僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

ジョカー:フォリ・ア・ドゥ

www.youtube.com原題:Joker: Folie à Deux
監督・脚本・制作:トッド・フィリップス
脚本:スコット・シルヴァー
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2024年
☆☆

賛否渦巻く「ジョーカー2」
逆に賛否あるくらいの方が、自分なりの解釈出せて面白いんじゃないの?と、思う方ですが、いやこれは・・・う~ん、やっぱり非の意見が出るのもやむなし。というか賛の人見かけない気が。

 

凄く簡単に言えば、前作を否定する内容でした。
前作が好きなら、そりゃあガッカリするわな。

 

でも、あえてあんなにヒットした前作を否定するような内容にしていながら、じゃあ今回は新しい何を描きたかったのか、ここに賛否が分かれる何かがあれば、前作のファンは面白くないだろうけど、こっちが好きと言う人も少数派だけど居るかもしれないなって思えるんですけど、ぶっちゃけそれがない。

 

いや、あるにはあるというか、意図的にはジョーカーとハーレイのすれ違う悲劇のラブロマンスなんだ。これは愛についての物語なんだ、ってのを描いたんだとは思うんだけど、う~んだから何だっていう感じは否めない。

 

素人考えですが、これってハーレイを主人公にしてジョーカーをあくまで脇役として描いたりした方がまだ見れたのでは?

 

基本、前作とは裏表的な関係と言うか、直接の続編で種明かしみたいな作品。もしこれがね、1作目の内から想定にあったものならまだ監督は本当はこういう部分も描きたかったんだなとか思えなくもないかもしれない。でもね~、前作の後、続編の予定は無い。作らないって言ってましたよね?

 

ただ、スタジオ(ワーナー)的には、低予算で超メガヒット。最初の想定以上に莫大な利益を生み出す結果を残した。これの続編作らない手は無いでしょって事で、半ば無理矢理の続編を作らせた感じですよね?
勿論、監督的にも、主演のホアキン的にもいや無理だよって断ればそれで終わりなんでしょうけど、多分どちらも良い人なのでしょう。じゃあ続編考えてみる?みたいな感じで無理矢理捻り出した感が凄い。

 

でもこれねぇ、私はパンフとか買わなかったし、ネットで少し見聞きした程度ですが、とりあえず前作の時から、作られた作品が現実に悪い影響を及ぼすのは想定外だったし意図するものではない的な事は言ってました。現実にまで影響を及ぼすような悪のカリスマを描いてしまった事に対する反省みたいな気持ちがある、みたいな事は言ってるらしい。(あとそう言う考察をしてる人も沢山)それは本心でもあるのかなとは思うけど、もしかして10年後とかに、実はやりたくない作品を無理矢理作らされたから、スタジオに嫌がらせのつもりで作ったんだよ、的な事を言い出したりしないかちょっと心配。

 

今の時代、まさにこの作品みたいに成功した作品のIPを生かす方が新規の作品より制作にGOサインが出やすいっていうのがあって、続編や版権物、リブートやリメイクばっかになっちゃってますが、80年代、90年代くらいのね、ヒットしたらとにかく2や3まで出涸らしが尽きるまでやっとけ、監督とか主演とか別に変わってもいいから無理矢理2や3を作りますよ、的な感じで作らされたパート2っぽい匂いもして、何だかなぁと。

 

今回から出てくるレディー・ガガ演じるハーレイクイン(リー・クインゼル)も、前作からいるジョーカーの教信者たちも、ある意味前作の映画のファンも、ジョーカーの帰還を待ち望んでた。

そこに対してさぁ、ジョーカーなんて幻なんですよ。悪のカリスマなんか実際は居ない。ほら見て下さい、ただの勘違いしたキモオタ童貞野郎ですよ、なんて否定のされ方をしたらさ、あんまり良い気分では無いですよそれは。

 

じゃあその怒りの矛先を実際にまた現実の世の中に向けた時、それこそ本物のリアルジョーカーが誕生する。それがフォリアドゥ(妄想の感染)なんだ!っていう主張がしたいわけではないよねぇ。

前作の時点でジョーカーではなくアーサーを本当は見てほしかったんですよ、という気持ちはあるのかもしれない。なのでジョーカーとアーサーは別人格と考えて良いのか?みたいな問いを裁判で描いてるんだろうなとは思う。

 

前作ではジョーカーという存在を理解不能の存在として描くんじゃなくて、不幸の連鎖で社会の闇に落ち、その怒りや鬱憤を解き放ったという描き方で、理解や感情移入のしやすいキャラクターに描いていました。
そういうリアリズムの先に、透明な存在だった自分を世間が称え、ましてや女性からあなたに惚れたわ、あなたにぞっこんなのとか言われたらさ、そりゃあそこに落ちるわなっていうのも嫌なリアリティはある。

 

もう、コンビニとか普通のお店で女の子に声掛けられただけで惚れてしまう系男子だよねこれ。私もすっごいわかるもの、そういうの。恥ずかしい黒歴史ですが、私も昔、コンビニの店員の女の子に告白した事ありますもの。今でももし、あなたのブログの大ファンなんですとか女性に言われたら、私はほわ~っと気持ち持ってかれると思う。気をつけないと。

 

って話がそれた。だから今回のジョーカー・・・っていうかもうアーサーですよね。ハーレイはあくまで「ジョーカー」という存在に惹かれたのであって、アーサーに興味は無い。でもアーサーは、ジョーカーとしてではなくアーサーとして本当は受け入れてもらいたかった。でも、悪のカリスマなんて大層なものでなくても、多少は他人の前では何かを演じる部分ってあるだろうし、そこも受け入れてハーレイとある意味破滅の道へと突き進めば良かったのか、あるいはそうできない、ありのままの自分を受け入れてほしい的な弱さこそがアーサーの本質なんだというのを描きたかったのか、なんとも釈然としない感じ。

 

いや、ジョーカーを自分の手で終わらせたかったんだろうなというのは伝わってきたけど。

長い旅の果ての大団円、とかじゃなく、前作の余韻も覚めやらぬまま、終了!撤収~!
みたいな感じが、えええええ~って感じでした。

 

一応ね、ジョーカーが感染したあの若い子とか、ジョーカーからは自立したハーレイクインという存在、顔が半分焼け爛れたハービー・デントとかで今回のなりの余韻は残したつもりではあるんだろうけど、自分のジョーカーは終わり!以上です。っていうのが何とも微妙。

 

なんかありきたりな感想しか書けぬ。
もし、あえての3部作としての次への仕掛けとかでないのであれば、普通に1は大傑作だけど2は蛇足、くらいの評価で終わりじゃないでしょうか。こういうのこそ誰か面白い解釈を出してくれるのを期待してます。

 

※追記
その後、他の人の感想や考察を色々見てましたが、これといったものに出会えず。
そんな中での私が昔から見てるマクガイヤーチャンネルでの、映画評論家の町山智浩さんをゲストに迎えてのジョーカー回

www.youtube.comこれが一番しっくり来ました。
映画の評価が変わるってのではないんですけど、トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックスの過去のフルモグラフィを知ってると、この結末にも、まあそうだろうねっていう必然性が十分にあるというのは納得出来ました。
私、あんまりその辺は触れてこなかったし、前作で言う所のスコセッシの「タクシードライバー」「キングオブコメディ」の影響程には、どういう流れでこんな作品が出来たのかは今の所あんまり語られてませんよね?その辺を知ることが出来て面白かったし結構腑に落ちる部分が多かったです。
配信元はニコ生での専用チャンネルなので、後半部分はメンバーシップに入らないと見れませんが、他の回の無料部分とか見て面白かったら是非。私はだいぶ前から入会済みですが、楽しいですよ。

 

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