そもそもの人間に備わっているその「虐殺器官」って、コンラート・ローレンツとかから広まった、人間の狩猟本能と集団化による調整機能、集団が増えすぎると同族であっても間引きする、みたいなものは人間が本来持ってる機能なんだよ、的な所から来てるんだと思うんですが、当然私はコンラート・ローレンツなんて人の学説は読んだ事がありません。

 

ええっとね、メチャメチャ本当に偶然なのですが、私は森達也というドキュメンタリー作家が好きで、丁度今「虐殺のスイッチ」という本をちょこちょこと読み進めていたのでした。そこに書いてあったのよ。(読み終わったら感想書きますが)

 

で、「閃光のハサウェイ」が公開されるから予習で「虐殺器官」観ておこうって、偶然にも虐殺のメカニズムを描いた作品が重なってしまった。

 

なので、おそらく「虐殺器官」のアイデア元になってるであろう考え方の源流がちょっと見えてしまった。そのコンラート・ローレンツさんの学説も今は割と否定的な意見の方が多くて、あまり信憑性のある感じでは無さそうな所。

 

ただそこはSFとして割り切って見れば、虐殺器官というのは人間に元々備わっている機能で、だからこそ過去の虐殺の歴史があるし、そこを刺激してあげれば人はかくも愚かに戦争をしてしまうんだよ、というのは話としては面白い。

 

ただそれをね、話のオチとしては、自分に戦争が降りかかるのは嫌だから、TVやモニターの中でしか知らない世界のどこかで意図的に戦争を起こしてある意味での世界にとってのガス抜きにしている、という風に行くのは、流石にそれはちょっと漫画チックな落とし所かなぁ?という気がしました。

 

ディストピア管理社会の行く果て、という部分と、自分の知らない誰かが死んでも何とも思わない人間の身勝手さ、みたいなものはテーマとして凄く面白かったけれども。

 

社会派ハードSFとしては凄く良いし、その点では凄く面白かったのですが、じゃあ何故主人公は最後にああいう選択をしたのかとか、ジョン・ポールの理屈・理論の対極として何があるのか、みたいな所も同じくらいの何か理由が欲しかった気がする。

 

結局人間は自分の見たいものしか目に入らない、的なとことか、理屈はわかるけど自分はAmazonで買い物してビッグマックを食いきれず残す世界を守りたいんだよってのは、まあ反論しがたい。いや食べ残しは良くないけどさ。顔も名前も知らない人の悲劇を嘆くより、楽な社会を維持したいってのは耳が痛いけど自分もそこはなびいちゃうよなぁ、とは思ったり。

もはや日本も先進国じゃなくなって格差の分断社会になりつつありますけども。

 

閃光のハサウェイ」の予習で観ましたが、伊藤計劃の他の作品も何本か映画化されてるみたいなので、そっちもちょっと見てみたくなったかも。


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