僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

ヴァイオレット・エヴァーガーデン1 [DVD]

VIOLET EVERGARDEN
監督:石立太一
原作:暁佳奈
TVA 全13話
2018年
☆☆☆☆

 

元々総集編の無かった物に対して、金曜ロードショー用に特別編集版として2時間弱の総集編を作ってしまうという初の試みがなされました。
外伝と劇場版と映画作品が2本あるものの、そこはTVシリーズありきの完結編という扱いのようで、まずTV版を見て欲しいと、総集編で2時間に纏めるからと。

 

これはちょっと面白い試みですね。私はアニメも見ますけど、映画ファンでもあるので、TVシリーズの完結編映画化みたいなのって、昔からずっとモヤモヤしてたんですね。TVありきの映画化は、初心者=映画でその作品を初めて知る人にどこまで配慮すべきか問題です。

 

TVシリーズ見て無いけど、人気ある奴だし、映画だけ1本見てみるかな?と足を運んだりレンタルしてきたりしたものは割とありますが、まあ基本的にはどれもそんなには楽しめず、というのが多かった。へぇ~こういう作品なんだって雰囲気くらいは知れるものの、TVシリーズ見てるともっと面白いんだろうな、となるのが関の山。

かと言って最初から始まる総集編映画も、それはそれで、話がこれ結構飛んでるんだろうな、というのを感じさせないようなものはまず無い。

 

私は映画信仰とかある人なので、映画単体で成立するようなもの作ってくれないかな?とか思ってたりする。最近は映画もシリーズ物で無いとなかなか人が入らなかったりとかもしてますが、基本は2時間で完結するような物ですよね?そういう脚本術をTVアニメの映画化とかでも取り入れられないものなのかな?と、よく考えてたりします。

 

まあ、それはともかく、そういうものに対して、今回の「ヴァイオレットエヴァーガーデン」は映画館とかソフトでもやってないけどTVシリーズのまとめをTVの映画枠でやる、という初の試みをもってきました。

 

おそらくは後にこのバージョンのソフト化もするんでしょうけど、基本的には放映権料くらいしか利益は無いんでしょうし、それでも作品を世に知らしめたい!という熱量を感じさせますし、版権側でなく、TV局側も今回のが上手く行けば今後に繋がるケースも出てくるかも?的な事を言ってますので、そこはとても面白い。

 

はい、でも今回はTVシリーズの方の話です。


総集編の初見の感想とかも面白そうかなとは思ってたのですが、実はこのヴァイオレットエヴァーガーデン、友達に良かったよって勧められて、3話までは先に観てたんですよね。別につまんなかったわけでもないのですが、特に好みでも無かったので、続きはいつか見るかなくらいで終わってました。時間があれば早めに見たいとは思ってたけど、他を優先させてなかなか、みたいなの。

 

映画1本見る時間を抽出するのにも困ってるのに(いやこうやってブログ書いたりするのも時間が無くなる原因なのですが)アニメはタイミングが合わないとなかなか。気になってる奴はいくつもあるんですけど。

 

そんな中で、ヴァイオレットの総集編をTVでやるらしい。じゃあそこまでTVシリーズ終わらせておこう、と思ったものの、やはりというか結局間に合わず。総集編は録画したので、とりあえず本日TVシリーズまで見終わった、という状況です。総集編は総集編で見終わったらまた別エントリーで書きますのでよかったらおつきあい下さい。

 

TVシリーズ、なかなか良かった。私も凄く楽しめはしましたが、ツボにハマったかと言えば決してそこまででも無かったので、じゃあそもそも「ヴァイオレットエヴァーガーデン」の魅力ってどこにあるんだろう?と思って調べようとしましたが、う~ん「泣けるアニメ」とかそういうのしか出てこない。

 

いや多分探せば色々と分析してる人も居るんでしょうけど、その辺りがすぐには出てこないのがちょいと難点。個人的にアニメ界隈が弱いと思ってて、結構不満に思ってるのが、ちゃんとした作品分析の上での映画批評みたいなのが極端に少ない事です。

 

映画でも近い物はあるんですよ。「泣ける映画」とかそんなんばっかで騒がれたりしてるものも。大衆なんてそんなもんと思ってるから別にそれはそれで良いのですが、同時に映画に関してはまともな評論家も中には居るので、その辺は多角的に読める。アニメは後者に類するものが極端に少ない。そこ、凄く勿体無いな~って思ってます。

 

言ってしまえば私だってただの感想レベルのものですけど、そこに+αくらいは意識してます。(だからこんな記事になっちゃうんですけど)

 

今回、総集編で騒ぎ始めた時にツイッターで面白い話が出てきてて、ヴァイオレットは職を見つけられたランボーなんじゃないか?っていうのが結構ネタにされてたんですね。

 

私はこれ、ネタじゃ無くて本当に面白い視点だなぁと思ったんですが、まずネタとして消化されたのは、こんな美少女物があのむさくるしいジョン・ランボーと共通点を持っているという部分ですよね。そのギャップがおかしいというか。

 

映画ファンなら「ランボー」の1作目がいかに優れた映画なのかは周知されてる方だと思いますが、世間一般のイメージする、いわゆるパブリックイメージの「ランボー」って2以降のマッチョが戦場で大暴れするみたいな所なんだと思います。

まあシリーズとして近年までやってはいたものの、旧3部作とかは実際古い映画ですし、そんなものかと思うのは仕方の無い所ですが、もし実際「ランボー」を見た事が無い人が居たら、1だけで良いので見て欲しい所。戦争アクション映画とかでなく、ベトナム帰還兵を描いた社会派映画ですので。

 

そういう意味ではヴァイオレットとジョン・ランボーって、最強の戦闘マシーンとして育てられたものの、戦争が終わった戦後で何をして良いのかわからない状態にあるっていうのが実際に共通して居たりします。

 

ここで面白いのが「ランボー」というのは社会告発を描いた作品なんですけど、対する「ヴァイオレットエヴァーガーデン」は心を取り戻して行く、みたいな内面の方に迫っていく作品ですよね。ある種これもセカイ系と言っても良いと思われます。

 

社会と言う外側に向かうハリウッド作品と、心の内という内面に向かうジャパニメーションの差がここにあるんじゃないかと。

まあ、ハートオブダークネスな「地獄の黙示録」のアプローチの方に近いのかもね、っていう気もしなくはないですけど。

 

そしてもう一つ。制作の京都アニメーションって、その緻密な作画とかでファンも多いのは知ってますけど、私はほとんど縁が無くて「ハルヒ」も「けいおん」も途中で投げてしまいました。

 

私がアニメ見る時って、そんなに絵は気にしない方なんですね。勿論、綺麗であるにこした事は無いのですが、何分、結構な歳のおっさんなので、80年代90年代とかの、作画監督によってこれ全然別キャラじゃ~ん!みたいなのを平気で見てきたので、アニメってそういうもんという感覚が未だにあるというか、一番好きな「プリキュア」シリーズだって、たまに劇場版か!って唸る回もありますけど。基本的にはバラつきありますし。

 

アニメーションって本来はやっぱり動きそのものに感動したりするものだとは思うんです。絵がグリグリ動いてる、それだけで何か凄い!みたいな。だからジャンルとして「アニメーション」って言うんだろうし、ディズニーに端を発する秒間24コマのフルアニメーションに対して、国産のアニメは半分とか3分の1のリミテッドアニメですよね。だからこそ毎週新作を放送するなんていうTVアニメの形にも出来たし、動き以上に内容で見せようっていう方向に進化してきたのが日本のアニメなんだろうな、というのが私の認識。その中で唯一「ジブリ」だけがアニメーションの面白さで何とか対抗してやろうっていう意識が残ってる、のかなと。

 

世界的に主流である今のディズニー、ピクサーのCGアニメってあれはどうなってるんだろう?CGだから秒間60フレームなのかな?それともフィルムのコマに合わせてやっぱり秒間24枚なのかな?ゴメン、そこは勉強不足でよく知りません。

 

記号的にディフォルメされた「絵」を簡略化された動きで表現するっていうのが日本のアニメの特徴だと思ってたから、そんな絵を頑張って動かしてどうするの?というのが私の心の中にずっとありました。いかにもな日本的なアニメ絵なのに、それをヌルヌル動かしても、そこに違和感しか無いんじゃないの?っていう。単純に凄いなとは思うし、楽しいんだけど何かひっかかるというか。

 

・・・そんな風に思っていた時期が、自分にもありました。

 

実は今回、ヴァイオレットエヴァーガーデンを見て素直に凄いと思った。まず最初に思ったのって、背景とかが物凄く緻密で、控えめな音楽と相まって、その世界観の表現が凄いなと驚かされたんですよね。凄く実写っぽい。

 

で、キャラ絵の方もなんだか凄く緻密。ただ、キャラの方は決して実写寄りとかではなくて、いかにもなアニメ絵なんだけど、それを必死に線も多めで緻密に描いてる。しかもそれをなめらかに動かす。

 

ああそうか、これぐらい実写に近いような背景だったら、キャラも緻密に描かなきゃダメだよね。じゃないと馴染まないし、「ハルヒ」とか「けいおん」で私が感じた違和感ってこれだったのか!と発見がありました。

 

決して背景ほど実写に近付ける作風ではないんだけど、実写に近いくらいの情報量に少しでも近づけるような作りをしてるんだろうなと。光がある所は凄く綺麗だし、逆に光が無いとこでは思った以上に画面を暗くしてありましたし、アニメーションの絵を保ったままよりクオリティを上げて行くという結果がこれなんじゃないかと。ここまで行くと、やっぱこれ凄いわ、と唸らされました。これ動画1枚1枚をこのレベルで描いてるのかと。信じられん努力の結晶だわなこれは。

 

でも、逆にそれだからこそキャラデザインが美男美女しか出てこないのが、ああ~やっぱりアニメだなぁと。実写映画には敵わない部分だなとも感じました。映画ってね、主役級はともかく、モブレベルになると、いかにもその辺に居そうなおっさん、おばさん、子供とかが混じってて、そこが安心するしリアリズムにも繋がるんですよね。そういうのも含めての実写の情報量ですし。

 

そんな感じで、大きく言えば二点。一つ目は最初に言った社会では無くセカイであること、二つ目はリアリティを重視していながらそれは実写に近付けるのではなく、アニメの中の情報量を増やして、アニメのまま進化しようとしている所、この2つがね、すげぇガラパゴス的な進化の仕方だなぁと思う。

 

と言うのも、この作品、ネットフリックスで各国版が作られて世界配信してるみたいじゃないですか。世界基準からすると、これ、相当に変な作品に見えると思います。コンプライアンス的には・・・まだいいか、少なくともジェンダー論に関しては、これ怒る人から見たら激怒して非難されるレベルですよね?

 

ただ、逆を言えば、世界の真似して後追いで必死に真似するよりも、ガラパゴスの独自進化であればあるほど、他の物には無い個性になる。日本のアニメって他のものとは一味違うなぁと思わせるには十分すぎるほど突き抜けて凄い作品になってると思う。ゴメン、初めて京都アニメーション凄くね!?と思った。

 

コンプライアンスうんぬんで言えば、最初のギルベルトのヴァイオレットへの最後の言葉「愛している」がね、ん?どういう意味での愛してるなのかな?どういう意味での愛してるかによって、私のこの作品への評価も変わりそうと思ってたんですけど、そこは非常に上手くて、自由に解釈出来るように作られてたのが流石だなと。

 

映画「レオン」の解釈問題とかにも繋がるんですけど(レオンもバージョン違いがあるのでそこは結構複雑)流石にね、10代前半のとても大人とは言えない子に対して恋愛感情として愛してるとかはどうなの?みたいに思う部分もあるじゃないですか。

 

ただそれって、世界観的にも政略結婚させられる子の話(中島愛の演技が超絶に良い!)もありましたし、現代との倫理観とはちょっと違う世界なんだよ!とも多少無理矢理ですが解釈も出来なくないと思うし、もっと単純にこんなの作り話なんだから現実ではありえない恋愛でも良いんだよ!お話として楽しませてよ!っていうのもそれはそれでアリかと思うし、そうじゃなくて、恋愛感情だけが愛と呼ぶ物じゃ無いって色々話を積み重ねてきたでしょう?それが答えなんじゃないの?っていう読みとり方でも、どちらでも可能かなって感じがしました。

原作は違う結末らしいし、劇場版とかどうなってるのか知りませんけれど。


あなたの中のギルベルトの言葉と、ヴァイオレットが少しだけわかったという言葉の意味はどんな意味だったでしょうか?ちょっと聞いてみたい。
ヴァイオレットも「少しだけ」って言うのが良かった。

みんな「泣ける」ってしか言わないのですが、わたしはその中身を知りたいのです。

 

で、そもそもこの作品が何故受けたのかな?っていうのも興味のある所で、インタビューで監督だったかな?が言ってたんですけど、もっと作品としてフックみたいなものを入れるべきでは?っていう意見もあったそうなんです。え?これどういう事なの?みたいな部分を入れて次回への興味を継続させるやり方ですよね。あと、基本オムニバスの1話完結にして次回への引きのクリフハンガーみたいなのも何回かはやってましたが全体的にはほとんどない。

 

海外ドラマなんかクリフハンガーで延々引っ張るのが主流なわけですよ。個人的にもそういうの面白いけど何でもそれでいいかげんにしてよ、と思う所もあったので、あえて今回はそういうのに頼らない作風っていうのも逆に個性になってた気がします。

 

ここも世界基準に合わせるとかではなく、あえて今回はこういう作風で行きますよ、という独自性ですよね。そこもある意味ガラパゴスとも言えるくらいに。次回への引きでは無く余韻を作る方向で、みたいな。

 

そこも割と新鮮ではありました。ただこれ、ED曲の印象とかもあるかもしれませんが、京都アニメーションと言えばの「Kanon」「AIR」「クラナド」とかも引きづってません?いや私東映版「kanon」しか見てませんが、昔ゲームやってた時はAIRまではハマってたので。ギャルゲーの皮をかぶって本当はお話の方をやりたいって感じで、セカイ系とまだ定義される前かようやくその言葉が出てきたくらいですよね?その辺りの系譜がまだ引き継がれてるんだなという印象も受けました。

 

あと時代の空気的に、まさしく空気を読まなきゃ回りに馴染めないみたいな窮屈さの中で、実は自分はよくわかってないんだよね、何と無くで合わせてるけど、っていう人は結構多い気がします。私は自分のロジックで動くのでそういうのどうでもいいやって気にしないタイプですが、ずっと息苦しさを抱えたまま生きてる人も多そうだなっていうのは凄く感じる。

 

そこで「私にはわかりません」っていうバイオレットちゃんの姿に、ああ自分では言えない事をこの子は言ってくれるし、その答えをこのアニメは教えてくれるのかな?っていう感覚で見てた人も居るのかなと。自分は心が無いのかな?とか思ったり、他人の心なんてそんなの理解出来ないよ!という人も居れば、言葉と心は違うって言われてもそんなのどうやれば理解できるの?という人も割と多そう。
そういう意味では時代性とかとも上手くリンクしたというか、マッチしたのかな?という気もします。

 

私はね~、こうやってダラダラとブログを書くような人ですので、思っている事の言語化って割と慣れては居るんですけど、多分それはこうやって書く事である程度訓練されてきたから、というのは間違いなくある。それが上手か下手かはともかくとしてね。

私も自動手記人形を目指そうかな?

 


「お客様がお望みならどこへでもかけつけます
 自動手記人形サービスおじさんです」

 

う~ん、連絡来ないな。
やっぱフリフリの服着ないとダメかなぁ?

 

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