僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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機動戦士クロスボーン・ガンダム

 

機動戦士クロスボーン・ガンダム(1) (角川コミックス・エース)

MOBILE SUIT CROSS BONE GUNDAM
原作:富野由悠季
漫画:長谷川裕一
刊:角川書店 角川コミックス・エース 全6巻 1995-97年(連載1994-97)
☆☆☆☆☆☆

 

ええっと、まず最初に、青森美術館富野由悠季展、諦めました。
去年のGW中に行く予定だったのですが、コロナ禍で1年延期、今年は無事開催されて、行くつもりではいたのですが・・・う~ん、流石に県をまたぐのは控えようかと。別に一人で行って帰ってくるだけなら正直大丈夫だと思う。でも万が一というのもある。この自粛してる時期にさ、なんか欲望の赴くままにって違うかなと思って。


いや去年からずっと楽しみにしてました。年に10回近く他県に遊びに行ってたような私ですが、もう1年以上は地元の山形から出てません。凄い悔しい、凄くツライ。ストレスもメチャメチャ溜まってます。コロナ禍だから仕方ないとは思ってません。ずさんな対応しか出来ない国が悪いと思ってます。オリンピックを強行しようとしてるこの国はもう終わってます。いつのまにか日本はもう先進国じゃありません。

 

我々の国はもう変わってしまったのだよ、SF映画に出てくるディストピア社会のようにな!

 

という事で「クロスボーンガンダムDUST」完結記念として、せっかくだからと1から読み返そうと言う企画です。まずは当然一番最初の無印から。「逆襲のギガンティス」からにしようかとも一応考えましたが、その辺りは流れでおいおい再読していこうかと。

 

今でこそメタルビルドだのリアルグレードだので優先されて出るクロスボーンガンダムですが、ぶっちゃけ当時はそこまで人気無かった。いや私もリアルタイムで連載読んでたわけではなく、確か完結してから読んだクチです。「Vガン」はリアルタイムで見ていたので、一番思い入れのある作品なのですが、私の住んでる地域では流れで「Gガン」以降放送されませんでした。OVAの「08小隊」は早く次の話こないかな~とか思ってた記憶があるので、その辺りを待ってる時期にレンタルビデオでまとめてアナザー見たり、それだけでは飽き足らず、じゃあ全部のガンダム漫画とガンダム小説を制覇してやろう、みたいな感じで集め出した中に「クロスボーンガンダム」もあった気がします。

 

今だと単行本6冊分って決して珍しくは無いけど、当時はこの分量でのガンダム漫画って無かったはず。しかも富野御大が実際に関わってるというのも珍しかった。

 

「F91」のシーブックが継続して出てるのもあってか、よく昔からF91の続編的な言われ方をしてきましたけど、コスモバビロニア戦争の顛末が直接描かれてるわけではないので、そう言われると結構違和感があります。W主人公としてトビアを配置して、メンター役をやりつつシーブックのカッコよさも十二分に描き切るっていうセンスが抜群。

 

少年活劇物っていうコンセプト自体は最初からあったっぽいけど、そこは明らかに長谷川節かと思われます。「Gレコ」でさ~、難しい事は考えずに少年の冒険譚として見て欲しいとか劇場版の方で富野は言ってるけど、なら長谷川の力を借りれば良かったのにとか今更ながら思わないでもない。いくら劇場用に再編集した所で私はそうなってるとはとても思えなかったし。

 

ああそう言えば関係無い話だけど、「機動新世紀ガンダムX」で設定協力に長谷川の名前がクレジットされてるのは、実際何か協力したわけではなく、クロスボーンの方が先行して連載してた(しかも富野の原作付きで)ので、後から正規のTVアニメでガンダム「X」にしちゃうってそりゃ無いよ、と嘆いたら、クレジットに名前が入る事になったのだとか。

 

アルファベット的には「CROSS BONE」ながら、交差する骨のXがモチーフで、X型のバーニアが特徴のシルエットなのでクロスボーンも言わば「Xガンダム」なので、同時期に同じモチーフだとそりゃちょっと抗議したくもなるわな。

 

この辺を踏まえて「ビルドファイターズ」でマオ君がガンダムX魔王→クロスボーンガンダム魔王と乗り換えてクロボンにサテライトシステムを搭載してたのはなかなかにマニアックなネタでした。

 

で、クロボン本編に話を戻すと、読み返してこんなに短い話だったっけ?
と思ってしまった。

 

トビアが宇宙海賊に合流して、木星の総統ドゥガチが居るとされる木星イオへ攻め込む。何とか倒したかと思ったらその隙に木星軍は地球へ侵攻。海賊軍も追いかけるも出遅れて後手に回り敗北を喫する。表向きは平和的な交渉を装っていた木星軍がその本性を現した時に、海賊軍は残党をかき集めてドゥガチの野望を打ち砕く為に最後の戦いに挑む、っていうぐらいのストーリー。

 

ただその中で印象的なシーンやセリフがこれでもかと盛り込まれてて、非常に濃いし、何度読んでも本当に面白かった。

 

個人的には一番好きなのはカラス先生の
「我々は木星人なのだよ。古いSF映画に出てくるようなね」
っていうのが強烈でメチャメチャ好きだ。価値観の反転みたいな部分です。

 

人が宇宙に新しい大地を求めたっていうのが現在から見たガンダムの未来感なんだけど、SF映画とかだと火星が昔からタコ型宇宙人とかが住んでるとされてきた。それが宇宙戦争とかのトライポッドとか、宇宙世紀では無いけど「Δアストレイ」とかでは火星が舞台になってきた。ああ、宇宙世紀だと「F90」が一応火星絡みか。まだ完結して無いので読んで無いけど「ガンダムインレ」も確かそうですよね。

 

その火星よりも遥か先にあるのが木星ですよね。ガンダムシリーズだとジュピトリスがヘリウム採取で木星を行き来してるっていう設定があって、「ZZ」でジュドーが最終的にそっちへ旅だったリ、「Z」のシロッコ木星帰りの男、として一目おかれてるし、時代は前後するけど「Vガン」のフォンセ・カガチも木星出身というのがあって、木星には人の価値観を変える何かがある、的に思われてきた。サイバーコミックスでやってた「ジュピターミラージュ」とかも、そのわけのわからんものを、わけのわからん感じで描いてた作品だった気がする。

 

ただこれって、フィクションではなく現代の感覚で言えば、初の有人宇宙飛行を成し遂げたガガーリンの「地球は青かった」とか「ここに神は居なかった」みたいな言葉だとか、初の月面着陸のニール・アームストロングの「一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な一歩だ」みたいな所を踏まえて考えるとより面白く見えてくる部分。

 

実際にどうかはわかりませんが、昔からよく宇宙に行った人は価値観の転換が生まれるとか言われてて、宇宙に行って戻った後に妙にスピリチュアルとか、逆に自然回帰みたいな方向に行っちゃう人も多いって聞きますよね。1巻の冒頭で、木星圏に来たトビアが、ここが人類の最先端なんだって言うのはそういう事で、ガンダム世界に置いては「木星」ってのがそういうポジションを担っていました。

 

それをレトロなSF映画的火星人や木星人みたいなものとミックスさせて、もはや木星圏の人は「地球人」ではなく「木星人」になってしまったのだ!っていう事を言ってる。これで何かしらの理由をつけて木星の人は血が緑色とか青色になってたりするともっと最高だった気がしますが、クライマックスではドゥガチも「ただの心の歪んだだけの人間」となるわけで、そこは流石にやりすぎか。

 

だからこそトビアがシェリンドンの所から逃げ出す時に自分の手を切って血を見せるわけだし、ラス前に地球の話になるのはもうこれ圧倒的な構成力だと思いません?

 

ニュータイプが人類の進化みたいなものだってさ、あれって根っこにあるのはただのニューエイジ思想でしかないし、あの時代ならではのものでしか無かったりするんだけど(で、それに囚われた哀れさを描いたのが同じXを背負う同時期の「ガンダムX」なわけで)それはそれでね、話としては面白いし、トビアもニュータイプである事を否定するけど、描写としては明らかに能力者としては描いてありますよね。この辺の描き方、話の作り方がもう死ぬほど上手い。

 

そこを考えるとさ~、「ガンダムUC」はただの設定遊びに終始した以上には私は思えなかったし、結構やっぱり抵抗がある。それなりに楽しんではいるし、そこに優劣をつける事にさほど意味は無いだろうとは思いつつ、やっぱりクロボンの方が100倍凄い事をやってると思うんだけどな~と。

 

で、そういう作劇上のロジックはあるわけですが、カラス先生を倒した時のトビアとか読み返したら意外と勢いだけで倒してました。そこがインタビューで言ってた時と場合によるって部分なのか。

 

死の旋風隊(デスゲイルズ)が前半でシーブックのX1と、後半でトビアのX3と2度戦ってるのですが、この辺も割と対比として見所で、デスゲイルズのMS3機って、単機ではクロスボーンガンダムの性能に叶わないので、それぞれに攻撃力・防御力・速さのパラメータを全振りして3身一体で敵機を凌駕するっていうバトル漫画っぽい発想が面白いし、逆に倒す方もその弱点をつくと。で、第2ラウンドのトビアになると、同じ話を繰り返したって仕方ないから、今度は重力のある大気圏内では無重力の宇宙と同じ動きは出来ないっていう、環境の違いと別の視点を描いてくる。この辺のずらし方ですよね。

 

ABCマントで全身を覆っててバーニアが隠れてしまうからX字フレキシブルスラスターが露出しているっていうMSコンセプトがあれば、じゃあビームシールド使わないのかと言えば別の用途で使うし、ドウガチ戦の1戦目と言えるエレファンテ戦ではIフィールドで覆われてるからそのアウトレンジまでビームが届くノーズ砲になってるってのも面白い発想だし、実はここ、最終決戦のディビニダド戦でもちょっと関連して考えられるようになってますよね。X3がビームシールドではなくIフィールド装備に変更されてたから大型メガ粒子砲をそらして誘爆を誘えたと。通常のビームシールドなら貫かれて終わりだし。

 

私はそんなにメカオタクでは無いので、キャノンついてて長距離支援くらいはまだわかるのですが拠点防衛用とかナントカ仕様とか言われても実はよくわかりません。

 

ああ、「08小隊」のノリス戦で、グフとガンダムが戦ってるけど、実はノリスの狙いはガンダムじゃなくてガンタンクの方だった。なぜならガンダムの装備じゃ空飛んで逃げるケルゲレンを落とせないけど、ガンタンクの砲撃だけは届いちゃうから、ガンダムを倒すことで無くガンタンクを倒せばノリスの勝ち、っていうのはロジックがあってやっぱり凄く面白味を感じました。試合に勝って勝負に負ける(逆か?)みたいな所で。

 

それくらいの部分はわかるのですが、ガンダムの細かい何何仕様の違いとかそういうのは実はよくわかってません。ただそこをクロボンはわかりやすく描いてあるのが好きなのです。

 

ABC(アンチビムコーティング)マントがあるので、単発のビームでは無くビームをその場で停滞させるクァバーゼのスネークハンドで対抗。で、そのリーチのアウトレンジから攻撃する為によりリーチの長いスクリューウェッブを改良して更に対抗する、みたいなある意味イタチごっこですが、理屈がちゃんとわかる作りになってるのがクロボンらしい面白さです。この辺の流れもある意味では価値観の変換ですよね。ああこういうのもあるのか、こうくるのかっていう驚きと納得がある。

 

トビアが生身のままX2と戦うとかのシチュエーションの面白さもあれば、これぞ名場面の「貴様のものではあるまい」「そうだな、ならば海賊らしくいただいていく」の圧倒的なカッコよさもあれば、「俺達の切り札はクロスボーンガンダムなんだ。奇跡を見せてやろうじゃないか」からの「神よ、もし本当におられるのでしたら…決着は人間の手でつけます。どうか手を―お貸しにならないで」とかもう痺れるくらいの名シーン。

 

不可解な力による奇跡、ではなく自分達の作戦による奇跡、そしてオカルティックな謎の力とかでの決着は今回はやらないという決意。

 

ガンダムにおける謎パワーって、嫌いと言う程ではないけどやっぱりどこかひっかかる部分はあって、作劇の展開上必要だから入れてるのかな?くらいにこれまでは思っててました。ああいうのを無しにした「0083」が私の嫌いなミリタリズムに走ってた作品になっちゃってたから(いや0083は外国映画のセンスを取り入れてる所は良いんだけど)オカルトパワー無しにするとやっぱそっち方向になっちゃうのかな~、それはそれで嫌かも、なんて思ってた所でクロボンですよ。オカルトでもミリタリズムでもなくてもこんなに面白いもの出来んじゃん!と。

 

こうして改めて色々書いてみると、やっぱりクロスボーンガンダム、至高の作品だなぁと思います。ガンダムってやっぱり人気でファン層も広いし全体的なパイで言えば相当に大きいと思うんだけど、なかなかこういう視点で語る人は少ないので実は結構もどかしい。クロボン評価してる人の多くが「漫画として面白い」って言うんだけど、その漫画として面白いっていうのはどういう事なのかまで説明できる人って私は見た事無いです。いや私も同じような事言いがちなんだけどさ。

 

という事で今回は少し掘り下げて語ってみたけれど、これ読んで何か通じた人は果たしてどれくらい居るものなのか、はたまた意味不明にしか思われないのか微妙なとこです。

 

という事で次は短編集の「スカルハート」です。

機動戦士クロスボーン・ガンダム (6) (角川コミックス・エース)

 

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