僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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Gのレコンギスタ IV 激闘に叫ぶ愛

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Gundam Reconguista in G IV
総監督・原作・脚本:富野由悠季
日本映画 2022年
☆☆★

劇場版Gレコ5部作、4本目です。2週後に最後のパート5も連続公開されます。
富野がインタビューで言ってました。こういう形ならもう少し早く言ってよ!って。

 

ここからはあくまで私の勝手な想像ですよ。そこはまず御理解戴きたい。
普通に考えたらこれ、要するに打ち切りですよね。当初から、確実に5部作完走できる補償は無い、ファンの支えがあれば的な事は言ってました。

 

閃光のハサウェイ」は想定以上にヒットしました。「ククルス・ドアンの島」も、閃ハサほどではないにせよ、それなりの成績は治めてます。でも「Gレコ」は残念ながら結果を残せていません。4までの枠は何とか用意してやる。でもそこから半年後とか1年後の5の枠は無し。それがこれまでの結果だと会社側に判断されたのは容易に想像がつきます。だったらもう4の枠を使って5まで出し切るしかないと。

 

富野的作品的には「∀」の劇場版「地球光」「月光蝶」の2部作に近い感じでしょうか。2作分の枠はとれないから、日替わりで1と2を交互に上映するというかなり変則的な上映でした。「Z」の劇場版みたいに1本づつ作られたわけではありません。

 

完成披露特別上映では、4と5を一気に上映したようですし、その感想を聞くと、新規絵は4の方が圧倒的に多く、5は基本TVのままに近いという声を耳にしました。そりゃ当然でしょ。4を頑張って作ってる時に5の予算は出せませんって言われたんでしょう。だったら意地でも編集だけで仕上げてやるよって形になったのでしょう。

 

いや、あくまで想像の話ですよ。

 

そもそもちょっと前からやってるガンダムカンファレンスという、ガンダムを世界的IPに育てるというプロジェクトで、そこでは「Gレコ」ってほとんど触れられてません。そこで今後の戦略として出ていたのは「ドアン」「オルフェンス」「水星」「SEED劇場版」「ハリウッドガンダム」「ビルドシリーズ」です。

 

富野「Gレコはガンダムではありません」
バンナム「あっそ、ガンダムじゃないなら、じゃあ面倒見る義理も無いね。手切れ金として4までの枠は用意してあげるからあとは自分でやってね。あ、ガンダムじゃないならプラモも出なくていいよね。今はガンプラバカ売れしてるから、ガンダムじゃ無いものに構ってる余裕ないし」

 

って話ですよね。あくまで想像上の話。

 

そもそもが「Gレコ」っていう企画がそうじゃないですか。
富野の制作意図という意味じゃ無く、会社側が抱える巨大IPの「ガンダム」を考えた時に何故Gレコが作られたかっていう部分ですよね。だってGレコTV版の時って、同時期にビルドファイターズとかやってたんですよ?同じガンダムを同じ時期に被らせるとか、商売としてはありえませんよね?ちゃんと時期をずらせば、ガンダムオタクは両方に金を落とすのに、同時期だったらどちらかだけを選ぶって人は多いはず。そんなのマーケティングなんか知らない素人だってわかる話。

 

富野由悠季ガンダム作品に原作者としてクレジットは入るものの、ガンダムそのものの権利を持ってるわけではないのは有名な話。若い頃にいくばくかのお金で会社に譲りました。「原作:富野由悠季矢立肇」というクレジットだって、多分絶対に入れなくてはならないものでも無いですよね?(ここは調べてないので間違ってたらゴメンなさい。一時期のガンダムコミックとかでその表記の無い物もちょこちょこあったので)あくまで義理立てして、便宜的に入れてるものなはず。

 

ただね、もうガンダムは会社の所有物になってるとは言え、間違い無く富野がガンダムの生みの親なのは間違いないし、世間的にもそこは名前が通っている。サンライズっていうアニメ制作会社もそうだし、バンダイナムコ的にもガンダムがあるから大きく成長出来たというのは否定しようの無い事実。けれど、ガンダム以降の富野が作る作品が商業的に成功したかと言えば、やはりそこは微妙な所。功労者として讃えはするけど、会社組織としては扱いの難しい人なわけですよね。

 

所謂一般の会社組織で言えば、「会長」みたいなポジション。もう実際に会社を動かす実行権利は後任の社長とかに譲ったんだし、引退した身分なら、余計な口は挟まないでくれと。もうあんたの時代の会社じゃ無く、代替わりしたんだから、時代に合わせた今のやり方があるんだと言ってるんだけど・・・会社を大きくした功労者だし、なかなかそんな人を邪険に扱う訳にもいかず、その人が自由に動かせる1部署だけ置いておいて、そこだけ特別枠として確保しておく。そうすりゃ他の部署の余計な所にまで口を挟む事も無いし、おもちゃをあずけておけば外に迷惑がかかる事も無い。それがTV版「Gレコ」だったと思うんですよね。

 

富野監督と言う老害を、それとなく一部署に留めておくための特別部署、特別班みたいなものです。いや老害とか言うと、アンチと思われるかもしれませんが、私は長年の富野ファンです。信者ではないけれども。

 

TV版Gレコが終わった後も、ここまで劇場版を引っ張ってこれたのは会社側にそういう意図があったから。とりあえず富野さんにはおもちゃをあずけておけばそれなりに静かにしててくれるから。イベント事とかには顔出してもらって、それで面白可笑しい話題を振りまいてくれればそれでOKじゃないかと。そういう意味では、マーベルとスタン・リーの関係にも似てるかも。

 

じゃあ何故それが突如4で打ち切りなんて言う話になったのか。答えは簡単「サンライズ」っていう会社がもう無くなったからですよ。「バンダイナムコフィルムワークス」に置き換わって、もう富野に義理立てするような人が居なくなっちゃったんでしょう。商売でやってるんだから、利益の出ないものにお金は出しませんよ、っていう。


だって富野だけじゃなく、同じ立役者の安彦さんだって、オリジンの始動編とかに繋げたかったのに、後1本だけ自由にやっていいから、あとはオリジンも思ったほどは売れなかったから打ち切りね!で作ったのが「ククルス・ドアン」ですから。ドアンも思った以上のヒットにはなってるので、そこで変化はあるかもしれませんが。

 

何度も言うけど、これ、私の勝手な想像の話ですからね。状況から見てこうなってるんじゃなかろうかという私の勝手な分析です。実際には想像の内容が当たってるかどうかは知りません。

 

という前置きはここまでにして、Gレコ4を語ろうかなと思いましたが・・・今回は大した事を語りません。ファンの間では割と評判が良い印象ですが、そりゃあここまで見てるファンならもうGレコが元々好きな人しか見て無いだろうって思いますし、別にそこには文句付けたりはしません。

 

ただ私個人の感想としては、相変わらず専門用語の羅列ばかりでついていけないし、わかりずらくて微妙だったかなと。

 

ええとね、前回の「3」の時に、私は、ようやくGレコが何をやってるのか、何をやりたいのか理解出来たと書きました。おかげさまでちょっとだけバズりました。1日1000PVとか、ちょっとビックリしました。3日で終わったし、毎日何万PVとかあるのが普通のとこにとっては微々たる数字でしょうけど。

 

なるほどこういう事だったのかと、Gレコと言う作品がストンと腑に落ちた瞬間がありました。そうか、これまでは自分が理解していなかっただけで、Gレコってこんなに面白かったのか、或いはこんな見方をすれば良い作品だったのかと、そこに偽りの気持ちはありません。

 

けどね、今回4~5を見るにあたって、そういえば購入したまま未読だった富野の「アニメを作る事を舐めてはいけない」っていうメイキング?本を読み始めたんですよ。っていうかまだ序盤もいいとこなんですけど、Gレコの企画書がそのまま載ってます。

 

つーかそれに全部答え書いてあるじゃん!Gレコが何をやりたいのか?何を描いてるのか?それが全部ストレートに載ってる。

 

私が前回ようやく気付いた、タワーを上る事=少年の世界が広がっていく事、みたいなのものもね「タワーを昇る事で少年の上昇志向を重ねたい」とか、もうストレートに書いてある。問題集の答え合わせがちゃんとここに載ってました。Gレコを理解したいなら、普通にこの本を読めばいいと思います。なんか自分が読み解いたみたいに思っていたのがちょっと恥ずかしくなってしまいました。

 

あえて答え合わせをせずに次の最終章を見るという手もありますが、一度はTVシリーズを見てはいるんだし、せっかくなので5を見るまでに本も読み終えてから次に挑もうかと思います。その方がより楽しめるかなと言う気がしますし。

 

ここまで割と長く書いてきてしまいましたが、私にとってこの4部が低評価な理由を二つ簡単に書きます。

 

今回の話のメインの流れは、ビーナスグロウブ編という事で、所謂世界の果てまで対にたどり着いたぞっていう話で、そこで世界の真実を知る、みたいな話ですよね。世界の果てまで来たんだから、そこが例え宇宙空間であろうと、少年にとっての世界の果て=海に決まってる!みたいなのは面白い部分です。多分、TV版とは形が変わっていたと思うのですが、ビーナス・グロウブもそうですし、クレッセントシップ、フルムーンシップ、後半のカシーバミコシとか、巨大建造物が映画のスクリーンに映えて、そこはとても見応えがあります。

 

ただ今回の4部のメインの敵となるジット団。一応は作品のタイトルになってるレコンキスタ=地球帰還を夢見る連中ですけど、そこ以上にね、やっぱりヘンテコMS軍団っていうビジュアルインパクトも大きいじゃないですか。

 

超巨体なジロッド。まるで全身が手のような形のジャイオーン。一点集中特化型ジャスティマコンキュデベヌスもそうです。なんかさ、長谷川裕一味が凄くありません?つーかこれそのまま「サーカス」の系列機って言っても十分に通用します。

 

ただこんな個性的なMSを全然演出で生かせてなくないですか?


富野って昔からこういうのは結構上手く生かせてる印象もあるんですが、今回は正直イマイチ。とゆーか、これが長谷川裕一だったらメチャメチャ面白いMSバトルになったんだろうなって考えが頭によぎっちゃったんですよね。弱点を見つけたりして、ロジックとして面白いバトルを展開してくれるはず。実際サーカスMSとのバトルって面白かったじゃないですか。まずここが大きな不満点です。

 

そしてバトルと言えば、誰もが大絶賛する後半のマスクとの新規映像でのバトル。ここはね、ホントに凄い超絶クオリティで、このシーンの為だけにGレコを見る価値があると言っても過言では無いくらい、本当に凄い。

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でも私思ったんですけど、これ何の為にやってるの?そこが正直わからなくて、単純に絵のクオリティには圧倒されたけど、この映画、前半はマスク出て無いんですよ。金星方面への旅にはマスクはついてこなかったから。

 

それなのに、いきなりクライマックスの見せ場で出てきて感情を爆発させても、え?何でこの人こんなに怒ってるの?何でこんなに感情を爆発させてるの?だってお前の話前半何も無かったじゃん?

 

爆発するって、タメがあるから成り立つんであって、前半で溜めて溜めて、ようやくクライマックスで大爆発させる事でカタルシスが生まれる。映画・或いは物語の原理ってそういうものじゃないですか?

 

感情が乗らなければ、いくら凄いクオリティの絵があった所でそれは単純に技術的に凄いっていうだけの話ですよね。富野なんてリミテッドアニメの申し子みたいなもの、動かない絵でもそれをいかに演出で凄い物に見せるのか、っていうのをずっとやってきた人じゃん。

 

マスク戦、ホントに凄いし一見の価値はあるバトルシーンなんだけど、ただ絵のクオリティが高いだけ以上には感じられなかった。絵なんか動かなくても、見てる方の感情が揺さぶられれば、見た目の絵以上の物が見えてくるのが演出の妙なのに。

 

逆を言えばね、あれだけの感情を爆発させるものがマスクにはあった、と逆説的に考える事も出来るわけです。例えばの話、金星への旅に同行したマニィが向こうでの戦いで命を落としてしまった。それを知ったマスクがベルリに怒りをぶつける!とかなら物凄くわかりやすいんです。マスクの怒りは最もだ、であったり、マスクはそれほどまでにマニィを思っていたのだ、という感情を読み取ったりも出来るから。

 

でも今回、そうじゃないですよね。一応の流れとしては、Gセルフのパーフェクトパックに装備された、フォトントルピードという新兵器を何気にベルリが使ってみたところ、それがとてつもなくヤバい代物だった。

 

元々、MSで戦争なんかをやって、人殺しなんか普通にやってる人でさえ、それは非人道的な武器じゃないかとドン引き&怒りを露わにする。Gセルフ=技術の革新の最先端が必ずしも正しい物では無い、というテーマ的な部分もあれば、今回は明かされないけど、そこで激高する理由をマスクは抱えている、という描写とも言えるわけですが(自分のルーツに関わる部分=一方的な力での抑圧に対する嫌悪感)或いはもっと単純なコンプレックスでも良いんだけど、そういうものに繋がってこないから、2時間見て来た映画のクライマックスが、ただの派手な映像でしたっていう印象になってしまう。

 

これ、まともな映画なのか?っていう話ですよ。これはある意味仕方ないのかもしれませんが、富野はこれを2時間の映画としてなんか作って無いだろうと。5部作の第4話としてしか作って無い。映画ってそういうもん?と、映画オタクな私は冷めた目で見てしまうのでした。

 

Gレコ全体に言えるんですけど、非常に頭でっかちになって作ってるので、そこは昔からの富野の悪い部分です。本人は気付かないのよ、ちゃんと自分の中に答えはあるから、そこを読み込めるようにきちんと作ってはいるんです的ないつも通りの事を言うだけ。

 

最終章の5部、或いは本の方の感想ででも、Gレコは何をやろうとしている作品なのかって触れますし、そこは実際に凄いなと思う部分ではあるんだけど、50年後も生き残る作品でありつつ、そりゃあ今は受け入れられないだろうなと思う。

 

冷たい言い方だけど、これでは打ち切られるのもやむなし。かと言って、バンダイナムコピクチャーズのこの切り方もね、いかがなものかと。あと残り1作分、ちゃんと予算と期間は取ってあげても良かったのに。

 

多分ね、次の5で富野の最後のフィルムでしょう。次回企画の「ヒミコヤマト」でしたっけ?まだ案を練ってる段階で企画書として出すまでの形にもなってないっぽいですし。

 

1~3までは地元の山形でも公開日程は遅れつつ、ちゃんと上映してくれたので、そこで観に行きました。ただ今回、どうにも地元では予定に入って無いのです。(ククルス・ドアンはやったのに!)
仕方なく、隣の宮城県まで遠征して今回は見て来ました。5も同じようにする予定です。まあ1時間ちょっとですので、言う程遠征ってまでは遠くないのですが、わざわざ時間とコストをかけてまで観に行くのは、やっぱり気持ちのどこかに今回で富野作品をスクリーンで見るなんて最後だろうというのがあるからです。配信やソフトで無くね、一応の形は映画として作られたものであれば、それは劇場で観ておきたい。

 

映画に対しては酷評みたいな形になってしまいましたけど、やっぱり長年ファンをやってきたのは事実だし、そこに対する思い入れや感謝はある。けれど、ただ言われるままに受け入れるんじゃなくて、自分なりのスタンスで真剣に作品と向き合うという方が面白かったりするので、そういう意味ではね、最後がどうなるのか自分でもわかりません。

見たく無くても見る!それがGレコ。
いやホントは普通に楽しみです。

 

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