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機動戦士クロスボーン・ガンダム 鋼鉄の7人

機動戦士クロスボーン・ガンダム 鋼鉄の7人 (1) (角川コミックス・エース (KCA2-12))

MOBILE SUIT CROSS BONE GUNDAM STEEL7
漫画:長谷川裕一
刊:角川書店 角川コミックス・エース 全3巻 2006-7年
☆☆☆☆☆☆

 

短編集「スカルハート」に続いて「鋼鉄の7人」
いや良い。久々に読み返したけどホンっとに良い。

 

キャラクターの死とかで泣かせに来るのは反則だよなって思う部分はあるし、何もそこだけじゃないよって思うのは思うんだけど、その反面、命をかけてまで戦う姿ってやっぱりガンダム見てて、言葉は悪いかもしれないけど、面白い部分だったりするのは確かだし、「クロスボーンガンダム」っていうガンダムシリーズの一つとしてやってる以上、歴史とかMSの開発系譜も勿論だけど、ガンダム的な面白さって何だろう?みたいなものにもちゃんと向き合って、さらにその上で「クロスボーン」らしさをきちんと主張してくるのが本当に長谷川裕一は凄い。

 

他の作品や作家を下げても仕方ないとは思うんだけど、正直他の大半のガンダム漫画は「ガンダムっぽさ」の表現に終始しちゃってて、それに対して自分はこう思うぞっていう主張がほぼ入らない。ここの差って結構大きい気がするぞ。

 

「鋼鉄の7人」というタイトルは勿論、黒澤明七人の侍」に端を発する、西部劇リメイクのジョン・スタージェス「荒野の七人」なんかから続く、パロディーやオマージュ作品の「7人の○○」みたいなものの系譜として、ガンダム版として「MSの7人」をやってみたいという所でしょうか。ただ、その大枠だけで、設定とかテーマとかはそっちからは引っ張ってはきていない印象かな?一部パロディーシーンはやってたけど。

 

七人の侍」も「荒野の7人」も私観ましたが、相当に前なのであんまり詳しくは憶えていない。「七人の侍」は3時間くらいあって長いんだけど、敵を倒した数を×印つけてわかりやすくしてあったりと、エンタメ業界にわかりやすさみたいなものも導入した走りでもあったのかな?とかちょっと変わった印象も持ちました。

 

それはともかく、「クロスボーンガンダム」本編で討たれた木星総統クラックス・ドゥガチの後を引き継いだ新総統カリスト兄弟の「神の雷」計画を阻止する為に、選ばれた7人が決死の戦いを挑むという、単純と言えば単純な話。ちょっと「アルマゲドン」っぽさもありますね。

 

木星からのコロニーレーザー攻撃という、超・長遠距離攻撃。コンマ1ミリでもずれてしまえば地球には当たらないものの、光の屈折が全く無い宇宙空間では必ず直進して絶対に曲がったり届かないという事は無い。理論上は可能である、と言う辺りに長谷川のSFマインドがあって非常に面白い。

 

しかもそこにガンダム設定らしく、ニュータイプの(いや今回はVガンの時代に合わせてサイキッカーという言葉を使ってあるけど)共感能力で距離を越えた通信的なものが可能になっているという、まさしくガンダムにしか出来ない部分で上乗せしてある。

 

これがね、ただの超・長遠距離攻撃なら普通の人でも思いつくのよ。「ガンダムF90」でも火星からのレールガン攻撃だっけ?そんなのあったし。そこに時間や速度を超越したNT的な思念を絡めるアイデアですよね。しかもそこでその思念さえも
エウロペさんの思念が読まれていた、ってストーリー上のロジックとして落とし込んであるのが凄い。

 

長谷川漫画が嫌いな人は好き勝手やってると思いがちですけど、SF的な発想にガンダムで描かれた設定をロジックとして組み込む、というのが長谷川ガンダムの特徴で、一番の面白味だと私は思ってます。

 

無印の時にも書いたけど、シーブックのその後が出てくるからF91の続編なんだとか、クロスボーンガンダムの型式はF97だから繋がってるとか、そういう表層上の部分だけでは、決して無いというのは強く主張しておきたい所。

 

プラモでしかガンダム知らないとか、それはそれでマーケットとして成立してるし、新しいガンダムが次々と作られている土台にもなっているんだから否定しても仕方ないけど、良かったら作品としても触れてあげてほしい。こんなに面白いのに、という気持ちはやっぱりあったりする。

 


「神の雷」計画は秒読み段階まで進行していた。発動まで数週間しか無い。が!地球圏から木星までは通常数カ月はかかる。もはや止める事は不可能なのか?というタイムサスペンスを提示しておいて、ミノフスキードライブユニットなら理論上は亜高速まで到達可能。それならあるいは・・・と言う展開ですが、ガンオタにとってミノフスキードライブで最初にイメージするのは当然「V2ガンダム」けどVガンはクロボンよりも後のこの次の時代。そこで出てくるのがプロトタイプのF99レコードブレイカー

 

そうか、V2ガンダムは完成して無いけど、プロト機があったのか!からの・・・全滅。もはや手立ては無くなったと思いきや、小型MSに搭載という部分では無く、そもそもの大型ユニットとして無印での母艦だったマザーバンガードの帆がミノフスキードライブユニットという設定が元々あった。マザーバンガード自体は先の大戦で失われていたが、折れた帆の部分のみ、実はアナハイムが回収して実験を行っていた、という展開も流石。

 

サナリィ社員としてVガンからオーティスさんとかミューラ・ミゲルなんかも出して時代のリンクを感じさせつつ、自前のクロボン本編からネタをサルベージしてくるという面白い展開。

 

あと、附言されてないけど、アナハイムがサナリイに技術的に先を越されて、サナリィのコピー技術を使ったりしてるのも、「シルエットフォーミュラ」を彷彿とさせる展開ですよね。

 

そしてイカロス攻防戦。最終決戦のシンヴァツ攻防戦にも繋がる、一撃でも対象物にダメージを与えたらその時点で勝敗が決してしまう、という「作戦」がきちんと描かれてるのが素晴らしい。実はガンダムシリーズってここを描くのが正直あまり上手く無いなと感じていて、いろんなシリーズで要所要所で「ナントカ作戦を決行する!」って結構あるけど、概要がぼやっとしてて正直よくわからんものが多い。どういう意図で何をすれば勝敗が決まるのかっていうのを見る方が理解して無いとサスペンスってそもそも成立しません。

 

「よし、もう少しで行けるぞ」だったり「あぶない!」とヒヤヒヤしたりするのってその攻防戦のロジックを理解してるから受け手側がドキドキ出来るわけで、この辺りの描き方が長谷川裕一はホントに上手い。その上でコルニグス戦とか、MS同士の戦いも別ベクトルで進行させてある。しかもそこに色々なキャラクターのドラマを絡ませつつだ。

 

いわゆる外側の部分だけが語られがちな作品ですけど、鋼鉄の7人って「何故戦うのか」みたいな所もテーマとして描かれてて、ここが個人的には一番の見所だと思う。

 

「戦いの根源は怨恨に根差している」ってのが「0083」でありましたし、ファーストガンダムの時点でアムロララァの密会場面で「何故あなたはこうも戦えるの?あなたには守るべき場所も家族も無いのに」「守るべきものがなければ戦ってはいけないのか?」「それは不自然なのよ」っていうのが描かれました。


ララァは自分を救ってくれたシャアの為に戦うっていう人でしたし、無印のクロスボーンではクラックス・ドゥガチの根本は結局は怨念だったわけですよね。だからトビアの「安心したよドゥガチ。あんたは心の歪んだだけのただの人間だ」って所に着地したのが面白味でした。

 

その辺りに関してのアンサーを意図的に描こうとしたのが「鋼鉄の7人」という作品になってるんじゃないかと。

 

まずは主人公のトビア。
無印の時はボーイ・ミーツ・ガール的な物語の要素もあったので、ベルナデットの為に、っていうのが原動力としては大きかったし、今作でもその要素は勿論残ってはいる。でも、あの時よりもちょっと大人になって成長したトビアなんですよね、今回。そこがもうメチャメチャグッと来る部分です。

 

キンケドゥには頼らない、という選択肢をとるのは、シーブックとかセシリーはあくまで富野キャラなので、富野の手を離れた後のクロスボーンではそこは勝手に動かしにくい、という別の理由もあったようではありますが、トビアがもう少年から自立した大人になったっていう証明でもあるんですよね。だからこそ失恋という「喪失」も作中で描く必要があった。もう純粋無垢でイノセントなだけではいられないっていう通過儀礼みたいなものです。

 

だからこそほぼ生還率ゼロの戦いに他人を巻き込む事が出来る。敵の木星兵士でさえ救える時には救うっていう選択肢をとってきたトビアが、おそらくは死ぬであろう戦いに人を巻き込む。

 

で、トビアのかわりに最年長のスズキさんが言うのよ
「まずは・・・ありがとう!こんな命知らずな作戦に参加してくれて!
そしてこの作戦の生存率が限りなく0に近い事を知った上であえて言おう!
諸君の命などいらぬっ!生き残れ!以上だ!」
がもう泣けて泣けて。

 

08小隊」で「全員生きて帰れ」って言った甘ちゃんのシロー・アマダとか、逆に「みんなの命をくれ」って言った逆シャアのブライトさんとかともまた違うニュアンスですよね。

 

で、トビアの戦う理由って何なのかと言えば、安っぽいヒューマニズムも勿論あるし、本人に聞いても実は答えなんか持ってなかった上で、他人からは脊髄反射で動いてるだけのネコと一緒だよって笑われたりする。


でもそこじゃないんですよね。自分がやるべきだと思った事を自然に感じとって、ただ精一杯生きる。それが本来あるべきニュータイプの姿なのかもしれないし、或いは無印クロボンで描かれた、NTとはまた別の人間としての進化とも言える。(だからこそ次作の「ゴースト」で別の進化としてフォントを描いたわけで)

 

毎作「これで完結・最終回のつもりで描いてる」という長谷川のコメントも別に嘘ついてるわけじゃ無くて本心だと思うんです。だからこの時点での「ニュータイプ」あるいは「ガンダム」という作品そのものに対しての長谷川なりのアンサーがここにある。だから毎回、今回はこういう答えを出してきたのかっていう面白さが凄くあって、私はとても好きです。

 

次は先ほど触れた、ミノル・スズキさんについて。鈴木みのるってプロレスラーが居ますけど、何か関係あるのかな?たまたま?
で、ミノルさんもメチャメチャ良いキャラしてます。これってウモンじいさんでも良かった気はしなくもないんだけど、あえて新キャラで来たのにも意味はあるのでしょう。

 

アクシズショックを少年の頃に目撃して地球連邦に入る。パイロットとしての技術はあったものの、何分その後に大きな戦争は無く、実戦経験無しのまま教官職になっていた。がコスモバニロニア戦争が起き、多くの部下を死なせる結果になってしまい、失意から退職。サナリィで実験機のパイロット指導者になっていたと。

 

そこでも今回の木星軍襲撃でユリシーズとヨンという二人の若いテストパイロットを死なせてしまった。今回の「鋼鉄の7人」作戦の実質的な指揮官につくわけですが、おそらくは償いなのでしょう。若い命を散らせてしまって、年老いた自分だけが行き残るは違うはずだと。今度こそは自分が命を捨てる時なのだと。だからこそ皆に生き残れって願いを託す。

 

が、残酷にも今回の戦いでミノルさんは生き残ってしまう。若い命が散っていった中でのローズマリーとミノルさんのやりとり
「人間、生きたいだけ生きられる奴も死にたい時に死ねる奴も滅多にいやしないんだよ!生きていこうぜ、今までもそうしてきたように。どうせそれしかないんだ」
「うん うん そうだ、そうだな。それしかないのだな」
っていうね、ミノルさんの「うん うん」って言い方がまた号泣ですよ。

 

多分ここもね、「Vガン」に対するアンサーだと思うんですよね。「子は親を越えるものです。親は子を生み、死んでいくものなんです。その心理を忘れたこの作戦は最初から破れるものだったんですよ」ってVガンですが、老いさらばえた老体で情けなく生きるよりも、若者の礎となって死んでいく老人、みたいなものがカッコいいっていうのがおそらく富野の中にあって、勿論自分はそう出来なかったっていう思いが劇中で美化して描いてあると思うんですけど、(リーンホース特攻のとこね)富野って実際に子供の頃に戦争を経験してるわけですから、あの時代の人って、やっぱりあの時代の人なりの生死感があってそこは否定したって仕方無い部分ではある。(生き残ってしまった人の葛藤とか、死を覚悟してたけど死ねなかった人の感覚とか色々あるのは象像できる)

 

けど、戦後生まれだとなかなか理解しがたい部分ってのもやっぱりあって、私もリアルタイムで「Vガン」にはメチャメチャハマって一番好きなガンダム作品ではあるし、若かった当時はねリーンホースで特攻するおじいちゃん達を見てて、そう、若者の為に礎になって死んでいく事が正しい事なんだって思った事も多少はありました。けど、自分もおっさんになると、ちょっと美化しすぎかなぁ?と思う部分も出てきて、今回のミノルさんの描き方とかの方がメチャメチャしっくりくるように感じられました。

 

人生、思った通りになんかなかなか事は運ばない。けど、それでも生きて行くしかないんだ、っていうのが物凄く響いてしまうわけです。


悔しくて、情けなくて、どうしようもないけれども、それでも生きて自分のやれる事を精一杯やるしかないんだよ、というメッセージは心に響く。そこに年齢なんて関係は無いんだと。

 

そして次はミッチェル・ドレック・ナー。
F99レコードブレイカーのテストパイロットだったものの、同僚の二人を失い、MSの操縦桿を握れなくなってしまう。大柄な体躯の割にメンタルが弱いというギャップのキャラですが、また彼も最後には勇気を振り絞るっていうのがメチャメチャ良いです。

 

私は自分に重ねやすいからか、弱虫が勇気を振り絞るというシチュエーションが昔から凄くツボで、彼にも泣かされました。基本、皆自分なりの信念を持ってる人達の中で、彼だけは最後の最後に覚醒するんですよね。皆と同じようにはなれない、でも今自分が出来ることを懸命に見つけようとして、最後に自分の殻を破ると。

 

「鋼鉄の7人」は過去のシリーズがあってのやっぱり「続編」ですので、少年漫画的な成長が入りにくい中で、そこをドレックに託してる辺りが面白い部分です。作りとしてもよく考えてありますよね。あえて言うならベルナデットも成長要素ですが、そこは裏の軸にはなりえても、表の軸ではない感じなので、地球の話でこの二人を絡ませてる辺りも面白い。

 

続いて流れでハリソン・マディン。
ミノルさんの弟子で「青い閃光」の名は受け継いだものだったと明かされますが、「鋼鉄の7人」には参加しませんでした。

 

でも彼は彼で、連邦軍の中から自分が出来るだけの事はやる、っていうのが大人で素晴らしい。この人も自分なりの戦いをやったって十分に言えます。

 

そして今度はデス・ゲイルズの3人にも触れておきましょうか。つーか3期編成2部隊+指揮官機という7機で、片方はデスゲイルズの3人、もう片方はF90、F91、F97とFナンバーの機体でチームを組ませるっていうのがメチャメチャ粋で素敵です。

 

まずはバーンズ・ガーンズバック
元から3人の中では一番理解のある人でしたが、トビアに亡くした自分の息子の事を重ねていて、自分は参加するがトビアは降りろ、と言いつつ、それを聞くような奴じゃ無いっていうのも知ってるというのが良いじゃないですか。

 

息子の面影は見つつも、トビアはトビアだって認めてるし、トビアにとっても父親的な存在ではありつつ、個人として認めてると。

 

そして次はギリ・ガデューカ・アスピス
こいつもメチャメチャ面白いキャラでした。実質神の雷作戦を成功させたのはギリでしたし。無印の時は無垢な心を持つ嫌な奴って感じで、まさしくトビアのライバルでしたが、天才肌で要領良く地球でも暮らしてたと。(不器用なバーンズと対極ですよね)

 

でも、昔からのプライドだけで作戦に参加。新総統カリストがギリと同じくかつてはカラス先生の門下だった中で、カリストがナンバー1でギリがナンバー2だったと。全員が地球の為に正義の為にとかではなく、怨恨とか怨念で戦うキャラも7人の中にちゃんと居て、実はそれが決定打にまでなりえる、っていう描き方もまた面白い部分でした。

 

最後まで強がりでざまぁみろって死んでいくギリも良かったし、その盾になるバーンズもまた良い。報われて良かったなぁと心から思います。そして最後に料理の事とか、変わらないトビアの事を一瞬だけ思い出すのもね、やりきったけれども、心残りとか無念な気持ちもあったんだというのがまた泣かせる。

 

デスゲイルズ3人目はローズマリーラズベリー
いやこの人もかわんないなと。ギリもそうですけど、地球の為とかそういうのじゃなく戦争!金もらえるならどこでもいくよっていう刹那的な生き方をしていて、でもそういう人が最後まで生き残るっていうね。

 

ある意味での戦争を扱ってる以上、正しさだけが「ガンダム」じゃないよ、っていうのを体現してるようにも思えます。正義が勝つ!だけではね、っていう。


そして「鋼鉄の7人」最後の一人エウロペ・ドゥガチ。
色々と翻弄されまくった悲しい人でしたが、作品としてはこの人がヒロインっていう扱いになるのかな。かつての恋人、そして後にトビアがその名を受け継ぐ事になるカーティス・ロスコへの償いですよね。

 

国の為にドゥガチの後嫁になる事を望んだが故に、ベルナデットが生きている事を知った時も、思わず攻めてしまう、というのが悲しい。ここも「何の為に戦うのか」ってういうテーマを背負ったキャラでした。

 

影のカリスト、光のカリスト
ここは影のカリストの描き方が上手いというか面白かった。自分の死を持って、地球壊滅を対等な価値だと思いこもうとしてるっていうトビアの論破がメチャメチャ強烈。

 

これ、「逆シャア」へのアンサーでもありますよね。シャアが自分一人が業を背負う事で地球寒冷化を正当な理由に仕立て上げて、その自分が死んだ時にこそ父ジオンの理想に殉職するんだっていう。勿論それもシャアの本心では無く立て前だったわけですけど、実はアムロに止めてもらいたかった、っていう。

 

光のカリストにも通じる部分ですけど、理論武装して自分を誤魔化してる部分って言うのがあって、ようは心のどこかに迷いはあるんですよね。が、それに対するトビアは迷わない、やるべき事をするだけだっていうのが周りにも伝わっていくと。ここがこれまでのニュータイプとは違う、新しいニュータイプ像でもあるというか、長谷川の昔からの一貫したテーマですよね。過去にとらわれず、未来へ進んでいくんだっていう。

 

「それでも・・・ただ進んでゆくんだ
 鋼の心で 風のように 傷ついても、血を流しても、ただずっと・・・
 それがトビアが見つけた“生きる”ということの答えだから きっと」

凄い。そして泣けてくる。

 

クソ長くなってしまいましたが、せっかくなのでメカも少し語っておこう。全3巻で1巻ごとに月、地球、木星と上手く舞台が変わっていくんですけど、ここ凄くMSの乗り換えがあるんですね。


トビア(スカルハート→パッチワーク→フルクロス)
ミノル(F99→F91→F90I)
ドレック(F99→ジェムズガン→F91)
ギリ(量産型クァバーゼ→ビギナギナII)
バーンズ(ジェムズガン→バーラトトゥガ)
ローズマリー(スピードキング→アラナアビジョ)


と、一つ一つの戦いも非常に濃厚で面白い。

長谷川らしく、そのMSの特徴を生かした戦い方で、ただビームを撃ち合うだけでなく、ちゃんとロジックありきの戦い方ってのもやっぱり徹底してるのでメチャメチャ面白い。

 

唐突に関係無い話しちゃいますけど、先日ちょっと公式配信で「無敵鋼人ダイターン3」の1話を見ました。実は富野作品でダイターンだけちゃんと見た事無かったんですね。90年代後半くらいにレンタルビデオでTVシリーズが色々解禁された時に他のは全部見たんですけど、確かダイターンだけ出てなかったので。(そういや富野は前半だけだけど「ライディーン」も見て無い)


スパロボとかでは使ってたので、それなりに知識はあったんですけど、やっぱり実際見ると違いますね。ダイターンザンバーとかは知ってましたが、敵が足の底からナイフ飛び出してきたり、ああ、こういうテイストをクロスボーンガンダムは取り入れてたのか、とか結構発見があって面白かった。

 

あとはラスボスメカのディキトゥス。読み返すとプラモ欲しくなってしまいますね。次の受付あったら買おうかな。
メカ解説の項目でも、手の形に変形するのは効率的なものではないって書いちゃってますけど、作中ではイカロスの翼をちゃんと掴むんですよね。メカとしては非効率かもしれないけど、作劇上はきちんと演出意図があるっていうのはとても良いです。

 

巨大な手で何か届かないものを掴みとりたいっていうカリストの精神性が表れてて面白いですし、それを打ち砕くトビアのフルクロスの最後の一手がブランドマーカーというのも最高にカッコ良い。

決め手がムラマサブラスターでもピーコックスマッシャーでも無いんですよ?


X3の装備を転用したフルクロスのIフィールド発生機のドクロを拳に装備して、相手のビームを打ち消す。この流れ自体は無印のディビニダド戦とか先のコルニグス戦を踏まえた流れ。そしてそれが砕けた瞬間に更に下からブランドマーカーで一撃。感情の乗った拳を叩き込むという、これぞクロスボーンガンダムだ!と言える殺陣というか、アクションの流れですよね。すげぇ。

 

ベルナデット・ブリエットとしてではなく、テテニス・ドゥガチとして、また彼女も自分のやるべきだと思った事に殉じるラスト。そこに現れたのはかつてキンケドゥがそうしたように、自分もまた愛する人の隣で支えていくんだとカーティス・ロスコの名前を語り・・・。

 

全3巻でこの密度。凄くないですか?
壮大なテーマもありき、SF要素もあれば、それをガンダム設定に巧妙に絡めてくるセンス。メカやアクションの要素も面白ければ、キャラクターの掘り下げまで深い。タイムサスペンスでもあり、この絶妙な構成力。

 

ぶっちゃけ、これアニメにしたら相当に面白くなるよなって想像できます。漫画読みながら、アニメだったらこんな感じになるかな?みたいに一つ一つのシーンを想像しながら読んでしまいましたもの。

 

これがひと昔前だったらね、ガンダムはオリジナルでしかやんないし、原作アリのやつってやんないでしょ、って思ってましたが、「ガンダムUC」はまあアニメ化を目指した企画だったとしても、「サンダーボルト」とか「閃光のハサウェイ」とか、原作をアニメ化しましたっていう企画が今は出てくるようになったじゃないですか。


「UC2」とか正直どうでもいいから、「クロスボーンガンダム」できれば「鋼鉄の7人」まで含めて、いつかアニメになる日が来るといいいなぁと思います。それ観るまでは死ねません。

 

長々と語ってしまいましたが、いかがだったでしょうか。(また1万字弱だぞこれ)
クロスボーンガンダムの面白さが少しでも伝わってくれたらこれ幸いです。

 

この調子で次の「ゴースト」語れるのか!?おい。

機動戦士クロスボーン・ガンダム 鋼鉄の7人 (2)

機動戦士クロスボーン・ガンダム 鋼鉄の7人 (3) (角川コミックス・エース 2-16)

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