僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

デリシャスパーティ♡プリキュア

デリシャスパーティ・プリキュア 【Blu-ray】vol.4

Delicious Party♡Precure
シリーズディレクター:深澤敏則
シリーズ構成:平林佐和子
プロデュサー:安見香
TVアニメ 2022~23 全45話
☆☆☆☆☆

ごはんは笑顔♡みんなあつまれ! いただきます!!

 

プリキュアTVシリーズ、19作目「デリシャスパーティ♡プリキュア」完結いたしました。
いやぁ、もう毎年ですけれど、1年間一緒に走りぬけてきた仲間とこうして一つのゴールを迎えるっていうのは特別な事です。いや、感謝祭が区切りだ、いやいや最後のファンブックが残ってるぞと、気持ち的にはもうちょっと先まで続きますけれども。


恐らく今年も春のオールスター枠映画は無いのかなと思うとそこは寂しいですが、私が予想していた20周年記念の特別枠映画をやるんじゃないかって話は実際の所どうなるかといった所。「ひろプリ」の制作発表会見でその辺はどんな発表がされるのか気になる所ですが、まずはデパプリの話です。

 

デパプリ、割と最初の方でスタッフが、グルメプリキュアとかじゃないですよ的な事は言ってたのですが、各話は面白いですし、キャラデザも好きな部類なので普通に楽しんでは見てましたが、テーマ的な所は私の中ではちょっとボンヤリしてました。

 

2作前の「ヒーリングっどプリキュア」からコロナ禍に重なり、次の「トロピカル~ジュプリキュア」辺りでは明るい作風でしたし、そこもまた収まってそれ以前の日常に少しずつでも戻っていくのかなと思ってましたが、デパプリはデパプリで、サイバー攻撃とかの理由で放送が中断。

 

なかなか思う通りにはいかない世の中で、凄くモヤモヤします。偶然もあれば時代の流れもある、戦争もあればテロまである今の世の中、格差社会も相変わらずで、将来の夢とかを語る以前に、今を必死に生き抜いていかなければならない。そういう意味での「ヒープリ」以降のサバイブプリキュア3部作として私はそんなテーマ設定に期待したいと1話の感想に書きました。

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途中まではね、ぶっちゃけその辺りは私のプリキュア研究としてのテーマであって作り手はそこまで意識してない部分だろうと内心思ってる部分がありましたが、映画の方では露骨に貧困問題とかを取り上げてきた。いやでもプリキュアは映画とTVは別監督なので、映画は映画で別個に何かしらのテーマ設定を設ける事も多いしなという感覚では居ましたが、終わってみればTVシリーズもその辺りはちゃんと終盤で描いてきた。

 

ええ、まさかデパプリは共産党プリキュアだったとは流石に予想外でした。いや、ヒーローは基本左側ですよってのは以前から私は常々言ってきた事ではあるので、ヒーロー物としてのプリキュアを考えればそういった思想的な部分では別におかしい事じゃあないのですけれど。

 

つっても「共産党」とか言ってしまうと、変なイメージを持ってる人も中には居るかもしれないし、まあ作中で語られいてるのは「産=お金」の話では無いので別の言い方をすると、デパプリでは言うなればそれを「幸せ」みたいなものに置き換えてあるわけです。


共産党ってざっくり言えば、「富を一人占めにするんじゃなくてそれを分配してみんなで分けあう形にしましょうよ」っていう考え方。
デパプリでやってたのは「幸せを一人占めにするんじゃなくて、その幸せはみんなでシェアした方が、みんなが幸せになって世界がもっと良くなるよ」っていう考え方です。

 

ゴーダッツは自分一人が幸せになるために「モットウバウゾー」と幸せを一人占めしようとする。他人が幸せになれば、その分、自分が不幸になってしまうからそれは嫌だという考え方でした。

 

それに対するプリキュアはこう言います
キュアスパイシー「分け合うおいしさ、焼きつけるわ!」
キュアヤムヤム「おいしいの独り占め、ゆるさないよ!」
変身後のキメゼリフですが、「おいしい」の部分を「しあわせ」と置き換えてみましょう。幸せは一人占めするものじゃなく、分けあった方がみんなが幸せになれる。そういう事をこの作品は言ってたわけです。


世の中には「自助・共助・公助」という言葉や考え方があります。

「自助」というのは自分の力で何とかしろという個人主義。老後の備えに一人2千万貯金して下さい。それは個人の責任、自分の命は自分で面倒をみろよ、世の中誰も助けてなんかくれないぞ、全ては自己責任。この世の中は弱肉強食の世界生き伸びる力が無い奴は、そいつは世の中を生きて行く資格が無いと冷たくあしらう考え方。今の自民党なんかがまさにこれですし、残念ながらそれが資本主義というものです。強い奴だけが生き伸びる事が出来る。思想で言えば右側。


対する「公助」は、国が公的に社会から落ちこぼれてしまわないような仕組みを作らなければならない、それは人の命は平等だから、力のある無しに関係なく、みんなが生きて行ける社会を目指さなければという考え方で、社会主義とか富の分配を目指す共産党とかの考え方。思想で言えば左側。SDGSとかもこういうのに近いですね。

 

残る「共助」というのは、まあ政治とか思想面ではあまり使われない言葉ですが、災害対策とか社会福祉の方で主に使われる言葉になるのかな?個人の力や社会の構造だけでなく、まずみんなで助け合おうよという物凄く当たり前の考え方。いやこれそんな「当たり前」の考え方じゃないのかなぁ?

 

目の前に困ってる人が居たらさ、まず手を差し伸べようと思わないですか?私がプリキュア好きだからそんな事を思うのか?実際はそう思わない人も世の中には多いですよね。そういうケースは私も何度も見て来ました。自分には関係の無い問題だ。余計な物には関わらない方が無難。他人が困っても自分が困るわけじゃないからと目を瞑ってしまう。


でもさぁ、それってもしその困っている人が自分だったらどうすんのよ?っていう話ですよね。

 

理想論かもしれないけれど、例えばまた震災とか何か災害があったとして、水や食料とか燃料、みんなで分けあいましょうよってやっぱり私なんかは思うっちゃう方。

それは自分が備えて無いのが悪い。俺は自分でちゃんと備えていたからお前たちになんか渡さない。それがこの厳しい現実の中で生き伸びる手段なんだ、っていうのも決してわからないわけじゃあないですよ。

でも、何も自分を犠牲にしてまでとか言ってるんじゃないんですよ?助けられる余力があるのなら、そこで手を差し伸べるって普通じゃありません?

 

その考え方の根っこにあるのは、もし自分が不幸の最中にあって困ってたらさ、そこでもし誰かに手をさしのべられたら、それはとても嬉しいし、とてもありがたいと思うし、とても助かったと思えるわけじゃん?

 

いつ何時に自分がそういう立場になってしまう可能性なんていくらでもある今の世の中で、そういう気持ちって大事だよね、というのを今回の「デリシャスパーティ♡プリキュア」は描いていたのでしょう。「シェアする喜び」とはつまりはそういう事だと思うんです。「共助」って凄く良い考え方だよねっていう。


ぶっちゃけ最初は私もよくわかりませんでした。感謝する気持ちとかそうい物の大切さを訴えているのかな?程度の理解しかできず、まあそれは確かに良い事だよなくらいでした。


それがね、クライマックスできちんと伏線回収的に入れてくるわけですよ、おむすびがモチーフだから「結」」ちゃん。そしてそれは人と人とを結びつけるもの。奪う事では無く、シェアする事で得られるもの、人はたった一言の「ありがとう」だけで心が満たされ、それだけで人は生きていける。「おいしい笑顔で満たしてあげる!」それはかけがえない物、尊い心。それがプレシャス。


ゆいちゃん前半はね「おばあちゃんがこんな事を言っていた」で全てが解決できた。いわゆる無敵の人でした。ネットとか、映画の「ジョーカー」みたいな背負うものが何も無いからこそ何でも出来るという意味での「無敵の人」じゃないですよ。文字通り何でも出来るおばあちゃんの知恵袋的な物で全てを解決できるスーパーガール的な感じで、やや面白味には欠けるかな?という印象でした。

 

ただねぇ、そこはあくまで前振りでした。終盤、おばあちゃんの言葉だけでは解決できない問題が降りかかる。そこで挫折を味わい、涙もするけれど、逆にそこでね、おばあちゃんの教えだけでなく、自分で体験して、自分の頭で考えた自分なりの答えも必要なんだと気がついて、そこでちゃんとゆいちゃんも成長する姿が描かれました。

 

ここがねぇ、やっぱり凄く良くって、秋の映画でゆいちゃん役のCV菱川花菜ちゃんがね、思うような演技が出来なくって泣きながら頑張りました的な事を言っててさぁ、そこと凄くシンクロして、凄くグッと来る部分でした。

 

昔からの伝統、先人の教え。それはそれで大切だけど、その全てが今を生きる私たちにぴったり合う考えかどうかはわからない。だから、ちゃんと自分で考えて、変化を恐れずちゃんと今の時代や状況に合う物にしていかなければならない。「そう教えられた」だけじゃなく、思考停止せずに自分で考える事。
それが今回のゆいちゃんであり、「デリシャスパーティプリキュア」という作品の事でもあり、「プリキュア」そのものの答えなのかもしれない。

 

そんな風に思うとねぇ、すっごく面白い。生きるための物理的なエネルギーを「カロリー」とするならば、心を満たすエネルギー=ほかほかハートの神髄は「ありがとうの言葉」という主張がまた面白くってね、私が常々主張している「ヒープリ」以降のプリキュアは夢や未来ではなく、今をどう生きるかを模索するサバイブプリキュア的なテーマに入ったと考えた時に、今回のこのデパプリの主張がまた面白かった。

 

例えば「魔法少女まどかマギカ」では感情(特に大二次成長期の少女)がエントロピーを凌駕するものだと仮定した話でしたし、大友克洋の「AKIRA」では焼け野原から近代都市に成長した東京の様子はエントロピーを遥かに凌駕しているように思えてそれを「超能力」とした事がAKIRAという作品の根っこにあったりもします。そういった物と比べた時の今回の「デパプリ」の提示した物って凄くないですか?まどマギってどっちかといえば負の感情の方に注目してましたけど、プリキュアエントロピーを超えるものは「ありがとう」の言葉や気持ちだって言うの、そう来たか!という感じでした。

 

映画や文学の世界ではここ数年は格差社会がテーマのトレンドになってますよね。というかそういう時代ですし、最初に書いたとおりTVシリーズのデパプリがそれをどこまで意図的に描こうとしたのかは実際の所、今はまだよくわかりません。深澤監督のインタビューとかではそれらしい事は特に触れてはいなさそうですが、少なくとも「映画デパプリ」の方ではそこは明確なテーマ設定にしてある事は明かされていますし、作り手の意図のみならず、そういうのは作品として何が描かれたかというのが重要です。
例え本人が意図して居なくとも、作品にメタ要素や現代性というのは必ず入ってるものですし、プリキュアは子供達に向けたメッセージ的な色が強い分、特にそこは関連してくる部分でもあります。

 

プリキュアってね、デパプリに限らずそれこそ初代の時代から「相手に勝つ」事を目的にはせずに、「大切な人を守りたい気持ち」の方を重視するのがプリキュアという作品の基本である事がずっと継承されて来ました。「負けない心」こそがプリキュアの本質と言っても良いくらい、過去のシリーズでもここに関しては何度も描かれて来ました。

 

そんな中でデパプリは「社会は厳しいサバイバル世界だから、生き残りをかけて奪い合いをしなければならない」というゴーダッツ=フェンネルさんに対して「そんな事よりも、自分一人じゃ無くみんなが幸せになれる世界を目指そうよ。それは敵とか見方とかそんな事じゃ無く、幸せをシェアしてお互いを認め合う世界の方が勝ち負けを競うギスギスした社会よりずっと素晴らしいんじゃないかな?」というような事を言ってるわけですよね。・・・プリキュアってやっぱり凄い!

 

若干話はズレますが「週刊少年ジャンプ」のコンセプトで「友情・努力・勝利」っていうのあるじゃないですか。って、今のジャンプ私は知らないので、今の時代もそんなんが残っているかどうかは不明ですが、少なくとも昔はそういうのがジャンプのキャッチフレーズとしてありました。


これをプリキュアに当てはめて考えると「友情・努力」まではあっても最後の「勝利」っていうコンセプトはプリキュアには合わないんですよね。

え~?何言ってるの?だってプリキュアは20年勝ち続けてきたじゃん?と思う人も居るかもしれませんが、それは結果であって、決してそこを目指したものではない。前述の通り初代の時から「負けない事」に主眼を置いているというのは何度も何度も明言されてきましたし、要するに「相手を打ち負かす事」みたいな所に価値を置きたくないよねっていう感覚がプリキュアの基礎にあります。


それは、腕力や権力で相手を打ち負かして、相手の上に立つ事を正義にしてしまったら女性の立場はどうなるの?という考え方が根っこにあるからです。そこが基本的には女性向け、子供向けのものである「プリキュア」らしい考え方ですよね。

例え「女の子だって暴れたい」という考え方が入っていても、少年漫画とはコンセプトがそもそも違うのよね、というのがプリキュアの面白い部分でもある。

 

例えばですよ。世界最強を目指して、それこそ「グラップラーバキ」みたいな漫画でも良いですし、「K-1」や「UFC」でも良い、何なら「スト2」みたいな格闘ゲームでも良いです。今も続いてはいるし、それを何ら否定するものではないけれど、みんながみんなそれに熱狂して大ブームになった時代はだいぶ昔に終わってますよね。あれは「最強」にみんなが価値を見出したような時代だったのかなと思います。(バキなんて今はもう半分ギャグ漫画的に消費されちゃってて落差が凄い)

 

世界で一番になんかならなくたっていいし、相手を打ち負かして自分の方が上なんだなんて言う自己顕示欲を示すだとかじゃなく、自分よりも大切な人達をっていう心ですよね。それがプリキュアらしさであると。

 

ただでさえ生存競争の激しいこのつらい今の世の中。心もみんな疲弊してしまった中で「ヒープリ」「トロプリ」から続いてきて「デパプリ」のこの文脈。こういう着地点に持ってきたセンスが私は超絶に面白いなと感じます。いやぁ、プリキュアって何でこんなに面白いのかと今回も改めて知らされました。

 

スパイシー/ここねちゃんとかさぁ、最初はお嬢様として周りに距離をおかれて孤立してたわけじゃないですか(今はそんなここねちゃんももう懐かしいです)
ヤムヤム/らんらんもそう。ちょっと変わり者で、自分は「普通」ではないのかな?
なんて悩む一幕もありました。
フィナーレ/あまねんは名前の「フィナーレ」とは裏腹に、セカンドチャンス的なものの象徴なのかなとも思います。意図せずに一度道を誤ってしまったからといって社会的な復帰が不可能になってしまうような世の中って、それは厳しいよね、っていう。

 

そういう人達をちゃんと受け入れて行く社会。それはナルシストルーもセクレトルーも、何ならフェンネルさんでさえ受け入れるプリキュアの度量。実際の世の中はそうではないからこうあってほしいという願いかもしれない。でもさ、フェンネルさんにも届いてると良いなと思います。奪って得られる幸せよりも、みんなでシェアして、ありがとうが重なった世界の方がきっと素敵だよって。

 

マリちゃんの最後の言葉とか、もう深澤監督そのものの気持ちでしたよね?あれ。プリキュアと出会って、試行錯誤しながら一緒に戦ってきた。
過去の「伝説のプリキュア」がどんなものかは知らないけれど、自分にとってはあなたたちこそが本当のプリキュアで、一緒に駆け抜けてきたプリキュア達に心からのありがとうを伝える。

 

思えば過去のシリーズも全てそうでした。プリキュアかくあるべし、みたいなものを求められる中でね、1作1作、プリキュアって何だろう?みたいなものに誠実に向き合ってきた。だからプリキュアは面白いんだと思う。勿論、好みの差とかは多少ありますよ。でもどの作品も私は好きだし、どの作品もそれぞれの面白さがちゃんとあると私は思う。


といった辺りで、次は感謝祭ですかね。今年もオンライン視聴出来るみたいなので一安心。勿論私も最終公演のチケット買うつもりです。

 

1話の時点では「食育とコミュニケーション」とかの話になるのかなぁ?
とか私は言ってましたけど、予想以上に色々な方向に話やテーマが転がって、ああ~こう来るのか!と終わってしまえば自分が想像してたよりもずっと凄い作品になってた印象。プリキュアはやっぱり凄い作品なんだと思わせてくれた点では満足度は高いです。

 

押しは・・・誰だろうな?1話感想ではとりあえずヤムヤム押しで行くって言ってましたが、スパイシー/ここねちゃんが好きかも。いや、意外と中の人の茅野さんの魅力に気付いて、あまねんも好きだなぁってなったし、ゆいちゃんの後半の怒涛の追い上げもね、流石はセンターのピンクプリキュア、これで好きにならないはずないじゃん!って感じで、結局は全員好きという事になります。

 

あとねぇ、毎年の秋のライブの方はぶっちゃけあんまり期待してなかったりするんですが、(どちらかと言えば歌手より声優目当てなので)デパプリのは満足度が物凄く高くってね。音楽方面でもデパプリは凄く良かった。

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そういう意味ではね、キャラクターもキャストも歌手も作品的にも、飛び抜けた個性がまずあって、そこが全部をひっぱっていくというよりも、みんなが力を合わせて一緒にデパプリの世界を積み重ねてきた感があって、そこは凄くデパプリらしいなとも感じます。みんなで一緒に生きて行こうよ、っていうね。

 

そんな全力の「おなかいっぱいパンチ」にココロ満たされました。
つらい事があっても人はプリキュアがあれば生きていける。
今はただありがとうと言わせて下さい。 

 

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