僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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機動戦士ガンダム 水星の魔女 NOVEL「ゆりかごの星」

祝福

機動戦士ガンダム 水星の魔女
オープニングテーマ YOASOBI「祝福」原作小説
著:大河内一楼
web小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女 公式サイトにて公開中

g-witch.net☆☆

 

「水星の魔女」メチャメチャ面白いです。
現在、5話まで放送されましたが、毎回楽しく見てますし、メカもキャラも悪くない。

 

番組制作に至ったプロデューサーの話が面白くて、若者層の取り込みが今回の作品のポイント。いわゆるZ世代というやつでしょうか。って、ガンダムでZ世代とか書くとゼータガンダムの世代になりかねませんが、そっちじゃなく世間一般で言われてる方のゼット世代ってやつですね。今の中高生から25歳くらいまでの若者。ゆとり世代の次くらいの年齢層。

 

我々おっさん世代のガンオタも身にしみて感じてますが、世代を超えてとか言われつつも、40年も続いてるガンダムの客層は年齢層的には高め。私だってファースト世代じゃなく、ボンボンでSDガンダムを植え付けられ、リアルタイムでVガンを見せられ、これがリアルガンダムか!と衝撃を受けた世代。

 

その後の若者向け21世紀のファーストガンダムとされた「ガンダムSEED」でさえもはや20年前。AGEだかオルフェンズだかビルドだかは忘れましたが、その辺の作品の時も雑誌インタビューとかでプロデュサーが言ってたんですよ。小川さんだったかなぁ?サンライズ社内、みんなガンダムは大好きなんですけど、じゃあ自分から監督をやらせてくれみたいな取り合いになるかといえばそうじゃない。ビジネス的にしりごみするくらいの大規模な作品だし、何より新しい作品が出る度にこんなのガンダムじゃないとか叩かれるのがわかってるから、意外と自分ではやりたがらないと。

 

そして、若い層のガンダム離れを何とかしようとマーケティング的な聞き込みをしてると、若い層からは、ガンダムは自分達向けの作品じゃ無い。ガンダムってタイトルがついてるだけで見ないと。これはまずい、少子化とは言え、老人相手では先細りするのは見えてるし、宇宙世紀作品は既存のファン向け、アジアや世界戦略も他で色々やりつつ何とか若い層をとりこまないと、というのが今回の「水星の魔女」

 

おっさんが毎度毎度の如く、こんなのガンダムじゃ無いとか文句付けるのは完全に想定内。ターゲット外の意見は100%無視して、完全に若者狙いと割り切って作ろう、というのが見えて、その辺りが物凄く面白いです。

 

小説「ゆりかごの星」もYOASOBIに主題歌を依頼するに当たっての「原作小説」。
私はYOASOBIとかラジオで流れるくらいしか知りませんが、まず小説で世界観を作って、それを曲にするという形で若者に向けて売っているユニット。なのでTV用の主題歌とはいえ、原作小説というのが必要になって描かれたのが今回の短編小説。
一昔前で言えばサンホラみたいな、ユニットとして特別な個性を作る売り方をしてるって感じなのかな?そこはよくわかりませんが、YOASOBIなんて名前を聴いても、ラジオから曲が流れてきても、興味の無い人にとっては若者向けの薄っぺらいチャラチャラした音楽程度にしか思ってませんでした。

 

勘違いしないでほしいんですけど、悪口じゃないです。同世代に向けて作ってるものを、別の世代の人が理解を示したって仕方ない。勘違いしてたら大変に申し訳ないですが、YOASOBIの人も多分、世代を超えて聴いてほしいとか多分思ってないでしょ?今の刹那を歌ってるだけで、10年もしたら誰も見向きもしないものになるのを知っててやってると思う。
だからこそ、外野が何言おうとそこは割り切って作る、という「水星の魔女」とコラボ出来たんじゃなかと。全くコンセプトが合わないものが手を繋ぐ事はないだろうし。

 

で、主題歌「祝福」を先に聴いてて思ったんですけど、視点が独特なんですよね。何これガンダムの視点なの?と思ったら、やっぱり原作小説もガンダムの視点からスレッタを見守る的な不思議な形の小説でした。

 

世間的にも考察として出てるみたいですが、OPやPVを見てると、

www.youtube.com

www.youtube.comプロローグで出たエリィ(エリクト)とスレッタは別人の可能性があるとかの話に凄く信憑性が出る。お話の流れ的にも、エリィが肉体的にどうなのかは不明なものの、精神的にガンダムに取り込まれるか何かして、その人格が小説の「ガンダム視点」になってるのかなと。エアリアルのAIがエリィ。

 

これがね、ガノタ的には「ブルーデスティニー」エグザムのマリオンと同じで、精神的に取り込まれてしまって、肉体的には病院のベッドでまだ存在してるくらいの話ならいいけど、「オルフェンズ」のアインの生体部品パターンだったらなかなかにショッキングです。

5話の時点で色々と示唆するシーンはあったりするので、そこもあきらかに仕込みです。


ダブスタクソ親父とか、俺の嫁的なバズリ文化は意図して仕組んである作りですし、公式で切り抜き動画とかもやってる。ユーチューバーVチューバーも上手く乗ってくれてるのが良いですね。

閃光のハサウェイ」が作り手の意図せぬヒットをして、どう考えても作ってる方はおっさん向けとして作ってたわけですが(声優交代で多少の目配せはしつつ)きっかけがないだけで、意外と若者もガンダムにも興味が無いわけではなかったのかな?みたいなのが上手く繋がってる気がします。

 

映画や映像のテクニックで、どこまで視聴者に読み込ませる事が出来るかっていうのは難しい部分なんですけど(視聴者を信用していない作り手は全部をセリフで説明する、みたいなやつです)水星の魔女はそこを上手くコントロールしてるはずなので、ユーチューバーやVチューバーに、こういう考察がありますよ的なのを言うのはみんな控えよう。終盤とかで答えが明らかになった時、ツイッターでバズったりするのを見込んで作ってる。なので、自分はそこ読めてたよ、とかわかったふりするのではなく、素直にビックリして、水星の魔女をバズらせてあげましょう。リアクションが大事です。

 

そこは元ネタの任侠映画のルールに従った「オルフェンズ」とはちょっと路線が違うのです。バズったやつが勝ちという意図で作ってるのが「水星の魔女」です。それは作品としての主張では無く、商売ありきの作風。そこはマーケティングで作ってる。

 

商業主義って嫌われがちですが、そんなのも一昔前の我々の世代なのかな?でも、そんな事言ったら、どんな作品だって売る為の苦労や努力をしてるのは当然で、そんな中で実際にヒットするのは一握り。商業主義に走ったからってそれが必ず成功するとは限らない。批判を受けるの覚悟の上でやって、これだけ話題になってるんだから大したものですよ。

 

そして、見る前と印象がガラリと変わったのは、女主人公って部分です。「ヴァイオレットエヴァーガーデン」とかのジェンダー感を見てると、日本のアニメにそこは期待持てないだろうな、主人公に置いたとしてただの萌えキャラ程度の扱いだろうなと見る前までは思ってたのですが、そこが思いのほか踏み込んでくる。なんか大概はプリキュアの方が5年前くらいにやってた感じですが、男女の役割とかもう古くない?って若者は言うし、おっさんたちの父系社会に楔を打ち込む的な展開もあって、ゴメン舐めてましたってそこは素直に言いたい。

 

多分、今の若い人って作品に感情移入して見るとかの割合は少なくて、悪く言えば情報としてしか見てないし、そこにある感情は「押し」とかそういう消費なんだと思う。

 

カミーユのイライラ、よくわかる。これは自分の話なんだというのが昔の見方なら、スレッタのオドオド具合、何と無くわかる。こういう人居るし自分もそっち方向かも、という親近感。決して自分が主人公になった気分で見るとかではなく、見守る感じなので、実は女性主人公でも十分に通用するし、そもそも男女あまり区別無しでマーケティングとして成立するというのはある意味発見かもしれない。

そこは仮面ライダーの主人公を女性にしたら流石におもちゃ売れなくなるかなぁというのともまたちょっと違う気がします。

 

そして呪いと復讐というテーマ。TVアニメだけだと今の所まだよくわかりませんが、スレッタママことレディ・プロスペラさん。ガンダムお馴染みの仮面キャラですが、小説では彼女の復讐というのが明かされています。
まあシャアの時から、仮面=正体を隠すではなく、本心を隠すという意味での仮面というのがガンダムでの定番。自分=アエリアルは良いけどスレッタは巻き込まないで的な事を小説では語ってました。

 

けど、そんな心配をよそに、スレッタは自分で歩みだす。そんな彼女に祝福を送ろう、というのがOPの歌詞なんですけど、これって「∀ガンダム」における「∀だって
未来は開けるはずだ!」っていうセリフと同義語。大河内一楼さん自身∀の脚本もやってましたし。

 

要は呪いって劇中では過去のしがらみの事として、スレッタにはお母さんの復讐の道具ではなく、スレッタの道を切り開ける強さを、という切実なる願いでありつつ、メタ的には「ガンダム」という重荷を振り切って、「水星の魔女」という作品は自分の道を歩んでほしい。というのが重なっている辺りが抜け目ない。

 

そういう意味じゃ、私らおっさんの古参ガノタは、あえて水星の魔女に対し、「こんなのガンダムじゃ無い」的な事を言いつづけて、ヒールを演じながら、若い子達は、ジジイうるせーよ!こっちはこっちで楽しんでるんだからお前ら引っこんでろ!的なプロレスを楽しむのもありかもしれない。

 

私はもう内心応援することに決めちゃいましたけども。

 

それは先に触れたジェンダーうんぬんだけじゃなく、「逃げたら一つ、進めば二つ」というママの教えがとても素晴らしいから。

 

「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」なんてのはもう一昔前の話です。逃げるのも一つの手札として、選択肢としてちゃんとあるべきです。それが今の世の中。

 

「逃げたら、一つ手に入ります、安心とか安全とか」このセリフ一つでね、ああ、この作品アリだなと思いました。勿論、そこから「逃げなければもっと手に入ります」と続くし、逃げるよりも前に進んだ方が良いという部分を描いてはいるんですけど、逃げたら何も手に入らないではなく、一つ手に入るという表現がとても現代的だし、社会学の面でもそこは肯定したい。

 

そこは例えば「魔進戦隊キラメイジャー」での、限界は超えない為にある、って言ったのと近いものがあります。体や精神を壊してまで限界突破しなくて良いのです。こういうのを軟弱な考えだなと思う人も居るかもしれませんが、どちらが正しいでは無く、相反する両方の答えにこそ意味がある。時には限界突破して次のステージに進むのも必要。どちらか片方の考えしか持ってないより、両方の考え方をちゃんと受け入れる事こそ私は大切だと思ってます。これは何でも同じ、どんな事にでも、良い面悪い面というのは必ずある。どちらか一方なんていうのは狭い考え方です。

 

いや「祝福」の曲は凄く良いけど、小説の方は単体で読んでもさほど面白いものでも無いので、そんなに書く事無いかなぁ?とか思ってたのですが、なんか長々と書いてしまった。

ここまで読んでくれたあなたに「祝福」を。

 

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