僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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Gのレコンギスタ Ⅲ 宇宙からの遺産


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Gundam Reconguista in G III

総監督・原作・脚本:富野由悠季
日本映画 2021年
☆☆☆☆★

 

劇場版Gレコ5部作の3本目です。
私は富野ファンですが、TV版、劇場版前2作、正直そんなに面白くはなかった。勿論、長年のファンとして、富野演出の巧みさとか、要所要所で楽しめる面白い部分はあるんだけど、やっぱり全体的に何をやってるのかがとてもわかりにくいし、長年追いかけてきた義務感みたいなので見ているというのが本音でした。好きな作品かと言われると、やっぱり上の方には間違いなく来ない。

 

劇場版はTV版から反省してわかりやすくした、と散々言ってるけど、そうかなぁ?言う程は変わって無いと思うし、これが若い人達に届くとはとても思えない。私みたいな古参ファンとかが、熟成された富野演出を楽しむだけのご老体向けの凄い狭い作品にしかなってないんじゃないの?とこれまでは思ってました。

 

今回もね、冒頭から固有名詞の洪水で、何がなんだかさっぱりわからないわけですよ。誰が敵か味方かもわからないし、場所なんだか物の名前なんだかもわからなければ、行動原理とか勢力とか目的もなかなか掴み難い。相変わらずだなぁと。

 

私はTV版の方を1週しただけですが、どこが新規追加カットなのかとかもわからないくらい細部は憶えて無いです。何と今回8割新規作画らしい。マジか!?つーかそれってほとんど作り直ししたってレベルじゃないのか。

 

で、思ったんです。そこまでするなら、そして本当に今の子供達に見てほしいって思ってるなら、もっとシンプルに、もっと単純にしなきゃダメなんじゃないの?思いきって勢力抗争とか削っちゃって、単純にベルリが宇宙を目指す話にするとかさ。

 

・・・ん?あれ?んんん?

 

っていうか今更気がつきました。いや、そういう話じゃんか。


今回の3作目、流れとしてはキャピタルタワーの頂上にあるザンクトボルトに辿りつくとこから始まります。そこにこの世界の秘密があるのだと。そしたら地球ではなく、その先にある月の勢力が攻めてくる。じゃあこの戦いの根源は月にあるんだ、月を目指そう。なんとか月にたどり着くと、ここも実は宇宙軍の本拠地では無かった。さらにその先、金星に秘密が隠されているんだと。よし、じゃあ今度は金星を目指すぞ!というような感じになってる。

 

いや正確に言うとビーナスグロウブって金星方面っていうだけで、実際に金星にあるわけじゃないみたいですが(Gレコにそんな熱意を傾けたわけじゃないので、細かい資料を読み込んだりまでは私してなかったのです)


頑張って上を目指して、やっと頂上まで辿りついたら、もっと大きな世界が広がっていた。そこに一歩踏み出して見たら、さらにその先まであるらしいぞ、っていう。

 

小さい世界だけで生きていた人達が、上を目指して行ったらもっとより大きな世界が広がっていくっていうの、冒険譚としてもそうですし、成長という意味合いでも、物凄く普遍的な話ですよね。なんだったらバトル物のインフレでも同じ。やっと強敵を倒したと思ったら、今度は、より強い敵がまた現れる、みたいな。

 

あれ?Gレコって実は意外とそんな単純な構成だったの?上を目指して先へ先へと行くと、どんどん新しい世界が広がっていくってそういう話なんだと今更になって気がつきました。TV版もあるので普通にネタバレしますけど、この後は金星まで行って世の中の仕組みみたいなのを知ってそこからまた地球に戻るわけですよね。

 

いわゆる「行きて帰りし物語」の構図になってる。冒険に出て、世界の広さや大きさを知って成長して、そして元居た場所に戻ってくると、また世界を違う角度から見る事が出来るようになると。

この構造が昔からの定番なのは、それは物語を見ている人が、現実に戻った時に、この物語を通して新しい知見を得て、一歩だけまた成長したんだよっていう感じになるという、いわばメタ構造と重なるからです。

 

そういう基本的な根っこの部分があるから、各陣営の勢力争いとか個々の思惑なんかあんまり気にしなくていいよ、そこは楽しみたい人だけ勝手に楽しんで、そんなのおじさんたちがわけのわからない事をグチャグチャやってるだけなんだから、そんなものに囚われる必要は無いんです。

 

今回、ベルリとアイーダさんの出生の秘密とかが月のトワサンガで明かされますけど、過去の因縁とかゴタゴタに巻き込んですまない、とあやまられても、ベルリとアイーダは自分達はあくまで自分達の考えで生きて行く、過去なんかどうでもいい、自分達の生きているリギルドセンチュリーを否定するなってアイーダさんが言いますよね。


あれはリギルドセンチュリー=Gレコという作品の事で、同時に、今を一生懸命生きている人を否定するなっていう事なのでしょう。

 

ありがちではありますが「オトナ帝国の逆襲」と同じテーマですよねそこって。昔は良かったとか安易に言いがちですけど、今の時代に合わせて、今を一生懸命生きてる人を否定してやるなよ、っていう。

 

いやね、「閃光のハサウェイ」メチャメチャ面白かったですよ。富野ファンが見たかった、富野ファンも納得する出来栄え。あれをきちんと今風にアップデートしてちゃんと今に響く作品にしたのは本当に凄いと思う。正直に言えば私もGレコよりも閃ハサの方がずっと好きだ。

 

でもさ、書いた本人にしてみれば、20年前に書いた小説を今ありがたがってどうするのよ?それで盛り上がってくれるのは嬉しいけど、それでも結局は過去の遺物でしょ?そんなものに囚われてる世の中って健全だと言える?昔は良かったって言ってるおじいちゃんと一緒じゃんそれって。


ちゃんと今は今と向き合わなきゃ。それがGレコなんだから、自分はそれに集中する。昔の奴なんかもう未練はないから好きにやっちゃってちょうだいよ。「宇宙世紀」なんてもう過去のものなんだってこっちはやってるからな!っていう事だろうと。

 

で、冒頭の「わかりやすさ」或いは「わかりにくさ」に話を戻すとさ、ストーリーや設定、ドラマを誰でもわかるように単純にする事が今に合わせるって事じゃないよ、と。そんな考えは子供を、今の若い子達を舐めているっていう事です。

 

考えても見れば、「Zガンダム」ってリアルタイムの時は散々こきおろされました。Gレコもそうですけど、内部抗争なんて何をやってるのか理解不能だし、個々の人物が何を考えて、何を目的に行動しているのかその理念もよくわからない。でもそれがですよ、何時の間にやらガンダムシリーズの中でも上位に来る人気作に何時の間にかなっちゃってますよね。あんなにわけわからん、つまらんと言われた作品が。

 

ついでに言えば私は「Vガンダム」がリアルタイムで見てた作品なんですけど、まあこれも散々叩かれました。でも私は「Vガン」こそが一番好きなシリーズです。わかんないなりに一生懸命理解しようとしましたし。

 

つまりは「Gレコ」だってそういう事なんですよ、と多分富野は言いたいんでしょう。わかんないなりに自分で解釈してくれればそれでいいし、子供向けに手取り足とり何でもレクチャーして導いてあげる必要なんて無いと。子供を舐めるなよ、っていう作りなんだと思います。ああ、富野変わってねぇな、と微笑ましく思えてきました。

 

勿論、それが商売的に上手く行くかというのは別の話ですし、富野が言ってる事やってる事が全て正しいのかというのはわかりません。変わっていないという事は時代に合わせた作りにはなっていないという事でもありますから。その考え方自体が古臭いというかね。

 

因みにそういう富野の、或いは作品にある情報量をとにかく詰め込んでその説明はしない、っていうのは、スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」の影響は多分にある。あれがガンダムに与えた影響は大きいですし、SFっていうジャンルに対してもそうです。実際の2001年なんかとっくに過ぎた今でさえ尚語り続けられるマスターピースとしてあの作品は絶対的な価値と存在感のある作品。

 

で、そんなに有名なのか。じゃあ一度見ておこうかとか思って手を出すと、「わけわからんかった」ってみんななるのがオチです。多分あれ見て、素直にああ面白かったな、なんて思う人はほとんど居ないはず。でも、それでも語り継がれてるんですよね。(そこ考えるとファーストガンダムはやっぱ凄い。多分、ほとんどの人が素直に面白かったって思ってくれる作品だから)

ああいうのを意識してるから、とにかく情報量の洪水にするし、だからこそGレコは20年(50年だっけ?)耐えられる強度を持たせてある的な事を言うのでしょう。

 

ついでに言えば今の時代は多少わかんない事があっても、手軽にネットとかで調べて情報は得られる時代ですし、それが今なんだからっていう富野なりの時代に合わせた考え方なのかもしれません。「Z」のティターンズエゥーゴなんかもさ、あれって皆ゲームやったり設定とか読み込んだりして、ああこういう事だったのね、って昔よりずっと理解度が上がったのって、やっぱりそれも時代の変化があったからですよね。多分、そういう所も踏まえて、別におじさんたちがどうこうやってる部分の全部を理解して見る必要なんかないんだよ、っていう作りにしてあるんだと思う。

 

とりあえずはベルリ君とアイーダさんだけ見てくれてればそれでいい、的な作り。ただそれでも感情的な部分とか、人物造形までを適当にしてしまうと、そこは本当に乗れなくなってしまうからと、そこを劇場版では補足してある感じで、その部分に対して「わかりやすくした」って言ってるんだと思う。

 

ゴメン、そういう理解が私はこれまで欠けた上で見てました。わかりやすくしたって言ってるけど、全然そうなってねぇじゃん!って。世界観とか話の説明ではなく、その感情の部分のみをわかりやすくしたって事だったのね。

 

他人の感想とか見てると、みんな言ってるけど、ノレドの追加シーンとかホントに良かったね。「勝ったと思っちゃった。でも忘れてね」って言う。ベルリとアイーダが真実を聞かされて、それを踏まえて過去の行いとかも含めて物凄い葛藤をしてる状況で、そこをさらに重ねるというドラマの極み。富野演出だなぁと思うし、凄く面白かった。

 

基本はやっぱりベルリとアイーダなんだけど、そこに付随してくるのが若者たちの等身大っぽいドラマと、それに対比するようにおじさんおばさんの方は利権とか地位とかそっち方向で動いてる所が多い。その差がまた面白い。

 

ノレドとかマニイもそうでしたし、マスクとかクリムとかは野心に溢れてるし、基本的にどこの陣営も男女ペアで描かれてるんですが、そこの掛け合いもまた面白いんですよね。ロックパイとマッシュナーコンビは女性上位だったりもしますし、それはそれで微笑ましい。

 

で、微笑ましいと言えばゴミ掃除エピソードですよ。金星へ向かうクレッセントシップは貴重なものなので、あれだけは壊すわけにはいかないと、全部の陣営がそこだけ一つにまとまってゴミ掃除をする。おお!人類一つになれんじゃん!とか思わせつつ、そんな中でもまた小競り合いをしたがるし、さらにその中で男女ペアもまたわちゃわちゃする、という面白い山場になってました。

 

そこより少し前ですけど、まず前半でタワーの頂上まで行った時に月のトワサンガが攻めてきたから、一度は地球陣営のみで共通の敵に立ち向かおうって表層上は手を組む形になる。でそれが今度は月に行ったら金星の船を壊しちゃダメだと、今度は月陣営とも手を組む、というリフレインが非常に面白い構成だなと。最初に捕虜になったリンゴさんがいつのまにか仲間になってるというのも、ある意味ツッコミ所ではあるんだけど、そのわちゃわちゃ感が面白い。


で、今回、そのリンゴと仲良くなってるラライヤが記憶を取り戻す。前も書いたっけかな?ラライヤって要は「∀ガンダム」のロラン君で、肌や髪の色、金魚のおもちゃを常に持ってるという部分もそうですし、実は月の住人=ムーンレイスで、先遣隊として送られた存在だったというのも全く同じです。

 

その辺から考えると、Gレコって∀ガンダムのセルフリメイク的な要素も入れてあるんだと思ってましたが、月までで留まった∀ガンダムと違って、Gレコはその先の金星まで描くことになる。

 

時代設定的にね、∀ガンダムって、全てのガンダムの歴史の先というか果てなんですけど、富野がGレコは∀から500年後くらいを想定して描いてるよって言っちゃって、あれ?つじつま合わなくね?とちょっと騒がれたりしてましたが、要はテーマとしてGレコは∀よりももっと先を想定して描いてるよ、って事なんだと思います。

 

∀ガンダムだと、行きすぎた進化は一度黒歴史として封印しなきゃならなくなるまで行っちゃったんだよ、程度に済ませてましたけど、Gレコは金星まで行くとクンタラの歴史とか奇病とか、人類の進化やべえぞ、もう袋小路状態なんだよっていうのをストレートに見せるので、単純に時代設定の上ではGレコ→∀でも全然間違いないんですけど、考え方とかテーマ、見せ方としては∀の先にGレコの描写に繋がるので、その辺の食い違いがあるんじゃないかと。

 

いやあ、次の4部も楽しみになってきました。


長年富野を追いかけてきたからな、仕方ないから見ておくか、ぐらいの気持ちだったんだけど、TVシリーズ、そして映画3本を経て、あれ?Gレコって面白いんじゃね?つーかGレコ凄く無い?自分が理解して無かっただけで、結構とんでもない作品だったんじゃないかと今更になって今回やっと気付けました。

 

元気のGは始まりのG!
GレコのGは誤解しててゴメンなさいのG!

 

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