僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?

虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか (出版芸術ライブラリー)

著:森達也
刊:出版芸術社 出版芸術ライブラリー001
2018年
☆☆☆☆

 

急に活字本も読みたくなったので、積ん読本の中から森達也をチョイス。
2018年の本なので、コロナのコの字も無い頃ですが、コロナ関係の報道とかオリンピック絡みの報道とか森さんに書いて欲しいな~と思う。東京オリンピックが開催されてもされなくても記録としてドキュメンタリーとか作って無いのかな?森視点だと面白い物がつくれそうですが。

 

指導者への忖度が
始まった社会
は危ない!

なぜ人は人を殺すのか?
大量虐殺の仕組みとは?
オウム、アウシュビッツ
キリングフィールド……。
多くの虐殺現場を取材
した著者の眼に見えて
きたもの。それは加害者
側の声の重要性だった!

 

という事で今回の本は「虐殺」がテーマ。
いわゆるタブー的な所に踏み込んで、取材して本にするっていうのが森達也の特徴でもあるわけですが、そこは単純にスキャンダラスなものとかショッキングなものに踏み込んでいくっていうより、今回の本の中でも編集者に唆されてとか書いてますが、最初に森達也の名前が知られる事になったオウム関連の取材から脈々と繋がっていって、次のテーマに踏み込んでいくという感じですね。

 

ここの少し前だと「死刑」をテーマとして扱っていて、何冊か書いてましたが、その流れで、じゃあ人はなぜ人を殺すのか、みたいな所から虐殺の歴史を紐解いていくというような感じ。

 

「A」シリーズの時からそうでしたが、世間的にはオウムは人の道を踏み外した「殺人カルト集団」という肩書がつけられて、そういう報道以外は世間も受け入れなかったけど、実際に取材をしてみると、なんか思ったよりずっと普通の人達の集団だった、という所から森達也の取材テーマが始まってる。

 

前に森達也の著書「FAKEな平成史」の感想を書いた時にもちょっと触れましたが、私はNPOに参加してた時に山形に纏わるミニコミ誌を作るにあたって、「A」から森達也の世界に入ったのですが、書籍版の方はともかく、「A」「A2」とか見たいと思ってもレンタルとかまず置いてないですよね。確か私はその時は山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局のライブラリーに行って見たんだっけかな?今もやってるかわからないですが、無料でドキュメンタリー映画祭の出品作品は見れるようになってたので。今だとサブスク配信とかされてるのかな?是非見ておいてほしい作品なんですが。

 


何故人は人を殺すのかっていうテーマの流れで、じゃあ「生き物の命は殺してもいいのか」っていう章で触れられてるのが、「ザ・コーヴ」というイルカ漁のドキュメンタリーもとりあげられてて(私も公開当時観ました)、ちょっと面白いのは、クジラ食は日本の文化なんだから、伝統文化を他国にどうこう言われる筋合いは無い、みたいな反論がよくあると。

 

私が子供の頃はあったっけかな?確かまだ私の頃は給食でクジラの大和煮、みたいなものが出ていた気はするし(本とかで読んだのを自分もそうだったって記憶にすりこんでるだけかも?)、クジラベーコンとかは癖があるけど、私は意外と嫌いではありませんでした。

 

なのでやっぱりね、そういう文化はあるんだと思ってた。うん、でも実際は文化なんてほどのレベルじゃなかったんですね。戦後の食糧不足でタンパク源の補給として一時期に豚・牛・鳥の変わりにクジラ食が多少普及したっていう程度で、日本古来のものでもなんでもなかった。50年も無い歴史で文化もクソも無いわな。そんな短い期間しか無いものより、間もなく50年、半世紀を迎えようかって程の「ガンダム」の方がよっぽど日本人の文化です。

 

しかも生態調査用としては捕鯨が許可されてるし、そこに関して保護団体がどうこう言ってるわけでもないのに、何故か調査用として実質食糧用の捕鯨が行われ、かといって実はそんなに消費もしないので、実は余って廃棄してるという始末。なんだこの実状。調べるとこんな風になってるんですね。言葉は適切では無いかもしれませんが、正直面白いです。

 

あと個人的に面白いと思った部分がもう一つ。
「もとからモンスターである人などいない」という章で、例えば少年が突発的な大量虐殺を起こした事件などがあった場合、外国ではその親に対する同情の意見が集まったりする。例え家族であってもその親が殺人をしたわけではない。ある意味では親も被害者だ。「あなたもつらいよね」という同情の声が集まるというのはわかる話ですよね。

 

でも日本は何故かそうならない「親も責任をとれ、家族も責任をとれ」と攻め立てる。確かにそうだ。何故か日本はそういう風潮がありますよね。マスコミにしても、その対象であるマス(大衆)もそういう民意になりがちです。

 

今のコロナ禍でも、なんか同じだった。ここまで感染者が増えると、もうどうしようも無くなってきてる気はしますが、その県なり地域、最初の感染者はどうだったでしょうか。私も噂話でしか聞いてないので実状はどうだったかは知りません。とある地域の最初の感染者の家族は村八分にされ、引っ越さざるをえなかったと風の噂に聞きました。マスコミは報道しませんが、おそらくは自殺したようなケースもあっただろうとも思います。犯罪者を抱えてしまった家族でならそういう例はきっとあるでしょう。そこは凄く日本っぽいと感じる。

 

どこにでもいる大衆が、人を自決にまで追い込む。それが正しいと思ってやっている。怖くないかそれ?

 

オウムは殺人狂のモンスター集団でなければならない。あんな事をする奴らは、自分とは違う人間なのだ。アドルフ・ヒトラーは人間の皮をかぶった悪魔なのだ。もし自分と同じ普通の人間であったなら、あんな非道な事は出来るはずがないからだ。

 

でも実際はそうじゃない。同じ人間でしかない。じゃあその人殺しのメカニズムはどういう仕組みで成り立っているのか、というのを丁寧に追っていくのが今回の本でした。またまた適切な言葉ではないかもしれないけれど、とにかく面白いです。

 

人間の脳には古来より受け継がれる本能として「虐殺器官」と呼ばれるものが・・・

 

あるわけねーよ!

 

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