監督:マット・シャックマン
脚本:ジェフリー・キャプラン、イアン・スプリンガー、ジョシュ・フリードマン
原作:MARVEL COMICS
アメリカ映画 2025年
☆☆☆☆
過去にも数度映画化されてきた「ファンタスティック・フォー」のMCU版。
とは言え、冒頭からここは「アース828」と表示され、これまでのMCUから誰かしらのキャラが合流するとかも一切無いので、次のアベンジャーズに合流するとは発表されているものの、今作単品としては関連性は一切無し。
つーかMCUで言えば「ドクターストレンジ:マルチバースオブマッドネス」でリードが、「デッドプール&ウルヴァリン」で過去映画のジョニーとかもう出てますしね。
先日のDCの「スーパーマン」と同じくヒーロー誕生のオリジンとかは短い回想のみでショートカット。チームが誕生してから4年が経過しているというのが示唆され、モールマンとかパペットマスターとかF4の定番ヴィランはそこでさらっと流される形で処理。原作1号の表紙を再現したりとファン向けの部分もありつつ、本来はここでレッドゴースト役をジョン・マルコヴィッチが演じていたものの、尺の都合で全カットになったようだ。(お供のスーパーエイプと戦ってるシーンは少し入ってる)
メインヴィランは、予告でも出ている宇宙魔神ギャラクタス。マーベルユニバース全体の歴史を語る上でも必ず出てくる有名エピソードで(邦訳本もいくつかある)、MCUでもサノスを倒した次のシーズンのラスボス枠としてギャラクタスは十分すぎるキャラだろうと言うのはよく予想されてたくらいには大物。原作で初めて出た時は、その絶望感やもう世界がこれで終わるんだという終末観を感じた、という声が多く見られたと言う。
そこを考えれば旧映画「ファンタスティックフォー;銀河の危機」で、ガス状の生命体として、一瞬だけ原作のシルエット風に見える瞬間を作ったりしてたのは、ちゃんと原作を表現しない「逃げ」だと批判された反面、今回の表現で分かる通り、あんまり再現しすぎても結構シュールな画だったりはするので、映像で見たいと思う反面、まあちょっと難しいよねという気持ちもまたわかるという複雑なポジション。
「スクイレルガール」だとその人が認識する恐怖を具現化するある種のイメージ映像みたいなものなので、人間が見れば人間型に見えるし、リスが見るとギャラクタスもリス型に見えるとかいう説明や設定のもあったりした。
今回の映画も、個人的な感覚で言えば終末感みたいなのはあまり感じず、どっちかというとシュールさの方が見ていて勝る感じがしましたけど、それをマイナスポイントに見せない為の、レトロフーチャー度を高めたこの作品だけの世界観作りが上手く機能していたように感じられて、そこは良かった所。
考えてみれば「ファンタスティク・フォー:超能力ユニット」同「銀河の危機」では同時期の「X-MEN」映画がカラフルなコスチュームではなく黒のレザージャケットを着せて、映画のリアリティラインを踏まえるとこんな感じ、みたいなノリで、そこよりは明るめの原色に近いコスチュームは着ていたけれど、やはり発想的には「コミックの世界を現実で再現するとこんな感じが妥当」みたいな発想だったと思う。
そして次のリブート版「ファンタスティックフォー」(2015)版は、前シリーズよりもさらに彩度を落として、いかにもダークでシリアスという安易な発想のビジュアルをしていて、原作ファンからは、ファンタスティックフォーという作品の本来のカラーや方向性がそっちじゃないだろと不評だった。
そこからの今作。MCUとは別バースとして、その流れは気にせずに再度のリブート。最後にジャック・カービーへのメッセージがあったり、劇中の宇宙船がエクセルシオール号(スタン・リーのお約束決めゼリフ)という名前だったり、1カットだけだったと思いますが、マーベル・ブルペン(マーベルの漫画を作っていた編集室。多分そこに居た二人がスタンとカービー)っぽいカットを映してたり、原作へのリスペクトが多めの作風でした。
時代設定を1965年とし、世界観も別アース。今の時代に合わせたりせずに、原作が持っていた牧歌的な時代をレトロとして描く事で、これまでせっかく映画化されてもどこか時代に合っていなかったこの4人組をちゃんと輝かせる事が出来る映画にしよう、という選択がまず素晴らしい。
アメコミヒーローコミックってね、昔から時代分けがされてきて、1938年に世界初のスーパーヒーローの「スーパーマン」が誕生して、そのカウンター的存在の「バットマン」、女版スーパーマン「ワンダーウーマン」らが登場したヒーローコミックの初期がゴールデンエイジと言われる。ここからがアメコミが誕生したという黄金期。
各社がブームに乗れと粗製乱造で大量消費されたのもあってか、ヒーローもやがては飽きられ、ブームは沈静化する。
次の波が起きたのが1960年代のマーベルで「ファンタスティック・フォー」「スパイダーマン」「ハルク」らが登場し、以降続々と増えていき、再びスーパーヒーロコミックが注目されはじめる。ここを「シルバーエイジ」と呼ぶ。DCの方だと近い時期の2代目フラッシュのデビューが例としてよく挙げられる。
ゴールデンエイジ時代は英雄的存在だったスーパーヒーローが、F4にしてもスパイディにしても悩みや葛藤を抱え、時には間違いも起こす「自分達と同じ人間」として描かれる事でより深みを増し、コミックの内容としてもここからどんどん成熟して行く。
1980年代くらいになると、アート、ストーリー、テーマ等々、最初は子供向けだったスーパーヒーローコミックがそれを当時読んでいた子供がクリエイター側に回るようになった等の流れもあり、より深みが増して行く。
よりリアルに、より社会的なテーマなども描かれるようになる。大体この辺りを第3の波として「ブロンズエイジ」と呼ばれる事が多い。ここの頂点がやぱりアラン・ムーアの「ウォッチメン」だと思う。何度も書いてるけど、私の中ではまだウォッチメン以上の漫画と出会った事がありません。
で、そんな極みとは裏腹に、これ以降はその中身や本質では無く、表層的なダークさやシリアスさ、残酷で過激な表現ばかりが劣化コピーされていき、後には「冷蔵庫の女」なんて言葉を生みだす事にもなる。ご都合主義的に残酷に殺され、その過激な描写で話題を取ろうとする悪例。(DCの「グリーンランタン」でのエピソード)
ダークヒーローの系譜は80年代からあったけれど、90年代にそれが過剰にグリム&グリッティとか言われる作風に集約し、それが次の「ダークエイジ」。と呼ばれる時代。「スポーン」辺りがこの時代の代表でしょうか。
ただ、意味のない過激さや刺激で釣ってるだけの薄っぺらいものになってしまったので、これもやがて飽きられ、その場だけのファンも居なくなり、コミック業界は衰退。
それでも残った根強いファンやスタッフが、自分達が好きだったヒーローはただ派手さや過激さを争うようなものではなかったはず、もっとヒーローの根源的な部分を描かなければ、一見バカバカしいタイツヒーローもその精神性をきちんと描く事で、本当に大切な事は何かを描けるはず!みたいな風潮が起きて、00年代辺りは「ヒロイックエイジ」と呼ばれる時代に突入。MCUの前の時代ですが、ヒーロー映画もヒット作が生まれるようになり、そこからの20年くらいが今。
なんかアメコミの歴史みたいになってますけど、昔からのコミックのファンはこの辺りはもう基礎知識みたいなもの。映画からスーパーヒーローのジャンルに入った人は、やっぱり今のヒーロー映画末期感に色々騒いだりするわけですが、コミックファンはこういうのを知ってるので、そうね時代によって衰退とかは歴史としてこれまでも見てきたからね、ぐらいに思う人の方が多いはず。
今回の映画に絡めて、何でこんな話をしたかというと「ファンタスティック4:ファーストステップ」は時代設定やレトロフューチャーな作風、今回に関してはMCUとのリンクはしない。今の感覚で捉えてしまうと色々と突っ込みたくなる部分は多いんだけど、昔の空想科学アドベンチャーの世界へようこそ!今回はわざわざ別枠にしたから、これを個性として楽しんでね、と言う感じで、かつての「シルバーエイジ」時代のF4を目指したのかと。
これまでの作品と比較すると面白くてね。
「超能力ユニット」「銀河の危機」はまさに00年代のスーパーヒーロー映画隆盛の時代の作品だし、荒唐無稽なコミックを、現代に合わせてブラッシュアップさせたファンタスティックフォーはこうかな?ぐらいの「ブロンズエイジ」感覚で作ってたように思う。
次の「リブート版」はまさしくブロンズエイジの次のダークエイジ。元がそういう作品じゃ無いのに、ダークでシリアスなのが今は受けるんでしょ?っていう安易さが正直にじみ出た作品だったように思う。リブート版はダークエイジのファンタスティック・フォーだった。
で、その次ですから、シルバーエイジのレトロ感で、古き良き時代を描きつつ、前作の安易なダークエイジ路線から、ヒーローってそういう事じゃないよね?という部分も考えてあるわけで、全体的な感覚は「シルバーエイジ」風でありつつ、ヒーローの再生としての「ヒロイックエイジ」ファンタスティック・フォーでもあったのだなぁと思うと、そこはストンと腑に落ちました。
シルバーサーファーをノリン・ラッドから女版にしたのは正直残念でしたし(原作にもあるらしいけど、私は女版サーファー読んだ事は無いので思い入れが・・・)妊婦のスーが普通に宇宙に行ってしまうし、そこでスッポンとフランクリンを産んじゃうとか、いやいやいやこれは倫理観がついていけんぞと思ったりはした。
多分、サポートロボのハービーが優秀なんだろうし、生む前に透明化して中の子供を見れたように、スーの能力を使って安全に生む方法とか理屈はいくらでも考えられそうだけど、普通に「えっ?」って思ってしまった。
でも、倫理観うんぬんで言うなら、子供を差し出せば地球は見逃すっていう条件に対して、日本は自己犠牲型ヒーローが美徳とされる文化でもあるし、流石にそこは天秤にはかけられないとは思う。実際、ジョニーが自分が犠牲になればとか言ってたシーンもあったし。
ただそこでね、スーは自分の子供を差し出したりしません。かと言って地球も大事ですので見捨てたりしません。同時に救います、というのはちょっともはやトロッコ問題とはスケールの大きさが違うレベルな気がして、これは凄いなと感心しました。
だってかつてはビジョンがサノスの野望を止める為に自分のストーンを壊してくれってキャプテンに言った時、命の重さに差は無いって言ったりしてたし、逆にトニーやナターシャは自分の命と引き換えにするような形で結果的には世界を作ってるわけで、別の世界だけれど、いや別の世界だからこそかな?
その差が凄いと感じた。それは「母親の強さ」かもしれないし、子供であっても一人の命という「個人主義」というアメリカの考え方かもしれないし、自分の夫でもあり・同じ親でもある世界一の天才リード・リチャーズなら不可能を可能にできるという「信頼」かもしれないし、そしてベンやジョニーも含めたファンタスティック・フォーという家族なら、更には地球全てがファミリーになればきっと困難にも打ち勝つ事が出来る、と言うのは、昔の牧歌的な時代へのノスタルジーだけでなく、今の時代を生きる人への、ヒーローからのメッセージのようにも思えて、そこは大変に面白い部分でした。
比較してる人も多いし、同等に捉えてる人も多いみたいですが、ジェームズ・ガン版「スーパーマン」と確かに近い構造ではあると思う。ただ私は色々とひっかかる部分も多く、あっちほどは絶賛しにくい部分も多かったかなという印象。
この世界の民度高すぎ!という意味では、今回は間違いなく「アルティメットユニバース」ではない世界。(アルティメットユニバースは正史世界よりさらに攻撃的な精神ばかりなので)
今後の「シークレットウォーズ」でMCUを完結させてリセットとかやたらと騒がれてますが、そうじゃないんです。原作でもシークレットウォーズのイベントでユニバースの統合が起こり、本来の正史世界には居なかったマイルススパイダーマンが正史に合流したり、というリ世界観のニューアルが行われたので、それを原作に習ってMCU世界でもやるからリセットって言ってるだけのはず。で、その原作のリニューアル世界だと異世界のアルティメット版リード・リチャーズが悪落ちしてメイカーというヴィランになる。ユニバースの統合なら、今回のリードがそのポジションになるのか?と思ったけど、今回の映画を見てアルテイメット世界の荒んだ世界とは真逆の温かい世界でちょっと安心した、という話。
さて、次は来年の12月「アベンジャーズ:ドゥームズデイ」までMCU映画は無いそうで、一応「スパーダーマン:ブランニューデイ」が先日撮影も開始したようですので、一応そっちも来年公開予定だけど実際に間に合うのかと。みんなに忘れたれたのでアベンジャーズとの絡みも無く、パニッシャーが出るとかなので多分、規模的には小さい形のものになりそう。
スパイダーバース完結編も情報出ませんし、ディズニープラスでのドラマやアニメはあるけれど、終わった「SSU」とかも、あれはあれでつけあわせの箸やすめとしては楽しかったんだけどなと思います。
今回の映画もそうですが、コミックの面白さをスクリーンでも再現しようというのがMCUの本来持っていたコンセプトだと思ってるんですよね。良い映画を作ろうじゃなく、コミックの面白さを映画でやれば良いんだと。それがいつの間にか良い映画でなければ叩かれるみたいになってしまった。私は、ある意味では悪いお客さんなのかもしれませんが、粗製乱造される供給過多な部分も、ある意味コミックの再現みたいでこれはこれで面白いなと思ってたんです(この話何度も書いてきましたが)
ただ本文中でも触れたとおり、10年20年も経てば時代と共に物事は変化していくのが当たり前です。まさに今は映画の方でも粗製乱造で終末感漂うダークエイジがようやく終わって新たな時代が始まろうとしている時期。そこはまたアメコミファンのはしくれとして見守って行こうと思います。
私はウォッチャー、この世界を見守る者。
とは言わないけれど。

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