HOUSE OF X / POWERS OF X
著:ジョナサン・ヒックマン(作)
ペペ・ララス、R.B.シルバ(画)
訳:高木亮
刊:MARVEL 小学館集英社プロダクション ShoProBooks
アメコミ 2022年
収録:House of X #1-6(2019)
Powers of X #1-6(2019)
☆☆☆☆☆☆
何度
繰り返したら、
世界に
居場所が
できるのか――
MARVEL史上最大級のSF作品が日本上陸!
X-MENの歴史は、ここから紡ぎ直される。
常に世間に迫害され続け、世界に居場所を持てなかったミュータントたち。
彼らは人間の悪意、そして未来に誕生する人工知能によって、
いずれ滅ぼされる運命にあった。
そう、この世界にたどり着くまでは。
Xのn乗の時が交錯し、数百年、数千年の“過去”を紡ぎながら繰り返される、
X-MENの戦いの果てにある未来とは?
訪れる未来は、夜明けか終焉か。
という事で、邦訳では久々に出ましたX-MEN系タイトル。
デッドプールはともかくとして、「デス・オブ・ウルヴァリン」以来くらいだったか?X-MEN本隊というか、本筋で言えばそれこそ「アベンジャーズvsX-MEN」ぐらいから?新しいシリーズはしばらく出てませんでした。
これまでも何度か書いてきましたが、私は90年代半ばくらいの、カプコン版X-MENがアメコミの入り口で、そこから同時期に出てた小プロ版X-MENを読むようになってアメコミにハマった人なので、アベンジャーズ以上にX-MENには思い入れがあったりします。
そんなX-MENですが、その60年近く続いたシリーズの集大成というか、これまでの歴史を俯瞰して、新たに再構成したのが今回の「ハウス・オブX(エックス)/パワーズ・オブ・X(テン)」という作品のようです。
物凄く簡単に言うと、モイラ・マクタガートが実は時間遡行者で、10回程人生をやり直している。どの時間軸でも、ミュータントに待っているのは悲劇の未来しか無い。果たしてミュータントが報われる未来は本当にあるのか?みたいなのを、時間軸も視点もバラバラに描いてある。
日本で言えば「まどマギ」とか「シュタインズゲート」みたいな感じの路線ではあるんだけど、断片的に描かれるのがこれまでのX-MENの歴史を知っていれば居るほど、ああこの部分も「X-MEN」という作品を構成する要素だよな、と思わせられる部分がいっぱい出てくる。
良くも悪くも、タイムリープとか過去改変なんてアメコミでは日常茶飯事。全然珍しいものじゃないんだけど、ただストーリーの面白さとしてそこを使うだけじゃなく、作品そのものを再定義、再構成してしまうという手腕が凄い。
いやね、やっぱり私は90年代のX-MENから入ったわけですし、実際にあの頃のジム・リーが描いてた時期が売上的にも最高潮でしたし、近年のアメコミファンは想像しにくいでしょうけど、90年代のマーベルの中心はアベンジャーズとかじゃなく、完全にX-MENでした。私はそこに思い入れがあるから、後にプロフェッサーXの黒い部分とかが描かれるようになってきても、それでも教授の理想を信じたいとずっと思ってきた。
「X-MEN」とは、いくら社会に迫害を受けながらも、平和的な手段で人間との共存を目指す存在なんだって信じてきた。
でもね、もう今回の話から、その時代は終わってしまったんだな、と少し寂しくも思う。
そんな感じで、X-MENというヒーローの存在意義から作り変えてしまうという歴史の転換点として今回の話は描いてある。
例えば、人間=ホモサピエンスなのに対してミュータントはホモスペリオール。人の進化の次の段階がミュータントなんだとされてきた。だからこそマグニートーらタカ派は、自分達は人間より上位の存在なんだと訴えかけてきたし、アポカリプスは生存競争として、生き残った種族こそがこの世界の王なんだと戦ってきた。そこに対してプロフェッサーらが率いるX-MENは、いや違う、人間とミュータントの共存を考えるべきだと、自らの種族であるミュータントのみならず、人間に理解してもらい、共に未来を作っていかなければと。
ジェノーシャでのミュータント大量虐殺。そしてM-デイ(ハウスオブM)とかによる、ミュータントの激減、度重なる不幸が重なり、世界の未来どころか、種の存続さえ危ぶまれるようになってしまった。
その上、進化の頂点として、ホモ・ノビシマと呼ばれる存在が明らかになる。AIの「進化」によるニムロッドの誕生。人と機械の融合による最終進化の果てに意識の集合体となる事で、より上位存在のセレスティアルの一員として神と同等にまでなると。そしてそれこそが救済への道筋であり、未来なのだと。
いやこれね、思いっきり「イデ」じゃないですか。しかもその先まで描いてある。地球はそもそもセレスティアルのエサでしかなんだけど、じゃあだったら進化の果てにセレスティアルと同等の存在になってしまえばいいというのが人間を取り込んだ機械の進化の最終的な結論。
ミュータントは人類の進化の形ではなく、機械が進化して人間と融合するまでの時間稼ぎの存在でしかなかったと。
それを知ったミュータントはついに敵味方なく一つに纏まり、ある意味、哀れな存在であった事を自覚し、種の存続、救済の為にミュータントは人間とは違う種族である事を受け入れ、こちらもある種の神になろうとする。
いやこれね、私がMCU版「エターナルズ」でもしかしてこういう事じゃないの?って書いた奴と凄く近くてビックリした。
分散した「個性」を重ね合わせる事でセレスティアルと同等、或いはセレスティアルを脅かす存在になるんじゃないの?それをセレスティアルズは恐れてるのでは?みたいな事を書きました。
まあ、こっちの話だとホモ・ノビシマ側はセレスティアルに認められる形になってますが、ミュータント側は力を合わせる事で神に拮抗しようとしてる。
人間・ミュータント・機械の三つ巴の未来の先に、機械の勝利が確定。地球の未来を担う存在と信じて戦い続けてきた果てに、自身らの種の敗北が確定した時、人の倫理や文化・価値観とは違う物を生みだす。それは生命の誕生、或いは死さえもその能力で克服してしまう。もはや人間の変異種ではない。ミュータントはミュータントという独立した種族であり、自らの種の繁栄こそが目的であると。
しかもそんな話を、これまでX-MENで60年分描かれてきた要素を繋ぎ合わせてほとんど全部と言っても良いくらいここに収束させるこの手腕。ええもう、信じられないやら、感慨深いやら、戸惑うやら、何が何だかわからないくらい言葉に言い表せない感情ですよ。
邦訳版だけ読んできた身としても、その読んできた全てがここに収束しちゃった感じで、とんでもねー事やってくれたな、と驚愕しか無い。
だってね、邦訳版のX-MENってマグニートーとの対決から始まったんですよ。というか元のX-MENの1話もマグニートーだけどさ。その思想の違いを乗り越えた先が描かれるわけだし、チョイ役だけど邦訳版の2巻だったオメガレッドも出てくるし、ジェノーシャ編、フォージも重要な役だし、ニューミュータンツで言えばサイファーも特殊な位置で、アコライツも居て、M(モネ・サンクロワ)とかジェネレーションXの面子も居る。
銀河帝国シャイア編、ファランクス・カビナント編、リージョンクエスト編、エイジオブアポカリプス編、オンスロート編、ゼロ・トレランス編(確かバスチオンもセンチネルだったし)デイズオブフューチャパスト編、クラコアはアンキャニィ・ジェネシス編だし、ハウスオブMとかユートピアも繋がってくる話だよね?これ。
あんまり関連してこないのはフェニックスフォース回りとウルヴァリンの日本編くらいじゃないの?あとケーブルも今回は出番無いか。いや「ケーブル&デッドプール」でも独立国家作ろうとしてたから繋がりあるっちゃあるか。
なんか今まで読んできた奴が全てここに収束するっていう感じがとにかく凄かった。
今回、解説書がリーフ1冊分として別冊でついてきて、最初の1960年代から2010年までは年表。それ以降の2011年より後のX系タイトルは全てあらすじが書いてあると言うメチャメチャ気合の入った作りで、これは本当にありがたいし本編同様に物凄く読み応えがあります。
MCUのヒットもあるし、今はアベンジャーズがマーベルの中心になっちゃったけど(元に戻っただけですが)コミックスの方はこっからX-MENの巻き返しが始まった様子。「ハウスオブM」以降は本当に生き残りをかけたサバイバルって感じでしたし、それが「AvX」の原動力にもなってたけど、こうして人類とも袂を別って独立国家として対抗してきたら人類サイドも穏やかじゃ無いなこれ。
次はアベンジャーズとX-MENとエターナルズのクロスオーバーイベントやるみたいだけど、これ、X-MENが悪役になっちゃうよね?ミュータント側の視点から見ると、今回の件はもう仕方なかったとは思うんだけど、今後のX陣営の行く末が本当に心配になる。これ、MCUとかでもX-MENはヒーローとしてではなく敵性勢力として描かれるんじゃないかなぁ?
でもさぁ、未練がましいけど、私はどこかでまだX-MENをヒーローだと信じたい。その旗頭であるプロフェッサーXが変わってしまったとしても、それでも人間との平和的な共存を、共に歩む未来を作りたいと理想を掲げる新たな一派とか今後出て来ませんかね?
この世界に寛容は無かった。
映画の1作目のセリフでしたかね?
「チャールズ、人の頭の中で一体何を探してるんだ」
「私が探しているものは、いつも同じ。希望を探している」
っていうとこ、私はメチャメチャ好きなんですよ。
偏見や差別の先にあるのはいつも悲劇だ。けれど、それでも希望や理想は捨てない。それが私にとってのこれまでのX-MENでした。
でも60年も経って、世界はまた変わってしまった。今や希望や理想を追い求める前に、まずこの厳しい世の中をなんとか生き延びなければならないような世の中になってるのが現実。そういう意味では、物凄く現代的な再解釈だとも言える。
間違いなくアメコミ史に名を残す一冊だし、この凄さはちょっと他では味わえない、アメコミならではの面白さです。