FLASHPOINT
著:ジェフ・ジョーンズ(ライター)
アンディ・キューバート(アーティスト)
訳:秋友克也
刊:DC COMICS ヴィレッジブックス
アメコミ 2012年
収録:FLASHPOINT #1-5(2011)
☆☆☆☆
DCユニバース崩壊!?
世界最速の男がついに到達した禁断のフラッシュポイント!
その時、全ての常識は崩れ去る、ほんの一瞬の内に!
まどろみから目覚めたフラッシュことバリー・アレンは、世界が一変している事に気づいた。町並みは同じに見えても、そこに立つヒーロー達はまるで別人なのだ。バットマンは犯罪者を自らの手で裁き、ワンダーウーマンはアクアマンと世界を二分する激戦を繰り広げ、スーパーマンはその存在さえ知られていない。自身もスーパースピードを失ったアレンは、それでも真相究明に走り出す。この大異変の真相をつかむために!
映画「ザ・フラッシュ」ついでに、ベースとなった原作の方を再読。
近年は全然DCの本筋に追いつけずに放置してますが、この辺りの時期はまだDCの方も追っかけてました。
なので原作の方は初見じゃありません。つーか積読本が山ほどあるというのに一度読んだ本を再読かよと自分でもちょっと思いましたが、何分10年も前に出た本。ブログに感想とかは書いてないのでせっかくだから記念に残しておきましょう。
こうして最初から単行本の形で触れる分には、「DCユニバース全体のリセットイベント」次から「全てのタイトルを仕切り直しで「NEW52」としてリスタートする為の企画」という情報が知識として入った上で読んでますが、解説を読む限りでは最初の1話とか刊行された時点ではその辺りの情報はまだ表には出ない形でスタートしてるっぽい。
ふと目覚めたら、そこは今まで慣れ親しんできた世界とは全く別の世界に居た。といういわゆるアメコミでも定番の一つである世界改変物の企画だと思われていたらしい。色々あって、最後は元に戻ってめでたしめでたし・・・に、ならないのこれ!?え?全部にリセットがかかってリスタートなの!?というのは相当なインパクトがあったに違いない。何せここまでの75年分の歴史を無かった事にしてしまうんだと。
スーパーマンとかバットマンとか1000号直前なのに、それもまた1号からやり直します、というんだから覚悟の程が伺える。(結局あとから通算の記念号は流石に出しましたが)
そんな2011年のイベントを2012年に日本語版の刊行というスピード邦訳。解説にも、賛否のある試みで、評価は後年になってから下されるだろう的な事が書いてあるのが今読むと面白いですねぇ。
NEW52の全タイトルの1号のみを全部刊行とかヴィレッジも凄い事やってましたし(後半は通販限定でしたが、それにどこまで意味があったのかは微妙な所。記念としては面白いですが)数年後にまた「リバース」で結局再リセットかけたりと、今の時代の目で見ると色々また当時とは違う感覚もありますが、単純にお話としてもサクッと読めて面白いです。
ただ、面白味としてはクライシス系イベントの世界の終わりと言うよりは、世界をどうやって戻すのか的な歴史改変物の方の面白味が強い。
映画の方もねぇ、逆にあまりマニアでなく情報を入れて無い人の方が面白かったりするのかもしれません。私は自分の感想にも書いてますけど、ここ最近のDCEUは制作のゴタゴタに嫌気がさして変なフィルターがかかってしまっているというのは自覚してますし、それこそ没企画まで拾うんだったら完成済みなのに直近でキャンセルされた「バットガール」とか何とかしろよと余計な情報がどうしても頭の中を過る。
DCユニバースではないけど「実写版パワーパフガールズ」も試写までやっておきながら結局キャンセルされちゃったんでしょう?企画段階で実現しなかったとかならともかく、とりあえずは見せてよ!判断はこっちでするからって思ってしまう。
会社の後輩とかにも、アメコミヒーロー映画好きでほとんど見てますよ!って子が居るんですけど、映画マニアとかではないので、制作側の話とかまでは全然知らなかったりするので、彼みたいな人なら素直に楽しめるんだろうなとかちょっと思ってみたりも。
まあそこは映画もこの原作コミックしかり、10年後にはまた違う感覚で見れるでしょうし、そういう意味では楽しみかもしれないです。
改めて原作を読み返すと大筋のプロットは映画とも思った以上に結構近い。
ただこっちはリバースフラッシュ(イオバード・ソーン)がバリーを苦しめる為に歴史改変をおっぱじめるというのが大きな違いか。
映画でもお母さんを殺したのが誰かとかが曖昧にされてたけど、もしかしたらリバースフラッシュの関与かもしれないという、原作を知ってる人向けの匂わせを残してあったように思います。原作の方では明確なヴィランとしてここが物語の軸になっている。
映画の方だと一応名目上のヴィランはゾッド将軍を配置してましたけど、演じた俳優さんはただの物語上の駒としてしか描かれて無いのでつまなない仕事だったって言ってたのが可哀相でしたね。
あとはここは世界観の面白味であって、物語に直接関与しない所だからあえて予算や手間をかけて再現する必要も無いだろうとオミットした部分なんでしょうが、フラッシュポイントの世界はアクアマン率いるアトランティスと、ワンダーウーマン率いるセミッシラが地球の覇権をかけて戦っていて、人類が危機に追い込まれている中、人類側をまとめる存在としてサイボーグが人類の代表みたいになっているというディストピア社会。ここも面白い部分ですねぇ。
アクアマンとワンダーウーマンをサラッと悪役に配置できるのがコミックの利点ですよね。そして映画と次のNEW52のおかげでサイボーグの扱いが良いのは今だとそんなに気になりませんが、当時のサイボーグはテイーンタイタンズ枠のキャラなので、ジャスティスリーグの中心キャラと対等の存在と言うのはやっぱり大抜擢でしたし珍しさもあって面白い設定でした。
いわゆる会社側の押しキャラという感じですよね。多分JLAのメインクラスに黒人が居なかったからサイボーグなんだろうなと。グリーンランタンも、ハルと共に黒人のジョンも何気に重宝されてる印象ありますしね。
そしてそんなサイボーグとフラッシュが頼みの綱にしたのがバットマン。人類の守護者であるサイボーグからすれば、バットマンは世界最高の戦略家として見ているし、フラッシュにしてみればこの世界の謎を解き明かすには世界最高の探偵としてバットマンの元を訪ねる。
ここがねぇ、コミックファンならそうだよねと頷く所ですが、映画でしかバットマンを知らない人にとっては、世界最高の探偵とか戦略家とか言われても、ちょっとピンと来ない部分なんじゃないかなぁという気がします。
私が映画のキートンバットマンに違和感を覚えたのはそこです。あのバージョンはパラノイアとしてのバットマンは上手く描けてはいたけれど、他の部分は映画の中では描かれて無い部分です。描かれていない歳をとるまでのその後で色々あったんだろうと行為的な解釈は勿論出来るとは思うんですけども。今の所、絶賛してる人の意見しか見えてこなくて個人的に結構モヤりますわ。
原作の方では実はこのバットマン、ブルースでは無くあの人だったというのが、後々の話にも繋がって行ったりはしますが、映画の方まで同キャラにすべきだったとかは流石に言わないし、アレンジは全然構わないんだけれども。
サブジェクト1こと、この世界のスーパーマンもアレンジが効いてて面白い。ここは映画の方でも最初はソ連管轄っぽく見せて、レッドサンバージョンのスーパーマン?と思わせておいてからのスーパーガールというのは映画でも新鮮で面白かった部分。
更に言えば、こちらの原作だとキャプテンサンダーとしてシャザムさんも絡む。この収拾のつかなさもまたコミックの面白い部分ですし、映画だとそこはメインのドラマ以外はとっちらかるのでなるべくならシンプルにしたいというのも映画好きとしてはわかる。例えばね、「クライシス」を映画化しましょうってなったとして、登場人物800人ですとかを再現する必要は特にないというかね。そういうのはコミックの面白さだよなぁと思う。(って考えるとスパイダーバースはやっぱりコミックの面白さをスクリーンで再現してますよね)
全5回と短めのストーリーで、決して完成度が高いドラマとかそんなんでは無いと思うけど、イベントタイトルらしい面白さに溢れてるし、リアルタイムで体験する歴史の一幕という感じが非常に痺れさせてくれる1冊です。DCもやっぱり面白いんだよなと再確認させられます。
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