僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY CDシネマ2/宇宙の蜉蝣

機動戦士ガンダム 0083 「スターダスト・メモリー」 CDシネマ 「宇宙(そら)の蜉蝣」

MOBILE SUIT GUNDAM 0083 STARDUST MEMORY
脚本:大熊朝秀
演出:今西隆志
発売:ビクター音楽産業
1992年 
☆☆☆☆

 

ガンダム0083」ドラマCDの2枚目
今回は外伝というより、シーマ・ガラハウの視点から見たスターダストメモリーの物語、というちょっと変わった構成になってる。本編の要所要所で出てきてたシーマ様は、その時は内心こう思ってたんだよ、的な事を割と丁寧にやってます。

 

「宇宙の蜉蝣」に置いてはシーマ様が主人公という配置になるので、「Gジェネ」のどのシリーズだったっけかな?シナリオ再現された時に、自軍はシーマ陣営で、コウ・ウラキら連邦側が敵になっているという、不思議な話になってました。昔のGジェネは、よくこんなネタ拾ってきたなというマニアックな事を結構やってて、そこもまた面白味だった気がします。

 

本編のブルーレイBOX化の時に、特典映像として宇宙の蜉蝣のピクチャードラマ版がつきますって言ってたのは知ってたんですけど、単純にこのドラマCDに絵をつけたものなんだなと思ってたんですが、今回改めて調べたら、「宇宙の蜉蝣2」として新しく作られたものだったんですね。

www.gundam0083.net

これまでガーベラテトラ改的に言われてたガンダムFIX版?のガーベラをロールアウト状態と設定したり、一部ではドムヒュンフとされていたデラーズ用ドムをプロトタイプリックドムIIとして設定してあったり、あれ?いつ名前付いたの?と思ってたらここだったのか。ドラッツェ改も何か元ネタあるのかな?

 

DVDは持ってるので今更BD-BOX買う程「0083」は好きでは無いし、実際に目にする機会は無さそうな気はしますが、また10年後とかにこういうのも目に触れる機会もあるかもしれないので、その時を待ちます。

 

当時はとにかく絶賛された0083、特にガトーがカッコいいとの声が大きかったですが、私は当時からあまり好きでは無くて、それは単純にミリタリー臭のするジオンが嫌いだったっていうのもあるんですけど、そんな中でね、当時からシーマに関しては面白いキャラだなと思ってました。


ただ何もそれはシーマに対する深い洞察があってこそとかじゃなく、単純に裏切ったりするのが人間臭くて面白いなというのと、0083は当然後付けのOVAなので、「辺境のアクシズなんかに導かれたくないんだよ」とか堂々と言うシーマ様が確かにその通りかもね、とか思えて何だか面白かったからという結構浅い理由でした。

 

でもねぇ、こうして改めてドラマCD聴き直して色々考えてみると、シーマって相当な苦労人だし、ジオンからも捨てられた人間だって考えると、いや彼女にも同情してしまうなと。

 

毒ガスでの虐殺とか、シーマ様知らないでやったのに、その汚名を着せられて上司のアサクラ大佐にも切り捨てられちゃうんですよね。どっちに転んでも戦犯扱いされるし、戻れる場所が無いから仕方なく海賊みたいな事をやって生き伸びるしか無かったわけで、何ともならない中で今度は上手く連邦に取り入れられそうな時に、またメチャメチャにされる。しかも4年間の唯一の「家」であり「家族」でもあった母艦のリリーマルレーンをあっさり落とされて、さらに全てを失ってしまうと。

 

最後のコウとの戦いの時に、コウ側のセリフというか内面描写も追加されていて、シーマ艦隊は味方だと言われても、先日まで戦っていた相手で、しかもバニング大尉の仇でもある、その恨みを無かった事にしろと言われても、気持ちのもっていく場が無い。ふざけるなっつってシーマを殺しちゃうわけですが、ここがねぇ、ああ「0083」の描きたい部分の一つなんだなって思えて、すげぇ面白い。

 

ガトーとコウが本編で最初に戦う時にガトーは言うんですよね
「戦いとは全て怨恨に根ざしている。それは当然のこと」だと。
「しかし怨恨のみで戦いを支えるものに、私は倒せん! 」
「私は義によって立っているからな!」

 

とまあ、いかにもガトーですが、ここはそこよりもやはりコウ・ウラキに注目したい。
いきなりもう仲間ですよとか言われてもさぁ、先輩殺した恨み忘れてねぇから!だからお前も家族ごと死ねよと主人公に、しかもジオンをカッコ良く描いて連邦は主人公だろうがこんなクズなんですよ、と主張するのが、非常にらしい。

 

所詮人間なんてそんなもの、というニヒリズムか、あるいは外伝であるからこその本編の富野が描くニュータイプ的なものに対してのアンチテーゼであるのか、恐らくはその両方なんだと思うんだけど、そこがね、めちゃめちゃ面白いです。

 

そして最後、前巻にはなかったキャストコメント。
シーマ役の真柴さんとコウ役の掘川さんが、この二人って珍しい組み合わせですよねと言いながら最後にちょこっとトークが入ってたりする。

 

「この間の劇場版で最後だと思ってましたが、まだありましたね」と言ってる所から推測するに、本編最終話収録→劇場版収録→劇場版公開→本編最終話リリース→宇宙の蜉蝣という順番なのだと思われる。
0083の劇場版「ジオンの残光」は本編最終話リリースの前に公開されて、先に最終話が見れる的な感じでしたが、本編最終話は劇場版の後のエピローグ的なものもちゃんとあるので、結局は真の最後を見るには本編OVAの方、という形になっている。
で、その更に後にもっと俯瞰する形でこの最後のドラマCDがあるというのはなかなかに興味深い。

 

自分が歳をとったり、時間をおく事でまた見え方が変わるっていうのはよくある話ですが、今回もまたそんな感じ。ただのノスタルジーのつもりで昔の作品に再度触れたら、あれ何か昔とまた見え方が違うなっていうの、面白いですよね。

 

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