僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST

機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST(1) (角川コミックス・エース)

MOBILE SUIT CROSS BORN GUNDAM DUST
漫画:長谷川裕一
刊:角川書店 角川コミックス・エース 全13巻 2016-21年
☆☆☆☆☆

 

「ゴースト」に続いて「DUST」を一気読み。
ガンダムエースは毎月買ってるので、さらっと流し見くらいはしてたのですが、私は完結したものをきっちり読むのが好きな人なので、本腰を入れてきちんと読むのは今回が初です。

 

やべぇ、死ぬほど面白い。


「ゴースト」の時も完結してからまとめてきっちり読んで、もうゴーストガンダムにメチャメチャ痺れたのですが、「DUST」は割と間を空けずにすぐに始まって、正直、あまり乗れないなぁとは思ってたんです。

 

主役機のアンカーもイマイチだし、それ以上にミキシングビルドMSが凄く嫌でした。というか、今でもそこはハッキリ言って嫌いです。何が嫌かって、別にギラドーガにジェガンの腕をつけるくらいなら良いんですよ。でもDUSTのミキシングビルドって、キュベレイとかジオとかのネームドパイロットのワンオフ機とかのパーツも使ってるじゃないですか。そこはレプリカなんだってフォローは一応入れてあるんですけど、いやそれでも無くない?という感覚は拭えません。まず嫌いなポイントがそこで一つ。

 

もう一つちょっと受け入れにくいなっていう部分があって、「ゴースト」はUC0153で「Vガン」と同じ時代でした。今回の「DUST」はUC0169で、これまでアニメで描かれてきたガンダムシリーズの先の時代を描いてるわけじゃないですか。(一応まだこの先に「Gセイバー」と「ガイアギア」があるにせよ)宇宙世紀の未来って、こんな風になるものかな?っていう疑問は未だに拭えず。

 

Vガンの時代で宇宙戦国時代っていうのは元からある設定ですし、そこがより深くなっていったもの、というのはわかるんです。でもこんな、強力なMSをより多く持っていたものが勝者になれる世界って、いくらガンダムとは言え、そんな単純な世の中じゃ無くね?っていう疑問です。

 

「マッドマックス」的な世紀末ディストピア世界。まあ既存のガンダムシリーズなら「ガンダムX」がかろうじて近いかな?とは思うのですが、モビルスーツこそが作品の最も大きなファクターである事は否定しませんが、ガンダムって、同時に政治とかそういう方面も描いてきたからこそ、リアリティを感じられたし、そこもまた面白味だったわけじゃないですか。そこがあるからこそ、こういう未来にはならないんじゃないかなぁ?ゆるやかに停滞とかはするかもしれないけど、延々と、新しい時代に突入したら、そこでまた戦争が起きて、みたいなのを繰り返してきたからこそ、変な話、それが永遠に続くのが宇宙世紀なんじゃないかなぁ?という感覚が私の中であったわけです。

 

序盤の内は、そんな気分があったからこそ、なかなか乗り切れないでいたんですね。

 

が!

 

これがもう読んでる内に、やべぇ、これメチャメチャ面白いぞ!?


と、変わっていきました。ミキシグビルドは最後まで受け入れられませんでしたが、そんな事はどうでもいいと思えるくらいに話が面白いのです。

 

これ、言わば「宇宙世紀物語ガンダム」の最終回を描いてるわけです。宇宙世紀じゃ無い「ガンダムWエンドレスワルツ」とかでもありましたよね、確か「戦争・平和・革命の終わらないワルツが永遠に続く」でしたっけか。

 

ぶっちゃけガンダム見てる人は誰でも思う訳です。一つのシリーズが終わって、一応は平和になりました的に終わるけど、どうせ次のシリーズが始まったらまた戦争始まっちゃうんでしょ?って。そこを掲げたエンドレスワルツでさえ、次の「フローズンティアドロップ」とか続き作られちゃいましたしね。

 

でも、前作の「ゴースト」でも少し触れられてましたけど、戦争がこの世から無くなる事はないけど、せめて100年間、1世紀の間くらいなら実現出来るんじゃないの?もし100年平和が続くならさ、永久にとは言わないけど、そこを足がかりにそこから広がる世界とかも想像できるのでは?っていうのが描かれましたよね。今回の「DUST」はそこを再度テーマとしてもってきて、今度こそきっちり描き切るぞという目標に掲げて着手した作品になってる。

 

ファーストガンダムから続いてきた歴史は、言わば戦争の歴史とも言えるものであると。でもそこに今回は決着をつける。現在進行形の「閃光のハサウェイ」も、クロスボーンガンダムの無印も、過去の歴史の狭間の、これまで語られてこなかった歴史の1ページという枠組みです。。でも今回は違う。歴史書の最終ページを描いてやるぜっていう試み。これはちょっと凄い。いやちょっとどころでなく相当に凄い。

 

思えば過去の長谷川ガンダムの時にもコメントとしてそういった事は常に語ってきてました。毎回、これが最後というつもりで描いてる。或いは、この作品は「ガンダム」という作品に対しての自分なりのアンサーだと。「逆襲のギガンティス」の時もそうでした「Vガンダム外伝」の時もそう。「クロスボーン」無印だってそうですよね。ある意味での、一部分に関してはこれがガンダムという作品に対する最終回みたいなものですよっていう要素はあった。

 

今回は、満を持して、実際にガンダムの最終回を描いてしまえと。前述の通り、一応は「Gセイバー」「ガイアギア」というマイナー作品はある。でも、富野由悠季は今更もう宇宙世紀何年なんて全く興味も無くなって、そんな過去にいつまでもしがみついてるんじゃなく、新しい物を生みだす努力をしなさいよ、って言う人だし、商売的には[UC.NEXT100]とか言って、合間の歴史でまだまだ作品作ろうぜって楽しくやってる最中。

 

そんな中でね、Vガンダムの先?そんなの今の所は描く予定も無いし、「技術の革新」みたいなものを出さなければ自由にやってくれて良いですよ。え?むしろ技術は後退して既存のものしか使わない?じゃあどうぞどうぞ、とサンライズの許可もバッチリです。

 

・・・ええ、でも実際に完結した「DUST」を読んだら、サンライズの人はどう思うでしょうね?

 

 

やってくれたな長谷川裕一

 

 

と多分思ってるはずです。こいつとんでもない事をやらかしやがった!
って目を点にしてる事でしょう。

 

勿論、長谷川も立場をわきまえて、もし十数年後にこの時代でサンライズが正規に商売を始めようってなった時には、漫画だけのパラレル的なものですからって身を引くでしょう。もし今後「Bガンダム」がオフィシャルで出たら改名しますって言ってるのと同じ感じで。

 

でも今はやれる事をやりきっちゃおう、という意気込みで書いたわけだから、もうね、これは圧倒的な面白さです。

 

今回は最初からケツを決めて描き始めたとかじゃなく、ある程度キャラを配置して、そこからどう動くかをその都度描くっていう形にした事は本人も語ってます。前回は日本の戦国時代要素を入れたから、今回は三国志モチーフにしたって言ってますが、前半はそうなのでしょう。主人公のアッシュと共に最初からタガナスとカグヤの3人をキーパーソンっぽく配置してます。

 

でも、それが途中からあからさまに違う方向に話が進んでいく。前作主人公、フォント君は諸葛孔明ポジションだろうから、ある程度は織り込み済みだろうけど、首切り王が出てきてから雰囲気がぐっと変わってくる。

 

いや、多分違うな。アッシュとレオが多分この物語を作ったんだと思う。ここからは私の勝手な想像ですよ。お、オフィシャルではござらぬぞ。

 

アッシュって割と長谷川作品にしては珍しいタイプだと思う。女好きで面倒見の良い親分タイプ。多分ここ、トビアが最初の主人公という所で、アムロに見立てて、世の中にイライラしてすぐにキレたりはしないけど、頭でっかちという意味で、2番目の主人公のフォントをカミーユに見立てたんだと思う。そして3番目の主人公として、バイタリティ溢れるたくましい少年としてアッシュ=ジュドーだと思う。


ここは何も富野ガンダムをトレースしたとか、暗喩で重ねてるとかではなく、主人公キャラのバリエーションとしてこういうタイプ分けを参考にしたくらいかなとは思う(長谷川ガンダムジュドーから始まったって考えるとより面白いかもしれない)

 

で、バイタリテイありすぎだと、物語の中で成長を描くのが難しいから、その役割を担うキャラとしてレオを配置したんだと思う。(鋼鉄の7人で、トビアが成長しきってる分、少年漫画らしく成長の幅を描く為にドレックを配置したのと同じ)主人公の役割を分担させたからこそレオはアッシュの「心」と言ってるわけです。

 

運び屋としてレオの心を彼女が望む所に届ける。逆に言えばアッシュはレオの「体」であり、考えるのではなく「行動」をする人であると。

 

この「体」と「心」で何か思いだしませんか?そう、前作主人公のフォント君です。彼は体・・・というか頭かな?身体性・肉体と心が分散してしまいそうになってましたよね。そんな流れがあったからこそ、その役割を二人に分散させたというのもあるのでしょう。

 

トビアに対するキンケドゥが良い兄貴分になったのと同じく、フォント君に対するカーティスは良い兄貴分でした。でも今回、アッシュに対するフォント君って、一応は兄貴分的な部分も序盤にはあるにせよ、これまでと同じような関係性にはなりませんでしたよね。そう、アッシュはバイタリティがあまりにもありすぎるので、フォント君はコントロールしきれなくなっていくんですよね。

 

あれ?こいつならもしかして新しい時代を開けるんじゃないの?トビアもフォントも、過去のニュータイプとは違う道を行くって事を描いてきた主人公だったけど、それとはまた違う新しい主人公を作ってみたら、こいつこそが新しい時代の開拓者になりえるのでは?

 

しかも、おあつらえ向きに誰も描いた事の無い、宇宙世紀のその先。海賊の錨(いかり)でもあるアンカーをモチーフにしつつも、リレーの最終走者のアンカーも担ってもらおう。誰も見た事の無い先の宇宙世紀とは、混沌の未来では無く、これまでの戦争の歴史を終わらせる歴史の最終走者=アンカーでもあるのだ。

 

海賊の交わる骨(BONE)ではなく、それぞれが歩んできた道が交差し、生まれ変わる(BORN)それが新たなクロスボーン・ガンダム

 

宇宙世紀とは戦争の歴史、ならば対峙する敵は「死」そのものであるべき。平和を信じ、そこに邁進してきたが、裏切られ、生では無く死こそが世界の本質であると思うしか無かった首切り王。

 

世界は弱肉強食こそが心理と唱えたキゾに対し、フォントは何を成し得たのか、彼の言葉を覆す程の信念や理念が彼にはあったのか、そう、ただフォントは負けなかっただけなのだ。死を覚悟したジャックに「生きろ」と叫んだだけにしかすぎないのでは?

 

宇宙世紀の歴史は、宇宙と言う無限の世界に人間が進出する所から始まる。そこには新しい時代の新しい価値観が生まれるはずだった、それがニュータイプ思想だ。しかし、そこは決して天国ではなかった、人々は疲弊し、不満を募らせ、やがては戦争を始める。人類の希望の象徴であったスペースコロニーを落とすと言う最悪の手段で。それは希望が失意に変換してしまったという事の暗喩でもある。首切り王がしきりに「裏返す」と言葉にするのはその事を言っているのだ。

 

しかし、新たな時代の開拓者でもあり、歴史の最終走者(アンカー)のアッシュは、「運び屋」として、かつては戦争の引き金となったコロニー落としを生きる為に地球に着陸させる。(それに寄り添うザクにも注目!)これを「機動戦士ガンダム・完結編」と言わずして何を最終回と言うべきか。

 

ガンダムシリーズは「死」の歴史を描いてきたと仮定すると、だったら今回はそんな「死」に対する「生」をテーマとしてぶつけると。

 

そこ、長谷川ガンダムは最初から描いてきたテーマではあるんです。一番最初の「逆襲のギガンティス」でも「死んだものは何もしない、何も出来ない!だからこそ生きている一人一人が大切なんだ、大事なんだ!」的なのありましたよね。(実はこれ「ダイターン3」の引用らしいのですが)


そこからブレていないというか、長谷川的にはまた最初のテーマに戻ってきたと。だからこそ宇宙世紀は一周したんだって描けるわけですよね。

 

ヤバい。凄くないかこれ。つーか凄いんだよこれ。

とんでもない作品を描きやがった。


私はこれを評価しないはずがありません。
モビルスーツが好きとかどうかなんて、極めてどうでもいい話です。

 

あのね、ファーストガンダムの時はスペースコロニーとか最先端の科学だったの。そのまま実現出来るかどうかは別として、いずれそんな未来が来るかもしれないって誰でも思ってたんだよ。時代も高度成長経済の時代で、未来に希望を感じられた時代だったからね。

 

でもさ、今の頭で冷静に考えたら、スペースコロニーに人間が住めるわけ無いじゃん。全てが人工物の作り物、気を紛らわすために空を見上げても反対側は見えないように作られてるとか言ってもさ、そこで人生の一生を終えるなんて考えたくもないし、例え生命が維持できたとしても、それは頭がおかしくなっちゃうし、例えそれが当たり前になって疑問に感じないような世代が生まれてきたらさ、それはあまりにも価値観が違ってきて、そりゃ戦争になるわ。

 

「Vガン」でコロニー育ちのハイランドの子供達が、地球に降りてきて、こんな臭い所になんて住めないっていうし、「∀ガンダム」でそりゃあ地球帰還作戦も発動するわな、っていう。

 

このコロナ禍でさ、どこにも外出できないってなって、頭おかしくなりそうですよ。頑張って気を紛らわせて我慢はしてるけど、それも我慢の先があると思えればです。そのくせ政治家は自分の金の都合しか考えずに、アホみたいな政策しかとらない。カミーユじゃないけど「人の命を大事にしない世界を作って何になるんだ!」って叫びたい気分ですよ。

 

そういった社会性や時代性で言えばね、アッシュの元に人が集まってくるのって、彼は他人を肯定するからですよね。その力を役立ててほしい、それは君にしか出来ない事だって。

 

これね、承認欲求を満たしてくれるから彼は好かれるんですよね。自己肯定感の薄い人が世に溢れる今の世の中にとって、アッシュって物凄く魅力的な存在です。そりゃ女の子は誰でもアッシュの事好きになるし、男だって、こいつの為に力を貸してやろうってなるわ。自分の主義主張だけを相手に叩きつけがちなガンダムキャラの中では、物凄く珍しいと思うし、承認欲求の問題って、凄く現代的なテーマなので、そういう社会学的にも十分に納得の出来るキャラになってる。

 

ただ皆が皆アッシュみたいになれるわけもないですよ。でもね、だからこそアーノルドの弱さみたいな所も、ちゃんと描いてるわけだし、彼はフォント君と並走したっていうのは、前回の「ゴースト」で私が今時の若者を描こうとしてるけど、あまり上手く行って無いのでは?って指摘した部分ですよね。フォントと同じく理屈や頭だけで考えがちな所を、そこに本当の命があったんだっていうだけで、そこでやっと現実が見えてつい涙してしまう姿とか、滑稽だけど、決して笑えない部分じゃないですか。

 

アッシュのお父さんもそう。良い事をしているふりをしていて、実は悪どい事をしていたっていうのは、首切り王は許せなかったけど、アッシュも頭おかしくなる寸前まで行くけど最終的には、人間だからそういう事もあるさっていう受け入れ方をする。この描き方も凄い。

 

当初のプランの三国志要員であったであろう、タガナスはインフラというか食糧とか人が生きて行く為に必要なものを象徴するポジションに持って行ったし、カグヤの方は政治とか宗教とか、メンタルの方で人間とは?みたいなものを象徴する存在に役割を持たせたと。う~ん、ニコル君はもてあまし気味でしたが、一応はこれでクロボンの最後になった時の為のシリーズファンへのサービス要員として、とにかくかわいいし、ちゃんとトビアの血が受け継がれてるんだって部分だけでも良しとしましょう。

 

そうそう、食料と言えばMSとかコロニーを食べるっていうのだけ、流石に面食らって、受け入れて良いものかどうか未だにちょっと複雑な心境ですが、確かにね、化石資源である石油が原料のものが宇宙で当たり前に使われてる事なんてあるはずがないんです。コロニーで石油は絶対にとれないし、宇宙の資源衛星とかからとれるって事はありえない。(もし隕石から石油がとれたらそれは有機体がそこには以前あったっていう事になっちゃうからね。ガンダムの世界観がそれこそひっくりがえってしまう)


それ考えたらさ、石油から作るビニールとかゴムの素材は宇宙世紀だとバイオマス素材が使われてるっていうのは理屈に合ってるのよね。決して食料では無いし、美味くは無いけど、食えなくは無い、っていう。

う~ん・・・今の世の中で言えば合成じゃない本物の動物の皮を使った部分を調理して食べるとかでしょうか?・・・食いたくねぇ~っ。助けて師匠。

 

あと気になる所と言えば、話の流れとしては仕方ないし、これはクロボンとかガンダムに限った話じゃなく、富野とかも「ブレンパワード」とかでオーガニック的な何かとか過去に描いてきた所ではあるんですけど、精神的におかしくなったら、自然に帰ろう、ロハス生活で人は本来持ってる生きる力を回復するんだ、っていうの、ここしばらくずっと気になってます。

 

いや私もさ、都会のゴミゴミした所が苦手で、片田舎に住んでて、別に自然に溢れる程ではないけど、緑とか無いと落ち着かないな、っていうのはあるんですけど、「自然に帰ろう」みたいなのをエンタメとか物語でやられると、ちょっとありがちかなぁ?と思ってしまって、「シンエヴァ」とか見ててもちょっとひっかかった部分なんですね。


そういうものでしょって言われると反論は出来ないし、むしろ自分もそんな風に思ってる節はあるんだけど、ここって何か違う新しい価値観とか無い物なのかなとちょっと思ってしまう。うん、ちょっとだけね。

 

気になったのはそれくらいかなぁ?
バロックの物理で殴る。超物理。みたいなのは長谷川テイストで面白いなと思う部分ですし、ややIフィールドだのみだった過去作と比べて、そっちはコロニー着陸に使って、アンカーもドリルとかイカリマルとかとても好みでしたし、バロックに対抗する最後の一手もね、ある意味、身体もMSもぶっ壊れるまで我慢するというロジックなんだか強引な物理なんだかわからん感じがまた最高でした。

 

相変わらず長谷川は絵が下手だの何だの叩かれまくってますが、こんなに面白いMSの戦闘シーン描ける作家なんて他に居ないじゃん。それこそ本家の富野戦闘演出くらいしか無いでしょ。

 

という事でまた最初と同じ事を言いますが、今回の「DUST」は受け入れにくい部分も沢山あります。でもそんな気になる部分以上に、圧倒的に面白い部分の方がずっと大きかった。っていうか言葉通りに作品そのものに圧倒されてしまった。

 

これは「クロスボーンガンダム」(完)じゃない。
機動戦士ガンダム」(完)であり、「宇宙世紀物語」(完)という、今までに誰もやった事の無い終わりを見せてくれたとてつもなく凄い作品です。


いやはや素晴らしい!

 


ご愛読ありがとうございました。長谷川先生の次回作にご期待下さい。

 


次回作は「機動戦士クロスボーン・ガンダム X-11」になります。


ズコーっ!最終回じゃないんかーい

機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST(13) (角川コミックス・エース)

 

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