僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 虚空の戦場

機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 虚空の戦場 [DVD]

MOBILE SUIT GUNDAM SEED SPECIAL EDITION : I
監督:福田己津央
OVA 全3話 2004年
☆☆★


まさかのシリーズ最新作映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」が来年年明けに公開予定。

www.youtube.com


それに伴ってTVシリーズ総集編スペシャルエディション「SEED」3部作「DESTINY」4部作の方もHDリマスターで順次劇場公開されるとの事。(元は劇場用映画では無い)

どうしようかなぁ?映画館でガンダム見れるの嬉しいし、復習がてらに見ても良いかも?と思って調べたら、私の住んでる山形での上映は無し。「Gレコ劇場版」の4と5も地元でやらなかったので、お隣の宮城県まで観に行きましたが、合わせて7本分もわざわざ通うか?と考えたらスルー。

 

地元でやってたら観に行ってた可能性高いですが、わざわざ時間とコストをかけて観に行く程に私はガンダムSEED好きなのか?と考えたら、いや別にそこまで好きじゃねーか。HDリマスターとかじゃなく、当時発売したDVDは普通に全部持ってるのでそちらを見返すくらいで十分、という結論に至る。


TV版はHDリマスターに当たって確か色々修正加えてあるんですよね。パーフェクトストライク出したり。元々のスペシャルエディションがTV版には無い新規カットを入れたりしてましたし。有名な宇宙に漂うムウのメットを消したりね。今度はHDリマスターに合わせてスペシャルエディションの方もリメイクしましたよ~とかならまだ劇場まで足を運ぶ価値もあったかもしれませんが、まあ良いでしょう。

 

色々とわけありで金欠なので、普通にDVD見返して終わりにします。
先に感想書いておけば検索流入も多少あるでしょうしね。

 

という事で久々のSEED。
当時、リアルタイムでTVを見てた頃の気持ちが蘇ってきます。
宇宙世紀物と違って、今回のはこういう世界観なのか、っていうのが新鮮ですよね。基本的に私は最終回まで終わってから評価するタイプの人なので、見てる最中からうるさいガンダムオタクみたいに「こんなのガンダムじゃ無い」みたいなのは言わないスタイルなので、当時は何だかんだ言いながら毎週楽しく見てた気がします。

 

見終わってからの視点、こっからまた20年も経ってからの視点は勿論また別ですし、最初に言った通り私はSEEDが好きな作品かと言えばそこまでではないので、今回見返してても、ここは面白いなっていう部分と、ここは変だなぁ嫌だなぁという部分が色々と混在してて、結構不思議な感覚。

 

当時から凄く感情移入して見てたわけでもないのですが、それでもアスランカガリとかは好きで、その辺は見せ場のある第2部の時に語ると思いますが、基本的に感覚が若いというか、若さを通り越して幼い感じが凄くする。この時のキラって設定上は高校生くらいなんでしたっけ?なんかそれより下の13歳とか子供よりは大人に近い年齢だけど、流石にまだ一人前と言うのには程遠い幼い感じが、見ていて不愉快にはなるんだけど面白いなと。

 

種死とかになると悟って別の世界に行っちゃって、人間味が無いのがつまらなさの原因の一つだと思うんですが(それ以降の劇場版なんてどうするんでしょうね?)無印の、しかも初期くらいなら、そりゃあガンダムなんて元々ティーンエイジャー向けの作品なんだからこれで良いんだよなと思える部分は大きい。
「水星の魔女」に昔からのガンダムオタクが文句言ってるの見ると、いやオッサン歳いくつだよ?お前に向けて作品作ってるんじゃねーんだから笑って見逃せよとしか思えないのと近いです。

 

で、そんな子供向けな部分ですが、わざわざベッドシーンを入れて童貞を失う=大人への通過儀礼みたいな事をやってるのが、他のガンダムでは一切出てこないような不思議なシーンなんですけど、ガンダムって主人公も人を殺すので、本来はそれが子供の頃の無垢な心を失うという部分で通過儀礼になるから他の作品では描いて無いんですけど、逆にキラはそんな肉体関係みたいなものを先に経験して、何故かその先に今度は逆に人を殺さないというイノセントな心を求めるようになる、という歪んだ構造。

 

そういうのをおかしいと否定するんじゃなくて、そういう構造こそがSEEDらしさなんじゃないかと考えるのも面白い気がします。

 

これ、何度も書いてるし私が考えたんじゃ無くマクガイヤーチャンネルという番組で解説してたんですけど「鉄血のオルフェンズ」でクルーに主人公たちよりずっと幼い子を配置したのが流石の手腕だと。「ファースト」で言う所のカツ・レツ・キッカ枠です。自分より幼い子が居る事によって、自分もまだ大人にはなりきれないけれど、幼いこの子たちの未来や命を守らなければならないという、他人の存在がそこで生まれるわけで、ポストエヴァ的な「ガンダムSEED」も「エヴァ」と同じように、何で自分にやさしくしてくれないの僕にやさしくしてよ的な自分の狭い世界だけを描いてしまう要因にもなっていると。

 

私もそれこそ20年以上前から主張してるけど「Zガンダム」におけるカツの役割ですよね。カミーユ以上に言う事聞かない自分勝手な奴が居るからこそ、カミーユはカツに大して勝手な事言うなよって諌める事が出来たりする。ある意味こっちは鏡像的な存在とも言えるけど、自分だけのセカイ系じゃなく、他者がこの世界には存在してるという認識を持つっていうのは、社会へ向き合う第一歩だったりするので、その辺りを意識してるかどうかっていうのは大きい。

 

単純にね、SEEDはここがダメだぜって切っちゃうよりも、そこは時代的な側面もあるんじゃないかと考えて見る方が面白い部分じゃないかと。

 

逆にそんなドラマ構造上の配置で言えば、アークエンジェル内にもマリュー艦長とナタルの対立軸を置いたの凄く面白いですよね。子供達だけでなく大人も少しは居た方が良いっていう判断もあるし、後々の展開を踏まえた上での初期配置とかだったのであれば他のガンダムシリーズには無い部分で、素直に面白い部分に思います。

 

今回、当時ぶりに久々に見たので、区切りどこだっけかなぁ?と思ってたら、そりゃあ砂漠の虎まではやるよねと。ファーストガンダム劇場版1作目がラル登場までしたし、そりゃあそうかと。いやこっちは倒すとこまでやりましたけど。

 

SEEDに限らず、どのアナザーガンダムもそうなんですが、元々のガンダムに対して、どこまでの換骨奪胎というか、何を残して、何を変えるのか。新しい要素は何を加えるのか?みたいなのはやっぱり面白い部分で、そこはパクリとかそういうことではない。

 

確か当時から結局最後までモヤモヤしっぱなしだったのはコーディネイターナチュラルの対立で、成績優秀で容姿もイケメンみたいな設定があって、そもそもイケメンとか国や時代、文化の違いで一面的なものではないのでは?と思ったし(それこそ当時はカッコ良いと思って描いてたこの作品の私服のトンチキさとか今見ると凄いダサイわけで)成績優秀ってどこまでなのか、そもそも優秀な人が戦争とかするの?とも思うし、逆に旧人類はきっとコーディネイターに皆殺しにされると、反発するブルーコスモスみたいなのが生まれるのも確かにとは思うけど、なんかその差がよくわかんなくって、当時色々考えてモヤモヤしたし、今回見ててもモヤモヤでした。

 

20年経って言えることは、そこに答えなんか無いし作る方も持ってないので、今度の映画を見たって深い物なんか絶対にないし、雰囲気とかそういうのを楽しむのが良いだろうと。

 

とりあえずこんな感じで新作劇場公開までSEED祭りやってくと思われますので
好きな方はおつきあい下さい。

 

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