僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ


www.youtube.com

Mobile Suit GUNDAM Hathaway
監督:村瀬修功
原作:富野由悠季
日本映画 2021年
☆☆☆☆★

 

「待っていたよ、クスィーG」


という事で昨年から延期が続いていた「閃光のハサウェイ」やっと公開になりました。待っただけの甲斐がありました。うん、震えた。
普段は「冒頭○分先行公開」みたいなのは見ない派、予告編だけに留めるタイプですが、「逆襲のシャア」の公式配信でそのまま流れたのでついつい見てしまいました。

非常にハイクオリティな作画で、その上物凄く富野リスペクトに溢れたセリフ回し。原作の富野由悠季は一切関わっていないからこそ、これは逆に新しいものが見れるんじゃないか?という期待があったわけですが、もうこれがドンピシャ!まさしくそここそが今回の作品の最高に面白い部分でした。

 

あ、一応最初にお断りしておきますが、一本の映画として素晴らしかった、とかではありません。サブタイトルであるとか、「第一章」みたいな肩書もついていませんが、一応これは3部作映画として作られると言う事はアナウンスはされてます。ただ熱心に情報を集めるようなファンとかでなく、なんとなく「へぇガンダムの新しい映画やってるんだ、せっかくだし一応見てみようかな?」みたいな一見さんを、敷居が高くなる3部作とは思わせないように、或いはどうせ途中で終わるなら完結してから見よう、みたいに思わせない為のちょっとズルイ策だと思われます。

 

あはははは、ちょっと耳が痛い。私も、元々自分が追っかけてるようなものならともかく、なんとなく興味がある程度のものだったら、どちらかと言えば、「じゃあ完結してからまとめて見るわ」と思っちゃう方。今回の「閃光のハサウェイ」もね、正直言えばまともな映画とは言い難いですし、感覚としてはドラマの1話目。導入編でしかありません。映画的に2時間或いは90分とかで起承転結のあるようなものではない。

 

つーかさ、私は昔からずっと言ってるけど、ガンダムって所謂そういう普通の映画って、1本も無いんですよね。「逆襲のシャア」だってやっぱり過去のアムロとシャアの因縁を知ってるからこそ楽しめる作品であるし、「F91」は単品映画には近いんだけど、実質TV用のストーリーを短く纏めたような作りだし、単品映画としての完成度はあまり高くは無い。他のガンダム映画とかもそうだけど、どれも面白いし、映像作品としては素晴らしい物はいっぱいあるけど、結果的に映画館で上映された作品だからカテゴリーとして映画って事になってるだけで、見る側に何の前提も無く、それ単体で成立する一本の映画って何も無いのが現状。

 

最近は深夜アニメ完結後の劇場版アニメ作品とかも多いですが、例えばジブリだの細田守だの新海誠だのとの作品とはそういう意味でやっぱり単体として成立する映画なのかどうかって部分では違ってくる。

 

逆に言えばガンダムだってそこは前例の無い部分だから、チャンスだと思うんだけどなぁ。ガノタであると同時に、一応はシネフィルのはしくれでもある私はその辺はちょっと気になる部分。

 

なのでまず最初に言っておく事として、単品で楽しめる映画として素晴らしい物ではなく、あくまで連続ドラマの一本目として見た時にメチャメチャ面白い作品だったな、という感じです。

 

勿論、そういういわゆる普通の映画なんて言ってるものであっても、何も完璧な完成度が前提なのかと言われると実はそんな事は無くて、色々ツッコミ所は多いけど、あのシーンだけは他ではこれまで見た事の無い凄い部分だったから、それだけでも十分な価値のある映画だ、なんてのはザラにあるので、あんまり深く考えてもしゃあないのですが。

 

で、ここからはシネフィルであると同時にガンオタ、或いはかつて富野に魂を惹かれた者としてのファン目線で語ります。

 

まずは「閃光のハサウェイ」という作品と私の出会い。中学校の頃だったかと思います。アニメじゃない、小説でしか読めない、小説でしか出てこないガンダムがあるんだよって友達が教えてくれて、小説を貸してくれたんですね。

 

時代的には「ガンダムセンチネル」の方が先ですし、プラモは出てたのでおもちゃ屋でそのパッケージとかは見てたし、センチネルは割と早めにSDガンダムの方でMSは知ってました。でも「閃光のハサウェイ」は権利的なものなのか、SDガンダムとかそういうのでも使われるようになったのは、ずっと後年になってからですよね。まさしく小説でしか読めない、自分の知らないガンダムだったわけです。

 

どんなガンダムが出てくるんだろう?読みにくい文体で書かれた小説を頑張って読んだ中学生の頃の私。ええ、さっぱり理解できませんでした。


当時はガンダム好きだと言ったって、ほとんどMSにしか興味がありませんでしたし、大した戦闘シーンがあるわけでもない「閃光のハサウェイ」は異形のデザインのMS絵だけが印象に残る、よくわからないガンダムだった、っていうぐらいだと思います。閃ハサでよく語られるオチも、別にハサウェイに感情移入なんかさっぱりなかったので、ふ~ん、こういう話なのね、以上のものはありません。むしろブライトさんだけは知ってるキャラだったので、ブライトさんはどんな気持ちになったのかな、ぐらいに思ったのはおぼろげながら思った記憶があります。

 

で、後は大人になってからです。「クロスボーンガンダム」の記事にも書きましたが、その当時に見れたアニメのガンダムや富野アニメは全て制覇した。でもまだまだ食い足りないよ~って後は漫画とか小説も全部を制覇しようとなってた時期があったんですね。で、小説版とかも全部を読みました。


閃光のハサウェイ」もこの時に改めて読み返してるはずです。あまり深くは憶えて無いですが、確かこの時の印象としては、映像作品だと色々なしがらみとかもあって、全部を自分の好きにやれるわけではないから、自分一人でやれる小説でやってやろう、的な作品なんだろうな、ぐらいの印象でした。同時期ならむしろ「ガイアギア」の方が好きだったかな。

 

ガンダム以外の富野小説も全部集めて読んだし、「Vガン」「ブレンパワード」「∀ガンダム」「キングゲイナー」辺りの時期が、この辺りの自分の経験とも重なって、メチャメチャ富野信者としての私のピークです。富野、最高だなぁと。

 

今でも勿論、富野は大好きですが、大体ここで読みつくしたりしたのと、この後の「リーンの翼」「新訳Z」近年の「Gレコ」辺りはペースも落ちてきたし小説とかも出なくなってきましたし、私もまあますますおっさんになって、逆にずっと広い視野を持つ事が出来るようになってきたと。

 

富野に対する視点も、あこがれの先生、人生のお手本を教えてくれている尊敬すべき心の師匠、的な存在から、ただの面白い偏屈なじいさん的に思えるようになってきたと。Gレコ見ててもね、面白いのは面白いんだけど、これは伝わらねーわな、と思えるようになってしまった。

 

富野由悠季という人はね、確かに偉大な人だし、最高に面白い人でもある。でもね、この人ってちょっと可哀相な人なんだよな、というのも見えてきた。永野護がね、自分は富野さんに育てられた部分もあるし恩義も感じてるから、堂々と富野さんに意見もするし、本気で喧嘩するよって昔言ってたんです。こういう人ってね、実は物凄く貴重。

 

「それは違うんじゃないの?」って堂々と正面から言ってくれる人って実は凄く貴重な存在ですよね。やっぱり人間って批判されるとあまり良い気分では無いとは思うし、なるべくならそういうのは避けたい気持ちというのは誰にでもある。特に今の時代の若い子なんかはちょっとキツイ事を言ったりするとすごく打たれ弱いっていうのはよく耳にしますし、私も仕事なんかで中間管理職とかやってると、その辺は凄く感じる部分ではある。勿論、時代が違うんだから昔の価値観をただ押しつけるというのはNGだし、その辺に関しては話をして互いに歩み寄るのが一番大切じゃないかなと私は思ってたりする。

 

まあそんな話は置いといて、富野由悠季という人の周りには、そう言う永野護みたいな人がほとんど居なかった。そこは富野が性格的にどんどん排除していった、という悪い部分もあるかもしれないし、富野は自分の事は差し置いて下の世代にもダメ出しばかりしている怖くて近寄れない人ってイメージがついたのもあるんでしょう。

 

でもね、そういう人が周りに居なかったから、今でも独りよがりになってる。だから作品も独りよがりなものになる。でも富野本人はそれに気付かない。おかしいな?理屈や理論の上では間違って無いはずなんだけど、なんでこれが世間には理解されないんだろう?と思ってる。Gレコも、本人的にはあれで受けると本気で思ってるんですよ。だからとても哀れな人に思えてくる。

 

イデオン」の時にリンク張った「WOWWOWぷらすと」って番組でも指摘されてたけど、富野の喋り方って物凄く孤独な人の喋り方をするんですね。自分で先に行った事に対して、それはつまりこういう事です、と自分で説明する。これ、やっぱり典型的な、周りに誰も居ない人の喋り方ですよね。


正直ちょっと可哀相な人だなと思う。それが作品にも表れてしまっているし、私みたいに無責任に傍から覗いてるだけの人にとっては、そこもまた富野らしさとして面白い部分ではあったりする。

 

宮崎駿鈴木敏夫が居たり、押井守は自分を抑えて商業性重視した作品の方が面白かったり、富野にもそれをコントロールしてくれる人が居た方が、実はもっと世間には評価される作家になってたでしょう。

 

大河原邦夫「メカニックデザイナーの仕事論」にもあったんですけど、大河原さんと富野さんって仲悪いんですか、ってよく聞かれるって、本当に仲が悪かったらその後に何度も仕事してないよ、お互いにプロだと思ってるからそこは好きじゃないって互いに素直に言えるし、ベタベタした関係は無いけどそこは互いに認め合ってるよ、的な事を言ってました。多分、安彦さんも似たようなスタンスでしょう。湖川さんはちょっと違う印象だけど、ビジネスパートナーというような立ち位置とはまた違うし、変な話、イデオンでこの二人は互いにもうこれ以上は無いくらいまでやったというのもあるでしょう。

 

富野由悠季が若い才能に嫉妬したりダメ出しをするのは、実は自分もそうしてほしいからです。ただこれがファンからのダメ出しとかだと、流石に素人意見ですし、富野が認めた、自分でこの人凄いなって思う人からのダメ出し、じゃないと聞けない。ここが富野のウイークポイントだったりする。それが無いから言葉にしても作品にしてもひとりよがりなものになってしまっている原因。これね、サンライズ側に敏腕プロデューサーでも居ないと難しいし、今更そこはちょっと厳しいですよね。

 

そこ考えると永野護って実は貴重な存在だったんだけど、彼は彼で富野のパートナーでなく、自分の世界を表現する方に行っちゃったし、その後に福井晴敏とか本広克行とかが出てきてもね、彼等は批判的な目で富野作品を捉えるよりファン目線で作品を作っちゃってるから、ただの劣化コピーや富野の出涸らし程度のものしか作れない。多分、彼らの作品は彼らなりにヒットしてるし、富野もそこは認めるだろうから、そこから「富野さんここおかしいですよ」って言ってくれれば富野も、「そうか?じゃあちょっと考えてみるよ」ってなるはずなんだけど、彼等はただの富野信者として接しちゃうから「富野さん凄いですね」とゴマする事しかやらない。(そこ考えると私は片渕須直ってメチャメチャ凄い人だと思うんだけど)

 

長々と「閃光のハサウェイ」から外れて語ってますが、ここからが閃ハサの一番凄いし一番面白い部分です。今回の監督の村瀬修功は富野にダメ出しをしたんです。

 

勿論、直接ではありませんよ。あくまでただの結果的にそうなったって話です。富野由悠季が書いた小説を「原作」とする、というだけで、今回は富野は一切関わってません。監修とかアドバイザー的な立場としても関わっていないでしょう。

ここで自分の書いた小説なんだからって出しゃばってたら多分こんなに面白い作品にはなってません。

 

原作小説は映画の方の立場からしたら脚本の第一稿みたいなものかと思います。元々の小説もアニメ版ガンダムからは設定の差異もありましたし、ある程度変更や時代に合わせたアップデートなんかは必要という判断は最初からあったのも大きかった気はします。原作小説の持っている面白さやテーマのエッセンスは最大限に生かしつつつ、あとは映画として作り変える。

 

つまりはそれって「富野さん、ここはこうした方がもっとわかりやすくなりますよ、こういう描き方の方がもっと面白く見せられますよ」って言ってるのと同じじゃないですか?

 

実際に富野のパートナーとして村瀬監督が二人三脚で作ってるわけではない、でも結果的にそれと類似するような形になった。今回の映画「閃光のハサウェイ」はそこが圧倒的に面白かった。

 

富野由悠季と言う作家の持つ面白い部分をちゃんと抽出して、逆にウィークポイントを補強、そこを現代性もちゃんと描きつつ、村瀬監督が自分の作家性で纏めたと。これ100点の仕事じゃないですか?ハッキリ言って最高でした。富野作品でありつつ、富野作品以上のものもちゃんと盛り込む。凄くね?

 

これ、何かに似てるなと思ったのですが、「クロスボーンガンダム」ですよね。いや作品の方向性は180度違いますよ。同じガンダムでも方向性は全く違う。でもね、富野由悠季が持つ面白さ、ポテンシャルを引き出しつつ、ちゃんと富野にある意味でのダメ出しをして、ここはこうした方が絶対に良いですよって、自分のカラーで纏め上げた長谷川裕一と構造的には近い物がありますよね。あれも富野がプロットを書いたものを長谷川が自分なりにアレンジして漫画にしてたわけですし、「閃光のハサウェイ」も富野のプロット小説を村瀬監督がアレンジして自分の映画にしたと。

 

富野的な面白さをただの劣化コピーにしか出来なかった上に、ファン目線すぎて設定の回収とかどうでもいい事に注力した「ユニコーン」との違いはそこにある。ゴメン、UCも部分部分では楽しめたけど、全体的にはなんだかなぁ感の方が強かったし、私が見たかったガンダムはUCじゃなくこれ(閃ハサ)だったんだ!と思いました。

 

中学校の頃に読んで「わけわからん」という感想しか持てなかった私に言ってやりたい。君はまだ子供だ。大人になった時にアニメでそれも見れるし、最高に面白い作品だよって。

モビルスーツにしか興味の無かったガキの私、その当時の私にこのアニメを見せても、MSもっと出せよ、しかも暗くてよく見えねーし、って不満を持つかもしれない。でもね、今の私にはこれくらいの分量でも十分でした。

 

ここにカッコいいMSなんて居ない。恐怖の対象として描かれるのが凄く新鮮で面白かった。40数年分ガンダムを見てきてですよ、「MSって怖いんだな」なんて思えたのは初めてかもしれません。

 

流れとしてはね、「F91」の序盤のコロニー内での戦闘に近いものはある。私も感想であの濃密な富野演出の面白さとしてそこを例に出して語ってますよね。まさしく富野的なエッセンスなわけです。あれも怖い演出ではありますが、言葉や理屈として怖いのであって、今回みたいに、見ていてこれやべーなって心で単純に思わせてくれるものではなかった。


今回はテロの話ですし、20年30年前よりそれはより身近に感じるものになった今の時代に、こういう演出で描いてきた。これはまさしく映像表現の進化ですよ。今回は絵も全般的にハイクオリティで綺麗でしたが、単純に絵が綺麗なだけじゃない。こういう見せ方の工夫がしてあった。そこが凄いなと。そして面白いなと。

 

量産機のメッサーでそんな「巨人の恐怖」を描きつつ、更にその上で最新鋭機としてペーネロペーの異常さが際立つ面白さ。怪物、或いは悪魔的な存在にすら見える空を自在に飛び回る異形の存在。やべーぞこれ、感が凄い。

 

で、それを駆るパイロットのレーン・エイムの純朴さ。いや~青いね。人質など自分のプライドが許さない。自分は自分の力だけで栄光を勝ち取ってみせるんだっていう青臭さ。まさに純朴でイノセントだった、かつてのハサウェイですよ。

 

まだそれなりに若いながらも、そんなに世の中単純じゃねーよ、っていう老獪さを持ち合わせているケネス・スレッグ大佐。世の中は綺麗事だけじゃ動かない、時には自らの手を血に染める覚悟も必要と知ってはいるものの、ちょっとした市民の声とかについ心を動かされそうになるハサウェイの大人と子供の狭間に未だに居る感じ。そして男を翻弄するファム・ファタールかと思いきや、何気に少女の部分を覗かせるギギ・アンダルシアの2面性。

 

この辺のメインキャラのね、本音や建前、2面性とかもありつつ、会話劇での駆け引きも面白ければ、ちょっと素が出てしまってるさりげない仕草とかそういう演出がとにかく面白い。

 

ガンダムだからヒーローロボットの活躍を描かなければならない。
ガンダムだから戦争の恐ろしさを伝えなければならなない。
ガンダムだから少年の成長を描かなければならない。

そういう要素は拾いつつも、そんな「ガンダムだからこうしなきゃならない」みたいなものに縛られていない感じがいい。

 

そこは「0080」なんかにもちょっと近い物がありますね。「ポケットの中の戦争」って初の非富野ガンダム作品です(アニメではね)あれって富野の呪縛からガンダムが解き放たれた記念すべき作品でもありますが、同じように今回も、ガンダムだからこうしようぜっていうのはあんまり意識してない感じがする。これがガンダムらしさだよなっていう作品もそれはそれで面白いし、好きではありますが、そこに縛られない作品の魅力もある。

 

ちょっとだけ全く関係無い話をしますが、Zガンダム外伝で「アドバンス・オブ・ゼータ」という作品群がありますね。(略称「AOZ」)


1作目が「ティターンズの旗の元に」でガンダムで法廷劇を描くと言うコンセプトでした。(結局作品としてはメカしか残らなかったけれど)
2作目が「刻に抗いし者」で、これがすごくガンダムのテンプレみたいなストーリーを
展開して、正直人気はあまり出ませんでした。
3作目が「ガンダムインレ」で、ただのメカ設定に終始するだけでした。


でも個人的には2作目がメチャメチャ好きです、私。テンプレ展開ながら、安心感があったのか、実は2作目が一番楽しめました。

 

だから、いかにもガンダム的な話も面白いものは面白いですし、今回の「閃光のハサウェイ」みたいな、この路線あんまり今までやってなかったな、っていうのも、新鮮で良いなと思える。いかにも富野的な部分も存分にありつつ、ガンダムの歴史で、単純に年表的な意味で無く、これまでになかったまた新しい新鮮なものが見れるのか!という驚き。メチャメチャ面白かったし、次も期待せざるを得ません。

 

いや~、富野は昔から10年早いって言われ続けて来ましたけど、30年前の小説が、こうやって今改めて語られるってそこも面白いですね。

 

プロデュサーが村瀬監督はドライな作風なのでって言ってましたが、元の小説がウェットすぎて感情の電波がほとばしるような作品だったので、「虐殺器官」程にドライで頭でっかちに終始するわけでもなく、絶妙なバランスの作品になってて、予想以上に面白い作品でした。2作目3作目の出来にもよるだろうけど、これはまた後々まで何十年と語られ尽くされる作品になったんじゃないかと思うし、ガンダムの歴史に刻まれる大きな作品をこうしてまた目にする事が出来たのはこの上ない幸せです。

 

いやしかし、最後に俗っぽい事行っちゃうけど、ギギ役の上田麗奈最高だな。もし自分がこの世界に居たら、絶対に骨抜きにされるわこれ。

f:id:curez:20210613202329j:plain

 

関連記事

curez.hatenablog.com

curez.hatenablog.com

curez.hatenablog.com

curez.hatenablog.com

curez.hatenablog.com

 

 

curez.hatenablog.com

 

 

curez.hatenablog.com