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機動戦士ガンダムS DESTINY スペシャルエディション完結編 自由の代償

機動戦士ガンダム SEED DESTINY スペシャル エディション 完結編 自由の代償 [レンタル落ち]

MOBILE SUIT GUNDAM SEED DESTINY SPECIAL EDITION FINAL
監督:福田己津央
OVA 全4話 2006-7年
☆☆☆

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DESTINYスペシャルエディション第4部完結編。
ジブリールの逃亡から宇宙へ戻っての最終決戦。レクイエムを仕様しつつの議長のデスティニープラン発動。

 

もう最初から話わかってるのもあってか、意外と楽しめました。
リアルタイムで見てた時は、これはもうガンダムも卒業時かなとか思った記憶があります。基本的に私は世間で色々言われたG/W/Xも楽しんだし、当時は富野信者でしたので、∀なんて最高に好きな作品でした。無印のSEEDの時も、ひっかかりを憶えつつ、まあそれなりに、という感じでしたが、これが続編のDESTINYになるとねぇ、なんだか若い人に申し訳なく思えた。ガンダムってこんなもんかと思われるんじゃないかと思うと悲しくってね、いやたまたまこれが微妙なだけで、他のガンダムは面白いから!みたいに思った記憶がある。

 

次の「00」は面白くてほっとしたものの、それはあくまで1期の話。00も2期がまあ酷くて、その時もガンダム流石にもう卒業すべきかなと。劇場版はまた別路線ですが、あれはあれで面白かったので結局は卒業せずじまいですが、もうその辺りから「ガンダムは俺の人生!」みたいな気持ちはすっかり失せてしまった。まあそれでも結局は半分付き合いみたいな感覚も含めてガンダムは全然卒業して無いんだけども。

 

まず当時、何でそんなにDESTINYにガッカリしかたというとね、やっぱり途中で主人公交代しちゃったから。なんだか見ていて凄くバカにされた気分だったんですよね当時は。

 

最初からそういうつもりでやってた的な事は後からのインタビューでも言ってた気はするのですが、少なくともリアルタイムで追ってた身としては、今回は新しい主人公のシン・アスカの話だから、彼に感情移入して見てね、みたいな事を前半でやっておいて、やっぱり前作の主人公復帰させたらそっちの方が大事になっちゃったから君は主人公降格ね、みたいに見えて、なんか一生懸命見てるのが凄くバカバカしくなったんですよね。

 

そこからしばらく時間を置くと、DESTINYの主人公は?という問いに対して、シンが主人公なのはわかる、じゃあDESTINYのラスボスは?という問いに対して、シン・アスカですってなるの斬新じゃね?とかちょっと思えて来るようになる。

 

まあキラとはレイが対峙して、シンの前に立ちはだかったのはアスランでしたので、ラスボスというのもまた違う気もするけど、Gジェネとかのゲームだと、マスターガンダムとかエピオンとかGP02とか、悪役ガンダムと一緒に並んでるデスティニーガンダムというのも結構多くってね、なんかそっちのイメージに引きずられるものがあるし、決して王道ではないけど、昔からピカレスク物とか悪役が主人公の物語の系譜っていうのもそれなりにあってね(有名所では「デスノート」なんかもそうでしょうか)、この作品もそういうカテゴリーに入るのかなとも思えてきたりはした。

 

だってまた別路線ですが、「オルフェンズ」だってあれ別に正義の話とかじゃなくてヤクザの成り上がりの話じゃないですか。ああいうのはああいうので別ジャンルなりの面白さや新鮮さというのもある。

 

そんな風に思いつつも、最近というか、今回こうやってスペシャルエディションを見返してて思うのは、やっぱりSEEDはSEEDなりに時代を捉えていたというか、ちゃんと時代とリンクしている作品ではあるんだなと思えて、そこが今回一番面白いポイントだったかなと思う。

 

2本目の時の感想で書いたけど、こうやって20年目にしてSEEDの本質が見えてきた部分があって、何でシンが主役から降ろされてキラが主役の座に復帰したのを見て一気に気持ちが萎えたのかと言えば、シンはシンであれは良いんですよ。
DESTINYはコミカライズ版が2作あって、一つは高山瑞穂著のボンボン版コミカライズで、そっちは最後までブレさせずにシンの主観や目線で通したんですよね。敗者の物語、みたいになっちゃうんだけど、それはそれでちゃんと読み応えがあるし面白い話になってた。だって失敗や負けなんて誰でも通る道ですし、それは時に成功や勝利以上に感情を揺さぶるものがある。高山版、当時から絶賛されてました。
(ちなみにもう一つのコミカライズはダムA版久織ちまきの「ジ・エッジ」でそっちはアスラン視点でまとめてありました。そっちも丁寧な掘り下げが光る良作)

 

じゃあそんな勝者のキラはDESTINYにおいてどんなキャラなの?そこにシンとは違った魅力があればまだいくらか納得出来たんでしょうけど、そこが無いのが問題なんですよね。

 

政治や社会からは距離を置いて、目の前の感情を重視する。脚本書いてる人がキラはノンポリなんですよって言ってるんだからそこは素直に信じて良いんだと思います。

 

「それぞれの剣」デュランダルはレイやシンを自分の剣にしようとしたのと同じように、キラはおそらくラクスにとっての剣になろうとしている。

 

ラクスはね、まだ良いんです。彼女なりの考え方があって動くし、カガリアスラン、ラミアス艦長なんかもそうだと思うんだけど、それが正しい道かはわからないけど、自分はその道を選ぶっていう決断をしてると思うんですよね。

 

でもキラってさぁ、全部が全部とは言わないけど、基本的にその悩みや決断をラクスに委ねてる感じがするし、それは結局シンが陥ったように思考停止なんじゃないかと。

 

政治や社会の問題は自分とは無関係。自分は目の前の感情の方が大事なんだって世界から目をそむけて思考停止してしまう。

 

・・・あれ?それって今の世の中の大半の人じゃん。

 

そんな風に考えるとさぁ、あの当時の、そして今も恐らくそんなには変わっていない若い子らの感覚というか空気、時代感と上手くSEEDはリンクしてたんだなぁと思う。

 

少年少女が社会とどう向き合うか?っていうのもガンダムでは結構色々なパターンが描かれてて面白い視点だと思うんですが、SEEDとDESTINYは思考停止してそういうものからは目をそむけて、安易な陰謀論みたいなものに走ってしまう若者、という、あれそういう人世の中にいっぱい居るぞ?という面白さがある。

 

今回見返してて、シンとルナマリアも何でこんな状況でちちくりあってんだよ?とか思ったけど、精神的に病んで行く中で、共依存の関係を作るしか無かったんだろうなとか思えたし、そこ考えるとアスランカガリはお互いに悩みがちだし、抱えるものも多いので、そりゃあ上手く行かないのが結果なの納得できるよね、と思えるし、その発想で行くとラクスとキラは・・・と理解度がより深まる。

 

すごーく時代的な感覚がやっぱり見える作品だと思うし、そこを踏まえての今になっての劇場版新作ですよ。今の時代に、今のガンダムSEEDは何をどう描くのか。劇中の設定のみならず、現代の社会背景を踏まえて何が描いてあるのか、メチャメチャ楽しみになって来ました。

 

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