僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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トロピカル~ジュ!プリキュア

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Tropical-Rouge! Precure
シリーズディレクター:土田豊
シリーズ構成:横谷昌宏
プロデューサー:村瀬亜季
TVアニメ 2021~22 全46話
☆☆☆☆★

メイクでチェンジ!ムテキのやる気!

 

またもこの時期がやってきましたプリキュア最終回。
今は感謝祭イベントもあるので(オンライン配信チケット購入済み)まだ完全な締めくくりという感じでは無いですが、それでもやっぱりTVシリーズは終了。今年は春映画も無しですし、そこはやっぱり寂しいですね。

 

次の「デリシャスパーティプリキュア」もキャラデザの時点で好きですし、楽しみだなぁって気持ちも大きいですが、こっちはこっちで寂しいし、色々と複雑な気持ちです。でもそういうのもまたプリキュアの風物詩であり醍醐味でもあるんだよなぁと改めて思います。

 

コロナ禍での前作「ヒープリ」のスケジュールのズレを調整して、1月いっぱいで終了、2月から新シリーズスタートという従来の形に戻して来ました。なのでトロプリも全46話と若干少なめ。しかも最終話前に最終決戦を描いて、最終話はまるまるエピローグ編という作りで、近年だとここでバトンタッチも作中で描かれますが、今回はエピローグのエピローグみたいな形でおまけ的な形でしたね。前後の春映画無し、秋映画もコラボ案件でしたし、TVシリーズはできるだけトロプリ単作としてのカラーで描き切りたいという決意みたいなものも感じました。

 

さてトロプリの振り返りです。
1話目の感想を書いて、

curez.hatenablog.com

後は秋のアニメージュ増刊の記事にも書いたのですが、

curez.hatenablog.com

実は私が予想してたのとは違った感じの作品になってました。

 

田豊監督、過去シリーズの演出や、監督を務めた「プリアラ」秋映画では伝説になるくらいギャグに全振りした作風でしたので、今回のトロプリも過去シリーズに例を見ないコメディータッチのギャグプリキュアになると思ってたのですが、意外と真面目に作ってたな、という印象。

 

ねとらぼの定期プリキュア記事でも触れられてましたが

nlab.itmedia.co.jpアニメージュ増刊の監督インタビューで、プリキュアは堕落の真っただ中にあるので、その中で何が出来るかに挑戦する、というのが土田監督のトロプリの作り方でした。

 

ねとらぼ記事だと、商品や関係各社、シリーズのブランド的な部分も含めたしがらみがプリキュアを自由に作れなくなった原因じゃないかと仮定した上で記事を書かれてますが、勿論そういう部分もあるとして(今の「仮面ライダー」とか見てるとその辺は本当に酷くてね…それでも商業的には成功して結果出してるのは凄いんだけど)そこでは触れられていない部分も私はあると思ってます。

 

勿論、それもあくまで仮定の話。土田監督は具体的な例は出していませんし、私が思うに、っていう話ですが、プリキュアという作品に、大人視点のメッセージを籠めるのはいかがなものか?というのがひっかかってるんじゃないのかなぁ?という気がしています。

 

私個人としてはそこってメチャメチャアリな部分ですし、むしろプリキュアの一番評価出来る部分なんじゃないかと思ってるくらいですが(私は元からそういうの好きですし)実はそこってプリキュアというシリーズが初代の頃から含まれてはいる部分でありつつ、決してそこがメインでは無かったのは事実なんですよね。

 

「女の子だって暴れたい」というコンセプトが最初からあって、自立した女性像を描きたいと言うのは初代からありました。でもそこがクローズアップされ始めたのって、ここ数年の話です。そのコンセプトを作った初代プロデューサーの鷲尾さんだって、ジェンダー論みたいな場所でコメントを求められるようになったのって、ホントにここ数年の話ですよ。


元から作品のいくつかのコンセプトの一つにはあったものなので、別に後付けで話をしてるとかでは決して無いのですが、初代なんて鷲尾Pに西尾監督、シリーズ構成もキャラデザも全員男性でした。

 

そんな中でね、幼児はまだ精神的な部分で男女の性差って無いよね、という所であったり、タキシード仮面みたいなのは男性優位の発想に繋がるから、ああいう王子様がピンチを救ってくれるみたいな展開は入れたくないよね、だとか、そういう試行錯誤で初期の頃は作られてました。

 

で、そういった中でシリーズが続く内に、女児向けなんだからもっと女性の意見を重視した方が作品には合うし、男性にはわからない部分とかもちゃんと描けるようになるはずだと、キャラデザ、脚本、監督、プロデューサーとどんどん女性が務めるように変化してきたのがプリキュアというシリーズ。

で、その流れの行きつく先が前作の「ヒーリングっどプリキュア」だったわけです。メインスタッフはほぼ女性で固めてありました。(意図したものではなくたまたまそうなったって言ってましたが)個人的には全然アリなんですけど、ちょっと賛否が分かれて、作り手側の方が意図してたものとは違う形の反響があって予想外だった的なコメントすら出てました。

 

私はね、そこって全然おかしくないと思うし、プリキュアはヒーローなんだから敵であっても全員を救うべき、という意見に対して、プリキュアだからって聖母さまの役割を押しつけないで、女の子にそれを求められるのは酷だから、っていうのは物凄~~~く真っ当な意見だと思うし、そんなヒープリの主張は支持しますけど、じゃあメイン視聴者の子供達にそれが伝わるのかと言えば、流石にそこは難しいかなとも思う。

 

同性として、子供達にはこうあってほしい、という願いやメッセージを伝えたくなるのは仕方ない事だと思うし、むしろ伝えたいメッセージやテーマの無い作品・創作物なんて私は価値が無い(或いは低くなる)ものだと思ってるので、(だから私はエンタメとか娯楽作っていう言葉が大嫌いなのです)そこは全然良いと思うのですけど、その中でバランスを考えるのは必要かなとは思う。

 

逆の例で言えば、「オルスターズDX」シリーズと「スマイル」で監督を務めた大塚監督は、作者の主義や主張は二の次で良い、プリキュアは日曜の朝8時半に子供達に楽しい時間を供給するのを一番の目的とするべき、という感じで作品を作ってました。今回の土田監督もそれに近い考え方なんだと思います。だからこそ春のトロプリ短編映画は大塚監督に任せられたし、通じる部分があるんじゃないかと。

curez.hatenablog.com

 

でもってやっぱり面白いのは、以前に監督を務めた「映画キラキラプリキュアアラモード」なんですけど、あの映画って楽しさ全開なのも素晴らしいんですけど、プリキュアは何を描くべきか?っていう読みとり方も出来るように作られてるんですよね。

curez.hatenablog.com

映画主人公のシエルが師匠のジャンに、お前は腕が落ちた。パティシエは他人の評価など気にせずに自分の道を究めるべきものなんだって言われるんだけど、シエルは仲間と一緒にスイーツを作って、世の中の人喜んでもらって笑顔にする事の方が今の自分には大事な事なんだっていう答えを出します。これ、そのままプリキュアの話ですよね?

 

プリキュアは子供達に楽しんでもらえる事が一番の目標であって、評論家の意見とか、ひとりよがりなメッセージ色を強めるようなものじゃあないぞ!?っていうのが土田監督の中にはあるのかなと。

それがね、トロピカル~ジュ!プリキュアっていう作品の大きなカラーになってたんじゃないかなと思う。

 

でもトロプリも結構メッセージ性は含まれていたんじゃないの?とも思うでしょうけど、そこは村瀬Pなり脚本の横谷さんの意図であって、そこが先に言ったようなバランス感覚の問題になってくる、という感じだと思います。

 

いや土田監督も、メッセージやテーマを入れるなって言ってるわけじゃないと思うんですよね。入れるんだったら子供達の身の丈にあったものじゃないとダメなんじゃないの?という事なのかなと。

 

そこはやっぱり「スマイル」に近くて、あの作品って、大人から見たらつたない考え方かもしれないけど、プリキュア達は中学生であって、あくまでその中学生が考えて決断する事なんだと思って欲しい、「大事な事は、ちゃんと自分で考えて自分で決断する」というのを描きたいので、的な事を言ってたと思います。

 

だからこそ同じようにまなつ達トロピカル部の等身大感はあったと思うし、そことは別にストーリーの縦軸としてローラの物語であったり、あとまわしの魔女の方の話があったりして、まなつ=土田監督の担当だとすると、ローラの部分は村瀬Pの担当で、あとまわしの魔女は横谷さんの担当、みたいに考えても良いのかなと言う気がします。

 

まなつとローラの二人主人公体制っていうのは最初から言われてましたが、トロプリ全体としては終わって見ればどっちかと言えばローラの話だったな、っていう印象が強いです。

 

個人的には、前半の方の、ローラが人間界で色々経験して行って、キュアラメールになるまでの部分が一番面白かったかなと。その最初の縦軸を消化しちゃった後は、ぶっちゃけちょっとダレた感じもしなくは無いです。

 

ただその後、終盤のあとまわしの魔女の秘密が明かされて、キュアオアシスとの関係とかはメチャメチャ脚本の構成が面白かった。

 

「破壊の魔女」という存在ながら、オアシスと心を通わせる事で、彼女と戦いたくないという心が生まれる。決断を遅らせ、また明日、また明日と答えを後回しにし続けた事で悠久の時が流れ、オアシスの寿命も尽き、いつしか魔女はその目的さえ忘れてしまっていたと。

 

いや1話の時点でね、「魔女様、プリキュアが現れました」「何だと!・・・・いやめんどくさいので明日にする」といういわばぐうたらな大人だったという爆笑物のギャグかと思わせておいて、実は悲しい背景があったと終盤になって明かされる展開はとっても面白かった。

 

しかもそれに対するまなつがね、決着をつけるのを後回しにしたんじゃない、友達になろうよっていう勇気が無かったんだね、というちょっとした言い換えをするんですね。ここは上手く考えてある脚本だなと感心しました。

 

大人視点だと後回しになるんだけど、子供達に向けては、勇気を持って一歩踏み出そうよ、っていうメッセージになってる。
いや私はここ、脳内にHUGプリの「キミとともだち」が流れました

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それこそHUGでもチャラリート戦で、「今必要なのは剣じゃない」ってハグで解決するシーンありましたけど、悪と戦うヒーローとしてのプリキュアとは別の次元に突入してる感じがして、とても良いラスボス戦でした。

 

そんな後回しの魔女もそうなんですけど、チョンギーレ、ヌメリー、エルダちゃんの敵幹部もさ、ただ倒して終わりっていう展開にはならないというのは前もって言われてた事ですけど、いわゆるライバル戦みたいなものすら無かった。戦った後に改心とかそういうのじゃなく、彼らはただ仕事でとしてやってるだけであって(しかもやる気パワー集めは本業ですらないし)別に悪い人達では無かったというのも面白いです。

やっぱり過去シリーズみたいに山場としてライバルとの最終バトル的なのも見たかったなとも思う半面、これはこれで悪く無かったな、とも素直に思います。

 

バトラーさんもバトラーさんで、悪と言えば悪ですが、後回しの魔女様を利用して何かを企むとかじゃなくて、単純に破壊の魔女の時代からの忠実な部下だったっていうだけですし、彼だけがやる気パワーに溢れていたっていう話ですよね。しおしおになってエルダちゃんに面倒見てもらってるエピローグの姿は微笑ましかった。

 


でもって、決断が出来ない後回しの魔女と違って、その対比として、速決断するローラ。「私は人魚姫の話は好きじゃないわ」って前半で言ってましたが、まさしくそこは現代的なアップデートで、トロプリ自体がローラの物語だったと解釈すると、「人魚姫」の脱構築っていうのがトロプリの背景にはありました。王子様に恋をして、最後は儚く泡になって消えるという悲劇の物語を、自分はそんな存在じゃ無い、今の物語として人魚姫の物語を「トロプリ」として上書きしてやるわよ!っていう感じがまた面白い。

 

逆に泡を使って記憶を取り戻しちゃいましたしね。過去の例に従うだけじゃなく、これは自分の物語なんだと、裏をかいてちゃんと自分で自分の幸せを掴みとる。ちゃっかりしているローラの性格もあれば、今の子供達にとって必要なのは悲劇なんかじゃ無くて、自分の道は自分で決める、自分の幸せは自分で掴みとりなさい!っていう、ディズニー映画におけるプリンスレスと同じような事をやってるわけですが、プリキュアはその真似じゃ無く、プリキュアという自身の文脈で描いてあるのが流石です。型破りも、女性の自立もプリキュアが最初から描き続けてきた、根っこにある部分ですから。
自分の足で凛々しく立つ事。・・・いやローラは尾びれだから逆立ちしてたけども。

 

そんな決断をするローラですけど、まなつが実は将来の夢を問われた時に、これといって何も無いというのがちょっと珍しい展開かなとも。お父さんお母さん共に海に関わる仕事してるし、将来的にはそっち方向だろうな~って想像しちゃいますけど、今の答えは「大人になった時に一番やりたい事をやる」がまなつの答え。ある意味そこも等身大かな、という気はしなくもないですねぇ。メインカラーの白も、何にでも染まるっていう意図もあるみたいですし。

 

キャラのイメージとしては野生児というか、天真爛漫な子供っていう感じですけど、そこでちょっと気になるのはまなつってルージュ持ってるんですよね。なんかキャラに合わないなぁ?無理矢理商品のおもちゃを持たされたチグハグ感が否めないとかは思いつつ、まなつはまなつなりにおしゃれとかにも興味を持ってる年相応の女の子っていう部分もキャラとしてはありなのかなと。基本、他の4人は子供達にとってはあこがれのお姉さんタイプだと思うし、まなつに親近感を憶えつつ、それでも彼女もお姉さんなんだって感じる部分とか?

 

そこいくとさんごちゃんは「トロピカル~ジュ」というタイトルを背負うべきコスメっこだったと思うのですが、意外と目立てませんでしたね。まなつとローラがバディ感を出してる分、ちょっと割を食ったかなとは思うのですが、この控えめな感じだからこそ、自分を重ねられる人も多かったんじゃないかとは思いたい。まなつとローラみたいにグイグイ来るタイプの人ばっかじゃないし、むしろそういうの苦手な人も多いと思いますし。

個人的にちょっと保護者っぽいポジションで「まなつ!」って言うさんごちゃんが可愛くって好きでした。

 

そして次はみのりん先輩。キュアパパイアなのに実はパパイア食った事ねぇ!という渾身のギャグを最後のお当番回で持ってくるセンスが大好きです。私も頭でっかちで理屈が先走る人なので、みのりん先輩は特別なポジションです。

みのりん先輩だけでなく、全員分ありましたけど、最終回の劇でこれまでの過去を振り返る話になってたのはグッと来ました。

 

最後はあすか先輩。うわ~今時スケ番キャラか!苦手だなぁとういうのが第一印象でしたが、あすか先輩可愛いじゃねーか!というギャップが魅力です。後輩達が可愛くって面倒見が良い所も魅力なら、自分も楽しくて一緒になってはしゃぐあすか先輩も可愛いんですよね。

 

とまあ1年間見続けるとこうやってどのキャラの魅力も伝わってきて、かけがえのない1年だったなぁという気持ちにさせられる。だってそれがプリキュアよ。

 

ラストもね、EDの「あこがれGo My Way」に直結してる所も凄く良かったよ。

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「どんな出会いにも全部 ちゃんと理由があるんだ」
「タイミング 革命にしちゃおう 今日が輝くから」
っていうとこが泣けてきてね、トロプリのこの青春感も魅力だったなぁと涙してしまいました。

 

くるるんは最後までくるるんだったのも土田テイストで最高。

 

求めていたものとはちょっと違ったかな、というのはあるし、作品のキーであるはずのコスメ要素がそんなに生かし切れて無いとか気になる点はありますが、それでもやっぱり一緒に1年間走り続けてきた作品ですから、もう良い部分しか思い出せません。正直、終わりよければ全てよし!という感じです。

 

さて、次は感謝祭です。
まなつ役のファイちゃんは泣くだろうなと思うけど、他の人はどうだろう?最後の最後に心情を吐露して中の人はこんな風に思ってたんだな、みたいなのは楽しみです。

さあ、青春エンジョイしよう

 

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