劇場版『Gのレコンギスタ Ⅱ』「ベルリ 撃進」予告編【ガンチャン】
Gundam Reconguista in G II
総監督・脚本・原作:富野由悠季
日本映画 2019年
☆☆
劇場版「Gレコ」5部作、第2弾です。
TVシリーズの話をわかりやすくする、という触れ込みの1作目の時点で全くわかりやすくなんかなかったのですが、細やかな富野演出がスクリーン映えするのもあって、割と好印象だった前作。
映画の方でGレコに初めて触れた人も中には居ると思うのですが、TV版の評判悪かったけど、結構面白いんじゃない?なんて感じた人も多いのではないでしょうか。
続く2作目。初見の皆様、はいさようなら。ちょっとだけでも富野の世界に触れてくれてありがとう。またいつか自分の理解出来ない世界に触れたくなった時は戻ってきて下さい。ここでしか味わえないものも実際にあったりはしますので。
確か「キングゲイナー」の時だったかと思います。プロデュサーだったか脚本家だったか忘れましたが、富野由悠季はコーヒーで言えばブラックなんだと。通はブラックで飲むのが一番美味しいし、ミルクや砂糖を入れて飲むなんて邪道で、それでは本来のコーヒー豆の味わいが味わえなくなってしまうと。でもそれでは苦くて飲めない人も多いし、より多くの人に美味しくコーヒーを楽しんでもらうために自分達が砂糖やミルクの役割をするんです、的な事をおっしゃっていました。
これ、物凄~~~く的確な例えだと私は思います。富野由悠季本人はこれでもわかりやすくしているんだとは思う。でも誰か言ってあげて、富野さん、これでは多くの人に届きませんよ、もっと薄めてわかりやすくしないとポピュラリティなんて得られませんよ、って。
ええと、これでもまだ複雑な方なのは本人も理解はしてるとは思うのですが、全部を一度に理解なんて出来なくても良いの、その中に何か一つ感じられる熱みたいなものがあれば伝わるものがあるんじゃない、それがベルリとアイーダの二人の冒険譚にしている理由じゃないの。観客をバカにしてはいけません。
とか言いたいんだと思います。40年も続く一大コンテンツになったガンダム。そしてあれだけわかりにくいと言われ続けた「Z」でさえ今は初代に匹敵するくらい受け入れられ方をしている。そういう現実は確かにあります。もしかしたらGレコも20年後30年後に評価されているかもしれないし、実際50年後に見ても楽しめるくらいの情報量はある作品だとは思う。
でもさ~いくらでも代用の効く作品(他の非富野ガンダムとかね)があるこの時代で、そんなにずっと支持し続ける人なんてほんの一握りしか居ないし、逆にガンダムシリーズの一つとして残り続ける事は出来るけど、そんなの本意じゃないでしょ。
TVシリーズはまた別の形で残るんだし、こんなに欲張って色々残さないでバッサリ切るとこ切っちゃえばいいのに。
「劇場版Z」2作目「恋人たち」なんかだと、たまたま中盤に恋愛関係が集中してたので、そこを軸にしてたりしてたけど、なんかそういう軸があまり無かったというか。
教官のデレンセンを殺めてしまったベルリが苦しむみたいなドラマはわかる。でもそこから立ち直れたのは何で?アイーダさんに「恋を知ったんだ」から?だってあんたアイーダさんの恋人も1作目で殺してるでしょ?そもそもアメリア軍(メガファウナ)にベルリが協力してるのって何で?よくわかりません。
でもってメガファウナの危機にミック・ジャックがMAアーマーザガンで救出に来る(でも何故かみんなすぐに一緒には戦わなくてモタモタする)何かすごい戦力が来た、と思わせてくれるのに、宇宙行くと違うMSに乗り換えてたりする(アーマーザガンって大気圏内専用?)
クリム・ニックもモンテーロの青いカラーは引き継いでるけどまた別のMSに乗り換えたりとか、色々なメカが見れるのは面白い半面、このキャラはこのMSみたいなのがあまり一致しなくてすごくわかりにくい。
Gセルフもこの1作だけで、リフレクターパックとトリッキーパックと高トルクパックと宇宙用パックですよ。楽しいのは楽しいんだけど、メカだけでも物凄く飽和状態。
ベッカー大尉(だっけ?)の強烈なキャラクター性とウーシアは「哀戦士」で言えばドムポジションで今回のアクションの山場か!と思ったものの、その後にまたマスクがマックナイフで来てやられにくる(じゃあズゴックポジション?)自分でも何度やられるんだとかギャグっぽくやってましたけど、1回の映画でそんな何回もやられなくても。カットしてエルフかマックナイフかどちらかだけに絞った方が良かったのでは?と余計な心配をしてしまいます。
マスク絡みで良かったのは、マニィが短い出番ながらもぱっと出のミンキーモモみたいなバララに嫉妬するとことか含めて、結構印象に残る。
恋を知ったベルリ、逆の陣営のマニィ、だったらそれに合わせてノレドの気持ちをちゃんと描いてくれてれば、映画として一つの形になったのに。
ノレドが何の為のキャラなのかよくわからないし、セットで出てるラライヤもわかんないキャラですが、まだそっちは今後のカギを握るキャラなんでしょ?っていうひっかかりがある分、許せる。
キャラクターの一人一人は魅力的だし、ただの記号で無くこの世界で生きてる感じがするのは富野の真骨頂、そこは本当に素晴らしい。半面、ただとっちらかってるだけで、物語としてキャラクターを生かしきれてないという印象も残っちゃうのは富野のいつもの悪い部分だと思います。
つまんなくはなかったけど、ただの総集編映画以上のものでは無かったかなという印象です。
う~ん、全体的には微妙かなぁと思ったその時、全く期待していなかったドリカムのエンディングテーマが思った以上にカッコいい。
私は大槻ケンヂのファンです。ブログタイトルもオーケンの昔のエッセイからとってます。オーケンの影響を受けてきた私にとっては、ドリカムは対極にある、言ってしまえば忌むべき存在なのです。今更ドリカムだの使って大衆性だと思ってる富野のセンスの時代遅れ感、そこは最低・・・と思ってました。うん、でもドリカム良かったよ。生まれて初めてドリカムを良いなと思えました。それだけでもメチャメチャ収穫でした。
次も楽しみです。ドリカム凄いね。
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