原題:Gräns
監督・脚本:アリ・アッバシ
原作・脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
スウェーデン・デンマーク合作 2018年
☆☆☆☆
<ストーリー>
スウェーデンの税関に勤めるティーナは、違法な物を持ち込む人間を嗅ぎ分ける能力を持っていたが、生まれつきの醜い容姿に悩まされ、孤独な人生を送っていた。
ある日、彼女は勤務中に怪しい旅行者ヴォーレと出会うが、特に証拠が出ず入国審査をパスする。ヴォーレを見て本能的に何かを感じたティーナは、後日、彼を自宅に招き、離れを宿泊先として提供する。次第にヴォーレに惹かれていくティーナ。しかし、彼にはティーナの出生にも関わる大きな秘密があった――。
という事で今月一番の期待作だった「ボーダー 二つの世界」見てまいりました。
「ぼくのエリ 200歳の少女」の原作者の短編を原作者自らが脚色・脚本も担当。ティーナが警察官に捜査協力する部分が映画用につけ足されたようです。
予告編を見た限りでは「獣は月夜に夢を見る」と同じ路線かなと思ってましたが似て異なるどころか全然違う話でした。言うなれば北欧生まれの「アナ雪」や「ムーミン」の裏バージョンみたいなものかも。
タイトル通り、二つの世界の境界線(ボーダーライン)を見ているこちら側が行き来させられる、凄まじく強烈な作品でした。ジャンル的にもサスペンススリラーと言って良いのかどうかもまた微妙な所で、その辺りは監督も意図してジャンル分けし難い曖昧なボーダーラインを心がけたようです。
見ていて、これどっちの方向に話が広がるの?っていう面白さを持った映画とかたまにありますよね?(「ヘレディタリー」とか)人間とは異なる異種が実際に存在するファンタジー要素があるタイプの作品なのか、それともあくまで異種っぽい感じがするだけで、実際はただの人間の特殊なケースを描いてるだけなのか、いったいこの作品はどちらの方向に転がるの?この作品のリアリティラインは?という部分だけでもサスペンス要素としてグイグイ引き込まれました。逆に言えば、そうやってジャンル分けして自分の中で「線引き」をする事で安心感が得られるという事ですよね。
例えばTVで凶悪な犯罪なんかが報道され、その犯人が特別な家庭環境や、果てはアニメやゲームのせいにして、そこに理由をこじつけようとしたり、フィギュア収集なんかをしてるものなら、ほれみたことかあいつらは自分と違う異常者なんだ、と自分とは違う世界の人間と境界線を勝手に作ったりしたがるのは、ああいう人間は異常で自分はまともな人間なんだとの安心感を得たいがためだったりするものです。
白か黒かを決めつけたがり、グレーな部分は見ず曖昧な物からは目を背ける。そんな奴はベニチオ・デル・トロにでも撃ち殺されればいいのです(それ違うボーダーライン)
この作品は、そんな境界線をグイグイと見せつけてくれる素晴らしい映画になってました。
この先はある程度のネタバレも含みますので、ご注意下さい。
作品としては先の読めない展開も大きな面白味になっている作品だと思いますので気になったらあまり情報は先に入れないで見た方が面白いと思います。
主人公のティーナが入国管理者の警備員として仕事をしているというのが面白いですね。まさしく国と国とのボーダーラインで仕事をしているわけですから。しかも規制って国によっては違う。自国では違法でも他国なら合法、なんてものも世の中にはあったりする。地図にはある「国境線」が実際に無いのと同じで、ここから先は別のものですよ、と、それは誰かが、あるいは自分が決めたものでしかないわけです。
最初は麻薬犬なんかと同じように、単純に鼻が利いて臭いを嗅ぎ分けられるのかな?と思いきや、何故か携帯電話が怪しいと睨む。そうか、誰もが持ってる携帯の中に麻薬とか隠してるのかと思ったら、その中のSDカード。SDカードに入っている内容まで把握できるわけではないものの、人の感情の微妙な臭いまで読み取る事が出来る。これをきっかけに警察の犯罪捜査の協力までする事になるわけですが、これは凄まじく優秀なスキル。とても凄い。
感情まで嗅ぎわける事が出来ると言う事は、同僚とかにもときたま「こいつやべー」みたいに思われたりするのも察知しちゃったりするのかなとは思いつつ、画面上の描写としてはただの優秀な麻薬犬扱いという感じでも無く結構信頼されているようでした。ただの異形の者の孤独とかを単純に描くというのが目的では無い事はこういう所でも表現されていると思います。
まずティーナのビジュアルからして最初はちょっとえ?何者?って感じがしますよね。(これ特殊メイクだそうです。それでいて細かい感情までちゃんと表現できててホントに凄い)極端にバケモノっぽくするわけでもなく、これぐらいの容姿の人ならまあ実際に居なくもないかな、ぐらいのさじ加減が秀逸です。
そういった所から先ほどの仕事っぷりに入るわけですが、全編そんな感じで一瞬「え?」と思わせて、その後に「うん、まあ」ぐらいの緩急が最初から最後までほとんど全部と言っても良いくらい、何度も何度も繰り返される。
技術的にはそれが緊張と緩和のいわゆる「サスペンス」と呼ばれる描写ですが、ボーダーラインがテーマのこの映画は、その技術とテーマがまさしく合致していて、凄く面白いし、重たい半面ずっと緊張感が途切れず飽きずに最後まで見ていられます。性交描写とかショッキングなシーンも少しはありますが、派手な部分が少ないながら観終わった後のズシンと来る疲れは結構なものでした。
性交と言えばのあのシーン、モザイク無しですのでそこがR18指定にもなっている要因かと思われますが、「ぼくのエリ 200歳の少女」でエリの局部が映し出されるシーンって日本だとモザイク処理されてるんですよね。あれって作品のテーマとも密接に繋がっている描写だったので、結構反感を受けてしまったのですが、それを受けての今回の判断だったのかなと思います。
因みに「アナと雪の女王」、お姫様は王子様と結ばれて末長く暮らしましたとさ、というまさしくディズニーが植え付けた古い価値観を、もうそんな価値観は過去のもので、王子様とお姫様で無く姉妹の友情を描く事で、ジェンダーからの解放として今の価値観に合った新しいディズニープリンセス像を描いた、的な評価をされていますよね。でも一部ではエルサは無性愛者の表現とも言われてたりもするんですよね。(映画の中で子供の名前をエルザがいいって言うのはアナ雪じゃなく「野生のエルザ」からだと思われます)
そういった事も踏まえると、この作品のジェンダーへの線引き、凄まじい事になってましたよね。「線引き」どころか「ドン引き」なくらいに。
同じ北欧を舞台に、凄く今の価値観として頑張っているディズニーの表現すら遥か彼方へ通り越していくこの作品は「裏アナ雪」と言っても良いのかもしれません。絶対に大衆に支持される事は無いと思いますけども。
♪ありのーままのー自分で・・・いいのか?
そして今作におけるそのジェンダーの線引きの部分だけでなく、ありとあらゆる要素「外見」「身体」「人間か否か」「文化や歴史」「習慣」「価値観や倫理観」「善と悪」そういった所の曖昧なボーダーラインを見ているこちら側に突き付けてくる。
虫食ってて気持ち悪い?いや実際に虫を食料にしてる文化だってあんじゃん。チェンジリングとか酷い犯罪?いやいやお前ら人間もっともっと酷い犯罪普通にやってるじゃん?とか言われると、もうどうしようもなくなります。
ティーナの容姿もね、慣れてくると意外とそんなに気にならなくなります。「美人は3日で飽きるがブスは慣れる」みたいなの昔から言われますよね。ティーナ仕事優秀だし凄いじゃん、とか思ってると、時に野生を開花させて奇行に走ると、また気持ち悪っ!ってなったり、その起伏の波が凄い。
森の自然が美しい!と思った半面、泥でグチャグチャの地面とか、実際に森に行くとこんなとこ来るんじゃなかったとか思うパターンですよね。
ティーナは自分と同種の仲間を見つけてそこで幸せに暮らしました、でもなければ終盤の選択は人間の心を持っているから彼女は美しいんだって単純に言いきれるほどに簡単でも無かったり、とにかく何度も何度もありとあらゆる所で境界線の曖昧さを軸に揺さぶりをかけてくる。
そしてその境界線は映画という作られた世界の中の話と、映画を見ている現実の観客の心にまで問いかける。
この作品で描かれたテーマは現実にも通じるものだ。これは映画の中だけの話だと勝手に線引きして自分を納得させてそれで終わりなのか?この曖昧な世界の中でお前の心の中のボーダーラインはどこにあるんだ?と。
北欧の妖精と言えば多くの人のイメージはトーベ・ヤンソン「ムーミン」かと思います。アニメとかでしかムーミン知らない人は割とふんわりした優しい世界観という風に思ってる人も多いかと思うのですが、トーベ・ヤンソンは風刺作家として最初はデビューしていて、原作は割とアナーキーな描写もあれば心の深い部分に少しづつ踏み込んでいくようになっていったりしつつ、弟のラルス・ヤンソンとの共著になるムーミンコミックスの方は風刺描写も割と多かったりします。
北欧の妖精トロールを描くという意味では、これは裏アナ雪だけでなく現代版リアルムーミンとも言えるかもしれません。
うん、
私は凄い映画を見た。
人と妖怪の狭間を語ろう。
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